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有意義な選択肢




「うわぁ、綺麗なエメラルドグリーン!」



 香り立つ潮風と、穏やかな波の音色。ゆったりと行き交う船が蒸気と共に汽笛を響かせ、驚いた海鳥の群れが散り散りに飛び立つ。レイは馬車から身を乗り出し、サファイアの双眸を輝かせた。広大な海の景色は、どこの世界でも幻想的である。


 現在、クレイ率いる一行は、セレーノの南端に位置する小さな湊街、ルブラに訪れていた。世界でも有数の規模を誇るコンテナターミナルがあるこの街は、昔から貿易の中心地として栄えており、現在に至るまで様々な国から貿易船が来航している。いわゆる国の窓口として機能しているため他国とのコンタクトが取りやすく、それ故セレーノ支部もこの地を拠点としているというわけである。


(それにしても……)


 レイはキョロキョロと、ルブラの街並みを見渡した。

 治安が悪いと聞いていた為ある程度覚悟していたのだが、今の所特に荒廃しているような様子は見られない。それどころか街の景観は見るからに美しく、海岸沿いには南国特有の背の高い樹木、そして街中にはカラフルな建物が整然と立ち並んでおり、もし自分が画家であれば自然と筆が動いていた事だろう。


「何だか……、思ってたよりずっと綺麗……」

「ああ、そりゃあこの街はな。あいつの管轄だから」


 思わず零れた呟きには、ソラがカラリと笑って答えてくれた。

 あいつ、というのは、セレーノ支部の局長の事を言っているのだろう。レイは首を傾け、イルが教えてくれたその名を脳裏に浮かべた。


「ええと、グレンダさん……でしたっけ」

「そ。まぁいくら妖怪つっても、あいつの縄張り(シマ )荒らそうなんて輩はそうそう居ねぇだろうさ」

「へぇ……強い人なんですね」

「戦闘要員ではねぇけどな。何つうか、あいつの強さは物理的なモンじゃねぇんだよなぁ……ま、悪い奴じゃねぇけど、俺はぜってー敵に回したくねぇな。ガチで」


 ソラは果てしなく遠い目をしている。彼女に対して何かトラウマでもあるのだろうかと気になったが、それは聞かない方がいい気がする、とレイの鋭い直感が働き、とりあえずそっとしておく事にした。


 グレンダ・タイトナイト―――これまで聞いた話によると、中々の曲者だという事は想像出来るのだが、不思議と悪い人とは思っていない。何故なら、



「あいつが敵になる事はない」

「くははっ! そりゃそうだ。今更寝返るとか、そんな器用な真似出来る奴じゃねぇわ」

「ふふ、そうですね。彼女は我々の味方です。この上なく頼りになる、ね」



 ―――何故なら、彼女は仲間だから。

 クレイもソラもイルも、彼女を絶対的に信頼している。それは理屈ではなく、恐らくはっきりとした理由も根拠も存在しないのだろう。けれど、彼等の内に繋がる目に見えない絆は、まだ面識のないレイにまで伝わるほど、確かなものだった。






「さぁ、じきに支部に到着しますよ。皆さん準備は良いですね?」

「Yes,My lord!」



 いつものように、クレイの号令で全員の声が揃う。新たな仲間に、もう直ぐ会えるのだ。大好きなアーティストのライブ当日のような、何とも言い難い高揚感を覚え、レイは自然と零れる笑みを抑えられずにいた。
















 ザァ……ン

 ザザー…………ン




「あのぅ……クレイドさん?」

「はい」

「私達、支部に行くんですよね?」

「そうですよ」

「いや、あの……此処、目の前海ですけど」



 馬車を下りたクレイ一向は、何故か今、さくさくと海の波打ち際を歩いている。不思議に思ったレイがおずおずと尋ねてみても、クレイは穏やかに微笑むのみ。最初は近くに支部があるのかと思っていたが、辺りは見渡す限り白い砂浜が広がるばかりで、プライベートビーチなのか人っ子ひとり見当たらず、それらしい建物もない。一刻も早く支部へ向かわなければならないのはクレイとて良く分かっている筈なのだが、相変わらず何を考えているのやらさっぱり分からない。

 困り果てたレイが頭を抱えているのを見て、ソラが吹き出しながらも説明を加えてくれるようで、


「ははっ! レイは来るの初めてだもんなぁ。支部はこの下にあんだよ」

「……? この下って……」


 海面を指差してそう教えてくれたのだが、レイは益々困惑して眉を八の字に曲げている。当然のような顔でこの下にあんだよ、とか言われてもそうそうピンと来るものではない。


「―――要するに、海底にあるという事だ」

「ええっ!? 凄い、それって竜宮城みたい!!」


 イルの補足でようやく合点がいったレイは目を輝かせるが、ふと冷静になって考えてみる。非常に初歩的な疑問なのだが―――、どうやって行くのだろう。



「まさか……助けた亀に連れられて……」

「海底トンネルを通って行きます」

「あ、凄く現実的だ」



 生憎だが、この物語は御伽噺ではない。

 クレイの先導で辿り付いたのは、小さな洞穴だった。美しい渚の道を進んだ先にあるそれが、海底トンネルへの入口になっているらしい。早速足を踏み入れてみると、見た目よりも中は広々としており、些細な足音が大袈裟に反響した。見上げれば、棘のように天井から生えた鍾乳石が瑞々しく光を弾いている。辺りはごつごつとした岩場が広がっているが、歩道は整備されているようで、簡易的な通路が橋のように渡されていた。道の両側には等間隔に木杭が打たれており、その上には仄かに明かりが灯されている。



「すっごぉ……、何だか秘密基地みたいですね。ちゃんと明かりもついてるんだ」

「ふふ、中々素敵でしょう? シルクが居れば、もっと明るかったのですが……」

「シルク?」

「ええ。この洞穴の中には、妖石ようせきといって、妖力に反応して光る特殊な石がそこら中にあるんですよ。この辺りの地域ではよく採れるそうです」

「へぇー」



 クレイの解説を聞いて目を凝らし、地面に転がる石を凝視してみたが、何のことはない。レイにはただの石ころにしか見えなかったが、妖石が発光し、様々な色が混ざり合う様はとても神秘的で美しいのだと、物知りのイルも教えてくれた。ソラも光っている所を見た事があるらしく、中には七色に光る妖石もあったという。三人の話を聞きながらわくわくと想像を膨らませていたお陰か、長い道中も苦ではなかった。楽しい話をしていると、時間はあっという間に過ぎるものである。


 通路を下り、更にトンネルを抜け、恐らく最深部に至った所で、ようやくクレイの足が止まった。つられてレイ達も立ち止まる。


「お待たせしました、―――此方が我がシンビオスの支部です」


 クレイが指し示す先には、見上げる程の大きな扉が待ち構えていた。中央にシンビオスの紋章が彫られた、見るからに頑丈そうな鉄の扉である。




 ギイィ―――……、



 重々しい音を立てて、扉が開け放たれていく。

 徐々に広がって行く隙間から室内の明かりが飛び出すように溢れ出し、思わず目をすがめた。白んだ視界の中、背伸びして中を窺うレイだったが、



 ―――室内から飛び出して来たのは、明かりだけではなかった。








「死にさらせえええええええッッ!!!!!!」

「へ……?」



 そのかん、わずか一秒にも満たなかっただろう。

 地の底から響くような怒号と共に、何かが物凄い速さで飛んできた、と思った刹那、視界がぶれ、気が付くとレイの立ち位置は謎の飛来物の軌道から外れていた(隣に居たイルが腕を引いてくれたようだ)。


「……久し振りだというのに、随分なご挨拶ではないですか。 ―――グレンダ?」

「あぁ? 何だテメ……って、おおっ!? 何だクレイじゃねぇか! やっと来たか、久し振りだなぁ!!」


 クレイの呆れたような声音に、ギロリと鋭い睨みで応じる長身の女性。しかし鬼の形相から一変、相手がクレイだと気付くと、弾けんばかりに破顔した。まるで酔っぱらいが絡むかのようにクレイの肩に腕を回し、溜息を吐かれるのも気にせず豪快に笑い飛ばしている。クレイに対して此処まで無遠慮に接する怖い物知らずな人間を見た事がなかった為―――ソラも無遠慮ではあるが、彼は肝心な所では空気が読める男である―――、レイは硬直したまま唖然とその光景を見遣る他なかった。



(な、何が何だか分からない……)



 ひとまず状況を整理してみよう。

 先程のクレイの発言から、彼女がグレンダ・タイトナイトだという事は分かった。何度か瞬きをして、改めてその姿を眺めてみる。長い手足に小さな顔、ざっくりと纏め上げられた髪は狼の毛色のような灰銀色で、動きに連動して尻尾のようにふわふわと揺れ動いている。大振りの白衣を羽織っていても分かるスレンダーな身体は程良く引き締まっており、バランスの取れた抜群のプロポーションは否が応でも目を引くこと請け合いである。こんな逸材が街を歩いていたなら、レイが元居た世界ならばたちまち何らかの事務所にスカウトされていたことだろう。


 そして恐る恐る後ろを振り返ってみると、グレンが投げたものがプラスドライバーだという事も分かった。扉を通り抜けたドライバーは、木杭のひとつに深々と突き刺さっている。もしもあの木杭が自分だったらと思うと、レイはゾッと震え上がった。



「あの、あれ、さ、刺さっ……」

「落ち着けレイ。大丈夫だから。あいつ見た目ほど怖くねぇから。物理的には」

「物理的に刺さってますけど!?」



 ソラが宥めてくれるものの、レイは動揺を隠しきれない。

 クレイと談笑するグレンの表情は無邪気そのもので、確かにソラの言う通り怖い人ではないのかもしれない。寧ろ親しみやすさすら感じる。しかし、しかしだ、まさかその彼女の口から聞く第一声が『死にさらせ』だとは想像もしていなかったし、顔を合わせるよりも早くドライバーをぶん投げられるとは思いもよらなかった。とんでもなく予想の斜め上を行く人である。レイは自らの認識の甘さを痛感し、反省した。しかしどう見ても反省しなければならないのはグレンの方なのだが。本当にわけが分からない。





「失礼致します。局長、どうかされまし―――あっ、これは本部の……!」



 先程の大声を聞き付けたのだろう、控えめなノック音の後、向かいのドアから青年が姿を現した。線の細い、繊細な顔立ちの青年である。室内を見澄まして直ぐにクレイ一行に気付いた彼は、慌てた様子を見せながらもしっかりと敬礼で迎えてくれた。

 そんな青年に、クレイはいつもの柔和な笑みを向けて、


「お久し振りですね、エリオ。息災でしたか?」

「はい、お陰様で。ところで……、先程何か大声が聞こえたのですが」

「ああ、気にしなくて結構ですよ。グレンダが『死にさらせ』と怒鳴りながらドライバーを投げ付けて来ただけなので」

「何やってんですか局長ォ!!」


 クレイのさらりとした返答に、エリオと呼ばれた青年は瞬時に蒼白になって叫んだ。光ファイバー並みのツッコミ速度から、彼の日頃の苦労が伺える。グレンを「局長」と呼ぶという事は、エリオは彼女の部下なのだろう。何とも奔放すぎる上司を相手に、このいかにも真面目で誠実そうな好青年は、最早常習であろうグレンの奇行にいちいちツッコミを入れていたに違いない。そんな日常を想像し、レイはそっと目頭を押さえた。


「チッ、うるせーな。たまたま虫の居所とタイミングが悪かったんだよ」


 叱られたグレンは、不貞腐れた子供のように口を尖らせている。

 見兼ねたソラが、大袈裟に溜息を吐いて腰に手を当てた。



「ったぁく。イラつくと物投げる癖いい加減直せっての。俺達じゃなけりゃ大惨事だぞ」

「お前等だから大丈夫だったろ?」

「いやまぁそう……いう問題じゃなくてだな……」



 絶対的な信頼を伺わせる言葉をさらりと言われ、うっかり納得しかけるソラ。

 こういう直球すぎるとこがズルいんだよなぁ、と困ったように後頭部を掻き、グダグダになった説教をどう立て直そうか考えている間に、それまで黙々と事態を静観していたイルが突然口を開いた。




「―――グレンダ、」


 いつの間にやら木杭に刺さったドライバーを回収していたイルは、真っ直ぐグレンに歩み寄ると、そっと彼女の手を取り、それを手渡した。そしてそのまま、レンズ越しの深い眼差しをゆっくりと細める。流石のグレンも、続く言葉を聞く気になっているようだ。


「俺達はまだいいが、彼女は実戦慣れしていない。怪我をさせられては困る」

「彼女?」


 怪訝そうに片眉を上げたグレンは、誰の事だというように室内を見渡し、―――やがてソラの背後に居たレイに目を留めた。



「あ、浅倉レイ……です」



 突然注目を浴び、驚いて反応が一拍遅れたレイは、慌ててペコリと頭を下げる。


 浅倉、レイ。

 その名を反芻したグレンは、何かを思い出したように大きく瞠目したかと思うと、足早にレイの目の前まで来てその顔を覗き込んだ。鮮やかな猩々緋の瞳とまともに目が合う。何らかの圧力を感じるほどの強い視線にごくりと喉を鳴らすレイだったが、グレンは軽やかに笑みを広げると、ポンポンとレイの頭を弾いた。



「なるほどそうか、お前かぁ。特例で本部入りしてるシンビオスのお姫様ってのは」

「あ、はは、私姫って柄では……、というか、本部入りって?」

「何だ、知らなかったのか? 本来本部に入れるのは有能な幹部の人間だけなんだよ。同じシンビオスでも、あたし等とは格が違う。いわばエリートなのさ」



 初耳である。

 何だか当たり前のように本部に居付いていたけれど、それって凄い特別待遇だったんだ、とレイは今更ながらその事実を知った。考えてみれば、抜き差しならない事情があるとはいえ、レイのように素性の知れない、もっと言えば得体の知れない人間をいきなり本部に迎え入れるというのは、やはり簡単なことではなかったのではないだろうか。事情を知る幹部メンバーはともかく、他のメンバーからは不満や疑問の声が上がったかもしれない。そしてそれらを、残らず度外視、あるいは達者な口で丸め込んだであろうクレイも容易に想像出来る。

 いよいよ頭が上がらなくなったレイの思いを知ってか知らずか、クレイは安定の爽やかフェイスを崩すことなく、ただ少し困ったような様子で肩を竦めてみせた。



「出来れば貴女にも本部入りして欲しいと、以前から勧誘しているのですがね……」

「だーかーらー、その件は断ったろ? あたしはエリートなんかより地方でのんびりやってる方が性に合ってんだって」

「そうですか、それは残念です」



 またまた初耳である。

 どうやらグレンも、幹部に匹敵する実力があるらしい。しかし当の本人は自分の実力など全く意に介していないようで、クレイの申し出を反故にしたと言う。らしいといえばらしいが、ギルド長直々の誘いをあっさりと断る強者は彼女ぐらいなものだろう。


 そんな自由人グレンは、この話は終わりだと言わんばかりに壁際のソファにドカリと腰を下ろし、お前等も座れよ、と中央のテーブルを示した。促されたクレイ以下ギルド員達が各々適当な席に座ったのを見計らい、ごほん、と喉を整えてから、



「さて、と。今日は期待の新人ルーキーも来てくれてる事だし、改めて自己紹介といこうか。あたしはグレンダ・タイトナイト。一応このセレーノ支部の局長をやってる。こっちは副局長のエリオ・チェスロックだ」



 グレンに次いで名前を呼ばれたエリオが、紹介に合わせて丁寧に会釈した。彼は椅子に座らず、入口の扉付近に位置を固定すると、気配を絶ったように粛然と控えている。

 自己紹介は簡潔に―――またの名を大雑把に―――済ませ、グレンはやや前屈みになると鋭く全員の顔を見渡した。


「早速だが、本題に入るぞ。このところ、妖怪共の動きが活発化してる。少しずつだが、数も増えてるみてぇだ。いよいよ近付いてるんだろう」

「―――“天地晦冥てんちかいめいの刻”、ですか」


 クレイの呟きに一段と表情を険しくし、グレンは続ける。


「嗚呼。大方、その時に備えて水面下ではどんどん勢力を増してる筈だ。早いとここっちも手を打っとかねぇと、いくら頑丈な国でも今のままじゃ潰されちまう」

「でしょうね……、今の所、被害状況は?」

「ルブラはどうにか死守してるが、首都圏……特にソルブスはひでぇ有様だ」

「ソルブスへはアルスとサイを視察に遣っていたのですが、もう此方に来ていますか?」

「奥の部屋で仮眠を取ってる」

「そうですか。では、二人が起き次第報告を受けて、今後の対策を練る事にしましょう」



 まだソルブスの現状を実際に見たわけではないが、グレンの切迫した様子から、事態が深刻なのは明らかだ。今回ばかりは、レイも得意のポジティブシンキングを上手く発揮出来ない。だが、そんな状況下でも、否、だからこそ焦って行動を起こす前に仲間の休息を優先するクレイの判断力は、やはり流石だと感心した。どれだけ絶望的だとしても、この司令塔に着いて行く限り道を間違えることはないだろう。




「あの、失礼ですが……」


 控えめに声を上げたのはエリオだった。

 彼は冷静にレイや幹部達の顔を見渡すと、心配そうに眉を下げて、


「皆さまも、少しお休みになられては?」

「あー、ほんと、そうしろよ。特にクレイ。どうせ馬車の中でも書類読み耽ってて碌に寝てねぇんだろ。客間ならまだ空きがあるぞ」


 エリオの提案に、グレンも同意して奥へと続くドアを示している。

 笑顔を作りつつもさり気なく目を逸らしたクレイの様子から、グレンの鋭い指摘は図星だったようだ。


「ははは、嫌ですねぇ。ちゃんと寝ましたよ。20分ほど」

「20分!?」


 レイが驚きの声を上げるほど、クレイの顔色はいつも通り涼し気で、睡眠不足など微塵も感じさせなかった。以前から度々人間離れした万能ぶりを目にしていたものだから、そろそろこの人は本当に人間なのかと疑いたくなってくる。

 クレイを除く三人は明け方まで馬車の中で仮眠を取っていたのだが、そう言えばレイが目覚めた時、クレイは彼女が眠る前と変わらず書類に目を通していた。その時は随分早起きなんだなと呑気に思っていたが、彼はほぼ夜通し起きていたのだ。一晩で書類の内容を把握しておかねばならないのと、―――恐らくは、万が一何かあった時に備えた見張りのために。


 エリオもそれを察したようで、労るように優し気な双眸を細めた。



「客間に、ご案内しますね」

「あ、……ちょっと待て」


 速やかに定位置から移動してドアを開けたエリオを、グレンが制止した。

 その視線は、席を立とうと腰を浮かせかけたレイへと向けられている。ツカツカとそちらへ向かい、思わず身構えるレイと対峙すると、


「レイ、悪かったな」

「へ?」

「いきなりドライバー投げちまって。驚いたろ」

「あ。はい、まぁ……で、でも大丈夫ですよ? 怪我なかったですし」

「……そっか」


 ごめんな、ともう一度謝り、レイの髪をひと撫でしたグレンの大人な対応に、少なからず戸惑った。あの出会い頭の剣幕とのギャップは何なのだろう。正直、くだんのドライバー事件はレイの中では終わった出来事であり、寧ろ忘れかけてすらいた事だった―――彼女は過去に拘らないタイプである―――。だが、どうやらグレンは気にしていたらしい。もしかしたら、見た目よりもずっと繊細な人なのだろうか?

 そんなレイの困惑をよそに、ソラがやれやれ、とばかりに小さく溜息を吐いた。


「マジで気を付けろよなぁ……。てか、何をあんなに怒ってたんだ?」

「それは―――、嗚呼ほんと、思い出してもクッソ腹立つ」


 何を思い出したのか、グレンは目を三角にして毒突いている。メラメラと背後に炎が見えそうな程怒りに震え、それ以上言葉にならないグレンに代わって、エリオが説明を引き継いだ。


「……実は局長、今朝領主様に直談判に行かれたんですよ。アルスさんとサイファンさんも付き添って下さって。ですが、全く相手にされなかったそうで……」






 ―――回想、スタート。



『だからっ、―――ですから! 首都圏の守りをもっと固めるべきだと何度も……』

『守りならもう充分に固めておろう。第一、小競り合いならば今に始まった事ではあるまい。我が国はそう簡単に崩れはせぬわ』

『今に小競り合いでは済まなくなるから申し上げているのがお分かりにならないか!!』

『であれば、お前達が守ればよかろう』

『は……?』

『ギルド“シンビオス”は妖怪から民を守り、共生を図るのが目的なのだろう? 実際、お前達の管轄であるルブラは安定した治安を保っていると聞いているが』

『……もちろん我々も最善を尽くすつもりではある、ですがそれだけでは―――』

『嗚呼、分かった、金が要り様なのだな? 見事妖怪共を撃退してみせたならば、褒美に望むだけの報酬を出そう。どれ、好きなだけ言うてみるがよい』

『……ッ』


『グレンダ。落ち着け』

『ひ、一先ず今日は出直しましょう? ね?』






 回想終了、と同時に、カッと目を見開いたグレンは、有りっ丈の力を込めてダンッ! っと地を踏み締めた。


「なぁにが『任せたぞ』だあんのド腐れ領主ッ!! テメーの国民が苦しんでるってのに人任せってどういう事だ。て、め、え、の、国だろがッ!!!!」


 ビリビリと空気が振動する程の雄叫びに、地震が起きたのではないかと錯覚を起こしそうになった。レイは静かに震えている(精神的に)。

 しかし流石は司令塔、クレイは動じる事なく顎に指を当てて冷静に考察し始めた。


「なるほど。それですこぶる機嫌が悪い所に、我々が到着した、と。……あの二人を先遣に出しておいて正解でしたね」

「本当に、お二人が付き添って下さって良かったと思います……ええもう、心から……」


 胃が痛くなったような顔で事の顛末を語ってくれたエリオは、力なく笑っている。

 とりあえず事情は分かった。クレイは軽く額を押さえ、更に考察を続ける。率直に言えば、グレンの思い切った行動は非常に危険だ。今回はアルとサイが付いていてくれたので事無きを得たものの、相手は仮にも一国の王。下手をすれば処罰、もっと悪くすれば処刑という可能性だってある。彼女には、もう少し冷静な対応を心掛けてもらわなければならない。


 ―――と、理屈のみで考えれば結論はそうなるのだが。




「でもでもっ、グレンダさんが怒るのも分かりますよ! 自分の国の問題なのに、私達に丸投げなんて……ちょっと無責任すぎませんか!?」



 バンッ、と勢い良くテーブルを叩き、レイが立ち上がった。


 本音は、そう、彼女の言う通りだ。

 理屈抜きの素直な意見に微苦笑しつつ、クレイは頷きを返した。



「そうですねぇ。確かに、友好国とはいえ他国の人間である我々には、彼等を助ける義理はあっても義務はない。いっそこのまま手を引く、という選択肢も、あるにはあるのですが―――」


 すらりと細められた視線を、さり気なくグレンに流してみる、が。



「―――馬鹿言うな。今更放っとけるわけねぇだろう」



 やはり、彼女の強い瞳が揺らぐ事はなかった。

 その意志を再確認したクレイは、何処か満足そうに笑みを深めて、


「そう言うと思いましたよ。無論、私もそんな選択肢を選ぶつもりはありません」

「当たり前だ。あの領主は死ぬほどムカつくが、民に罪はねぇからな」


 憮然としながらも、キッパリとそう言い放つグレンを潔いと、思った。

 やや感情的になりすぎる所はあるようだが、それを上回るぶれない信念がきちんと感情を抑えてくれるようだ。知れば知るほど魅力的な人に思えて、どんどん見る目が変わっていく。レイの場合、グレンの第一印象がマイナスからのスタートだっただけに、現在レイの中で彼女の評価は鰻上りである。


「グレンダさんって……ほんとは凄くいい人なんだ」

「そこは“ほんとに”つっとけ?」


 思わず吹き出したソラにツッコまれたが、如何せん最初のインパクトが強烈すぎたので無理もないと容赦して欲しい。何となくバツが悪くてもごもごと口ごもっていると、不意にソラが腰を屈め、そっとレイに耳打ちした。



「な、言ったろ? 悪い奴じゃねぇってさ」



 自信に満ちたその表情はとても誇らしげで、見ているこちらまで嬉しくなってくる。

 レイは自然と形作られる笑顔のまま、はい! と元気よく答えた。











 その後、エリオが案内してくれた客間のベッドに潜り込み、レイは今日一日の出来事を思い返していた。早朝のミーティング、セレーノ支部からの応援要請、久し振りの長旅、いきなり投げられたドライバー、そして。




 ―――グレンダ・タイトナイト。


 濃いキャラだらけのシンビオスの中でも、群を抜いて破天荒なセレーノ支部局長。出会う前、出会った時、そして今。それぞれのイメージがまるで一致しないという、何とも掴みにくい性格をした人だ。最初こそどうなる事かと思ったけれど、彼女ともきっと、上手くやっていけるだろう。そんな嬉しい予感を胸に秘めて、今は束の間の眠りにつこう。

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