新たなる一歩
「この色じゃ地味よ、もっと明るい色のドレスに変えなきゃ」
「髪飾りは何処!? 誰か蝶の模様の髪飾り取って来て頂戴!」
右から左へ、左から右へ。
濃紺のワンピースにフリルの着いた真っ白なエプロンドレス―――所謂メイド服である―――を着た侍女達は、その可憐な容姿に似合わず険しい表情で指示を出し、あるいは叫号を飛ばしつつ忙しなく走り回っていた。まだ早朝だというのに、早起きが得意な彼女達は元気なものだ。その光景、正に飛ぶが如く。
そんな喧騒の最中に居たレイは、これがプロの仕事か、とひたすら圧倒されるしかなく、鏡台の前ですっかり固まってしまっている。異世界であろうと、女性の逞しさというのは変わらないものであるらしい。
レイは一通り勤勉な侍女達に視線を走らせると、改めて鏡に映る自らと目を合わせた。
しかし其処に映った姿は見慣れた自分の姿ではなく、レイであってレイでない少女。白銀の髪は長い豊かな黒髪へと変貌して美しく結い上げられ、粉飾の効果なのか紅玉の肌は見るからに瑞々しい。白い肌と赤い紅差しとの対比は目に鮮やかで、彼女の持つ艶やかさを最大限に引き出してくれていた。
自分の知らない自分が、桜色の瞳をじっと此方へ向けている。それはまるで、甚く奇妙な感覚を伴った夢のように。
(何だか変な感じ。私なのに、私じゃないみたいな……)
レイが拭えない違和感を覚えて小首を傾げている間も、侍女達はせかせかと手を動かして彼女を飾り立てている。
そんな時、コンコン、と分厚い扉を控え目にノックする音が聞こえた。
「レイちゃん、そろそろ準備出来たかしら?」
ひょっこりと姿を現したのは、美しくドレスアップされた見目麗しい女性だった。
若草色のフォーマルドレスに身を包んだ美女は、光沢のあるエナメル質の裾を揺らしながら、レイにニッコリと艶麗な笑みを向けている。その笑顔は同性のレイでさえ見惚れてしまう程魅力的なもので、レイは思わず返事をする事も忘れて目を見張るばかり。
刹那の沈黙が通り抜け、窓から吹き荒ぶ一陣の風によって、鮮やかな夕陽色がふわりと棚引いた。その独特の色を見て漸く、レイは彼女が誰であるのかに気付いたようで。
「あ、え、サイファンさん!? ええと、もう直ぐ準備出来ると思います……多分、」
多分、というのは、未だ侍女達がドレスの色を決め兼ねているからだった。この色の方が映えるのでは、いいえ此方の色でシックに、等と現在進行形で熱の籠った議論を戦わせている最中だ。熱中し過ぎてサイの入室にも気付いていない、というより、そもそも意に介していないのではなかろうかとさえ思う程、彼女達の熱意は凄まじいものがあった。
レイとしては其処まで拘らなくてもいいのでは、と思うのだが、やはり全国民が注目するパレードなだけあって、そういう訳にもいかないのだろう。それに、侍女達にしてみれば絶好の腕の見せ所。妥協は許されないとばかりに張り切ってしまうのも、無理はないのかも知れない。
「うわあ、レイちゃん可愛い! ドレス、良く似合うわね」
そんな侍女達をさして気にした様子も無く、サイは感激したように両手を組んで感嘆の声を上げた。その率直な感想に照れたのか、レイは朱に染まった頬を隠すように俯くと、はにかんだ微笑を返す。
「サイファンさんこそ、ドレス良く似合ってますよ。似合い過ぎてて、一瞬誰だか分かりませんでした」
苦笑交じりに紡いだそれは、世辞を含まない正直な言葉だった。
今のサイは、彼女のシンボルとも言えるポニーテールを解いている。腰まで届く長い髪を背中に流し、側面の髪だけ後ろで束ねてバレッタで留めるという、式典仕様の髪型になっていたのだ。何時もとは雰囲気の異なったヘアスタイルもさる事ながら、華美なドレス姿の彼女は、客観的に見ても見違えてしまう程優雅で美しい。
「あはは、有難う。でも、レイちゃんだってとっても綺麗よ? ―――それにしても良く出来てるわね、この黒髪はウィッグかしら」
「そうですよ。桜色の瞳もカラーコンタクトでほら、この通り!」
サイに褒められて上機嫌のレイは、自らの瞳を指差しながらパチパチと目を瞬かせる。サイは彼女のはしゃいだ様子に合わせてひゅう、と軽く口笛を吹くと、ぐるりと後ろを振り返って弾んだ声を出した。
「―――ほら、君もこっちに来て見てみなさいよ、凄く可愛いから!」
程なくして、ゆっくりと姿を現したのは、黒いスーツを着こなしたアルだった。
(わ、アルってば大人っぽい……! ていうか、シンビオスの皆はどうしてこう美形揃いなのかしら)
何時もより数倍凛々しく見える彼を目にして一人ドギマギしてしまうレイだったが、外見が変わったからと言って中身までが変わる訳もなく、当のアルは何時もの調子で憎まれ口を叩くのだった。
「―――馬子にも衣装だな」
「何ですってぇ!?」
「レイちゃん、知ってた? 馬子にも衣装っていうのはね―――とっても可愛いっていう意味なのよ」
「え? そ、そうでしたっけ?」
忽ち憤慨するレイだったが、クスリと含み笑いをするサイにあえなく丸め込まれてしまうこの単純さ。アルは呆れているのか面倒なのか、はたまたその両方か、サイの誤情報を訂正しようとはせず、ただ浅く溜息を吐くだけに留めた。
と、そんな賑やかな遣り取りにはお構いなしに、侍女の一人が出し抜けにレイの肩を掴む。
「レイ様、失礼致します。お召し物を此方の方に着替えて頂きますね」
「え、ちょっと待―――わわっ!?」
レイに抵抗の間も与えず、侍女は彼女が着ている空色のチャイナドレスを剥ぎ取るようにして脱がせにかかる。最早追い剥ぎに近いその勢いを見て、サイは咄嗟に両手でアルの目を塞いだ。
「アル、そのまま回れ右!!」
唐突にサイから退場を宣告され、半ば叩き出されるようにして部屋から追い出されたアル。確かにあのまま部屋に居る訳にはいかなかった。サイの機転が無ければ、後ほどレイにデリカシーが無い、とか何とか理不尽に叱責されていただろう事は目に見えている。だがしかし、何だか釈然としないのは何故なのだろうか。
アルは先程よりも大きく溜息を吐き、女って面倒臭い、とぽつりと零したのだった。
それから小半時程経過した頃。予期せぬハプニングに見舞われながらも、何とかレイの身支度が完了した。ほっとしたのも束の間、息つく暇もなく『庭の方に馬車を用意しておりますので、レイ様は其処で待機なさって下さい』と、メイド長らしきハウスキーパーの女性から促されるまま、レイはサイとアルに付き添われて庭へと向かっている。
何気なく窓の外を覗き見れば、一日の始まりを告げる朝日はもうすっかり人々の頭上に昇り切っており、春の国に相応しい温かな陽光が惜しげも無く降り注いでいた。時間にして、あと一時間もしない内にパレードが開始されるだろう。それに伴い、城内が俄かに騒がしくなってきたのが見て取れる。
けれど周りの雰囲気とは裏腹に、ドレスの裾をずるずると引き摺りながら歩くレイの足取りは重く、覚束ない。それに加え、緊張の為か徐々に口数が減っていき、とうとう一言も発しなくなってしまった。そんなレイを見兼ねたのだろう、サイが心配そうに彼女の顔を覗き込んでくれる。
「レイちゃん、大丈夫? 顔色が余り良くないみたいだけど」
「あ、だ、大丈夫ですよ! ただ、このドレス動きにくくて……、集中してないと転びそうになるんです」
「確かに、その格好じゃ動きにくいでしょうね」
レイが着ている豪勢なチャイナドレス―――激しい論争の末、結局ローズピンクのドレスに落ち着いたらしい―――に目を遣り、サイは納得したように頷いた。着慣れないであろう礼装に、歩きにくいハイヒール。おまけに並々ならぬプレッシャーも相俟って、これでは自由に身動きを取る事も儘ならないだろう。
「アル、レイちゃんを支えてあげて?」
「あ? 何で僕が……」
「私じゃ身長差がありすぎるでしょ。いいから、ほら早く!」
サイに背中を押され、強引にレイの前に出されたアルは、渋々といった様子ながらも彼女に向けて手を差し出した。
「―――ほら」
「あ、有難う……」
少々躊躇いながらもその手を取り、彼の腕を支えにして再び歩き始めるレイと、律儀にも彼女に歩調を合わせて歩くアル。先程よりも幾分歩き易くなった事に安堵しながら、レイはちらりと隣を歩くアルを盗み見た。今迄無愛想な顔しか見た事がなかったけれど、風采が違う所為だろうか、何時もより些か柔らかく見える表情、それに洗練されたノーブルな立ち居振る舞い。どれを取っても、レイの知っている彼のイメージとは大きく掛け離れていた。
アルって実はこういうの慣れてるのかな、なんて少々失礼な事を心中で呟き、レイは先程から訊こうか否か迷っていた事をおずおずと口に出してみた。
「あの……、ところでクレイドさんとイルジクトさんは?」
「嗚呼、あいつ等なら朝早くから街の視察に行ってる。そろそろ帰って来る頃じゃねぇのか」
アルが何時も通りの素っ気ない口調で答えた所を見ると、クレイの怪我はもう心配無用らしい。しかしイルも同行しているという事は、まだ本調子ではないという事なのだろうか。
レイが小さく眉根を寄せていれば、先程のアルの言葉通り、話題の人物が廊下の向こうからマントを揺らしつつ歩いて来るのが見えた。左頬に当てられたガーゼが多少痛々しいが、それを除けば何ら何時もと変わった様子は無い。
「おや、紳士らしく姫をエスコートですか。珍しい事もあるものですね、何時の間にそんなに仲良くなったんです?」
曲がり角から姿を現したクレイは、手を添えて歩いているレイ達を見るや、早速普段通りに軽口を叩く。変わらない彼の様子に少しだけ頬を緩めたレイだったが、対してアルは不機嫌そうに目を細めると、鋭い眼光でクレイを射抜いた。
「クレイド、その減らず口閉じねぇと今度こそ再起不能にしてやるぞ」
「おっと怖い、目が据わってますよアルス」
「ク、クレイドさん! えっと、怪我はもう良いんですか?」
相変わらず冗句が通じないアルが、腰の位置に隠してあるホルスターに手を伸ばしかけた為、レイが胆を冷やしながらも慌てて二人の間に割って入った。最早こういう時の軌道修正は彼女の役目になりつつあるようだ。
「ええ、大丈夫ですよ。少なくとも、任務に支障が出ないくらいには回復しましたから」
「そうですか、良かったです! それで、イルジクトさんは? 一緒じゃないんですか?」
「彼は街中の警備の方に回って貰う事になりましたから、既に外でスタンバイしていますよ」
レイの心の準備などお構い無しに、パレードの準備は着々と進められていく。
クレイの話によれば、今回のパレードの為に王宮直属の近衛兵千人以上が道中警護に配備されるらしい。華やかなパレードにしては随分と物々しい警備だと思えるが、国外から呼んだ賓客も少なくない事を思えば、決して大袈裟な処置では無いのだろう。
何より国の威信を懸けた式典ですしね、とレイにしてみれば気が重くなる情報を掻い摘んで話し終えると、クレイはふとレイに視線を向けて話題を変えた。
「―――それにしても、随分と綺麗に仕上げられたものですね。見違えてしまいました」
しみじみと言いながら、物珍しそうに服や髪に向いていた視線はしかし、やがてレイを通り越して背後に居たサイに留まった。
「これはこれは……、やけに美女が多いと思えば貴女でしたか、サイ。やはりそういう格好も良く似合いますね」
「え、そ、そうかしら!?」
唐突に話題の矛先が向けられたサイは、大きく動揺しながらも嬉しそうに顔を赤らめている。何だか急に二人の世界に入ってしまって物凄く居辛いのだけれど此処はそっとしておくべきだろうか、とレイが悩み始めた矢先、アルが彼女の手を引いてさっさと歩を進め始めてしまった。危うく転びそうになりながらも、レイは何とか足を踏み締めてゆっくりと彼に合わせて歩いていく。
「あの阿呆共は放っておけ。そろそろ時間も無くなってきたし、さっさと行くぞ。大勢の人間がお前を待ってるんだからな」
「う、うん……」
彼の言葉で、レイの心臓がどくんと大きく高鳴った。せめて緊張を紛らわそうと外に目を向けた途端、どういう訳かレイの足はピタリと動かなくなってしまう。其処には、緊張を紛らわすどころかかえって逆効果となってしまうような光景が広がっていたのだ。
小高い丘に立っている王宮からは、当然悠々と街の様子が見下ろせるようになっている。眼下に広がる美しい街中には、何時の間にやら広い往来を埋め尽くすようにして、大勢の人が鮨詰め状態でごった返しているのが見えた。
そう、誰もが期待して待っている。この国の象徴とも言える、若き王女の姿を。
「どどどどうしよう! ああああんなに人がたた沢山……!!」
「吃りすぎだろ、少し落ち着け」
「無理、やっぱ無理、私にはお姫様の影武者なんてそんな大それた―――」
「浅倉レイ」
「は、はい」
殆ど半泣き状態のレイとは対照的に、アルの態度は至極冷静なものだった。
動揺を隠せないレイと向かい合い、揺るがない真っ直ぐな眼差しを向ける。静かな深海にも似たその色が、少しずつ、だが確実に彼女を落ち着かせてくれた。それを見計らったかのように、アルは言い聞かせるような調子で言葉を紡いでいく。
「お前はこれから王女になるんだ。といっても、お前にはそれを完璧に演じられる技量も才覚も無い」
「悪かったわね! 否定出来ないけど!!」
「―――だったら、何時も通り堂々としてりゃあいいんだよ。お前らしくな」
お前らしく。その言葉で、先程まで胸に巣食っていた筈の不安が溶けていくのが感じられた。そうか、とレイは今更のように納得する。無理して王女になろうとしなくてもいい、お前はお前に出来る精一杯の事をやればいいのだから。彼が言いたいのは、恐らくそういう事なのだろう。
「アルの言う通りよ、レイちゃん」
「サイファンさん……」
いつの間にか追い付いて来ていたサイが、力強く頷いた。その隣を歩くクレイもまた、彼女を勇気付けるかのように優しく微笑んでくれている。
温かい、と思った。人との繋がりや絆というものは、何て尊く、温かいものだろう。当たり前のように他人と関わり、共存する中で、自然と育まれる人と人との営み。彼らがその大切さに、改めて気付かせてくれた。
「安心してねレイちゃん。何があっても、貴女は必ず私たちが護るわ」
だから人は、一人では生きていけないのだと。
「大丈夫ですよレイさん。自慢じゃないですが、私のプランが狂った事なんか今迄一度も無かったんですから」
だから人は、他人を求めずにはいられないのだと。
「お前はただ愛想良くして市民に手でも振っとけばいい。それで充分だろ」
だから人は、人を愛するのだと。
「皆……あ、有難う……っ!」
目頭に熱が籠っていき、鼻の奥にツンとした刺激が走った。堪え切れない涙はいとも容易く涙腺を突き破り、ポロポロと頬を流れていく。
「しっかりしろよ。泣いてる暇なんて無いんじゃねぇのか」
「ん……、そう、だね」
アルはそんな彼女を慰める訳でもなく、だが突き放す事もせず、ただ的確な事実だけを告げてくれる。それはきっと、出逢った時から変わらない、彼なりの優しさである事にレイは気付いていた。
「アル―――私、頑張るからね!」
自らを鼓舞するように張り上げた声は、力強く広い廊下に反響する。
涙で視界が霞んで良く見えなかったけれど、アルが少しだけ、ほんの少しだけ微笑んでくれたように見えたのは目の錯覚だったのだろうか。ごしごしと袖で涙を拭った時には、何時もの仏頂面だったので何とも言えないが。
カツン。
決意も新たに、レイは改めて足を踏み出した。少し遅れて重なり合う無数の足音が、彼女が一人でない事を教えてくれる。それだけで、不思議な程強くなれた。
導くように前を行くクレイが、見守るように後に続くサイが、離れていても一番頼りになるイルが、そして―――隣で支えてくれているアルが。
彼らが居れば、恐れるものは何もない。
「此処まで来たら自分で歩けるだろ。行って来い」
漸く長い廊下を渡り切ると、目の前には良く手入れされた広大な庭園が広がっていた。眩しい陽光に思わず目を細めれば、巨大な噴水の近くに白い馬車が止まっているのが見える。ランドシークから楼銀に向かう道中も馬車に乗って来たけれど、今目の前に用意されてある馬車は、それとは比べ物にならない程豪華で大きい。
レイは一度静かに深呼吸をしてアルの腕をギュッと掴むと、やおらその手を離して前を見据えた。
「―――行って来ます!」
そうして歩き出した背中に、もう先程までの不安な様子は見られない。
この日レイは、本当の意味で彼らの“仲間”になったのだった。




