表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/34

手折られた花の行方






 ゆっくりと、荒野に吹く風が凪いでいく。

 つい先刻まで戦場であったのが嘘のように静まり返った其れが嵐の前の静けさなのだとしても、少なくとも束の間の気休めぐらいは許されているのだと過信したい。






「っ、はぁ……」



 声にならない吐息が小さくレイの口から洩れ、体中の関節が一斉に機能を放棄したかのようにがくりと地にへたり込む。今になって押し寄せる恐怖に耐え切れなかったのだろう、レイは其の涼しげな瞳から全ての負の感情を排出する様に涙を流した。

 今の状況や自分が置かれている立場、そして此の酷く理不尽な仕打ちを理解も納得も出来ない。これから先経験する筈のありとあらゆる困難が、唐突に前倒しになってこの短時間で一息に押し寄せてきたような気さえする。



「……っ、うぅ……」

「大丈夫、大丈夫よ。怖い事はもう終わり。私達が付いてるから―――ね?」



 子供をあやすような口調でゆっくりと紡がれる夕陽色の彼女の優しい言葉でさえ、今のレイの耳には届かない。ついでに言うと、早くも体勢を立て直したアルが此方に近付いていた事にも気付いていなかった。そんな彼女を気遣っているのかは分からないが、彼はほんの少し戸惑いの色を滲ませながらレイに声を掛ける。残念ながら、傍らで背中をさすってくれている彼女のような心配そうな表情だとか優しい声音だとかは皆無であったが。



「おい、怪我は―――」

「―――…いわよ」

「あ?」



 彼の言葉が耳に入った―――かどうかは定かではないが―――刹那、レイは口内だけで何事かを呟くと、唐突にすっくと立ち上がった。明らかに先程までとは違うレイの急激な変化に面食らって目を丸くする二人を尻目に、彼女はキッと眉を吊り上げつつ怒りを露わにする。



「冗っ談じゃないわよっ! 何で私がこんな目に遭わなきゃなんないの? 人間だの妖怪だの訳分かんない!! もうあったま来た。こうなったら妖怪だろうと何だろうととっちめてやるんだからっ」



 腕まくりしそうな勢いで矢継ぎ早にそう捲し立てる彼女に、もう先程までの弱々しい面影など微塵も見られない。“順応性がステイタス”というのが彼女のキャッチフレーズになりつつある程柔軟な適応能力を知る由も無い二人は、ただぽかん、と口を開けて彼女を見遣るしかなかった。



「ふっ……、あははははっ! いいねぇ、威勢のいい女の子って好きよ」



 何故だか吹き出した夕陽色の彼女は涼やかに笑うと、レイの頭を優しく撫でてくれる。次いで其の少し後方に控えていたアルが呆れたような溜息を吐き、それだけ元気があれば心配無用だな、とレイには届かないであろう小声で呟いた。

 やがてレイの遣り場の無い怒りが徐々に納まって来たのを見計らったかのように、夕陽色の彼女はぱん、と軽く両手を叩くと、その場の空気を瞬時に一掃してしまう明るい笑みを携えて口を開く。



「さて、漸く落ち着いた所で改めて自己紹介でもしましょうか。私はサイファン・フレアよ。“サイ”って呼ぶ人が多いんだけど。で、こっちの仏頂面が―――」

「誰が仏頂面だ」

「ごほん、此方のクールなナイスガイがアルス・イルバート。まぁ色々と不器用な子だけど、根はいい子だから仲良くしてあげてね」



 途中アルの鋭い睨みと常人ならざる圧力が介入したのはこの際触れないでおく事にして、レイは急いで制服の埃を払うと、私は浅倉レイです、と先程よりもしっかりとした口調で自己紹介をした。夕陽色の彼女―――基サイは其れを受けてしかと頷き、神妙な面持ちで何かを考え込むかのように暫時黙り込む。






「ところでレイちゃん―――君は何処から来たの? この辺りでは見掛けない服装だし、此処の事情も良く知らないみたいね?」



 漸く言葉を発したサイは、此の国では風変わりであろうレイの出で立ち―――最早ボロボロで埃だらけになってしまったセーラー服―――を見遣りながら問い掛ける。

 其れにより、レイは改めて自分が何か途轍もない異常事態に巻き込まれている事を再確認した。言いたい事、聞きたい事、確かめねばならない事、焦る余りそれらがぐちゃぐちゃに絡み合って思考が上手く纏まらないが、其れでも何とか言葉にしようと口を開く。



「……それが、私にも良く分からないんです。夢の中で女の子に逢って、『わたくしの国を救って下さい』とか言っていたんですけど……、それで其の子の手を取った直ぐ後に気を失って、気が付いたら此処に―――」



 冷静に考えれば随分と飛躍した話だと思えるが、レイ自身はそういった違和感を感じてはいないようだった。余りにも非現実的なハプニングが重なり過ぎた所為で、現実と空想の境界線が壊れつつあるのかも知れない。だが、やはり其の内容というのは、言ってしまえばクレイジーなオカルト信者が好んで口にするような戯言にしか、聞こえなかった。



「其の、女の子というのは?」



 サイはそんな彼女の話に驚くでもなく、また頭ごなしに疑うでもなく、ただ真実を見定めようとしているかのように、じっとレイに視線を遣ったまま慎重に尋ねてくれる。レイは既に薄弱になりつつある夢の記憶を手繰り寄せようと瞳を伏せると、ゆっくりと言葉を繋いでいった。



「長いふわふわした黄色い髪の女の子で……、名前は長くて良く覚えてないんですけど、ええと―――シャンリー=フォース……ライト……?」


「シャンリー!?」



 たどたどしく少女の名を口にした刹那、如何いう訳かアルの顔色が変わった。珍しく大声を出したかと思えば、徐に其の名の続きを紡ぎ出す。



「―――シャンリー=フォースライトステイシア・レインクォーズ……」

「そうそう、確かそんな名前! ……って、何であなたが知ってるのよ」



 ポン、と手を打って大きく頷いたレイだが、其の名前を出した途端に明らかに動揺したアルの様子がどうにも引っ掛かる。そもそも現実に存在しているのかも分からない少女の名を、何故彼が知っていたのだろうか?

 其の疑問には、当人に代わってサイが答えた。



「知ってるも何も……、シャンリー様は此の国の王位継承権第七位―――つまり、歴とした姫君なのよ」

「お、お姫様ァ!?」



 思わず上擦った声が出てしまうが、今はそれ所ではない。確かに夢の中で自らを王家の娘だと名乗っていたけれど、まさか本当だったとは。否、其れよりも夢の中の少女が現実に存在していたという事実に驚きを隠せない。

 そうして暫くの間目を丸くしていたレイだったが、ふとある事に気付いた途端、急に焦ったような声を上げた。



「え、でも、ちょっと待って下さい。もしあの夢が只の夢じゃなくて、“シャンリー”が実在するお姫様なのだとしたら―――」



 もし仮に、彼女が何らかの方法で、レイを此方に呼び寄せたのだとしたら?



 勿論、レイが気絶している間に何者かに拐されたという可能性もある。寧ろそう考えた方が幾分自然であるのだが、其れにしてはこの国は何処か可笑しい。何よりもあの少年の人ならざる能力は、少なくともレイの居た世界では存在しえない代物だ。ところが、そんな驚くべき力を目にしても、アルやサイは当然のように対応していた。とすると、此の世界ではそう珍しい現象ではないという事になる。


 つい先程まで次々と目の前で繰り広げられていた一連のファンタスティックな出来事を思い起こし、レイはぶるりと一つ、身震いした。様々な疑問が渦巻く中、彼女は必死に頭をフル回転させて散り散りになった思考を纏めると、或る一つの仮説に辿り着く。




(此処は、そもそも私の居た世界と違う……?)




 信じられない、と呆然として呟きながらも、今迄見聞きした全ての情報を総合するとそうとしか思えない。もし此処が“異世界”ならば、無情にも全ての辻褄が、合う。



「そんな……ねえ、ねえサイファンさん! 此処は一体何処なの!? あの男の子は何者なのよ!!」



 最早敬語さえ吹き飛び、半ば問い詰めるような口調でサイに詰め寄るレイには、見るからに余裕が無い。サイはそんな彼女を宥めようと困ったように微笑み、ゆっくりと口を開き掛けた―――その時。








「其れについては、私の方からご説明差し上げましょう」




 突如耳に入った男性特有の低いテノールに、びくりとレイの肩が跳ね上がる。恐る恐る振り向くと、長身の青年が半壊になった建物の影から此方に向かって来ているのが見えた。


 一体何時から其処に居たのか、全くと言っていい程気配を感じさせないその見事な技量から、彼が只者ではないのだと素人のレイでも直ぐに判断出来る。思わず警戒心を強めるものの、彼の口許に湛えられた柔らかな微笑を見れば、少なくとも敵意は感じられない。何よりも背に羽織った大きなマントを翻し、色素の薄い金茶の髪を揺らしながら颯爽と歩く其の姿は、他を圧倒するカリスマ性を感じずにはいられなかった。



「クレイ!」



 彼の姿を認めて声を張り上げたサイは、急いで“クレイ”と呼んだ青年の許へと駆け寄る。対してアルはというと、如何にも不機嫌そうな渋面を作り、サイとは正反対の反応を見せるのだった。



「……盗み聞きとは趣味が悪いな」

「おや、心外ですねェ。単に出て来るタイミングを逃してしまっただけですよ」

「どうだか」



 無遠慮に懐疑の視線を向けるアルに、薄らと食えない笑みを零しつつはぐらかすクレイ。仲がいいんだなぁ、等と暢気な事を考えている間に、彼はレイの前に歩み寄ったかと思うとスッと跪き、まるで高貴な姫に対するが如く丁寧に、それはもう丁寧に彼女の手を取った。



「始めまして、私はクレイド・ミルフィス。“シンビオス”の長をやっている者です。―――以後、お見知り置きを」



 細められた薄い若草色の瞳に呑まれたのか、レイは暫くの間呆然として言葉が出て来ない。だが、やがてハッと我に返ると同時に、自分も自己紹介をしようとめいっぱい背筋を伸ばした。



「あっ、えっと、わた、私は……」

「浅倉レイさん、ですよね。存じ上げておりますよ」

「へ?」

「やっぱ盗み聞きしてたんじゃねぇか」



 鋭く投げられたアルの尤もなツッコミは、悪戯っぽく微笑むクレイによって見事なまでに黙殺されてしまうのだが、其れは兎も角。レイは気を取り直して一つ深呼吸すると、改めて彼に数ある疑問を問い質す事にした。



「此処は一体、何処なんです? さっきまで居たあの男の子は、一体何者ですか」


「此処は、“ランドシーク”という王国です。恐らく貴女が察している通り、先程の少年は人間ではなく―――“妖怪”なんですよ」


「よう……かい?」



 思わず自身の耳を疑った。先程から其の単語は何度か耳にしてはいたのだが、本当に―――現実に“妖怪”なんてものが存在すると言うのだろうか?

 幼い頃、母に読んで貰った古い絵本に描かれた天狗や河童などの異形の生物の姿が、鮮明リアルな記憶となって蘇る。当時は泣き出してしまう程怖がっていたものだが、其れらは飽く迄も絵本の中だけに存在する架空の生物であった筈、なのだが。とはいえ、クレイの真剣な表情を見ればとても嘘だとは思えない。第一、先程レイ自身の目で奇天烈極まりない超常現象の数々を目撃したからには、やはり信じざるをえないだろう。


 混乱する彼女が落ち着くまで待ってくれているのか、暫しの沈黙が流れた後、クレイは再びゆっくりと言葉を連ねた。



「そうです、此の世界には妖怪が存在します。あの少年の体の何処かに、痣のようなものがあるのを見ませんでしたか? あれは“妖紋”(ようもん)といって、妖怪という証であると同時に、其の力の源でもあるんです」


「あれが……“妖紋”……」



 レイは眉間に皺を寄せ、あの少年の頬に刻まれた紋様―――風に揺れて一瞬だけ垣間見えた、新緑色の葉の模様を思い浮かべる。何処か浮世離れした奇異な雰囲気を漂わせる其れが、ただの痣ではない事は何となく感じていたのだけれど、まさかそんな意味があるなんて夢にも思わなかった。見た目はほぼ人間と変わらないというのに、あの少年が本当に―――妖怪?


 そんなレイの思考を読んだかのように、クレイは笑みの形に閉じていた瞳を薄らと開くと、ふと何かを思い出すように遠くを見据えた。



「あの少年は、確か以前にも街で暴れていましたね。名前は確か―――そう、“クロード”」



 クレイの苦々しい口調から、あの少年―――即ちクロードが彼らにとっても危険人物である事が容易に想像出来る。実際レイも其の残虐性を目にしている為、彼が言う“妖怪”というものがどれだけ強大な敵かという事は、身を以て理解しているつもりだ。



「ところでレイさん、貴女に聞きたい事があるのですが」

「は、はい……」



 思わぬタイミングでの質問に若干焦るレイを尻目に、クレイは言葉を選ぶかのように顎に片手を添え、じっと瞳を伏せたまま黙考しているようだった。彼は暫くの間何度か瞳を泳がせていたが、やがて意を決したのか、スッと彼女と視線を交わらせる。











「―――貴女は、人間なのでしょうか?」

「……はい?」



 真剣な表情で何を言い出すかと思えば。レイは肩すかしを食らったような気分でぽかん、と口を開けた。何しろ彼の質問の意図が分からなかったのだ。



「あ、当たり前じゃないですかっ、私は人間ですよ? 何処にでも居るフツーの女子高生なんですから」



 思わぬ問い掛けを受けて、レイは両手に腰を当てながら疑いようもない当然の事実を口にする。だが其れでもクレイの表情は変わらず、まるで値踏みでもするような視線で彼女を見遣ったままだ。






「……だが、お前はあの時クロードの妖力を“強制解除”しただろう」



 何故だか言葉にし難い重苦しい空気が流れたかと思えば、今迄事態を静観していたアルが不意に口を開いた。其の抑揚の無い声音から僅かに感じ取れる沈んだ調子を耳にして、遅まきながらレイはやっとクレイの質問の意図を理解する。



 ―――人間ならば、あんな芸当が出来る筈はありません。



 恐らく言外に含まれた其の言葉は、レイの立場を危うくしかねない為敢えて伏せてくれていたのだろう。彼の、否、彼らの猜疑に気付いてしまったレイは、思わずぎゅっと唇を噛み締めた。



「あ、あれは……私、ただ夢中で……」



 しっかりと喋らなければ信じて貰えないのに、情けない程声が震えてしまう。誰もはっきりとは言わないけれど、恐らく此の場に居る全員が彼女の素性を疑っているのだろう。つまり、レイも妖怪の類なのではないのかと。


 彼らが何と戦っているのかを鑑みれば、最悪の場合、此処で彼女を―――



「……っ、違うんです! 私、妖怪なんかじゃ……!」



 “最悪の場合”を想像して青褪めるレイは、必死に否定の言葉を連ねようと悲鳴にも似た声を上げる。だが無情にも、掠れた声はそれ以上言葉にはならず、周りから突き刺さる視線と頬を滴る汗が、焦燥を煽るばかりだった。

 しかし意外にも、クレイはそんな彼女を安心させるかのようにふわりと微笑むと、其の柔らかな物腰を崩す事なく言葉を続ける。



「そんなに怖がらないで下さい、私はただ事実を確かめたいだけですよ。仮に貴女が妖怪なのだとしても、私は無益な戦闘を強いるつもりはありません。私達は“シンビオス”―――其の目的は、飽く迄“共生”なのですから。……まぁ、貴女に戦う気があるというのなら話は別ですがね」

「もうっ、クレイったら一言多いんだから!」



 どうやら彼らに敵意が無い事に安堵したのも束の間、最後にボソリと付け加えられた物騒な台詞に、またビクリと肩を震わせるレイ。其れを見たサイからピシャリと叱られていたのだが、当の本人は涼しい顔で冗談です、等と本音か嘘か分からない言葉を返しただけだった。



「レイさん、宜しければ話して下さいませんか。貴女が何故、どのような目的で此処へ来たのか」

「―――はい、」



 改めて向けられた真摯な眼差しから目を逸らす事無く、レイは静かに頷いた。






 後に彼女は知る事となる。ゆっくりと、だが確実に動き出す歯車、そして世界の純粋過ぎるエゴイズム。其れらの根源であるたった一人の少女の純朴な願いでさえも、世界の混沌たる闇の前では容易に埋もれてしまうという事を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ