未来へ誘う桜吹雪
ガタン、ガタン。
時折そうやって揺れる馬車に揺られる事早数時間、否、数時間といっても其れは馬車に揺られていた時間の話であって、此処に来るまでに費やした時間を訊かれればその間に“十”が入ることになる。しかしそう長いこと移動をしているものの、此の馬車内の空気は至って良好なのであった。
「―――あ、サイファンさん! あの花って青色なんですか!?」
「ええ、そうよ? あら、青色の花は珍しいのかしら?」
「はい! あれだけ青々しいのは珍しいかも……うわー、信じられない!」
四人掛けの馬車内の窓際、白銀と夕陽がちらほらと忙しなく―――又の言い回しを姦しく―――動いているのが其の原因である。
べたり、と窓にへばり付き外の光景を楽しそうに見遣る白銀―――浅倉レイと、其れに便乗するようにして笑顔を振り撒く夕陽―――サイファン・フレア。他二人が全く気にしていないのを良いことに、喋りたい放題でずっとこの調子なのだ。
「はあ……私馬車なんて乗るの初めてだし、何だか凄く楽しいなぁ……」
「ふふっ、レイちゃんったら。其れ、もう言うの三回目よ?」
「え、そうでしたっけ?」
正面に座る女の子同士、くすくすと笑みを零す姿は何とも微笑ましい光景だ。
「アルス、顔が物凄く疲れていますよ」
「此れでも怪我人なんだから仕方ないだろ」
―――まあ、そういった光景に全く興味を見せない彼等はきっと、頭のネジを数本失っているのだろう。
レイとサイ、双方の隣に座っているのはこういう時だけ自称怪我人―――実質相当の怪我を負っているのだが―――アルス・イルバートと、どんな時でも笑みを崩さないギルド“シンビオス”の長、クレイド・ミルフィスだ。
「珍しいですね、何時もなら怪我したってそんなこと言わないじゃないですか」
「五月蠅い、言う時もあるんだよ」
此方は打って変わって、長時間の移動に文句を漏らすことなく黙っていては時折こうやってお互い憎まれ口を叩いている。勿論憎まれ口を叩き出すのは決まってクレイの方なのだが、律儀にもちゃんと返答するアルもアルである。
やっぱり此の二人は言ってる以上に仲が良いんだなぁ、サイと会話を交わす最中、レイは脳裏の片隅で思った。
野を超え山を越え谷を超え海を越え、―――何ともふざけた表現ではあるが、そういった数々の地形を乗り越えて一行は現在楼銀領にて馬車を走らせていた。
走らせる理由は勿論ひとつ、クレイが持ち出してきた招待状の一件―――建国100周年記念パーティの為である。明日の明朝から明後日の夜半まで行われる其れに向け、楼銀の首都、莉江州へと逸る気持ちを隠すことなく急いて―――約二名その様な気配が皆無だが―――一行は遠路遙遙やって来た訳だ。
「―――そういえば、イルジクトさんって一人で何してるんでしょう?」
やっとのことで少々落ち着きを取り戻したレイは、世界全土に不満でもあるのか、といった具合に何時だって仏頂面を披露する彼を心配して着いて来た彼のストイックな眼鏡の君を思い出して小さく首を傾げた。四人掛けの馬車を二両連ならせて走っている為、自分が乗っている馬車とは他方の馬車の様子は分からない。というか彼―――イルは此の長時間の移動時間をほぼ一人で過ごしていることになる、彼の乗る馬車に同席しているのは、各々が持ち込んだ荷物ばかりなのだから。
「彼ならきっと、一人黙々と読書に励んでるんじゃないですかね」
「そうね、気付けばずっと読んでるものね、イルって」
そうなのか、読書という単語に少なからず興味を持った本の虫ことレイだったが、今は内心でそう一言呟いて二度軽く相槌を打つだけに留めた。
「でもイルジクトさん、アルスを心配して来たのに……何で肝心のあんたがこっちに乗ってるの?」
そうして当たり前のように会話の蚊帳の外に居たアルにそう問うてみては、訝しげに彼を見遣った。座席の肘置きをこれでもかと活用して立て肘を付くアルは、自分に向けられた其の問いに口を開き、
「当たり前だろ、あっちに居たら馬車が大きく揺れる度に心配されて五月蠅ぇ」
と、失礼にも程があるそんなことを顔色ひとつ変えずに溜息混じりに答えた。
「良いじゃない、イルジクトさんはあんたの身体を心配してくれてるんだから」
「良くねぇよ、あんなに気を遣われんのは性に合わない」
「……だったらせめて、こっちで休息を取る為に寝るとかは?」
「五月蠅いのが居る隣で寝れると思ってんのかお前は」
「そ、其れもそうか。……じゃああっちで寝る……あ、其れも駄目か、ええと―――」
「無ぇ頭が難しいこと考えてんじゃねぇよ」
「―――何ですって?」
「ふふっ、……アルス、ちゃんと言えばいいじゃないですか」
このままレイとアルの淡々とした言い合いが始まる―――と思いきや。
言葉がそう飛び交う前に声を掛けたのは含み笑いを浮かべるクレイ。嗚呼、此の表情はまた余計なことを口にするんだな、―――今の段階で其の事実に気付いていたのは恐らくサイだけだっただろう。何を? といった表情を違った顔で同じく浮かべるレイとアルは、彼の次の言葉を待って視線を走らせる。
「ですから―――“何時も心配してくれるイルジクトやレイにも、心配掛けたくないんです”って」
嗚呼、言っちゃった―――アルの動きが一瞬にして固まるのを目にしながら、サイは苦笑を漏らして額に手を当てた。
「あははっ、そんなことアルが思ってるはず無いじゃ―――」
かちり。
―――え? クレイの言った冗談に素直に笑みを零してみれば、何故か横からは聞き慣れない―――否、出来れば聞き慣れたくない、鉄が擦れ合うような音が聞こえた。其れを確かめる為に其の笑顔ごと隣に目を遣れば、
「―――コロス」
冗談を冗談と受け取れなかった(又は受け取る気がさらさら無かった)少年が本気と書いてマジな冷酷な眼差しを、本来ならば此の中で最も上位の地位にある其の人に向けていた。―――ハンマーを起こした、其の白銀の銃口と共に。
「ちょ、アルッ! ストップ! 流石のクレイも此の距離じゃ死んじゃうから!!」
「え? あの、私は此の距離で無くとも撃たれるところ撃たれれば死にますが?」
「ほう、其れは見物だな、本当に死ぬか試してみようかええ? 貴様の冗談にはもう付き合ってられねぇんだよ……!!」
「ああああああアルス! 安静にしてないと……! そんなに怒らなくても―――ええと、イルジクトさーん!!!!」
とりあえず言えることは、今日も今日とてギルド“シンビオス”は元気である、ということだった。
「うわあ……!」
馬車を降りた刹那、レイの瞳から煌かんばかりの光芒が放たれたのは言うまでも無い。
―――『一年中花が咲き乱れる美しい国ですよ。其れはもう、“春”を体現した様な』
数日前に訊いたクレイの言葉が、鮮明に蘇る。
先ず彼女の双眸に飛び込んで来たのは勿論、頭上を蒼空と共に華やかに飾る桃色の花弁。心安らぐ自己顕示と共に咲き誇るは桜―――この世に生まれて十七年、見慣れているはずの桜にこうも感動する日が来るとは思わなかった。
「レイちゃん! あまり遠くに行かないでね!」
「はーあい! 其処の橋見てきますね!!」
サイが荷物を降ろすのを待っていた、はずなのだが。そんなお行儀の良いことが此のお転婆少女に出来るはずもなく、レイは疼く衝動に逆らうことなく水分が豊富に含まれた地面の泥を蹴った。目の前に興味そそられる何かがあるのに立ち止まるなんて信じられない、いち早く其処に向かおうと小走りになったものの、川に落ちなきゃ良いがな―――風を切る最中聞こえた洒落で済まないアルのそんな一言に、若干スピードを落とした。
石で造られた如何にも丈夫そうな灰黒の橋まで走ってくれば、レイは少しも躊躇うことなく其の橋の真ん中までやって来て下を流れる川を覗き込んだ。真ん中と言っても橋の掛かる川の幅は数十メートルもなく、呼ぶには“小川”が正しい表現かもしれない。其れなりに身長がある人ならば飛び越えてしまえるくらいである―――レイには其の自信は無いが――。光の加減で濃緑に光る小川は実に綺麗で、時折強く光ってはレイの瞳を眩かせた。眩きが消えてから其の原因を探ってみれば、其処には先に見惚れた桃色の花弁―――其の愛らしい桃色が媒体となって、暖かな太陽光の反射を強めているらしかった。
「―――莉江、いえ、楼銀領の街中には、何処も彼処も大きな川が流れているんです。そしてどの川も―――此の小さな小川も、全てがひとつの水源から流れていると聞きますよ」
「あ、クレイドさん」
音も無くレイの横に現れたクレイ―――もう大分慣れた行動であるが、やはり少々驚いた―――は、そうやって熱心に小川を覗き込むレイにそんな説明をくれた。そんなに覗き込むと落ちますよ、だなんて目を細めて苦笑されれば、レイは少し恥ずかしく思いながらも釣られて笑みを零した。
どうやら荷降ろしが終わったらしく、馬車の中では見られなった荷物を持つアルや、最早暫く目にしていなかったイルの姿も見られる。―――その中でも際立って目立ったのはサイで、自分の愛刀を背負っているのとは別に、何やらとても大きな包みを両手一杯に抱えていた。
「サイファンさん、其れ、何ですか?」
他の皆も其れが何なのか知らないらしく、感情の読めないイルですら視線を向けていることに気付く。質問されたサイはと言えば何故か何処か自慢げに、大事そうに抱えていた其れを少々掲げて微笑んだ。
「ふふっ、お弁当よ」
「お弁当!!」
「「弁当!?」」
「……何てことを」
お弁当―――食いしん坊万歳なレイとしてはぱぁっと表情が明るんだのだが、約二名、実際は表情変化の見当たらないイルも合わせて三人が悲鳴にも似た声を上げた。しかしそうやって声を上げてからしまった、と思ったらしく、一人は元々浮かべる笑顔を取り繕い、一人はあからさまに視線を逸らした―――ちなみにもう一人には表情変化が無かったので心情を割愛させて貰う―――。
「……何か言いたいことがあるなら、言って貰って良いんだけれど?」
しかし時既に遅く、夕陽色の髪がさらりと靡く宛らに彼女はにこりと微笑んだ、―――其れはもう素敵に。
そうしてレイにはよく分からないまま、他三人には長い数秒が過ぎた訳だが。
結局先に折れたのは、何とも美麗である意味で素敵な笑みを浮かべていたサイだった。はあ、と深く深く溜息を付いてから、でも、と小さな女の子のように必死な視線をずいっと向ける。
「今日のは自信作なのよっ! 第一私が一人で作った訳じゃないんだからっ!!」
「一人じゃない? ……嗚呼、ソラリアか」
「そう! ソラに手伝って貰ったの!」
すっかり蚊帳の外で会話を聞いていたレイは、聞き慣れない名前に首を傾げる。ソラリア―――名前からして女性だろうか、だなんて考えていれば、今まで口を閉ざしていたイルが「うちの料理人みたいなものだ」と補足を入れてくれた。
「……だからソラリア、目が死んでたんですね、出て来る前に見掛けましたけど」
「僕も見たな、超早い明け方に弁当作り手伝わされた死にかけのエセ料理人」
「え? え? 其の、ソラリアさんって?」
料理人だというのは分かった、しかし出て来る前に見たというクレイやアルに比べ、自分は姿さえ見たことがない。ギルドで世話になること一週間弱、食事の手伝いだってしていたはずなのだが此れは一体―――?
「レイさんも毎日食べてたじゃないですか、ソラリアの作った食事を」
「え? でも私、ソラリアさんって人一回も見掛けて―――」
「最近のあいつは依頼遂行に朝出てって夜帰ってくるか、夜出てって朝帰ってくるかの二択だからな、食事は基本作り置いていってたはずだ」
「其れなのにサイに呼び止められて大変だったんだろうな、あの困ってる人は放って置けない体質馬鹿」
「う……何か、私悪いことしちゃったかな……」
各々が様々な見解を告げている所為か、何だか良く分からなくなってきたレイ。ぐるぐると皆の言葉が頭の中を駆け巡っていたので、今はとりあえず―――
「と、とにかく! 私はサイファンさんのお弁当が楽しみです!!」
そうやって大声で自分の感想を言っておいた。小さな声で阿呆か、と呆れ顔のアルが呟いたのは分かったが、
「……ありがとっ、レイちゃん!」
今は子供みたいに嬉しそうなサイファンさんが居るから良いや―――レイはそう思って笑った。
重いからクレイが持ってね! 荷物無いんだから!! ―――普段自分の背丈より大きな大剣を振り回している人が何を言うか、そう思ったものの、今そんな軽口を叩いて此れ以上怒らせる訳にはいかなかったので、クレイは黙って其のお弁当―――重箱相当はあるのだが―――を受け取った。
「―――……?」
こんなに誰が食べるのだろうか、なんて考えつつベージュの紙袋の中をちらりと覗けば、何やら弁当とは関係ないであろうひとつの紙切れを発見する。サイが入れたものだろうか、雑に二つ折にされた其の紙を袋の中で開けば、―――つい、苦笑せざるを得なかった。
《サイファン、相当楽しみにしてるみたいだぜ? 存分に覚悟しとけよ、ギルド長?》
《―――ソラリア》
「疲れている癖に、そういった嫌味は忘れないんですよね、―――本当に質の悪い年上組だ」
走り書きで書かれた其の文字の羅列を目にし、今日明らかになる此処に来た本当の目的のことを考えて、クレイは今一度微笑んだ。
話していないのに其れに気付くのなんて、何時だってあの料理人と医者くらいのものである。うっすらであればアルにも気付かれているのだろうが、だからと言って何か反応をする訳でもない。覚悟するはたった一人、
「さて、一発で済むでしょうかね?」
敵に回すのだけは絶対に御免な此のお弁当の作成者を遠目に見て、クレイは珍しくもひとつ、はぁっと溜息を付いた。




