17話 夏の砂浜で
梅雨が明けた。
じめじめとした空気はいつの間にか消え、強い日差しが校舎を照らしている。体育祭が終わってから、いくつかの週が過ぎた。
あの日から特別何か起きたわけでもなくなんてことのない日々を過ごしていた。
蓮や優とも顔を合わせれば話す。
けれど、以前と同じかと聞かれれば何かが違った。そんな小さな違和感が残ったまま、時間だけが過ぎていった。
そして気付けば七月も後半。
終業式の日。
教室は夏休みを前にした浮ついた空気で満ちていた。
「じゃあ、事故とか気を付けろよー」
担任の言葉と同時に、生徒たちが一斉に立ち上がる。
遊びの予定。部活。旅行。
あちこちからそんな話が聞こえてくる。
三はそれを聞き流しながら窓の外を見た。
眩しい日差しだけがグラウンドを照らしている。
なんの色もない夏が始まる。
ただ、それだけだった。
◇
夏休みに入って数日。
特に何もないまま時間だけが過ぎていた。
朝起きて、昼を食べて、本を読んで、気付けば夕方になる。そんな日々を繰り返していたある日の午前10時。
普段ゲーム以外で動くはずのないスマホが震えた。画面を見る。
色晴からだった。
『手伝いお願い』
短い一文。三はしばらく画面を見つめた。
『何を』
『来れば分かる』
『どこ』
『長浜海岸』
何を言ってるのか全くわからなかった。
さらに数分後。
『助けて』
『本当に』
『お願い』
『来て』
通知が増えていく。
三はため息を吐いた。
『分かった』
すぐに既読が付く。
『やった』
その一言だけ返ってきた。
◇
長浜海岸は、街から少し離れた場所にある海水浴場だった。
夏休みに入ったばかりということもあり、人の姿は多い。
照り付ける日差し。潮の香り。
遠くから聞こえる子どもたちの声。
三は指定された場所へ向かう。
海岸沿いに建てられた海の家。
そこへ近付いたところで、三は思わず足を止めた。
「……なんで?」
見覚えのある顔が二人。
「坂倉」
先に気付いたのは蓮だった。
Tシャツ姿で段ボール箱を抱えている。
その隣には古暮優。
エプロン姿のままこちらを見ていた。
「あ……」
一瞬だけ目が合う。
優はわずかに視線を逸らした。
三も何と言えばいいのか分からない。
微妙な沈黙が落ちる。
その空気をぶった切るように。
「よし、全員揃った!」
色晴が現れた。
満足そうな顔だった。
「説明」
三は即座に言う。
「海の家のお手伝い」
「それは見れば分かる」
「じゃあ説明終わり」
「終わらせるな」
色晴は笑う。
「知り合いのところなんだけど、人手足りなくてさ」
「だから呼んだと」
「そういうこと」
あっさりしている。
三は頭を押さえた。
「蓮も?」
「被害者」
蓮が即答した。
「聞いてくれみつー」
「なんだよ」
蓮は三の肩を掴んだ。
「色晴が鬼なんだ」
「また言ってる」
色晴が呆れたように言う。
「俺の完璧な休日計画を潰されたー」
「予定あったの?」
「ゲーム」
「暇じゃん」
「暇じゃない!」
蓮は真剣だった。
「昨日の夜だぞ? 急に連絡来て」
『お願い』
『助けて』
『人手不足』
『本当にお願い』
『見捨てるの?』
『蓮』
『蓮』
『蓮』
「怖っ」
三は思わず引いた。
「だろ!?」
蓮は力強く頷く。
「お前だけでも味方してくれ!」
「無理だろ」
「そんな……」
蓮が肩を落とす。
その時。
「れんー?」
色晴がにっこり笑った。
「なんでしょう」
「暇だったんでしょ?」
「……」
「暇だったんでしょ?」
二回言った。
蓮は視線を逸らした。
「まあ……少しは」
「ゲームしか予定なかったよね?」
「みつ」
「ん?」
「助けて」
「諦めろ」
即答だった。
そのやり取りを見ていた優が、小さく吹き出した。ほんの一瞬。
確かに笑っていた。
色晴は満足そうに手を叩く。
「はい、雑談終わり!」
「切り替え早いな」
「昼のピーク来るから」
そう言いながらエプロンを押し付けてくる。
「みつは接客」
「なんで」
「向いてそう」
「向いてない」
「大丈夫大丈夫」
何が大丈夫なのか全くもって分からない。
「蓮は荷物運び」
「はあい…」
「古暮ちゃんは給仕で、私は厨房」
「…わかった」
色晴は満足そうに頷く。
「よし、完璧」
誰も異論はなかった。
三はエプロンを身に付けながら空を見上げた。
青空が広がっている。
数日前まで、こんな夏休みになるとは思っていなかった。
少なくとも、一人で静かに過ごす予定だった。
「坂倉ー」
色晴の声が飛んでくる。
「働けー」
「……はいはい」
三は諦めたように歩き出した。
波の音が聞こえる。
騒がしい夏になりそうだった。




