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微弱で青い、月光の下にて

 ただ学校に行くだけの何もない平凡な日々と、スリリングな出来事に巻き込まれる非凡な日々。

 年頃の少年少女に二者択一を迫ってみれば、答はきっと圧倒的な差をつけて後者が勝るのだろう。平凡な日々などつまらない、アニメーションの中の主人公のように、非現実を生きてみたい。誰しも一度はそう思うのではないか。


 ―――だがそれは、平凡な日々に幸せを感じられない人々の我が儘に過ぎない。


 非凡な世の中なんかに、幸せなんて存在しないよ―――刹那浮かんだそんなレイの心情は、果たして未来を担う彼等に届いたのだろうか。









 いっそ早く殺してくれればいいのに―――そんな世迷い言が脳裏に浮かぶ程、レイにとってこの刹那は長かった。キリキリと音を立てるのは引く弓の音なのか、それとも己自身の内臓各所なのか―――。


 その音が止んだ時、それが前者で正しかったのだと感じる。狙いが定まったのだ、この至近距離でご丁寧に。心の準備だなんて言うけど、そんなもの、結局は無意味なんだね―――何時になく冷静にそうやって物事を割り切れば、覚悟を決めて瞳を閉じる。


(もう一度、本当にごめんなさい、お父さんお母さん。瑞希もごめん、前に借りた本、返せそうに無いや)


 嵐の前の静けさ―――それと類似しているのかもしれない、レイは思った。これから起こることが凄絶な程、人は冷静でいられるものなのだ。頭の中に浮かぶ限りの人達に謝罪と感謝をしつつ、どうか痛くありませんように―――と、最期になるやもしれない願いを深く願った―――







 けれど。


 ―――ヒュン!!


「―――!? チッ―――」



 カラン、―――乾いた音が聞こえた。同時に聞こえたのは恐らく舌打ち。眼を閉じている自分でもよく分かる、目前に居るはずの彼の声で。その舌打ちの後、一瞬にして彼の気配が消えた。一体何処に消えたのか―――そんなことレイにはよく分からなかったが、分からずとも全く困ることは無かった。レイは戦闘をしている訳でないのだから、彼が己の知る範囲外に居るのならばそれだけで良かったのだ―――相手の武器が弓矢であることを、レイは忘れているのだろうが―――。

 ゆっくりと瞳を開く。伏せ気味の視界に映ったのは、やはりあのニット帽の少年の足元ではなかった。彼女の蒼眼に映ったのは―――たった一本の銀色のナイフ、素人の眼から見ても綺麗に磨かれていると分かる程、白銀に輝くそれだった。


 恐らくこのナイフが、先程の効果音を奏でた物。そして同時に一時的であったとしても―――レイの命を救った物。





「へぇ、まだ動けたんだ」


 くつくつと彼が嘲笑う声がする。レイにしては珍しく、鋭くそちらに視線を送れば自分から数十メートル近く離れた木の横で、彼はある一定の方向を見て笑みを浮かべていた。


「あの女が僕に大剣を向けた辺りか? ティエったら本当に心配性なんだから……」


 はぁ、と大きくため息を付く彼。ティエ―――先程の大蛇の名前なのだろう、呆れるような口調でそう言ってつかつかと歩き出し、一度緩んだその視線を真っ直ぐに見据えれば、彼は一心にそれを見た。




「お前、中々やるんだな」


「―――褒められても、嬉しくないけど」



 それ―――否、そこに居たのは紛れも無い、漆黒のマントを爆風に翻し、月明かりに照らされ仁王立つ―――蒼い眸がそこに居た。

 少年の足がピタリと止まり、再び彼等は相対す。


「ティエが身体を緩めた一瞬を見逃さなかったこと、褒めてやるよ」

「そんな当たり前のことを褒めて何が楽しいんだ。―――お前、イカれてるのは性格だけにしておけ」


 蒼い眸―――アルは少年に負けじ劣らぬ毒を吐けば、チラリとレイを一瞥した。思わず鼓動がドクン、と高鳴りを見せたが、彼の視線が外れてしまえばそれは直ぐさま奥に引っ込む訳で。先程はよく見えなかったアルの眼―――自分の色よりも少し濃い新海色の眼。前髪に隠れて右眼が見えないけれど、直視出来る左眼だけの視線のみだけで充分な迫力があった。―――全てを射抜くような矢の如く。



「そんな身体でまだそんなこと言うんだな。肋、皹とか入ってんじゃねぇの?」



 しかしそれでも、少年の嘲笑いは止まらなかった。

 よく見ればアルの纏う衣服はボロボロで、五体満足ではあってもどこかけだるそうな雰囲気を醸し出していた。そのことに対してレイは再び眼を見開き、向けていた視線を真下に落とす。

 銀色のナイフ―――角度から見るに、これを放ったのは恐らく彼で間違いはない。自分を助ける為に放たれたナイフ、その為にあの大蛇から逃れ、無理に身体を使ったのだとしたら―――



(そんな身体で―――!?)


「僕は“シンビオス”の“人間”だ」



 罪悪感、はたまた悲壮感に捕われそうになるレイの耳に届いたのは、初めて彼に会った時―――間接的にではあるが―――レイの心に凜と響いたあの声だった。


「貴様等のようなイカれた“妖怪”風情から人民を守るのが、僕等の役目だ」




 素っ気無いのに力強く、けだるそうなのに心強い。先程邪険に扱われたにも関わらず、初めて会ったはずの彼―――アルに、何時の間にか全面的な信頼を寄せている自分が居ることにレイは気付いた。



「よく言ったわね―――……アルス・イルバート」



 ―――そしてそう、彼女にも。

 全身の毛が一瞬にして逆立った。既に聞き慣れた声とはいえ、その声が真横から聞こえたら驚くのが人間の条理というものだろう。そちらに見入っていた―――又は見惚れていた―――から気付かなかった、そこには優しげな瞳を持つ彼女、夕陽色の彼女が居た。


「私達の目的は“共生”。それに賛同をみせないような貴方達に、私達は容赦しないわ」


 先程も軽々振った大剣を、再び大きく頭上で振り回せば今一度構える。衣服は砂埃で若干汚されているが、そんなことで彼女自身の心が汚されることな無かったのだ。

 前方に鋭く視線を送る彼女は、再びレイを守るようにして立ちはだかる。レイに向かって一瞥を向ければ、あの優しげな瞳を細めて、ひとつにこりと微笑んだ。こんなにも危険な状況下にも関わらず、何故こんなにも温かな感情が込み上げてくるのだろうか―――レイは今日何度目になるのだろう、目尻に溜まった涙を拭った。










「―――くっだらないね」


 そんな幸せな感情を、打ち破る鐘が鳴る。

 心の中で鳴り響くそれを聞けば、それが戦乱の狼煙とも取れる警鐘だったのだと我に返った。


 それを呟いたのは勿論彼―――レイの中ではとっくに存在が薄くなりつつあった少年が、焔の宿るその双眸に怒りを携えてこちらを見据えていた。


「シンビオス? 共生を目的? なんて面白いことを言うんだろうな、人間っていうのは」


 少年は大地を踏み締める。右腕を大地と平行に、手の平を地に向けて広げれば、先程まで破壊の限りを尽くしていたと思われる大蛇が再び大地の地割れから轟音と共に現れた。レイ達からは離れていたが、見るからにその位置は―――彼と相対するアルが立つ、ほんの少しだけズレた位置。

 レイは恐怖に似た悲鳴を上げそうになったのだが、当の本人はぴくりとも反応せずに少年を真剣な眼差しで見遣っている。



「もう遅いんだよ、戦いの火蓋は切って落とされてんだ。今更共生? いい加減―――ふざけるのも大概にしろっ!!」



 ―――ズザァン!!!!


 少年が右手を握り締め、その手を大きく振り切った。それと同時に大蛇が尾を大地に滑らせ、瓦礫と化した建物を辺りに撒き散らす。それらがこちらに飛んで来ることは無かったが、これで本当に―――此処は荒野となってしまった。



『此処も死行く廃墟(ライフレス・タウン)となりつつある街だから―――』



 “死行く廃墟”―――その意味が、少しだけ分かった気がした。


「死にたくないなら戦いやがれ!! 戦う力が無い奴なんて―――生きている価値なんて無いんだからさァ!!!!」


 渾身の力を振り絞った少年の叫び、それは正しく、レイに向けられた言葉だった。

 そんなものは仕方ないではないか、自分は戦いなんて知らないし、人間とか妖怪とか、そんなものが争う理由だって分からない。まず妖怪ってことの意味すら分からない、妖怪なんて―――仮想世界の存在だと思っていたのだから。


「―――ティエ! やっちまえ!!」


 再び大蛇が動く。言葉では表せない甲高い声を上げ、目前に立つアルに向かって素早い動きで突進する。


「アル!!」


 夕陽色の彼女の声。その声に反応したかのように、アルは身体を上手く捻り、ドッジの要領で回転したまま銃を数発乱射した。

 銃弾はその数発の内、二発のみ大蛇を射止める。しかし身体の大きな大蛇に対して、たった二発では全くの無意味に等しかったらしい。身体をうねらせるのみで異常は無く、過ぎる身体の尾がアルの身体を捕らえた。



「―――ッ!」

「アル! 無闇に向かっちゃ駄目よ! 本体を狙わなきゃ……!」


 吹き飛ぶ身体は綺麗に旋回し、荒野へと降り立つ。大きな身体を持ったティエが再び向かって来るのはもう少し先、だが彼の数十倍の大きさがある大蛇を―――どうやって倒すというのだろうか?

 不可能と割り切る夕陽色の彼女はそう叫ぶものの、アルはティエから視線を外そうとはしない。あの大蛇を操っているのはあの少年なのに―――卑しく口角を吊り上げる、歳に見合わない表情をする少年を見つつ、レイは眉を潜めた。


「ははっ! 人間にしちゃあ凄い凄い! ティエを相手にそこまで頑張れるなんてさぁ?」


 余裕な笑みを見せる、その視線は面白そうにアルを捕えていた。


 捕えて、いるのに。





(―――何故?)


 レイは、頭の中が真っ白になった。


「そのまま頑張れよ! 精々死なない程度にいたぶってやるからさァ!!」


(何で、あの子は笑ってるの?)



 ―――バンッ! ドゴォオン!!!!



「ほぅら! ズタズタな身体、もっとズタズタにしてやろうか!!」

「アルス!! こうなったら力を―――」

「五月蝿い!! ―――余計なこと言ってねぇでちゃんと剣構えてろ!」



 様々な擬音が荒野に響く。



(人が、死にそうなのに)


「くっ……アルの奴、私達に被害を出さないようにしてるんだわ。……心配しないで、貴女は絶対に守るから」










(何で私、守られてるだけなの?)



 そんなの


 許される訳、ないじゃない。


「―――め」

「……え?」



「駄目、絶対駄目、そんなの―――!!!!!!」



 今まで腰が抜けたかのように座り込んでいたレイは、ゆらりとふらつきながら立ち上がる。紺色のスカートや、真っ白いセーラー服に砂埃が付いていようが構わない。夕陽色の彼女が困惑にも似た表情を見せる中、レイはキッと前方を見据えたった一言、大声で叫ぶ。


 不思議と、恐怖は消えていた。




「人殺しなんて駄目! 何時までも黙って見てるなんて出来ないんだからっ!!!!」



 だんっ!! 、と。

 大地を踏み締めたなんてものではない、大地全土を揺るがす勢いで、レイは力強く地面に足をたたき付けた。


 その刹那。



「―――……何だと!?」


 変化は目に見えて訪れた。数々の擬音を奏で続けた大蛇―――ティエが一瞬にして消え去ったのだ。そこに残ったのは傷だらけのアル一人で、驚いたような表情を浮かべて俯き気味に何かを見つめている。


「……一体、何が……?」


 夕陽色の彼女も意味が分からない、とでも言うように瞳を見開き、一歩前へ出たレイと辺りを交互に見比べている。




「―――女ァ! 何をしやがった! 僕の力を―――強制解除しただと!?」


 アルの視線が動く、何を見ているのかということはこの後直ぐに分かった。視線は地面を穿い、ゆっくりと動けば少年に辿り着く。真っ白い紐のような―――あの大蛇が。

 この中でも一番驚きを隠せないでいる少年が叫ぶと、大蛇―――だった小さな蛇―――はいそいそと少年の身体に己を絡めて肩に乗る。


 “強制解除”―――今起こった現象はそういうことだ。それは誰かが大地を踏み締めた瞬間に起こった現象―――レイが、大地にたたき付けた、その時に。



「わ、私が……?」



 レイの中での認識としては、ただ一言叫んだだけということで。下手をすれば本人が一番驚いているのではないか、という慌てようでレイはキョロキョロと辺りを見回した。



「ただの民間人だと思って放ってたのが間違いだった! 早く殺しておけば―――」

「そこまでだ」



 かちり、引き金に指をかける音がした。屈辱感に苛まれている少年に対し、いち早く状況を脱したアルが、真剣な眼差しと共に銃口を向けている。



「選べ。―――“共生”か、“死”か」



 荒野が凪ぐ。

 聞こえた音は、そんな荒野を過ぎ去る風の音のみ。視線が衝突する二人の間を通り過ぎては消え去って、瞬きすらも許さない。

 少年の頬を覆うニットが揺れ、隠れていた左頬が露わになる。そこにあるのは新緑色の葉の模様―――それが何を意味するのかは分からない、だが何処か不可思議さを漂わすその模様。

 その際にくたり、と座り込んだレイを夕陽色の彼女が直ぐさま支える。そして次に起こった事項は―――少年の声だった。


「人なんかと共生するくらいなら、僕は死を選ぶ」


 直後俯いた彼から放たれた言葉に、空気が落ち込むのが分かった。



「―――でも」


 次の瞬間には、再び乱世が広がるのだが。


「死ぬのは今じゃねぇよ、―――ティエ!!」


 彼の瞳が再び力強く瞬く。彼の者を呼んで背後に大きく跳躍すれば、再びティエは少年から離れて大蛇となる。恐らく少年に戦闘を行う力は残っていない。一度発動する毎に消費される力が莫大であることくらい、目視すれば分かるのだから。

 だからこれは目くらまし。この場を去るが為の―――精一杯の虚構。



「……」


 それを当に感じ取っていたアルは、既に銃を下ろしていた。白い大蛇も少年も、もうそこには誰も居ない。



『次会った時は殺してやる、最期の時を満喫しな!!』



 反響と共に聞こえたのは、凪ぐ世界に響いた、少年の最後の捨て文句だった。






「―――終わ、ったの、……かな」


 再び静寂の中に風の音だけが過ぎる、そこでレイが呟いた言葉は、綺麗なソプラノとして凪に反響した。


 空を見上げる。月の微光が、一旦の休戦を告げているような気がした。




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