第54話 三人組
「動かない!」
通りの真ん中で、男が悲鳴のような声を上げた。
吉法師たちが振り向くと、細い道の真ん中で荷車が見事に引っかかっていた。荷台には俵と樽が積まれ、片輪が石の段差にずれてはまり込んでいる。前で綱を引く男は顔を真っ赤にし、後ろで押している店の若い衆も汗だくだ。しかも運の悪いことに、その荷車の後ろには別の荷車が詰まり、そのさらに後ろには買い物帰りの女たちまで足止めを食っていた。
「だからさっき右へ寄せろって言ったろ!」
「寄せたら樽が落ちるんだよ!」
「落とすなよ!」
「無茶言うな!」
喧嘩というほどではない。
だが、あと少しでそうなりそうな熱気があった。
利家が、面倒くさそうに眉をひそめる。
「何やってんだ、あいつら」
小夜は道の先まで目をやって、すぐに状況を見た。
「片輪が石に噛んでる。後ろの荷が重すぎるのよ」
「なら持ち上げればいい」
利家が当たり前のように言う。
「それで済むなら苦労しないわよ」
「済むだろ」
「一人で?」
「二人でも三人でもいい」
吉法師は、そのやり取りを聞きながら荷車をじっと見ていた。
ただ詰まっているだけではない。道が狭い。左右には店先の商品が張り出している。荷車を無理やり押せば、今度は店の品を引っかけるだろう。
「面白いな」
ぽつりと吉法師が言う。
小夜がすぐに横を見る。
「また?」
「まただ」
「面白がってる場合じゃないでしょ」
「こういう時こそ面白い」
利家はにやっとした。
「分かる」
「分からなくていいのよ、あなたは」
その言葉も聞かず、吉法師はもう前へ出ていた。
「おい」
荷車の前で怒鳴り合っていた男たちが、揃って顔を上げる。
吉法師はそのまま真ん中まで歩いていき、荷車の車輪を指さした。
「押しても引いても駄目だ」
「見りゃ分かるよ!」
店主らしい男が苛立った声を出す。
「じゃあどうすりゃいいんだ!」
「荷を半分下ろせ」
吉法師は即答した。
男たちが揃って顔をしかめた。
「下ろしたら積み直しだぞ!」
「なら今ここで喚いて、夕方まで道を塞ぐか?」
その言い方が妙にもっともで、男は一瞬だけ詰まる。
だが、別の男がすぐに言い返した。
「簡単に言うなよ坊ちゃん。樽は重いし、俵も崩れたら面倒なんだ」
そこへ利家がずかずか出てきた。
「重いなら持ちゃいいだろ」
「は?」
「どけ」
利家はそう言うと、返事も待たずに荷車の後ろへ回り込んだ。
「ちょっと!」
小夜が思わず声を上げる。
「そういうとこよ、ほんとに!」
利家は聞いていない。
荷の積み方をざっと見て、一番上の俵を片腕で抱えた。重い。重いはずなのに、そのまま持ち上げる。周りの町人たちが「おお」と小さくどよめいた。
「そこ、空いてるな」
利家が近くの店先を顎で示す。
魚ではなく干し草を売っている小さな店だった。店主がぎょっとする。
「う、うちか!?」
「一個置くだけだ!」
「置くだけってお前――」
「あとで戻す!」
それで押し切るあたりが、いかにも利家だった。
吉法師がすぐ乗る。
「よし、俵はそこへ。樽は下ろすな、転がる」
「分かってる!」
利家はすでに俵を運んでいる。
小夜は深く息を吐き、辺りを見回した。
「……ほんとにもう」
だが、見張っているだけでは済まないと分かっていた。
「そこの子」
小夜が後ろで立ち尽くしていた少年へ声をかける。
「え?」
「棒か板、何か細長いものない?」
「板ならあるけど……」
「持ってきて。早く」
少年が慌てて走る。
吉法師が振り返る。
「何に使う」
「車輪の下へ噛ませるの」
「なるほど」
「今ごろ気づいた?」
「わしは荷を下ろす方へ頭が行った」
「だから、周りを見るのは私の役目なの」
利家が俵を置きながら笑う。
「じゃあ俺は持つ役だな」
「それしかできないだけでしょ」
「十分だろ!」
言い返しながら、利家はもう二つ目の俵へ手をかけていた。
その勢いに押され、さっきまで怒鳴り合っていた店主と若い衆も、ようやく体を動かし始める。俵を受け取る者、荷台を押さえる者、後ろの荷車を少し下げる者。騒ぎは、いつの間にか仕事へ変わっていた。
少年が板を持って戻ってくる。
小夜はそれを受け取り、車輪の前にしゃがんだ。
「そこ、少し持ち上げて」
「俺か?」
利家が言う。
「他に誰がいるのよ」
「言い方が腹立つな」
「いいからやる!」
利家が「へいへい」と言いながら荷車の後ろを持ち上げる。
その隙に小夜が板を差し込む。
吉法師はそれを見て、すぐ店主へ言った。
「押すのは一度だけだ。何度もやるな。板に乗せたら、そのまま斜めに逃がせ」
「お、おう!」
「そっちの荷車は下がれ! 道を空けろ!」
吉法師が声を張ると、後ろで詰まっていた男たちまで慌てて動いた。
「今だ!」
吉法師の声に合わせて、利家が持ち上げ、店主たちが押す。
ごりっ、と重い音がして、車輪が板へ乗る。
そのまま少し滑り、石の段差を越えた。
「抜けた!」
誰かが叫ぶ。
「そのまま右!」
吉法師が続ける。
荷車はぐらりと揺れたが、利家が横から肩を入れて支えた。
樽も落ちない。
荷車はようやく道の端へ寄った。
通りに詰まっていた空気が、一気にほどける。
「おお……」
「助かった……」
「通れる、通れるぞ」
後ろで足止めを食っていた女たちや荷運びの男たちが、ほっとしたように息をつく。
店主は汗だくのまま何度も頷いた。
「す、すまねえ……いや、ありがてえ」
利家は鼻を鳴らす。
「最初からこうすりゃよかったんだ」
小夜が即座に刺す。
「あなたが最初からいたら、荷を持ち上げる前に店と喧嘩してるわよ」
「してねえよ」
「してる」
吉法師が笑う。
「しておるな」
「お前まで言うか」
そのやり取りに、周りの町人たちから小さな笑いが漏れた。
さっきまでただの騒ぎだったものが、今は少しだけ愉快なものへ変わっている。
吉法師は荷車を見て満足そうに頷く。
「やはり、押すより先に軽くするべきだったな」
小夜が言う。
「それだけじゃ駄目。車輪の下に何か噛ませないと、また同じところで滑る」
利家は腕を組む。
「結局、力も要っただろ」
「はいはい、すごかったわよ」
「気持ちがこもってねえな」
「そう?」
「全然だ」
吉法師は二人を見て、また声を立てて笑った。
三人でいると、不思議と物事が前に進む。
自分一人なら思いつきで突っ走る。
利家一人なら力で押し切る。
小夜一人なら状況を見て、最初から余計な騒ぎを避ける。
だが三人揃うと、その違いが妙に噛み合う。
「変な組み合わせだな」
吉法師が言うと、小夜がじろりと見る。
「誰のせいよ」
「おぬしもその中におる」
「私は見張り役なのに……」
小夜は初めて、少しだけ本気の混じった声でそう呟いた。
吉法師が首を傾げる。
「嫌か」
小夜は一瞬だけ黙った。
嫌ではない。
むしろ、城の中でじっと見ているだけより、こうして一緒に動く方がずっと吉法師のことが見える。
ただそれを素直に認めるのが癪なだけだ。
「……嫌なら、とっくにいなくなってる」
ぼそっとそう言うと、利家が聞きつけて笑った。
「いるじゃねえか」
「うるさい」
「見張り役にしてはだいぶ馴染んでるぞ」
「あなたがうるさいからよ」
「何でそうなる」
また三人で言い合いになる。
その様子を見ていた店主が、ぽかんとした顔で言った。
「お前ら……何なんだ、本当に」
誰もすぐには答えなかった。
吉法師は少し考えるような顔をしてから、利家を見た。
利家は肩をすくめる。
小夜は面倒くさそうにため息をつく。
結局、店主の横にいた女が小さく呟いた。
「変な若殿と……忍びみたいな娘と……荒くれ若武者、かねえ」
「そのまんまじゃない」
小夜が言うと、利家が笑う。
「分かりやすくていいじゃねえか」
吉法師は、その言い方が妙に気に入った。
変な若殿。
忍びみたいな娘。
荒くれ若武者。
たしかにその通りだ。
そして、妙に悪くない。
城下を吹き抜ける風が、ようやく通りの熱を少しだけさらっていく。
荷車は動いた。
人の流れも戻った。
だが町人たちの目には、もうあの三人がしっかり焼きついていた。
城下を歩けば、きっとまた言われるのだろう。
――ほら、あの妙な三人組だ、と。




