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尾張のうつけと呼ばれ、家臣にも見放されかけた織田信長だが、実は戦の地形も商いの流れも人の本心も見抜く戦国最強の天才でした 〜蝮の娘と忍びに振り回されながら天下布武を目指すラブコメ戦記〜戦国異聞伝〜  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一
第二章 尾張放浪編 ― うつけ、世を知る

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第90話 未来を見る目

「で、結局またここへ戻るのね」


小夜は、工房の戸を開けるなりそう言った。


弓職人は奥で木片を削っていた手を止めもせず、鼻だけ鳴らす。


「戻ってくる顔してたからな」


利家がその横で笑った。


「見りゃ分かるってやつか」


「お前、その言い回し気に入ってるだろ」


「便利だからな」


吉法師は、そんなやり取りも半分しか聞いていなかった。


頭の中にはまだ、河原の二度の音が残っている。


火花。

煙。

木板を抉る威力。

具足へ食い込んだあの重さ。


工房の木の匂いと、火薬の鼻を刺す匂いが、頭の中で妙に混ざっていた。


「おい」


弓職人がようやく顔を上げる。


「そんな顔で黙って立ってると、こっちまで落ち着かねえ」


吉法師はそこでようやく床へ座り込んだ。


「見た」


「そうだろうな」


「本当にあった」


「それも知ってる」


「そして、あれは」


少しだけ言葉を切ってから、吉法師は低く続ける。


「矢とは違う」


工房の空気が少しだけ締まる。


職人は木片を置き、腕を組んだ。


「どう違った」


吉法師はすぐには答えなかった。

頭の中で、言葉を探している。


「壊す」


やがてそう言った。


「矢は入る。あれは壊す」


利家が頷く。


「俺もそう思った」


小夜も、静かに続ける。


「しかも、撃つ方の腕より、火そのものの勢いが先に来る」


職人が少しだけ目を細めた。


「なるほどな」


吉法師は、そこでようやく手元の紙を引き寄せた。


「ここだ」


炭を握り、鉄砲の形を思い返しながら線を引く。


「長い鉄の筒。後ろはこうだ。木に抱かせている」


「お前、本当に見ただけでそこまで覚えてんのか」


利家が覗き込む。


「全部ではない」


「でもだいたい当たってる顔してる」


小夜が言う。


「見たものを頭の中で勝手に組み立て直してるのよ、この人」


職人は、その絵を横から見ていた。


粗い。

雑だ。

だが、本質だけは妙に押さえている。


「……お前」


低く言う。


「何だ」


「本当に、時々気味が悪い」


吉法師は顔を上げた。


「褒めておるな」


「違う」


だが、その“違う”は前より少し弱い。


職人自身も分かっているのだ。

この若殿は、ただ変わっているのではない。

本当に、見たものを自分の中で別の形へ組み替える頭をしている。


「火皿はここか」


吉法師が紙の上へ点を打つ。


「火縄を当てる。そこから火が入る」


小夜が腕を組む。


「火薬がどれくらい詰まってるかまでは見えなかった」


「うむ」


「でも、音の重さが違った」


利家が少し顔をしかめる。


「気味悪い音だったな」


「そうね」


帰蝶の言葉を思い出したのか、小夜の声も少し低くなる。


「武器の音というより、何かが弾けた音だった」


吉法師は、その言葉にも頷いた。


「矢や槍の延長ではない」


「別の武だな」


利家が言う。


「うむ」


「つまり、どうなる」


吉法師は少しだけ口元を上げた。


「戦が変わる」


昨日まで何度か口にしてきた言葉だ。

だが今の声には、もう空想の軽さがなかった。


職人は、それを聞きながら工房の壁に立てかけられた弓を見た。


長年見てきた武の形。

木を選び、削り、曲げ、張り、飛ばす。

その理屈の延長に、自分はずっと立っていた。


だが今日、若殿の口から出る“変わる”は、ただの思いつきではない。

実物を見た者の声だ。


「弓の時代じゃなくなるかもな」


ぽつりと、前夜と同じ言葉をもう一度口にする。


だが今度は、ただの予感ではない。

もっと重い実感を含んでいた。


利家が振り向く。


「そこまでか?」


職人は少し考える顔をした。


「すぐじゃねえ」


「うむ」


吉法師も同意する。


「すぐにはならぬ」


「だが、来る」


職人が言う。


「火が、もっと安く、もっと扱いやすく、もっと数が揃えば」


小夜が静かに言う。


「忍びも、夜に隠れてればいいって話じゃなくなる」


利家は腕を組んだまま、少し難しい顔になる。


「正面から突っ込むだけでも駄目か」


「あなたはその前に、少し隠れることを覚えた方がいい」


「俺は俺だ」


「そうね」


小夜が即答する。


「そういうところ嫌いじゃないけど」


利家が少しだけ目を丸くした。


「今、ちょっといいこと言ったか?」


「気のせい」


「絶対違う」


その軽口に、吉法師がほんの少しだけ笑う。


だがすぐに真顔へ戻った。


「火薬の量、鉄の厚み、火の入り方」


紙へ次々と書きつける。


「雨の日はどうなる。湿れば死ぬか。火縄はどれほど持つ。連射はできるのか。何人で扱う。足軽でも使えるか」


利家が顔をしかめる。


「待て待て、一気に増えすぎだ」


「当然だ」


吉法師は止まらない。


「一つ見れば次が見える」


小夜が横から言う。


「そうやって前へ飛びすぎるのが危ないのよ」


「だが、考えねばならぬ」


「考えるのはいい」


小夜は言った。


「でも、見ただけで全部分かったつもりになるのは違う」


吉法師は、その言葉には少しだけ黙った。


図星だったのかもしれない。

あるいは、自分でもどこかで同じことを思っていたのかもしれない。


職人がそこで低く言う。


「若殿」


「何だ」


「お前が見たのは、完成品だ」


「うむ」


「だが、完成品の裏には、同じくらい山ほど失敗がある」


吉法師が顔を上げる。


職人は、工房の中を顎で示した。


折れた弓。

削り損ねた木。

使い潰した部材。

失敗の山。


「弓でもそうだ。鉄砲ならなおさらだろうさ」


その言葉に、工房の空気が少しだけ静まる。


吉法師はそれを聞いて、ゆっくりと頷いた。


「なら、その失敗の山まで見ねばならぬな」


職人が思わず息を吐いた。


「普通そこで怯むんだが」


「怯む理由がない」


「そういうところだよ、本当に」


利家はにやっとする。


「でも、そこが若殿なんだろ」


小夜が言う。


「そこが面倒なのよ」


「褒めてるな」


「違うってば」


そんなやり取りをしていると、戸の外で足音が止まった。


小夜がすぐ振り向く。

今度は誰かを確認する前に、声が先に来た。


「若殿」


森可成だった。


工房の空気がまた一段引き締まる。


可成は中へ入ると、床に散らばる紙と、熱を帯びた吉法師の顔を一目で見た。


「やはりこちらでしたか」


「何だ」


吉法師が訊く。


可成は少しだけ黙ってから言った。


「お戻りになってから、目があまりにも遠くを見ておられた」


利家が小さく笑う。


「森殿、分かるんだな」


「若殿は分かりやすい時がございます」


小夜がぼそっと言う。


「そこは全員一致なのね」


可成は工房の奥まで進み、紙へ描かれた鉄砲の図を見る。


「……見てこられたか」


「うむ」


「どうでした」


吉法師は、少しも飾らずに答えた。


「来る」


可成の目が細くなる。


「そうですか」


「矢や槍のままでは済まぬ」


「でしょうな」


可成は、意外なほどあっさり肯定した。


小夜が少しだけ驚いた顔をする。


可成は吉法師を見たまま続ける。


「しかし若殿」


「何だ」


「来るからといって、明日には全部変わりませぬ」


「分かっておる」


「本当に?」


今度は小夜ではなく、可成がそう言った。


吉法師は少しだけ口を閉じる。


可成は静かに、だが重く言葉を重ねた。


「新しい武が一つ出たからとて、兵の足、腹、臆病、雨、地形、夜、命の重さ、それら全部が消えるわけではありませぬ」


工房が静かになる。


「戦が変わるとしても、それは武だけではなく、人の動かし方ごとです」


その言葉に、吉法師はじっと可成を見る。


「つまり」


「つまり」


可成は言う。


「若殿が見たものは“武器”ではなく、“時代”でござる」


その一言が、重く落ちた。


利家が息を止める。

小夜も黙る。

職人だけが、少しだけ目を細めて可成を見た。


時代。


吉法師は、その言葉を胸の中で転がした。


そうかもしれない。

河原で聞いた火の音は、ただの武具の音ではなかった。

人が戦う理屈そのものを変えてしまう、時代の音だったのかもしれない。


「……面白い」


ぽつりと吉法師が言うと、小夜が呆れ顔で天を仰いだ。


「結局それに戻るのね」


だが今度の“面白い”は、以前よりずっと深い。


面白い。

怖い。

厄介だ。

それでも追いたい。


その全部が混ざった言葉だった。


工房の中には、まだ木の匂いしかない。

だが吉法師の頭の中では、もう火薬の匂いが消えずに残っていた。

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