白銀の予兆
レイがシンビオスに身を置く事になってから、早一週間。
クレイはランドシークの歴史や文化、風習といったものから、此のシンビオス本部―――ホームに於ける暗黙のルールまで、事細かにこの世界の事を教えてくれる。彼女の理解力の乏しい頭に其れらの情報を叩き込んでくれたお陰で、此処での生活にも徐々にではあるが慣れてきていたのである、が。
「……あ、あのぅ」
何とも重苦しい沈黙に耐え兼ね、レイは控え目に声を上げた。
今現在、彼女はシンビオス内のクレイの部屋で彼と相対している。広々としている割に余計な物が何一つ置かれていない彼らしいといえば彼らしい、しかし殺風景とも言える部屋で重い沈黙に包まれているという今のシチュエーションは、お世辞にも居心地が良いとは言い難い。元はといえばクレイが彼女を呼び出した訳だが、どういう訳か彼は先程からだんまりを決め込んでいて、中々話し出そうとしないのだ。
「―――レイさん」
「は、はい?」
漸く口を開いたかと思えば、卓上に両肘を付いて手を組んでいたクレイは、彼女を見遣って僅かに目を細める。嗚呼、知ってる。此れは何かを企んでいる時の表情だ。レイは内心で警戒心を抱いたものの、無論口にも表情にも出す事は無く、大人しく居住まいを正して次の言葉を待つ事にした。
艶のある真っ黒なソファが、ギシ、と歪な音を立てて小さく揺れる。
「此処での生活には、もう慣れましたか?」
「え? は、はあ……まあ困らない程度には。それに、皆さん親切にしてくれますから助かってます」
出会った時も思った事だけれど、意図不明の突拍子もない質問をしてくる人だ、というのがレイのクレイに対する印象である。まさかわざわざ世間話をする為に直々に呼び出したりする程彼は暇ではないだろうし、余程言いにくい内容なのだろうか、と思わず身構えてしまうのだが。
「そうですか、其れは何よりです。貴女が少しでもシンビオスを気に入って下されば、私としても嬉しい限りですからね」
「…………」
何だか今、一瞬影のある笑顔が見えた気がするのは気の所為だろうか。
馴れない環境で疑心暗鬼になっているのかもしれない、とレイは軽く頭を振って雑念を振り払う。其れでも何となく嫌な予感がするけれど杞憂であって欲しい、切実に。
「ですが、何時までも此のホームに籠っているというのもつまらないでしょう。其処で如何でしょう、気分転換に観光がてら他国を見てみたくはありませんか?」
思わぬ誘いに、レイは驚きを隠せなかったのか瞳を見開く。そんな彼女に柔和な笑顔を向けたまま、クレイは続ける。
「丁度、先日“楼銀領”から招待状が届いた所だったんですよ。何でも三日後に、楼銀の首都である莉江州で建国100周年記念パーティーが開催されるそうなんですが、あちらの国の姫君から直々にお誘いがあったんです。『貴国との親睦を深める意味も込めて、是非とも我が国に御来訪を賜りたく』とね」
「ろ、ろういんりょう……?」
ひらひらと招待状らしき豪勢な封筒をはためかせながら、クレイは一息に説明した。
聞き慣れない単語の羅列にレイが首を傾げれば、クレイはご丁寧にも人差し指を立てて補足してくれるらしい。
「以前話した、五大陸の内の一つですよ。かの国とは友好国という事もあって、懇意にしているんです」
「へえ……、楼銀領って、どんな国なんですか?」
「一年中花が咲き乱れる美しい国ですよ。其れはもう、“春”を体現した様な」
“春”の国―――其のシンプルな形容は、レイの豊かな想像力と共に好奇心をも掻き立てた様で、うっとりと遠くを見据える様にブルーの瞳が細められる。無論クレイが其の些細な変化を見逃す筈は無く、駄目押しとばかりにニコニコと微笑んでは再び口を開いた。
「勿論私も同行しますし、アルスとサイを護衛に付けて貴女の安全は確保します。貴女にとっても、悪い話ではないかと思うのですが……」
確かにそうだ。シンビオスの隊員達は任務の為に各地へ派遣される訳であるが、非戦闘員のレイはというと、掃除に洗濯、食事の配膳等、所謂雑用の仕事ばかりが回って来ていて、ホームに来てからというもの一切の外出が叶わなかった。恐らく其れが―――主にクレイの―――意図的なものであろう事はレイ自身も朧げながら理解していた為、敢えて大人しくホーム内に留まっていたのだ。其れだけに、この誘いには違和感を感じると共に少なからず躊躇してしまう。
(そりゃあ外に出られるものなら出たいけど……いいのかな、)
組織というのは、巨大であればある程様々な思惑や陰謀といった柵が複雑に絡み合って構成されているものだ。勿論このシンビオスも例に洩れず、現に一週間前クレイの口から組織の全貌が明らかにされた時も、その後クレイは嫌に真剣な表情で“レイさん、今話した事は全て他言無用でお願いします”と、厳重な緘口令を敷いた。
クレイにしてみれば、迂闊に外出させてうっかり機密でも洩らされては堪らない、というのが本音ではないだろうか。何しろ彼女は部外者、なのだから。
「あの」
レイが膝の上で拳を握り締めつつ声を上げるのとほぼ同時に、クレイは不意に扉の方へと視線を滑らせ、うっすらと瞳を開いた。
「心配要りませんよ、あの二人も賛同してくれる筈ですから。―――ね、そうでしょう? サイにアルス」
低く発せられた鋭い声と視線を辿って扉へと顔を向ければ、姿こそ見えないものの、扉越しに微かに漏れ聞こえる物音から動揺の気配が感じられる。ややあって暫しの沈黙の後、観念したかの様にゆっくりと開かれた扉の向こうには、お察しの通りクレイが名指しした二名が何とも決まり悪そうに佇んでいたのである。
「サ、サイファンさん! それにアルまで……!」
「あはは……、ハロゥレイちゃん」
「…………」
金魚よろしく口をぱくぱくと開閉させながら二人を指差すと、サイは気まずそうにひらひらと片手を振り、その後ろに控えていたアルは如何にも不機嫌そうな仏頂面で腕を組んでいた。
「おやおや、盗み聞きは趣味が悪いと言っていたのは何処の何方でしたかね」
「五月蠅い黙れ。僕はサイに無理矢理連れて来られただけだ」
クレイが完全にからかいモードの軽い口調で茶化すと、益々眉間の皺を深くしながら反論するアル。そんなアルの言い分を綺麗に黙殺し、彼は笑顔を保ったまま続け様に二人に問うた。
「―――で? そんな所でこそこそと何をしていたんです」
「だ、だって! 気になったんだもの。二人きりで何話してるのかなって」
サイは頬を真っ赤に染め、消え入りそうな声音で言い訳がましくそう口にする。普段の凛としていて男勝りな彼女とは打って変わって、酷く狼狽した様子である。珍しいな、なんて思いながら其の様子を眺めていたレイだが、ふと何かに気付いた様にサイとクレイを交互に見比べた。
(あ、そうか。サイファンさんはクレイドさんの事……)
其の様子を見ていると、鈍感なレイですら彼女の想いを容易に察する事が出来る。だが、肝心の意中の彼はというと―――
「アクティヴなのは良い事ですが、プライバシーの侵害は感心しませんよ」
「…………」
何だか以前にもあったような此の展開。いわゆる玉砕、である。
天然なのか故意なのか、クレイは何時もこの調子でサイのささやかなアプローチを無下にかわしているようなのだ。サイのテンションが目に見えてガタ落ちしてしまったのは言うまでもない。
「あー、えっと、お二人は如何思いますか? その、私としては楼銀に行ってみたいんですけど……」
「私は賛成よ? クレイは勿論、私とアルもきっちり護衛するから一緒に行きましょうよ」
「おい……、僕は行くなんて一言も」
「まあまあ、いいじゃないのアル。偶には息抜きも必要よ?」
場を取り成す様にレイが話題を振ると、早くも立ち直ったらしいサイが勇んでそう言ったが、アルの方は何やら渋い顔をしている。結局丸め込まれそうな雰囲気だが、其れは其れとしてサイが言う事にも一理あるのは確かだろう。
其処まで考えて、レイはハッとした。そうだ、そういえば彼は酷い怪我をしていたのではなかったか。本来なら、まだ安静にしていなければならない筈なのだけれど―――
「……まだ、身体辛いんじゃない? アルは行かない方がいいんじゃ……」
「心配要りませんよレイさん。アルスの自然治癒力は普通の人間より遙かに高いんです。恐らく、既に傷はほぼ癒えてると思いますよ」
「ほぼ癒えてるって……、まだ一週間しか経ってないですよ?」
クレイの話は、とても信じ難いものだった。一週間前の戦闘でアルが負った傷は、決して浅いものではなかったからだ。
致命傷こそ無かったものの出血が酷く、医者に言わせれば彼の強靭な体力と精神力が無ければ昏倒していただろうと言われた程、深刻なものであった。常人ならば完治するのに三か月は必要だろう。とてもじゃないが、素人のレイが見ても一週間やそこらで治るような傷ではなかった筈だ。
「クレイド、余計な事を言うな。お前も妙な気を遣うんじゃねえよ、僕は平気だ」
アルは何故だか一段と鋭い視線でクレイを睨み付けると、後半の台詞はレイに向けて言い放った。だが、やはりレイは釈然としなかったらしく、でも、と小さな声で反論しようとする。
「では、“彼”に確認を取ってみてはどうです? 彼の許可が下りれば、レイさんも安心出来るでしょう」
「彼って?」
「イルジクト・リアスターデ―――我がシンビオスの優秀な医師ですよ」
クレイの助言を受け、レイは“医務室”と書かれた白い表札が掲げられた扉の前で佇んでいた。
コンコン、と乾いたノックの音が広い廊下に木霊し、間もなく扉の中から“入れ”と、くぐもった声で返事が返って来る。早速ドアを開けて部屋に足を踏み入れると、部屋の主がパイプ椅子をキイ、と小さく揺らして徐に此方を振り向いた。
さらさらと流れるような漆黒の髪に涼しげな桔梗色の瞳、という如何にも生真面目そうな容姿を、真っ白な白衣が際立たせている。縁なし眼鏡を掛けていても其の端正な顔立ちが損なわれる事は無く、寧ろ良く馴染んでいるように見えた。
「―――君は?」
部屋の主―――基イルジクトの訝しげな視線が、レイを捉えた。元気だけが取り柄のレイが医務室に足を運ぶ事など無いに等しい為、彼とは面識が無かったのだ。
「は、始めまして! 私、浅倉レイっていいます。一週間前から此処にお世話になってて―――」
ぺこりと一つ頭を下げて挨拶をすると、イルは何かを思い出す様に中空を見据えつつ目を細めた。
「浅倉レイ……。嗚呼、君が例の客人か。話には聞いている」
返って来た返事は意外なもので、レイは自分が認知されていた事に少なからず驚く。
恐らくクレイ辺りから聞いていたのだろうと推測するが、良く考えればシンビオス内に於いて彼女の存在は異質だった為、知っていても何ら不思議ではない。其れ程彼女は目立っていた―――というより、浮いていた、と言った方が正しいだろうか。
「……あの、アルの傷の具合は如何なんですか?」
「まだ完治はしていないが、概ね問題は無いだろう。何故そんな事を訊く?」
単刀直入に本題に入ると、クレイの言った通り既に怪我は治り掛けているらしい。俄かには信じられないような回復力だが、この世界の人間であれば珍しくもないのだろうか……? どちらにしても、医者が言うのだから大丈夫なのだろう、と半ば無理矢理に納得する事にし、取り敢えずは彼の質問に答える事にした。
「実は、三日後に行われる楼銀領のパーティーに私も参加する事になったんですけど……アルも行っていいのかどうか、確かめたかったんです」
「楼銀だと……? お前も行くのか」
心なしかイルの声が低くなったのは気の所為だろうか。
疑問に思いながらも、レイはこくりと一つ頷いた。
「ええ。クレイドさんが一緒に来てはどうかって言ってくれたんです。アルとサイファンさんも一緒に」
「成程な……、アルスなら戦闘にさえならなければ大丈夫だろう」
「……! 有難う御座いますっ!」
レイは一段と声を張り上げ、再びイルに頭を下げた。何処か躊躇っているような様子ではあったものの、兎も角医者のお墨付きなら安心出来る。レイは心の中で、盛大にガッツポーズをした。
「余りはしゃぐなよ。物見遊山に行くんじゃないんだからな」
苦笑と共に紡がれた見透かした様な台詞に“はーい!”と元気良く返事を返し、レイは上機嫌で医務室を後にしたのだった。
レイが出て行った直後、イルは無表情ながらも眉間に皺を寄せ、唐突にパイプ椅子から立ち上がった。真っ直ぐに向かう先には、壁際に設置された通信機器がある。液晶パネルに表示された数字を指で押していくと、やがて画面に“Call now……”との文字が表示された。
現在進行形で液晶を貫かんばかりに睨み付けている彼の切れ長の瞳は、明らかに怒気を含んでいる。そして其の怒りの矛先は―――
『クレイドです。如何しました?』
そう、クレイドだった。
「如何しました、じゃないだろう。お前、あの娘も楼銀に連れて行くそうだな。一体如何いうつもりだ? ―――あの国の治安が悪化しているのは、お前も知らない訳じゃないだろう」
『心配症ですねえ、貴方は。其の為にアルスやサイを護衛に付けるんじゃないですか。其れに私も付いてますし、問題無いですよ』
「大ありだ馬鹿者。お前は楼銀からの手紙を読まなかったのか? あんな依頼をしてくる向こうも向こうだが……。大方、あの娘には手紙の内容を知らせずに連れて行くつもりだろう」
『レイさんだけではありません、アルスとサイにもあの手紙の内容は伏せていますよ。敵を欺くにはまず味方から、と言うでしょう?』
「……、後で殴られても俺は手当てしないからな」
『覚悟の上です』
「其れで? あの娘を連れて行って如何するつもりだ。まさか―――」
『邪推は良くないですよ、イルジクト。私は彼女にも外の空気を吸って貰おうと思っただけです。其れに、実に興味深いと思いませんか? 彼女の特殊なアビリティは』
「―――お前が何を考えているかは知らないが、そういう事なら俺も同行させて貰う。アルスの体調も気掛かりだしな。異論は無いな?」
『構いませんよ、“護衛”は一人でも多い方がいいですしね』
「……全く、お前だけは敵に回したくないな」
『ふふ、有難う御座います』
プツリ。
通話が途切れると同時に、イルは窓際に設置されたセミダブルのベッドにドサリと腰掛けた。其のまま横になってベッドに身を預けた途端、日頃の寝不足と疲労、そしてひんやりと心地良く冷えたシーツの感触も手伝って瞼が重くなる。だが、先程よりも頭が冷えた所為か、不思議と思考だけは良く回った。
―――楼銀領。
かつて“春の国”と謳われる程の観光大国であった楼銀だが、今はアウローラの干渉によって、日常的に妖怪が蔓延っていると聞く。夜ともなれば皆家に閉じ籠って鍵を締め、外を出歩く者は誰一人として居ないだろう。そう、この国に於ける死行く廃墟と同じ様な現象が、かの国でも起こりつつあるという事だ。
(そんな物騒な国に、わざわざ戦闘員でもない娘を連れて行くとはな……一体何を考えているのだか、あの男は)
何事も無ければいいが、と小さく呟いたのを最後に、イルの意識は夢の中へと移っていった。




