モノクロリバーヴ
「わあ……っ!」
はらはらと止め処なく散って行く薄紅を背景に、それも緑の絨毯が広がる草原を前にして、レイは思わず感嘆の声を上げる。
風向きに従って戦ぐ柔らかな新緑が、まるでさざ波の様に凪いでいく自然の芸術には、都会っ子のレイでなくとも感銘を受けるものらしい。綺麗ね、という隣に立つサイの呟きが、その場に居る全員の気持ちを代弁しているかの様に穏やかな沈黙を誘う。
其の沈黙を堂々と破る形で、サイが勢い良く手を挙げた。
「さあ皆っ、レッツ・お弁当ターイム☆」
「わあいっ!」
「…………」
其の浮かれよう―――主に女性陣二人の―――は見ている分には実に微笑ましいものであるが、それに巻き込まれた者はとんだ災難でしかない訳で。サイのノリが良すぎるまでの宣言に付いて来られたのは、最早レイのみであった。
「あの、サイ? 水を差すようで申し訳無いのですが、本当にやるんですか―――ピクニック」
「何言ってるの今更! こんなに気持ち良い場所見付けたんだから、ピクニックぐらいしたって良いでしょ?」
クレイがやんわりと諭そうとするものの、せかせかと地面にシートを敷いていくサイの手が止まる気配は、残念ながら一切無い。彼女が言うように、折角なら気持ちの良い所で食べたい、というレイの提案により、彼らは此の美しい草原に辿り着いたのだ。こうなればもう、色んな意味で腹を括るしかないだろう。
「―――遊びに来ている訳ではないのですが……。まぁでも、仕方が無いですね。偶には良いでしょう」
諦めの溜息を一つ零し、クレイはサイが敷いたシートに腰を下ろした。其れを見たサイは、ぱぁ、とばかりに分かり易く顔を明るめると、嬉しそうに自作(+ソラリア)の弁当を広げ始める。
「流石はリーダー、理解の有る事だな。そう言うからには責任持って貴様が毒見しろよ」
「あっはっはっは、お断りします」
皮肉たっぷりに口角を上げて茶々を入れるアルと、其れを眩しい笑顔で受け流すクレイ。そんな二人の遣り取りを聞いて、当然ながらサイはいきり立って二人に反論した。
「失礼ね二人共、毒なんか入ってないわよ! ね、医者のイルなら分かるでしょ!?」
唐突に話題を振られたイルは、既にシートの上に並べられている色とりどりの具材をじっと見詰める事数秒、ピクリとも変わらない無表情のまま言葉を返した。
「問題無いだろう。胃薬は常備しているしな」
「イル其れフォローになってない! 寧ろ傷口抉られたんですけど!!」
天然なのか態となのか―――彼の大真面目な様子を見ると、恐らく前者なのだろうけれど―――イルの余計な一言がトドメとなり、結果的にサイのテンションはジェットコースターばりの急降下を見せるのだった。
レイはそんな彼女を何とか励まそうと、精一杯声を張り上げて其の場を取り繕おうとする。
「えと、あっ、ほら、このお花みたいな形のおかず美味しそうじゃないですか!? やっぱりこっちには色々珍しいお料理があるんですね。うわあ、信じられない!」
そう言ってレイが指差した先には、数ある具材の中でも一際目を引く桃色のおかずがあった。サイは其の言葉で元気を取り戻したらしく、有難うレイちゃん、そう言ってくれるのはレイちゃんだけよ、と何時もの優雅な笑みを見せ、其の桃色を一つスプーンで掬って彼女の小皿によそう。
「此れはね、“カルテア”っていう花の蕾を甘く煮込んだ料理なの。美味しくて栄養もあるから、ランドシークでは良くおやつ代わりに食べたりするわ。一般的に“カルティエ・ラン”って呼ばれてるんだけど、割とポピュラーなお菓子ね」
「ええっ、此の世界のお花って食べられるんですか!?」
「花だけじゃなくて、葉っぱや木の根も食べられるわよ。と言っても、流石に全部が食用って訳じゃないんだけどね?」
中には毒を持ってるものもあるから、と補足し、サイは様々な具材をバランス良くよそった皿をレイに手渡した。彼女はまた一つ増えた此の世界の豆知識に感動を覚えつつ、ぱくりとカルティエ・ランを口に運ぶ。途端に広がるえも言われぬ甘味―――其れは砂糖の甘さとも果糖の甘さとも異なった、より柔らかな甘みであった―――に、早速病み付きになったのは言うまでもない。
「サイファンさん、此れ、凄く美味しいです!!」
其のレイの一言で、それまで遠巻きに事の成り行きを見守っていた男性陣が興味を示したらしく、皆一様に弁当の中身を覗き込み始めた。サイは其の変化を見逃す事なく、すかさず彼らに向けて指図する。
「ほら、ぼーっとしてないで君達も早く座って食べなさいよ。其れとも何、レディーに一人で食事をさせようっていうのかしら?」
サイの鋭い指摘に根負けしたのか、アルとイルは一瞬だけ顔を見合わせ、渋々といった様子ながらも大人しくシートに腰を下ろした。そして恐る恐る弁当に箸を付ける男性陣。だが意外にも、其の反応は好評であった。
「ほう、此れは中々……」
「おや本当だ、今日の料理は上手くいった様ですね」
「食えない事はねぇな」
こうして彼らは各々三者三様の感想を洩らしながら―――約一名ひねくれた感想を口走った者も居たが―――、少し遅い昼食を、皆で楽しく過ごしたのだった。
「レイちゃん見て見てっ、あそこに可愛いお店があるわ!」
「うわあ、素敵……!」
所変わって、此処は様々な商店が軒を連ねる繁華街。
流石は栄華を極めた楼銀国の城下町だけあると言うべきだろうか、可愛い者好きなレイには堪らないような洒落た店が所狭しと並び、ひっきり無しに女性ならではの購買欲を掻き立てていく。硝子や陶器で出来た小物が可愛らしく飾られたアンティークショップ、ビビットカラーやパステルカラー等、鮮やかな色どりがずらりと並ぶ洋服屋、見慣れた犬猫から見た事も無いような生き物に至るまで、愛くるしい小動物達がつぶらな瞳で此方を見詰めてくるペットショップ、エトセトラ。
其の目移りする程の様々な誘惑に勝てる程成熟していないレイは、店のショウウィンドウにペタリと張り付く様にして、ひたすら目を輝かせている。
「おい、いい加減にしとけよお前等。遊びに来てんじゃねぇってクレイドも言ってただろうが」
「アルったら堅いわねぇ。折角観光大国の楼銀に来てるんだもの、楽しまないと損よ?」
多少苛立った様子のアルの言葉を一蹴し、サイはレイと一緒になってあの置物が可愛いだの、此のランジェリーが欲しいだのと騒ぎ立てるのに夢中になっている。
「……はあ、あの様子じゃ暫く動きそうにねぇな。どうすんだ一体」
「食ったばかりで、良くあんなに動けるものだな」
「其処感心するとこじゃねぇだろ、寧ろ呆れるとこじゃねぇか」
アルとイルのそんな会話など最早耳にも入らず、姦しコンビの黄色い声は、広い往来にあっても尚声高に響いていた。
「ちっ、おいクレイド。あいつ等何とかしろ」
「―――やはりそうなりますか」
やがてアルの我慢の限界が来たのだろう、不機嫌な様子を隠そうともせずに露骨に舌打ちすると、唯一この状況を打破出来るであろう彼らの長ことクレイに視線を投げた。最早最終兵器扱いの彼はアルに何とも言えない苦笑を返し、音も無くレイ達に近付いていく。
「レイさん、サイ。はしゃぎたい気持ちは分かりますが、もうじき日も暮れる事ですし、今は先を急ぎましょう。―――良いですね?」
其の表情は何時もの変わらぬ笑顔であったものの、穏やかな声音の裏に有無を言わさない威厳のようなものが感じられた。サイも其れを察したようで、名残惜しそうな様子ではあったものの、諦めて店から離れる事にする。まさに鶴の一声、というやつだ。
「分かったわよ。残念だけど、クレイがそう言うなら。レイちゃん、行きましょう?」
サイに促されたレイは、やっぱりクレイドさんは皆のリーダーなんだなぁ、等と今更な事実を心中で呟き、取り敢えずはぁい、と良いお返事を返しておいた。
「あのぅ、ところで私達って、何処に向かってるんですっけ?」
トコトコと一行の後を付いて歩くレイは、これまた今更な質問をしてみる。楼銀に着いてからというもの、普段見る事の出来ない様々な珍しいものに夢中になり過ぎた所為か、本来の目的を忘れかけていたようだ。そんな彼女に向けてクスリと一つ笑みを零し、サイが優しく問いに答えてくれる。
「私達が向かってるのは、あそこに見える大きな王宮よ」
言いながらサイが指差す先には、鈍色に光る漆黒の外装を金で縁どられた、巨大な建物が佇んでいた。其れは“王宮”と言うよりは“屋敷”と呼ぶに相応しいような、何処か和風な雰囲気を醸し出す立派な御殿、という印象である。近くで見上げたならば首が痛くなりそうな城に目を留めたまま、レイは思わずえ、と驚きの声を洩らして目を丸くした。
「王宮って事は、此の国の王様とかが居らっしゃるんですよね?」
「そういう事。あの城、莉江城の城主様―――つまり、此の楼銀国の王族方に挨拶をしに行くのよ。この度は式典にお招き頂き有難う御座います、ってね」
「うわあ、そんな偉い方にお会い出来るんですか……!」
「ふふ、そうね。私達でも、王族に謁見する機会なんて滅多に無いもの」
悪戯っぽく微笑むサイの言葉を聞いた彼女は、不謹慎ながらも心を弾ませ、少しだけ足を速めたのだった。
「此の度貴国のご招待に与りました、シンビオスのクレイド・ミルフィスです。畏くも王と姫君にご挨拶をと伺ったのですが」
「嗚呼、シンビオスの方ですか。お話は伺っていますよ。どうぞ此方へ」
そうして巨城に到着したシンビオスの一行は、門番らしい衛兵に案内されていよいよ城の中に足を踏み入れた。何処までも続きそうな長い長い廊下は、案内が無ければ間違いなく迷ってしまうだろうと思う程複雑に入り組んでいる。恐らく、敵が攻めて来た時の為の対策なのだろう。もしかしたら罠なんかもあるかもしれない、とレイはやや緊張した面持ちで、しっかりと足を踏み締めて歩いた。
「姫様、シンビオスの方々が来られました」
やがて衛兵は、最も奥まった場所に位置する一際立派な門扉の前で立ち止まると、中に居るであろう人物に向けて控え目に声を掛けた。恐らく其の部屋が、王の間なのだろう。
直後聞こえた通すがよい、という凛とした声を受けて、衛兵がゆっくりと扉を押し開く。日当たりの良い部屋から洩れる煌々とした光に反射的に目を細めたレイは、光に慣れるまでの間はシルエットにしか見えない王族の姿に、改めて緊張を走らせた。数回の瞬きの末見えた其の姿は、正しく王家の気品と風格を兼ね備えていると言えるだろう。
堂々と玉座に座する年若い美姫は、艶のある黒髪を後ろで纏め上げ、其の上から被られたピンク色のヴェールで顔の半分が覆われているという、何ともミステリアスな出で立ちだった。加えてワインレッドのチャイナ服に似たドレス―――沢山のフリルで飾られている為、何処かゴシックのような印象がある―――は彼女に良く似合っており、其の美しさを一層際立たせている。
「お初にお目に掛かります。クレイド・ミルフィスと申します」
「ほう、そなたが噂に聞くシンビオスの長であったか。妾は楼銀の第一王女、董 雷佳と申す。遠路遥々、ランドシークよりの長旅でご足労をお掛けしたな。我々一同、そなたらの訪問心より歓迎致すぞ」
「不肖な我々に対してそのような手厚い歓迎、痛み入ります」
「そう堅くならずともよい。本来ならば父上と母上もそなたらを迎える筈であったが、生憎今は外交に出ていて不在なのだ。今の所此処には妾と衛兵しか居らぬ故、気兼ねなく接してくれて構わない」
雷佳と名乗った姫は、どうやら見掛けによらず気さくな人柄であるらしく、にこりと綺麗に微笑んでそう言った。次いで其の視線がクレイの背後に注がれたのに気付くと、彼はこんな時でさえ緊張の欠片も見られない笑顔で、後ろに佇んだままの四人を振り返りつつ雷佳に紹介する。
「此方の者達は、私の連れです。アルス・イルバート、サイファン・フレア、イルジクト・リアスターデ、そして浅倉レイ。皆、頼りになる仲間ですよ」
雷佳は順番に紹介された一同をぐるりと見渡すと、何故だか少しだけ声のトーンを落として、こんな事を尋ねた。
「……して、妾の“影武者”をしてくれるのは誰なのだ?」
其の言葉に、クレイを除いたシンビオスメンバーは訝しげに首を傾げる。
“影武者”? 何を言っているのだろう、此のお姫様は。皆一様に眉を潜める中、クレイの表情だけが変わらなかった。―――要するに、何時もの笑顔で。
「嗚呼、其れはこの子―――浅倉レイがしてくれますよ。彼女ならしっかりやってくれると思いますので、ご心配無く」
「そうであったか、そなたが。面倒な依頼をしてしまって、申し訳無い」
「え、あ……、はい?」
雷佳は言葉通り本当に申し訳なさそうに桜色の瞳を伏せているが、生憎当のレイにはさっぱり訳が分からない。
(私が雷佳姫の影武者? ちょ、ちょっと待ってよ、そんなの聞いてないんだけど!?)
混乱を極めるレイは、救いを求めてクレイを見遣った。が、彼は微笑みを崩す事無くレイの視線を完全スルーしてしまう。そんな様子を見て怪訝に思ったのだろう、雷佳はキョトンと可愛らしく小首を傾げて意外そうな声を上げた。
「何だ、聞いておらぬのか? 最近は我が国にも妖怪が蔓延り始めて夜は危険である故、万一に備えて妾の影武者を寄越して欲しいとそなたらシンビオスに依頼をした筈なのだが。妾は影武者など要らぬと言ったのだが、父上や母上が心配性でな……、本当にすまないと思う」
雷佳の口から明かされた真相に、暫しの間誰も口を開く事もせずぽかんとしていたが、いち早く我に返ったサイが、明らかに無理矢理作った笑顔でゆっくりとクレイに尋ねた。後ろに怒りのオーラが見えるのは恐らく気の所為ではない。
「……クレイ? 此れは一体、如何いう事かしら?」
「お、落ち着いて下さいサイ、あの、此れはですね―――」
「要するに。私達はパーティーに出席する為に来たんじゃなく、雷佳様を護衛する為に来たと。あの手紙は招待状じゃなくて、依頼状だったと。そう言う事なの?」
「―――そう言う、事ですね」
「へえ、そう。そうして私達を騙して此処まで連れて来て、挙句の果てに雷佳様の影武者を、よりによってレイちゃんにさせるんだ?」
「……容姿的にも、彼女が適任かと思いまして」
サイに厳しく問い詰められ、最早言い訳すら出来ないクレイ。しかし其れでも怒りが治まらないサイは、飛び切りの笑顔できつく拳を握った。
「ちょ、サイ! 何ですか其の拳! 仮にも姫の御前ですよ!?」
珍しく狼狽した様子のクレイは、じりじりと後退しながら何とかサイの怒りを鎮めようと言葉を連ねる。彼女は其の言葉を聞いてピタリと動きを止め、一旦拳を下ろしたかと思うと、徐に雷佳に向き直り―――
「雷佳様、少しの間だけ目を瞑っていて下さいな」
「? 嗚呼、分かった―――」
―――ドガァッ!!!
返事を聞くが早いか、渾身の力を込めてクレイを殴り飛ばした。
あの大剣を軽々と振り回せる程の力を持っているのだ、本気で殴られれば幾らクレイといえども無事では済まない。雷佳が目を開けた時、彼は数十メートル先にまで吹っ飛ばされ、うつ伏せに倒れ伏していた。
「何だ、一体如何したというのだ……? 何だか良く分からぬが、兎に角みなさぞお疲れであろう。そなたらの部屋を用意してある故、今宵はごゆるりと休まれるがよい」
一人状況を理解していない雷佳は、戸惑った様子ながらも彼らを気遣い、衛兵に部屋まで案内するよう言い付ける。次いで未だ倒れたままのクレイに大丈夫か?、と声を掛けると、彼はやっとの事で半身を起こした。
「―――……っつ。ええ、まぁ、何とか。流石にサイの手加減無しのパンチはこたえますけどね」
殴られた頬をさすりながら苦笑するクレイに追い打ちを掛けるように、サイはクレイの傍にしゃがむと、小さく耳打ちした。
「部屋に着いたら、納得のいく説明をしてくれるんでしょうね、クレイ?」
其の言葉に蒼褪めるクレイを見て何かを察したのか、それまで事態を静観していたアルとイルが同時に溜息を吐いた。因みにレイはまだ頭の中が混乱していてそれ所ではない。
「……馬鹿が」
「今度ばかりは自業自得だ、俺は助けないからな」
その後、衛兵に案内されて再び長い廊下を歩くレイは、今更ながら“遊びに来ている訳ではない”というクレイの言葉の真意を悟っていた。結果的に危険な任務に巻き込まれる形になったレイだが、自分の前を歩くクレイが悪い人じゃないという事は、分かっている。だからクレイが皆を騙してまで此処に連れて来たのだって、何かそれなりの理由がある筈だ、と彼女は考えていた。
(クレイドさん、思いっ切り頬腫れてるなぁ。痛そう……)
影武者だとか任務だとか、様々な不安が胸を渦巻いているが、それよりも今は長身の彼が軽々と殴り飛ばされた衝撃映像の方が頭から離れない。レイは改めて、サイだけは絶対敵に回すまいと密かに胸に誓ったのだった。
(それにしても、お姫様の代わりなんて―――私に出来るのかな)
考えれば考える程重くなる気持ちを如何する事も出来ず、レイは静かに瞳を伏せた。
明日の明朝、国を挙げての大々的なパレードが開催される。そして彼女は、雷佳の影武者―――つまり替え玉として、其のパレード、及び祝宴パーティーに出席しなければならない。
何事も無いと良いんだけど、というレイの切実な願いは、刹那零れた小さな溜息と共に、人知れず消えていった。




