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見えざるスタートラインの上で


 柔らかな日差しが瞼越しにレイの(まなこ)を照らす。その眩しさに思わず顔を顰めれば、肩下にまでズレ下がっていた真っ白い毛布をまくし上げて目前を覆い寝返りをうつ。

 眩しさに目が覚めてしまったものの、未だ目覚まし時計が喚き散らす気配は無い訳で。何やら破天荒極まりない夢を視ていた気もするが、それは所詮夢の話。そんな夢の話で脳を働かせるくらいなら、もう少し惰眠を貪っていたって誰かに文句を言われることは―――



(……あれ?)



 がばり、と。

 今までのそのそと動いていたのが嘘のように跳ね起きる。

 パステルカラーに揺らめくカーテンは、日の光りに照らされて漠然たる青を知らしめていた。他にも整然と置かれている机と椅子、木製に高々と連なる物置棚。これだけ見るなればシンプルイズベストを身を以って体感出来る素晴らしい部屋だと思える―――のだが。



(……これは、夢じゃないんだよね)


 生憎此処は、自身の部屋ではない。

 昨日―――人生を百八十度転換させてしまった、と言っても過言ではない日から夜が明けて。




 ―――破天荒な夢を視た。けれどこれは、夢じゃない。







 あの後。

 レイはクレイ、サイ、そしてアルの三人に、先程断片的に話した今迄の過程を出来るだけ詳細に話した。数日前から同じ夢ばかりを何度も視続けていたこと、今日になって初めてその夢の中の少女―――シャンリーと言葉を交わしたこと、その少女の手を取って気付いた時には、この死行く廃墟(ライフレス・タウン)に居たこと、だから―――自分には目的なんて無くて、どうして此処に居るのかすら、分からないということを。


 レイが話を終え、口を閉ざしてから暫くは誰も声を発することはせず、三者黙って神妙な顔付きをしていた。レイはその重厚とした雰囲気に冷汗を掻いたのだが、今はそんな雰囲気に口を挟むべきではない。直感人間、浅倉レイならではの空気を読む行動であった。


『私的には信じ難い話ではありますが……』

『けどクレイ、どんなに信じ難い話であっても、今こうやってレイちゃんが此処に居る事実は揺るがないわ』


 最初に重い口を開いたのは、表情から一切の笑みを取り払ったクレイだった。一切の笑み―――とはいうものの、その双眸からは依然その優しげな眼差しが見受けられる訳だが。

 そんなクレイの意見を間も無く否定したのはサイ、神妙な眼差しもそのまま、食い入るようにして彼を見た。


『揺るがない事実、ですか。ということは要するに……レイさんが“夢”で出会ったその―――シャンリー様が鍵を握っている、そういうことでしょう』

『恐らくね。囚われているシャンリー様の能力のことはよく知らないけれど、そういった移転能力を持ち合わせていてもおかしくないわ』


『……彼女の力は他人の夢への干渉、目的の為に無理をして、力を持つお前の所に行ったんだろうよ』


 年上二人が論議に耽る中、今まで黙考を決め込んでいたアルがぼそり、と呟いた。その声は空気に溶け込むように微小だったが、それは確かにレイに向けて紡がれた言葉であり、彼の視線はしかとこちらに向いていた。


『ど、どういうこと? ……ていうか、その力って妖怪じゃなきゃ使えないんじゃないの?』

『確かにな。お前の祖国なんざ知らないが、此方で“特殊な力”を使えるのは妖怪だけと決まってる』


 レイが不安気に問い掛けた時には、既に彼の視線は何処かの(くう)を捉えていたのだが。整理し終えずに空回りする脳裏にあった“妖紋が力の源”という情報を無理矢理に引っ張り出し、少しでも話題に付いて行けるようにレイは考察する。



『え、じゃあじゃあ―――お姫様は妖怪、なの?』


 そして行き着いたその答を呟き、他三人につられるように神妙な顔付きになって眉を顰めるレイ。その視線と空を漂っていたアルの視線とが合致したその刹那―――場の空気が一掃された。




『違ぇよ阿呆』


 ―――それはもう変な方向に。


『……はい?』

『何で今の流れでシャンリーが妖怪になるんだよ。サイ達がシャンリー様とか言ってんだから人間に決まってんだろうが』

『で、でも、特殊な力を使えるのは妖怪だけって今―――』

『“シャンリーは囚われている”、妖怪共にな。……サイが言ってたこと聞いてろよ、低いのは理解力だけにしてくれ』

『……』


 再び外れた視線が大地を映し、深々と溜息をつくアル。何故なのだろうか、物凄く馬鹿にされた気がする、というか馬鹿にされたよこれは。レイは何を言われたのか理解するまで唖然としていたが、これは言い返すべきだと口を開こうとする、が。アルの言葉は続けざまに紡がれた。


『ランドシークの王家には代々そういう能力が受け継がれてんだよ、昔は人間も妖怪も、誰もが共に助け合って生きていたからな。初代国王が妖怪だとか何とか訊いたことあるが……詳しくは知らねぇよ』

『……そうですか』


 人を阿呆呼ばわりした癖に一からちゃんと説明してくれたアルは、かったるそうに腰に右手をやって片足に体重を移動させた。タイミングを失った所為で文句もお礼も言えなくなってしまったのだが、このまま黙り込んでしまうのも忍びない―――まあ相手は全く気にしていないのだが―――。という訳でとりあえずもう一度何か言おうと口を開きかけ、



『無ぇ頭捻る時間があるなら、大人しく他の話を聞いてろ』



 ―――今度こそ、沸点を凌駕した。


『……そ、そうですね、どうせ私は馬鹿ですから? ふ、ふふふ……だけどね、―――会ったばかりのあんたにいきなりそんなこと言われる筋合い全く無いわよっ!!』


 右手に作った拳は何とか堪えることが出来た、しかし心の中で沸き上がる、このふつふつと煮えたぎる思いを堪え切ることはレイにとって非常に難しいことであった。無論、出来なかった訳だが。

 空いていた左手を使いびしっと勢い良くアルを指差せば、内に収まっていたはずの烈火の如き怒りの感情を彼に向けて吐き出した。収まっていた感情の八十パーセントは確実に彼に向けるにしては八つ当たり甚だしいのだが、一度憤慨してしまえば何のその。アルの素っ気ない暴言が引き金となり、レイの怒りは再び怒涛の勢いを見せるのだった。




 その後、制止に入ったサイによってレイの怒りは収まったのだが、根本的な論議が進むことが無かった。しかしそれも仕方の無いこと、突然の出来事をたった数分で片付けることなんて出来ないだろうし、―――それよりも、やらなければならないことがある。



『サイもアルもボロボロ、時間も夜半を迎える頃ですし、今日の所はホームに戻りましょう』

『別に私は平気よ、でもアルは―――』

『―――ッ、』


 クレイがそう号令を掛けたとほぼ同時に、今まで平然と毒を吐いていたアルの様子に変化が訪れる。彼の発した音にならない苦痛の声と共に、歩み始めようとしていた足が膝から崩れ落ちそうになった。


『ちょっ、どうしたのよ……!?』

『五月繩い黙れ』

『こらアル、心配してくれてるのよ? ……強がらないで』


 横でそれを見ていたレイは案の定驚きの声をあげたのだが、やはり返って来たのは罵倒としか取れない辛辣な言葉。彼と相対して何度目になるか分からない怒りを感じたが、それはそんなアルの頭を優しく小突いたサイによって再び制止される。強がらないで―――その一言でレイの矮小な記憶力がフル稼働し、ひとつの事実を思い出したから。

 アルは自分を助ける為に、大怪我をしているということを。


『強がってない、とにかく帰るなら帰るぞ』

『そうしましょう。アルス、肩でも貸しましょうか?』

『誰がお前なんかの。高過ぎて歩きにくいだろうが』

『そうでしたね、アルは小さいですから』

『喧嘩売ってんのかお前』

『いえそんなことは。何ならおぶって差し上げ―――』

『断る去ね』


『……』


 自分の所為で彼が傷付いたのだという事実に、先程まで心根より感じていた怒りなんて綺麗さっぱり消え去ってしまった。しかも内省すること二秒、自分は未だ―――彼等に助けて貰った御礼すら述べていないではないか。

 気付いてしまえば簡単で、慌てて彼等―――主にアルその人を見遣れば告げなければならない感謝の言葉を紡ごうとし、しかし何やら冗談を言い合うアルとクレイ―――冗談を言っているのはクレイだけだが―――を見ていたら、今はタイミングが違うかもしれない、と思い直すことになった。


 それにしても仲の良い二人だ、レイはただただ再びそう考え、三人と共にその場から退去したのだった。



 “ホーム”と呼ばれる場所に着いて通されたその部屋に入るなり、レイは忘れていた強烈な睡魔に因って床に誘われた。

 それじゃなくても不可解だった夢の所為で寝不足なのに、こんなエキセントリックな現実に放り出されて疲れていないと言った瞬間、自身の一次欲求に大激怒されてしまいそうだ。砂埃に塗れていようが構わず汚れてしまったセーラー服のままレイは、何時振りになるか分からない深い深いまどろみの中へゆっくりと堕ちていったのだった。








 そうして今に至る訳だ。

 レイはふと自分の格好を見て、昨夜も目にしたボロボロなセーラー服に溜息をついた。もうこれは着れないかもしれないな、学校どうしよう、なんて未だ現実味帯びた考えを描けるのだからそれはそれで凄い。


「私服登校かなこれは」


 楽観的にというかただ一言思ったことをぽつりと呟いた刹那、誰の部屋とは知らぬこの部屋にコンコン、と乾いたノック音が響いて、睡魔と共に浮ついていた心臓が凄い勢いで跳ね上がった。


「レイちゃん、起きてるかしら? サイファンだけど……」

「さ、サイファンさん……!」


 当然といえば当然なのだが、自分の見知った彼女の声が扉越しに響く。彼女はゆっくりと部屋に入室してくると、その優しげな声同様に柔らかな笑みをレイに向けて背後の扉をぱたん、と閉めた。


「よく眠れたかしら?」

「は、はい。久しぶりにゆっくり眠れたと思います」

「それは良かったわ。もうお昼過ぎだものね」


 サイがくすくすと楽しそうに笑うものだから、レイは少々恥ずかしいと思いながらも一緒になって声を漏らして苦笑した。それからサイは自然な足取りでレイの座るベッドの前にまでやって来て、後ろ手に持っていたらしい物をレイに差し出す。


「……これは?」

「洋服よ、私のお下がりで悪いんだけれど。流石にその格好じゃあ出歩けないだろうと思ってさ」

「わあ……ありがとうございます! ……えと、あの―――」

「ふふっ、分かってるわよレイちゃん」


 サイのように誰から見てもスタイル抜群の人の洋服を借りるというのも何だか不自然な気もするが、―――というか自分には大き過ぎてしまうのではないか―――折角の厚意を無駄にする訳にもいかない。サイの事だ、きっと昔自分くらいの時に着ていた服を貸してくれたのだろう、そう考えてそれを受け取れば、嬉しくなってその服をぎゅっと抱き締めた。

 ―――しかし、だ。洋服は嬉しい、けれどもうひとつお願いしたいことがあるのだが。それを口にしようとサイを見上げれば、彼女は自身の口許に人差し指を当て、妖艶さを漂わす笑みを見せながらひとつウインクをした。何なのだろうか、この美人さんは、レイは見惚れながら思った。



「女の子だものね。―――お風呂、行こっか」

「―――はい!」



 昨日出逢ったこの容姿端麗な夕陽色の美人さんを、レイはますます好きになった。










「おや、サイまでほかほかなんですね」


 道理で帰って来ないと思いました、そう続けて苦笑したのはこのホームの管理者、同時にギルド“シンビオス”のギルド長であるクレイドだった。仕事終わりのサラリーマン達が一杯やるのに丁度良さそうな、ちょっとしたこのだだっ広い空間に一人に居座る彼。古びた木製の机上には真白いマグカップがひとつ、中には対照的に黒く濁った珈琲―――匂いでそれが珈琲なのだと分かった―――が三分目程度に注がれていた。食物などはレイの住んでいた場所とは何等変わらないのかもしれない、そんなことを黙々と考えていたのだが、三分目までしか注がれていない珈琲に違和感を覚え、少ししてから自分達が彼を待たせていたのだと実感する。大分長風呂をしてしまったからだろう、温かかったであろう珈琲からは、湯気ひとつ伺うことは出来なかった。

 代わりといっては何だが、レイと共に長時間湯舟に浸かっていたサイは髪の色同様に顔を火照らせ大分茹だっている。レイも同じように真っ赤なのだが、クレイからしてみればサイまで風呂に入っていたことが意外だったようだ。


「あら良いじゃない、一緒に入ったって余る程広いんだから」

「それはそうですけれど。女性というものは本当にお風呂が好きなんですね」

「普通よ、普通。何時だって綺麗で居たいと思うのは、世界中の女の子共通の願いなんだから」


 水も滴るなんとやら、とはきっと男性にだけ通じる訳では無くて、この隣に居るサイにも通じるのだと思う。女性らしさに拍車が掛かる彼女にずい、と歩み寄られてしまえば、どんなに鈍感な御仁だって心を奪われないはずがない。実際そうやって詰め寄られているクレイは―――



「散々大剣をぶんぶんと振り回す貴女がそれを言いますか?」



 ―――例外だった。

 サイは少々膨れっ面になりながらも、乾かす為に解いている髪をがしがしとタオルで豪快に拭いていた。確かにその様は若干男前である。




「―――さてレイさん、昨夜は良く眠れたようで何よりです」


 すっかり冷めてしまっている珈琲のマグカップをかつん、と指で弾いたクレイ。気を取り直した様子で、サイに借りた全身青系統の服で身を包み立ち竦むレイを見れば、自らが座る椅子とは反対の席に座るよう優しく促した。辺りがこんなにも閑散としているからか、レイは気持ち心を竦ませつつそこに座った。


「夜になればギルド員達がやってくるのですが、昼間となれば皆依頼に出てるか自宅に居るかなんですよ」

「そう、なんですか」

「ですから余り緊張なさらずに。今此処に居るのは貴女の知っている者しか居ませんから」


 こちらの緊張が伝わってしまったらしく、クレイは苦笑するようにしてレイにそう告げた。確かに此処には目の前のクレイと、髪を拭き終わってから自分の隣に座ったサイしか見受けられない。彼―――アルも何処かに居るのだろうか? そんなことを考えたのも刹那、レイは重要なことを思い出して目を見開き、椅子ががたん、と大きな音を立てたのも気にすることなく勢い良く立ち上がった。


「あの! ―――昨日は本当にありがとうございました! 私、未だ御礼言ってなくて……」


 己が弾き出した椅子が再び音を立てた。今度はばたんっ! と先よりも大きな音だった、どうやら摩擦では勢いを殺せず後ろに倒れてしまったらしい。レイは慌てて椅子を元に戻そうとしゃがみ込んだが、そうしている内に頭上から聞こえたのは微かな二つの笑い声だった。


「……えと?」

「レイちゃんって慌てん坊さんね。良いのよそんなこと、私達が君を助けたいと思ったから助けたの、御礼なんて要らないわ」

「ふふっ、そうですよ。サイとアルが組んだ時、すんなり依頼が成就したことなんて一度足りともないんですから御安心を」


 後者の話には少々棘があった気もするが―――ギルド長の心の叫び的な何かが―――、前者の方が全くの無反応だったので無かったことにした。双方からの気を遣うな、という視線にレイは改めて笑顔を浮かべ、戻した椅子を掃ってはゆっくりと座り直したのだった。



「さて、それでは話に移りますね」


 クレイはそう言って、胸元の内ポケットから何やら四つ折の用紙を取り出し机上に広げた。四人掛け机一杯とまではいかないが、それなりに大きな用紙には社会科の時間に良く見掛けた、緑と青のコントラストとでも言えるような盛大な図が描かれていた。勿論、その形はレイの知るものとは大分異なっていたのだが。


「……これ、地図ですか?」

「その通りです。我等が広大なる大地、名は―――“エヴェニーレ”。そして五つある大陸の内、この一番左端にある大きな大陸がランドシーク領となります」


 ランドシークは王国の名前だったよね、レイは脳裏でそう考え、話に乗り遅れないように最善の注意を払った。昨日アルに言われた“無ぇ頭”には、確かに高い理解力も何も入っていないのだから。

 クレイはランドシーク領なる場所を指差し、レイがこくこくと何度か頷いたのを目にしてから領のとある場所に指先だけで円を描いた。


「そして此処が今、私達が居る場所ですね」

「ギルド“シンビオス”のホームがある場所、結構辺境にあるのよね」


 もう少しで海に面するのではないか、クレイが描いた場所はそんな所だった。地図からして自分から見てほぼ左端、自分がこんなに端っこに居るだなんて考えもしていなかったレイは、ひとつへぇ、と間延びした声を上げて理解の肯定をした。

 クレイはそれを聞くなりススス、とその指をスライドさせ、その大陸とは掛け離れた位置にある右の大陸をとんとん、と二度叩いた。レイの視線はその指を追うようにして右にずれ、クレイの指が止まると同時にレイも顔を上げる。


「そして此方が昨日貴女が世話を掛けた、妖怪達の根城となる大陸―――アウローラ領となります」

「アウローラ……」


 昨日の少年―――クロードの嘲弄が目を開いているにも関わらず目前にフラッシュバックされ、レイは一度目を閉じて頭を振り、その映像を強制遮断した。


 そこまで淡々と笑顔で話していたクレイは地図から指を離し、空いていたもう片方の手とその手を組めば机上に肘を立てた。その双眸には微かな憂いの色が伺え、急に神妙な雰囲気が醸し出されていることにレイが気付き息を呑んだ時には、次の言葉が吐き出されていたのだが。



「―――妖怪と人間、長い歴史の中で共に生きてきた双方の種族が違ったのは、ほんの十年前のことだったのですよ」


 クレイは続ける。


「妖怪にもギルドに似た“組織”というものがあるらしく、その中でも最も権力を持っている組織―――“ヴァンダライズ”がこの“共生”では無く“共存”の時代を作り上げました」


 手を取り合い共に生きる時代から、ただただ共に在るだけの時代へ。クレイが言っている言葉の意味は、何と無く分かった。


「ヴァンダライズは俗にいう恐怖政治をモットーにアウローラ領に住む妖怪達を支配し、『妖怪は人間より高位の生き物なのだ、共に生きるなど言語道断、人間共を支配下に置いて、このエヴェニーレを我等の手中に治めようではないか』―――といった具合に共存はおろか、人間の存在を認めなくなってきているのです」

「そんな……元は仲良く暮らしてたんじゃないの?」

「ええ、元々はね。昔のヴァンダライズは人間ととても良好な関係を築いていたと訊いているわ」

「じゃあどうして―――!」


「力有りし者が力無き者を見下すことに、理由なんて無いんですよ、レイさん」


 人生弱肉強食、強きが弱きを挫く理由なんてこの世に存在しない。ただそこに、自分より弱い人間が居るから―――ただそれだけなのだ。


「ヴァンダライズの息が掛かった妖怪組織は人里を荒らし、そこに住む人々に危害を加える。そうしたくないと望む妖怪だって、組織に逆らうことは出来ないのですよ。―――ヴァンダライズ先代のリーダーは、本当に人々との付き合いを大切にしている方だったそうです。ですが十年前に逝去、次代を継いだ現リーダーになって―――本当に世界は変わってしまった」



 クレイの言葉が止むと同時に、しんと静まり返ったホーム内。元々彼の声だけが響いていたようなものだが、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるクレイは己の組む両手の拳を口許に当てて、何やら深々と思考を巡らせているようだった。

 隣のサイを見てもそれが安易な出来事で無かったことが見て取れる、異世界であろうが自分に関係なかろうが、今迄毎日を平和にのうのうと生きていた自分が嫌になる程、その現実を痛感する。だってそうだろう、レイは昨日を以って―――この出来事の当事者となってしまったのだから。



「私達は彼等との争いを望みません。……ですが我々にだって、守らねばならないものがある。そうして出来た各国のギルドは、妖怪達から罪の無い人々を守る為に、日々世界中を飛び回っているのですよ」

「どんなギルドだって目的は同じ、妖怪達と戦うことなの。シンビオスの目的は“共生”だけど、やっぱり戦うことは免れないからね」


 レイの目から見て、クレイとサイの年齢は二十歳前後、アルに関しては自分よりも年下なのではないだろうか。そんな彼等が共生を目的とし、日々戦っている。大して自分と年の変わらない彼等が、こんなにも自分と掛け離れた生活を送っている。同情という訳では無いが、―――レイは胸の奥が熱くなるのを感じた。


「貴女をこの世界に誘ったと思われるシャンリー様は、この事態の早期終結を誰よりもお望みになられています―――王国の人々を傷付けない為に、自ら人質を名乗り出た御方ですから」

「……あの子が……」


 わたくしの国を救って下さい、と、彼女はそう言った。あの時は何なのか分からないまま、彼女の手を取ってしまったのだけれど。

 自分では理解出来ぬまま発動した、特殊能力を強制解除する自分の力。


(シャンリーはこの世界を元に戻したいんだ、妖怪を倒したいんじゃない、人間と妖怪が共に手を取り合って生きていた、昔のように)



 私の、この力で。





 ―――バンッ!!


「「!?」」


 己の何処にそんな能力が備わっているかは知らないが、何と無く右手の平を見て、それをぎゅっと握り締めた―――その時。

 サイとレイの背後の扉が思い切り勢いをつけて開いた。思わずびくり、と身を竦み上がらせたのだが、それはサイも同じだったらしく慌てて背後を見遣っていた。



「あ、アル?」


 そこに居たのは、サイが一度仏頂面と称したその人で―――確かに仏頂面である―――。サイの呟きが聞こえたかどうかは知らないが、一瞥其方を見れば直ぐさまつかつかと無遠慮に此方にやって来た。昨日見たマント姿ではなく、上はワイシャツ一枚、右手のみ黒のグローブというラフな格好でやって来たアルは、今の今迄この環境を包んでいた雰囲気なんてお構いなしに、


「クレイド貴様に昨日言い忘れたことがあった」


 と、何とも自由な用件を持ち出した。


「おやアルス、そんなにも私のことが好きですか?」


 しかもクレイもクレイでそう返し、体勢も変えぬままにこり、と微笑んだ。―――どうやら一旦話は終わりらしい。

 扉を蹴破る気ですかー、と続けるクレイを見れば、どうやら先程の破裂音にも似た音は、アルが扉を蹴って開けた音だったらしい。―――何という破天荒な、レイは口には出さなかった。


「ちょっとアル! 君は今日一日安静にしてなさいって―――」

「誰の所為で一日ずっと部屋に篭らされてると思ってんだよ」


 サイが慌ててそちらに回り込み、アルの肩を優しく掴む。しかしアルから返って来た言葉は意外な物で、誰かを責め立てるような、そんな台詞だった。

 レイはそんな台詞を聞いてハッとすれば下唇を噛み締め、それに該当するであろう自分に無能さを感じた。


「あ、わ、私の所為……私があんなところに居なければ……」

「そんなこと無いわっ! アル! 貴方そうやって人を―――」


「勝手に勘違いして落ち込むな、浅倉レイ」

「……へ?」


 間の抜けた声だったと思う。サイの否定の声も、アルの呆れ返った声も、一瞬にして良く分からなくなってしまった。アルはひとつ溜息をつき、一人蚊帳の外に置き去りになっていたクレイを見る。


「クレイド、お前が最初に言ったよな」

「……何をです?」

「“浅倉レイが人間なのかどうか”……その問いを最初に出したのは、お前だったよな?」

「ええ、それが?」


「―――……貴様、俺達がクロードと戦ってんのどっから見てた?」

「いやですねェ、そんなの危なくない時計台からに決まってるじゃないですか」

「「……え?」」


 レイが人間かどうかという問いを最初にぶつけたのは正しくクレイだった。確かにそうだ、レイは妖怪であるクロードの能力を大地を踏み込んだだけで解除したのだから、そう問われてもおかしくはない。


 そう、おかしくはないのだ、それを問うたのが、アルかサイであれば。


「妖怪の目撃情報が入ったので、まさかとは思いましたが彼処に向かったんですよ。依頼が終わって帰還する貴方達がそれを耳にしていたら向かっていると思ったのでね、ですがあんなになるとは―――」

「クレイ?」


 あっはっはと楽しそうに笑うクレイ、しかしそんなクレイの台詞はサイによって途中で遮られ、スッと自然な動作で彼女はクレイの前に出た。


「クレイはアレ? 私―――ううん、アルが死ぬ気で、肋まで損傷しながら戦ってるのをへらへら笑いながら見ていたの?」

「いえ、へらへらだなんてそんな―――」

「み、て、た、の?」

「……はい」


 ―――サイファンさんがキレた……?

 レイは椅子に腰掛けたまま、二人の笑顔の攻防を黙って見遣るのみだった。ちなみにこのキッカケを作った張本人はというと、既に我関せずで近くの椅子に座り頬杖をついて此方を無表情に見据えていた。


「何時から見てたの?」

「アルスがクロードと相対して、貴女がレイさんと其処にやって来た辺りからです」

「……クレイ、歯ァ食いしばりなさい」

「お断りします!」

「あ! 待ちなさいクレイ!」


 サイが右手に拳を固めた刹那、クレイは反射神経良くその場から逃げ出した。この人偉いんだよね、とかレイは思ったのだが、きっとアルやサイを信じていたからこそ、助けに入らなかったんだろうなあ、とも考えた。


「一発殴られなさーい!」

「完全にお断りです、痛いですから……!」


 追い掛け追い掛けられる二人を見て、レイは一人くすり、と笑みを零した。少し不謹慎だったか、しかし近くのアルを見遣れば彼も口許に笑みを携えていて、目が合えば少々戸惑ったように視線を逸らされた。けれど再び視線が合って―――彼は本当に呆れた様子だったが―――、レイとアルは顔を見合わせて微笑んだ。




 どんな逆境に立たされても、人はそれを乗り越える力がある。神は人に寄って与える試練が異なり、その人が乗り越えられる試練しか与えないのだから。

 浅倉レイに与えられた試練は他に比べれば本当に、残酷な程過酷な運命なのかもしれない。しかしそれはきっと、彼女がそれだけの苦難にも負けないだけの何かを持ち得ているからと、神様が判断したからなのだろう。



 彼女に与えられた運命の歯車は、未だ回り始めたばかり。

 この道程の先に在るフィナーレは、果して誰にとってのハッピーエンド―――?






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