18話 忙しい海の家で
午前中はまだ客もポツポツと来るだけで店は難なく回すことができた。
「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました!」
「2番テーブル注文取り入って」
「かき氷ひとつ」
いつもお店でよく見る感じを真似れば問題ない。今からでも十分働けるのでは、と思った。
そんな余裕はあっさりと砕かれる。
昼が近付くにつれ状況が一変した。
海水浴客が一気に押し寄せてくる。日焼けした肌に黒いサングラスをかけたいかつい人から家族連れの小さなお客さんまで客層はまばらだった。
注文の声。
食器の音。
厨房から聞こえる色晴の指示。
海の家は一気に慌ただしくなる。
「1番焼きそば二!」
「了解!」
「3番カレー一かき氷二!」
「持っていきます!」
優が皿を持って駆ける。蓮は補充用の段ボールを運ぶ。
三はひたすら会計を続ける。
次々に入る注文。
考える暇もない。そんな中。
「みつ!」
厨房から声が飛ぶ。
三は一瞬反応が遅れた。
「え?」
「みつ! 会計待ち三組!」
色晴が叫ぶ。
三は思わず振り返る。
今。
確かに。
坂倉ではなく。
みつ、と呼ばれた。
色晴自身も気付いていないのか、そのまま次の指示を飛ばしている。
「蓮! 飲み物足りない!」
「了解!」
「優、三番テーブルお願い!」
「は、はい!」
少しだけ眉を上げる。けれど何も言わない。
そんなことを気にしている余裕はなかった。
「みつ、釣り銭!」
「今行く!」
今度は自然に返事をした。
誰かが足りないものを補い、誰かが手の空いた仕事を拾う。指示を出さなくても動ける。
いつの間にか。
4人の動きは少しずつ噛み合い始めた。
◇
「終わった……」
蓮が砂浜に突っ伏す。
「まだ終わってないけど」
色晴が即座に返した。
「じゃあ一区切り!」
優も腰を下ろす。
三もドサっと座り込む。
足が重い。
昼の数時間だけでこれだ。夏休み中ずっとやるとなると気が気でない。
「疲れた……」
優がぽつりと漏らす。
「分かる……」
蓮が力なく頷く。
しばらく誰も動かなかった。
波の音だけが聞こえる。
その時。
「でも今日はまだ楽な方だよ」
色晴が何気なく言った。
三人が顔を上げる。
「……は?」
蓮が聞き返した。
「だから、まだ少ない方」
「少ない?」
「うん」
色晴は当然のように頷いた。
「夏休み入ったばっかりだし」
「いやいやいや」
蓮が首を振る。
「十分多かっただろ」
「お盆近くなるとこんなもんじゃないよ」
「嘘だろ」
「ほんとほんと」
色晴は笑った。
「席全部埋まるし、外まで並ぶし」
「地獄じゃねぇか」
「厨房も戦場になるよ」
さらっと言う。
三は黙ったまま色晴を見る。
昼の間、ほとんど休まず動いていたのは色晴だった。それなのに疲れた様子はあるものの、どこか慣れている。
「毎年やってるから」
視線に気付いたのか色晴が言った。
「まあ慣れるよ」
「慣れたくねぇ……」
蓮が天を仰ぐ。
そんなやり取りをしながらも、誰もすぐには立ち上がらなかった。
数秒の沈黙。
そして。
「そういや」
蓮がむくりと起き上がる。
「休憩中ってなにしてもいいんだよな」
「常識の範囲内ならね」
蓮がニヤニヤとしだしカバンの方へ向かい、何かを取り出した。取り出したのは二つの大きな水鉄砲だった。
「何その顔」
「別に?」
蓮はそう言いながら水鉄砲を構える。
「れん?」
「先手必勝!」
ぴゅっ。
「冷たっ!?」
色晴の肩が濡れる。
それからゆっくりと顔を上げる。
「蓮」
「な、なに」
「戦争だね」
蓮が後ずさる。
「まって」
「だめ」
「ごめん」
「遅い」
色晴は蓮からもう一丁の水鉄砲を奪い取った。
「ちょっ」
「みつ、手伝って」
「嫌だ」
「ゆう」
「えっ」
優が困ったような顔をする。
数秒後。
色晴はにっこり笑った。
「じゃあ、全員敵ね」
「待て」
その宣言と同時に、水しぶきが飛んだ。
三は反射的に身を引く。
だが遅い。
冷たい水が腕に当たった。
「色晴」
「なに?」
「やったな」
「先に撃ったの蓮だから」
「関係ないな」
三は蓮の持っていた水鉄砲をひったくる。
「あっ」
「え」
「待っ――」
ぴゅっ。
「冷たぁっ!?」
色晴の悲鳴が響いた。
そこからは混戦だった。
水鉄砲。
バケツ。
海水。
誰が誰を狙っているのかも分からない。
優も最初は巻き込まれないよう逃げていたが、
「古暮ちゃんも!」
色晴に引っ張られ、
「きゃっ!」
結局ずぶ濡れになった。
蓮は大笑いしながら逃げ回り、
色晴は全力で追い掛け、
優は半ば巻き込まれる形で参戦する。
休憩のはずだった。だが休んでいる人は誰もいない。
そして十五分後。
「もう無理です……」
優が椅子に沈んだ。
髪の先から水滴が落ちる。
「同感」
三も近くの席へ腰を下ろす。
昼の仕事の疲れに加えてこれだ。
体力が残っている方がおかしい。
だが。
「待てー!」
「来るなー!」
遠くではまだ二人が走り回っていた。
三と優は同時にそちらを見る。
「元気すぎる」
「ですね……」
優が苦笑している。
海では相変わらず二人が追い掛け回している。
もうどちらが追う側なのか分からない。
「休憩の意味あるのかな」
「ない気がします」
少しだけ笑い声が混ざった。
風が吹く。
潮の香りが運ばれてくる。
店内は静かだった。昼間の喧騒が嘘みたいに。
「……疲れました」
優がぽつりと言う。
「疲れた」
「給仕って思ったより大変なんですね」
「俺も見てて思った」
「坂倉君も忙しそうでした」
「まあ」
三は曖昧に返した。
しばらく海を眺める。
そんな時間だった。
「でも」
優が小さく口を開く。
「ちょっと楽しかったです」
優はそう言って海を見つめる。
しばらく波の音だけが続いた。
「坂倉君」
優が小さく呼ぶ。
「ん?」
少し迷うような間。
それから優は海を見たまま言った。
「体育祭の時、私が何か傷つけるようなことを言ってしまいましたよね」
風が吹く。
優は膝の上で指を組んだ。
「だから最近、少し避けられているのかなって」
「……違う」
三は短く答える。
だが優は首を横に振った。
「違ったとしても、謝りたかったんです」
その言葉に三は口を閉じる。
「もし傷つけていたなら、ごめんなさい」
優は小さく頭を下げた。
そして顔を上げる。
「でも」
少しだけ笑う。
「前にも言ったんですが、感謝もしてるんです」
「感謝?」
「はい」
優は頷いた。
「私が倒れた後保健室まで運んでくださったこと」
遠くで蓮の悲鳴が聞こえる。色晴に追い回されているらしい。けれど二人とも気にしなかった。
「生徒会の仕事も手伝ってくれたこととか」
「……」
「体育祭が最後までちゃんとできたこととかも」
優は海を見る。
「だから」
少しだけ照れたように笑った。
「本当にありがとうございました」
ただの感謝だった。
飾り気もない。
だからこそ本音なのだと分かる。
三は返事をしない。
ただ波を見つめる。
自分では大したことをしたつもりはなかった。余計なことだったかもしれないとも思っていた。
色晴も言っていた。
誰かに影響を与えられることは短所じゃない、と。
良い影響も。
悪い影響も。
自分の行動は確かに誰かへ届いている。
自分がしたことは、悪いものばかりじゃなかったのだと。
誰かの助けになることもあったのだと。それなら。
あの日のことも。
全部が間違いだったわけではないのかもしれない。
「……そっか」
しばらくして、三はそれだけを返した。
優は柔らかく笑う。
「はい」
波が静かに寄せては返す。
胸の奥に残っていたわだかまりも、少しだけ遠くへ流れていくような気がした。




