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既望が奏でる狂乱の序奏(プロローグ)



 雷佳の命により衛兵に通された部屋―――一旦は男女に分かれてみたものの、三人で利用するにはおこがまし過ぎるその部屋の広さに感嘆するなんていう神経を持ち合わせている人間が、この中に居ないことなんて言わずもがな。普段のクレイならば何かしらの冗談を吐いても良かったものだが、先程から雰囲気だけでも分かる程沈んだオーラを発している。それだけなら未だしも、先に「殴られたからでしょうか、今物凄い頭痛に苛まれています」だなんてことを口走ったものだから、イルによってベッドに縛り付けられているのであった。


「アルス、そっちのテーピング取ってくれるか」

「僕はもう寝ている」

「寝惚けてで良い」

「……」


 腫れの多少引いたクレイの左頬にガーゼを当てつつ、其処から一番離れたベッドに背を向けて横たわるアルにそう声を掛けたイル。面倒臭そうに返って来たその言葉には冷静な対処をし、見事不機嫌極まりないアルにテーピングを取って貰うことに成功した。流石だな、なんて思うことが出来たのは、ガーゼとは別に頭痛に効くからと無理矢理置かれた濡れタオルで目元を覆われているクレイだけだったのだけれど。


「イルジクト、ありがとうございます、もう大丈夫ですからサイ達の部屋に―――」

「それは許さん」

「……何故です? 先程は俺は助けない、だなんて言っていた癖に。そろそろ事情を説明しに行かないと」

「……」


 タオルによって遮られる視界のその先に居る専属医師は、一向に返事をしてくれはしなかった。ピッ、とテープを切る音だけが左耳に響くだけで。

 クレイは最早慣れたその状況にふっ、と笑みを零し、その場の空気に流されるまま、言葉を紡ぐ。


「―――あの場で殴られるというのは、想定外でしたよ」

「……」

「サイにはもう少し、場を選ぶというステイタスが備わっていると思ってたんですがね」

「……」

「……何か言って下さいよ、何だか惨めになるじゃないですか」

「……」


 珍しくも自嘲気味に紡がれた言葉の後、クレイが口を閉ざしてしまえば場に広がるのは静寂のみ。他の二人が率先して言葉を発するなんてことがあるはずも無く、―――最早片方は起きているかどうかも危うい―――結局のところ、再び続くのはその旋律を奏でるように透き通るテノールの声音だけ。



「イルジクトには依頼書類の一部を見せていたとはいえ、影武者の件は伝えてなかったんでしたよね。アルスに至っては少しも―――。……何も言わず、申し訳ありませんでした」



 紡がれた謝罪の言葉、そんな言葉にも二人は一切の反応を見せない。暗闇の中に反響した自らの声を耳にして、クレイはくすり、と笑みを零した。


「……本当に酷いですね貴方達、少しは反応してくれても良いじゃないですか」

「必要無ぇだろ」


 途端テノールと別に響いたその声は意外にも、遠くに寝転がるアルのものだった。てっきり既に夢の世界へ旅立っていたものだと思っていたイルは、此方を一切見ていないその後ろ姿に視線を送る。己の左腕を枕にし、シンプルな紺色のワイシャツ姿でそう呟いたアルは途端起き上がり、相変わらずの面倒臭そうな表情を其方に向ける。


「お前はうちのリーダーだろうが、ギルドの依頼でお前の決めたことに文句は言っても咎めはしねぇ、真意なんて二の次だ。僕等は付いてくだけなんだから」

「第一な」


 其処に、溜息混じりな三つ目の声が重なる。


「―――パワー重視のサイの拳くらい、スピード特化のお前が避けれない訳が無いだろ、あの広い王間で」

「あははっ、買い被り過ぎでは無いでしょうか」

「それをお前が避けなかったんだ、……これ以上何かを言う必要も無いだろう」


 だから俺は、患者を診ているんだ―――そう続けられたイルと先のアルの言葉を、真剣な時にしかしない神妙な面持ちで受け止める。未だ視界の晴れない暗闇の中でクレイは、心中だけで苦笑を漏らしつつ思った。自分は武や智の才能なんかより、―――人徳に恵まれたのだと。


「……本当、ありがたい才能ですね」

「何言ってやがんだ……? 意味分からないこと言ってる暇あったらとっとと体調治しやがれ、明日の朝全快してなかったら殺すぞ」

「おや、心配してくれてます?」

「違ぇよド阿呆それじゃなくたって明日は浅倉レイを使うんだろうが、護衛減ってあいつに何かあったら今度こそお前サイに斬殺されるぞ」

「うわあ洒落になりませんねそれ」

「当たり前だ、洒落を言ったつもりは無ぇ」 


 目を合わすことなく交わされる軽口の叩き合いに、もう大丈夫だな、とイルは一人満足げに頷いた―――見えていないクレイはともかく、アルにすら判断出来ないであろう動きだったが―――。












「―――ってことで、どっかの誰かさんが怒りの鉄拳を喰らわした影響でリーダーが堕ちた」

「「……」」


 そんな一言が隣の部屋―――要するにレイとサイ、分かれたもう一グループの方に知らされたのは、それから数分と経たずしてのことだった。一見健康体、だがぶっちゃけ一番重病人な伝達役のアルによってその情報を耳にした女性陣二人は、一瞬何を言っているのか理解出来ない、といった具合に見事に硬直していた。

 あの後軽口を叩いていたのは束の間、普段人前じゃあよっぽどの事が無い限り先に眠らないクレイが、濡れタオルもそのままにフェードアウトした。ただ疲れて眠っただけなのだろうが、イルが相変わらずのお節介を黙々を焼いていた為、幾分大袈裟な状況を他二人に見られ此方の部屋で騒がれる前に―――と重い腰を上げた次第らしい。


「く、クレイドさん大丈夫!? っていうか立ったままじゃ身体に悪いだろうから中入りなよ……!」

「僕が知るか、けどあの馬鹿のことだから大丈夫なんだろうよ、ああ見えて頑丈だ。それで中に入って欲しいならとりあえず部屋に散らかってるもん全部しまえ」

「あ、はい、ごめんなさい」


 先に硬直が解けたのは勿論、順応性抜群のレイその人で。慌てた様子を見せたと思えば相手の要求にあっさりと応え、一時間足らずで何があればこうなるのだろうか、と流石のアルも疑いたくなる程散らかった私物を適当に鞄に詰め込んだ。部屋に対しても順応性の高さを誇る少女、それこそが浅倉レイの真骨頂なのかもしれない。

 綺麗になったとは言い難いが少しはマシになった部屋へと入り、ベッドに座るレイとサイに向かい合えるようにと薄紫色のソファへと腰掛けたアルは、未だ何処かへトリップしているであろう片方の彼女は放っておいてレイを一瞥する。


「疲労が溜まってたんだろうってよ、疲れた身体には堪えるだろ、あれは」

「あ、はははは……」


 そんな皮肉を漏らすアルに対して、レイは苦笑を漏らすことしか出来なかった。

 あれ、の原因となった彼女はというと。意識は戻ってきているらしいが、知り合いでなければ気付けないであろう程度で何やらそわそわとしているらしかった。此方に視線を向けてはいるものの時折ちらりと、等身大はある鏡が掛かる壁際を見遣ってはどぎまぎとすることをこの数秒間で繰り返している。


「サイファンさん?」

「……ん? 何、レイちゃん?」

「え、いや、何だか慌ててるみたいだったので……」

「そうかしら?」


 何でも無いわよ? と続けるサイを見れば本当に何も無かったんだろう、と思わせるその笑みに少々安心してしまったが、やはり何も無かったなんてことは無いのだろう。視線が未だに鏡に向いている。


(―――も、もしかして、鏡に幽霊が映ってたとか!?)


「行きたいなら行けばいいだろう」


 口に出した暁には、確実に馬鹿にされていたであろうレイの思考はさておき。

 何時も通りの呆れた様子でアルはサイに向けてそんな一言を吐く。何も聞かなくても原因が分かってしまったらしいアルは、サイの視線に合わせて其処を見、「此処からじゃあ、何も見えねぇだろ」なんて意味深な言葉を続けた。


「えと、どういうこと?」

「心底心配なんだとよ、うちのリーダーのことが」

「ち、違う! 別に心配とかじゃないわ!!」


 その吃り様に焦り様。何処から見ても肯定と取れるそれには流石のレイだって気付いて、あれは鏡を見ていたのでは無く、隣の部屋で眠っているクレイドを壁越しに見ていたのだと分かった。つい荒げてしまった声に自分でも驚いたのか、サイは照れたように俯いて観念したように黙り込んだ。ただ心配しているのなら此処まで焦ることも無かったのだろうが、生憎彼女は特別な感情というものを認知してしまっている。殴った張本人が彼を心配する、というのは酷く滑稽に思えるかもしれないが、彼が彼女の意中の相手なことはレイにすら発覚している事実であるし、レイが知見しているということは、この横のアルはより深く、言葉にするなれば知悉(ちしつ)しているということだ。


「私はただ、……いや、でも、クレイはレイちゃんに危ないことをさせようとしてた訳だし……」


 しかし恐らく―――否、確実に気付かれていることに気付いていないサイであるから、再び慌てた様子で言い繕おうとする。認知済みの二人はどう反応するでなくサイの言葉を待っていたのだが、話題の彼女は低く唸り声を上げて少し思考すれば、最終的には結局クレイのことに話題が転換してしまった。恋する乙女はもう何だってお構いなしなのだと、改めて実感したレイだった。


「でも私の所為でクレイは……避けると思ったし、んー……」


 なかなか決まらない答えに視線を様々に巡らせ、深く深く考え込むサイ。

 レイとしてはそんなに深く考え込まず、自分のしたいようにして欲しいと思う訳だが。今回のこの騒動―――其処まで大きなことでは無いが―――が自分のことを心配してのことだとするとそうも言い辛い、だったらどう伝えるのが一番良い道筋なのか。

 ―――レイは少しだけ考察して、うん、と心中で頷いてからサイを見遣る。



「サイファンさん!」

「……ん?」

「私、大丈夫ですから!」

「……?」

「さっきは王女様が何言ってるのか分からなかったんですけど、私なんかで良ければ、ちゃーんと任務のお手伝いさせて頂きます!!」


 元気良く笑顔でそう告げれば、サイの巡っていた視線がしかとレイを捉えて。戻って来た心配そうなその琥珀色を此方に向けて、いいの? なんて呟いた。


「はい! ―――私なんかに王女様の影武者が務まるかどうかは物凄く危ういけど、」


 そしてレイは、これまで見せたことの無いくらい明るい、満面の笑みで、



「―――クレイドさんが私をって選んでくれたんだもん、きっとそれには意味がある!」


 そう、言い切った。

 ―――言ってみたものの、サイに反応が無い。全身に緊張が走って背筋に冷えた汗がつ、と伝った気がした。ええと、そうなんだよね? なんて意味合いを込めてちらりとアルに助けを求め一瞥すれば、上出来だな、とでも言うようにアルはふっ、と笑みを零した―――恐らくレイは、笑われたと勘違いしたが―――。

 暫く口を閉ざしていたアルが一度サイの名を呼んで、その鋭い視線がしっかりと相手と向き合ったのを確認してから。


「サイ、悪いのはあの(バカ)だが、そんなのは何時ものことだろ」

「うん」

「あいつはホームでこう言った、自分も同行し、僕とサイを護衛に付けてこいつの安全は確保すると。……あの野郎は、虚言は吐くが契約は守る、お前と僕と自分が居れば、それが嘘にならないと直感したんだろ」

「……うん」

「だったら心配なんてしてんじゃねぇよ、あいつのプランが狂うなんてことが、今まであった訳でも無ぇんだし」

「……そう、だよね、……私が、レイちゃんを守れば、それで良いんだよね?」

「さぁな、それこそ、そいつに聞け」



 何だか面白いな、それがレイが抱いた感想だった。最初に見た二人の関係は、本当の姉弟のような暖かいものだった。後先を考えない無鉄砲で無愛想な弟を、溺愛するように心配する優しいお姉さん。その第一印象は今だって強ち外れてはいないのだが、今目の前に広がる光景はそれよりも深い、―――目には見えない信頼の形、とでも例えられるだろうか。自分の思ったことを包み隠すことなく相手に正面から伝え、間違った答えを正す。そんな当たり前の関係を、至極素敵だ、なんて考えていたレイ。

 その内にサイと視線が合っていたことに気付き、レイはキョトンとして首を傾げる。


「レイちゃん、私、レイちゃんを絶対に守るから」

「え、あ、はい……?」

「だから、クレイを、許してあげても……良いかな?」


 許してあげても。きっとそれは自分がクレイを許す訳では無くて、サイ自身のことを意味するのだとレイは気付いていた。本当ならば今直ぐにでもこの部屋を出て、彼の元へ向かいたいのであろう目の前の彼女、心配そうな瞳に映っているのはレイだけでは無いのだと、揺らいだ琥珀がそう教えてくれている。

 だったら答えは簡単だった。不安が無いと言えば嘘になる、影武者なんて、危険が零だと言い切れる方が奇跡に近いのだから。

 それでも、だ。たった一度であっても、何も知らない自分を窮地から救い出してくれたのは紛れも無い、この不安そうに双眸を揺らがしている彼女なのだ。あの時彼女が自分の手を引いてくれたからこそ、あの時の自分が力強く気を張れたのだから。



「―――勿論です!」


 今度も少しくらい、怖いことがあっても。


「サイファンさんとアルが居れば、私は何も怖くないですから!」


 きっと、二人が守ってくれるから。


 

 拳を握り締めて力強くそう言えば、不安そうだったサイの表情から、ふわりとした優しい笑みが零れる。揺らいでいた瞳をやんわりと細め、口元には普段通り、薄桃の唇を綺麗に微笑ませて。


「そ、……か。……うん、ありがとね、レイちゃん」

「いえ、それよりも早く行って下さい、クレイドさんが心配なんでしょう?」

「で、でも、クレイは眠ってるんだから、私が行って起こしたら悪いし……」

「難しいことは後で考えれば良いんですよ! ね、ほらほらっ!!」


 ちょ、ちょっと、なんて声を漏らしつつも、立ち上がり自分の背を押す強引なレイの態度に圧されて―――と言っても、元々最初に行こうとしていたのは彼女自身だが―――部屋の扉の前にまでやって来る。扉のノブに手を掛けちらりと背後を一瞥するサイに拳を振り上げて「ゴー! です!」なんて馬鹿みたいな一言を叫べば、彼女はふふっ、と楽しそうな笑みを浮かべてノブを捻った。



「あははっ、サイファンさんって乙女だなぁ……」

「本当にな」

「―――そうか……! サイファンさんは恋をしてるからあんなにも綺麗なんだ! ってことは、私も恋をすればサイファンさんみたいに美しく―――」

「お前は無理だろ」

「即答!? 少しは考えなさいよっ!!」


 結局サイが戻ってくるまでは部屋に戻らなかったアルとの会話を暫し楽しんで(?)、楼銀で過ごす最初の日を終えたレイだった。ちなみにこの後アルがその意見を変えることは一度も無かったという。



















「リーダー、戻りました」


 十六夜の月にだけ居場所を悟られながら、ひとつの声が呟いた。透き通るというより、下手をすれば聞き逃してしまいそうな程微かに響く残響のように。


「嗚呼、首尾はどーだ?」

「はい、三ヶ所程」

「でかした、―――これでさっき戻って来たあいつのと合わせて五ヶ所、完璧だな」


 それとは別に、くつくつと楽しそうに笑みを零す声がもうひとつ。時折カチャ、と金属が擦れ合う音を聞けば、彼が何かを弄っているということが分かる。それを証拠に彼の手には銀が廃れて鈍色となったスパナが握られていて、視線はといえば先の残響にではなく、その目の前のガラクタに向いているのだから。


「……リーダー」

「あん、どーかしたか?」

「……間に合うんですか?」

「なあにが」

「作戦に必要な、今リーダーが触ってるそれです」


 抑揚を見せない彼女の声に訝しげ、仕方なしと言った風に視線を送った彼は、言われて初めて気付いたとでも言わんばかりにそのガラクタに視線を戻す。誰が如何見てもガラクタ、又は鉄片の塊にしか見えないそれ、しかし彼の双眸にはそう映ることが無いのか、はあ、と小さく溜息をついて再び彼女に視線をやった。


「あのなぁ、この俺をだあれだと思ってんだ?」

「リーダーです」

「……いや、そういう意味じゃねぇんだけど……まぁいっか」


 きっぱりと言われてしまい先を続けられなかったリーダーと呼ばれるその少年は、掛けていたゴーグルを首に下げてにんまりと満足げな笑みを零す。


「今回の作戦は完璧だ、お前達はそーいうことを気にする必要は無い、そーだろ?」

「心得ています」


 相変わらずのその忠実な言い草に再び満足げに、しかし今度は声を上げてけらけらと楽しそうに笑う彼。その楽しそうな声は閑散としたこの場にて非常に良く響いていた訳だが、それに他の誰かが茶々を入れることも、気付くことも無かった。

 さあて―――充分に笑ってから、口元にシニカルな笑みだけを残し、彼女を見遣る。




「明日だ、―――人間達を、狂躁(きょうそう)のどん底に突き落とす」

「はいリーダー、貴方の理想のままに」




 十六夜だけが聞いていた、明日を奏でる綺想曲(カプリチオ)を。





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