表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/34

不要のノスタルジア

 電報が届いたその日の午後。

 シンビオス一行は現在、目的地であるセレーノ支部へと向かっていた。セレーノ支部は首都であるソルブス―――から数キロメートル程離れた、ルブラという小さな隣町にある。どちらにせよ移動手段は勿論馬車、二匹の動物から成るシンビオスの紋章を掲げたその乗り物は既にレイとて慣れたものであるが、向かう目的地は前回とは異なる。今回向かうところはどんなところなのか……、心の躍動に任せて外の風景を眺める彼女だったが、何かに気付けばはっと居住まいを正して座り直す。今回は前回と違って遊びに―――結果前回も遊びではなかったのだが―――行く訳ではないのだ。初となる正式な“シンビオスのメンバー”として他国に向かうのだから、はしゃいでいてはいけない。そんな思いからレイはわざわざ難しい顔を作り、気持ち凛然とした面持ちで外の景色を眺め、セレーノに着くまでの時間を過ごしていた。






「―――っだめだ堪えられねぇ……! ふははっ!」

「へ?」


 ―――のを見ていたソラはその一言を境に、思い切り吹き出して笑い始めたのだった。


「お、おま……どんだけ百面相繰り返すんだよ……!! 何なの? 顔芸極めて一発芸でもすんの?」

「え、ちょっ、何のことですか!?」


 大人しく座っていた(つもりだが、レイの表情は雄弁に色々と語っていた)だけなのに、正面に座るソラに大笑いされて、レイは慌てて問い質す。しかし当の本人は笑いの坩堝に嵌ってしまった模様、レイの問いに答えることなく腹を抱えて笑っている。本当に遠慮のない男だ、寧ろ堪えられないと言っていたが本当に堪える気などあったのだろうか。


「レイ、移動の時まで気を張る必要はありませんよ」


 そして問いに応えてくれたのは、その隣に座るクレイだった。馬車に乗り込んでから彼ははずっと持参した書類を読み耽っている為、今も変わらず書類に目を通しているのだが、やはり延々とそわそわし続けるレイに気付いていたらしい。


「仕事は仕事、日常は日常。少なからず今は仕事中ではありません、……この前のように楽しげに、外の風景に目を奪われていようと誰も怒りはしませんよ」

「で、でも……クレイドさんもイルジクトさんも、読み物中だし……」


 ぱらり、と捲られるクレイの書類。内容は聞かずとも、これから赴くセレーノ地方関連のものだろう。レイの相手をしつつもそれを読むクレイの表情は何処か真剣で、自分だけ浮かれるのは聊か気が引けた―――但し今現在も正面の紫髪の笑い声が馬車内に響いている―――。それに……、レイはちらりと窓側ではないもう片方、要は自分の隣の席を見遣る。そこに座るイルはギルドホームに居る時となんら変わらず、ひたすらに文庫本程の書物を読み耽っている。隣で騒いでは邪魔をしてしまう、ソラはさておき、レイは純粋に、二人の邪魔をしたくないのだ。


「俺のことは気にするな、読んでいるのは文学小説だ」

「本読んでる時って、静かな方が良いとかありませんか?」

「俺は平気だ、騒々しい環境下で本を読むことには慣れている」

「私も平気ですよ、ホームは何時でも賑やかですからね」

「嘘吐け、いっつも部屋に引き篭もる癖して。呼びに行く身にもなれっての」

「……口五月蠅い奴にも慣れた」

「ですね」

「おうテメェ等表に出ろ」


 二人の優しい心遣いからの、笑い過ぎて涙目になりつつ聞き捨てならない発言にツッコミを入れるソラ。そのやり取りにほんの少し気が緩むのを感じ、レイは破顔した。


「何より、人は環境に適応する生き物だ。普段騒々しい人間が静かにしていることの方が、気になって仕方がない」

「考えてみて下さい、ソラリアが何もしないで静々とソファに座っている姿を」

「……そ、ソラリアさん、体調でも悪いんですか!?」

「座ってるだけで? なぁ俺座ってるだけでも駄目? 今座ってるけど?」


 そして、先程までの張り詰めた(ように感じていた)雰囲気も消えて、今だって何時も通りの日常なのだと思い直す。それもその筈、クレイが言う通り、今はまだ本格的な仕事モードに入るには早過ぎる―――無理に気を張るのは、後でだって構わないのだ。

 何はともあれ、ほんの少し生まれた心の余裕。入り込む余地の生まれたレイの心に次に抱かれたのは、此処には居ないギルドメンバーのことだった。



「アルとサイファンさん、もうソル……ソル……セレーノに着きましたかねぇ」

「そうですね、細かい指摘をするならば、我々もセレーノ領内には入ったところですよ」


 思い出せないセレーノ領の首都名は諦めレイがそう首を傾げれば、書類に落とされていた視線を窓の外に投げながら、クレイが返す。ゆらりと舞うカーテンの奥に見えた景色からそう判断したのだろう、つられてレイが窓の外を一瞥する頃には、クレイの視線は書類へと戻っていた。


「要塞都市ソルブス」

「あ、それだ」

「忘れんなよなぁ、……まぁ、俺達がルブラに着く頃にゃ、アイツ等も視察を終えるだろうよ」


 イルが呟いて教えてくれたセレーノ領の正しい首都名。レイの様子にくつくつと笑いながらも、すらりと長い脚を組みながらその上で頬杖を突くソラ―――何故かやけに様になるのは何故なのだろうか―――の意見には、レイを除いた二人共が無言の肯定を示した。



「まぁ、もう一人の新メンバーの働きは、着いてからのお楽しみってか? ―――嗚呼違ぇ、“一匹”か」












『―――アルス、ひとつ頼みたいことがあるのですが』


 午後の出立に向け、各々準備に差し掛かろうとした刹那、クレイは名指しでアルを引き止めた。何かを考えているのか、伏し目がちにこちらを見るクレイにアルは無駄口ひとつ叩かず立ち止まり、それに気付いた面々も一斉に動きを止める。意を決したように顔を上げたクレイはそれを気にすることなく言葉を続け、微細ながらに首を傾けた。


『午後に出立云々はともかくとして、我々があちらに到着するのは最短ルートを通ったとて間違いなく日を跨ぐでしょう』

『だろうな』

『正直、ただ馬車に揺られるだけのその時間が惜しい。出来ることなら、貴方に先遣を頼みたいのです』


 にこり、と。人受けする笑みを浮かべてクレイが言うも、その意図を汲み切れないアルは訝しげに眉を潜めるだけだった。


『それは構わねぇけど』

『でもクレイ? どうやって?』


 流石はシンビオス切っての破天荒コンビ、アルの口少なな問いを代弁するようにサイが問えば、それに応えたのはクレイ……ではなく、






『がうっ!』






 後数秒あれば眠ってしまうのではないか、と思わせるくらい大人しく、アルの腕の中で丸まっていたシルクだった。

 さも自分の出番を悟ったかのようにぴょん、と飛び下りれば、ててて、とクレイの足元にやって来てお行儀よくちょこんと座り込む。ゆらゆらと尻尾を揺らしてクレイを見上げる姿は、まるで自分にも指示をくれと催促している様だ。


『か、かわいい……!!』

『だあってろ馬鹿』


 そこから少し離れたところで様子を見ていたレイが思わず口走るも、隣に居たソラにスパァン! と良い笑顔で頭を叩かれていた。それに関しては割愛。


『おや、シルクの方がアルスやサイよりも理解が早いようです』

『悪かったな、漸く理解した』

『私もよ』


 そんなシルクを眺め、しゃがみ込むクレイと、察しが付いたとばかりに溜息を吐くアルに、苦笑のサイ。実はこの段階で話が理解出来ていないのはレイだけなのだが、当の本人は話の進行が待ち切れずにがうがうとクレイの足に頭を押し付けているシルクに目を奪われていた為気にしないこととする。自らにじゃれるシルクに対し、ふ、と柔らかな笑みを浮かべて手を差し出すクレイ。その手にこれでもかと身体を押し付ける小動物は、けれどクレイがその名を呼ぶと同時に、今一度ぎゃう! と元気良く返事をした。




『シルク、貴方の能力ちからを貸して下さい。貴方ならば馬車や風よりうんと速く、目的地へ我々を導いてくれるでしょうから』












 獣怪の能力を、シルクの飛行能力を持ってすれば、人間が生み出した移動技術よりも、そして自然界の秩序よりも速く人を運ぶことが出来る。レイの理解が皆と同じレベルに追い付いた頃、クレイが笑って言った『シルクはペットではなく、我々の仲間ですからね』という言葉に、何故かレイが嬉しくなって頷いた。だって、きっとシルクは嬉しかった筈だから。大好きな皆の役に立てることを、賢い獣怪はレイよりも遥かに早く理解したのだろう。


「機動力や要領を考えれば、サイではなく貴方を行かせたかったのですがね」


 ふと聞こえた声にレイが気付きそちらを見れば、クレイの視線が隣のソラへと向いていた。


「あ? 俺?」

「えぇ、貴方です。セレーノ領には何度か行っているのですし、サイより慣れているでしょう?」


 初めて聞いた話にソラが驚き目を丸くするも、にっこりと笑うクレイの表情は変わらない。だったら言えよ、とソラがごちても、クレイの表情は変わらない。


「言って良かったんですか?」

「いや、だって任務の一環なんだろ」

「そうですが、私はこれでも気を遣ったのですが……」


 そうですか、言って良かったんですか、と、悪戯心満載の笑顔を覗かせるクレイの言葉に、ソラとレイは頭の上にクエスチョンマークを飛ばすばかり。ソラが三度口を開き、どういうことだよと問おうとすれば、突然スッと手元の本から顔を上げたイルと目が合い出掛かった言葉は飲み込まれる。


「アルスとサイファンが、どのルートを通ってセレーノ領に向かったか知っているか」

「どの……って、シルク使うにしたって海は渡らなきゃだしなぁ……海峡大橋のすっげー遥か上空とかそういうことじゃねぇの?」


 ランドシーク領と繋がっている春の大陸、楼銀領の時とは違い、セレーノ領は海峡を越えねば辿り着けない、しかも最低二つの海峡をである。楼銀領と隣り合うセレーノ領ではあるが、ランドシーク領、楼銀領から成る大陸と、セレーノ領のみのその二大陸間を繋ぐ陸路はただの一つもなく、二大陸の間にある大陸を経由して向かう他無い。そしてその海峡を渡るべく古来より利用されているのがエルン海峡大橋、もうひとつはマイアド海峡大橋と呼ばれる、どちらも木製とは思えない精巧な造りをしただだっ広い屈強な橋である。馬車組の一行が先程通り過ぎたのはマイアド海峡大橋であるが、その橋は楼銀領、ランドシーク領、そしてその大陸からの人々が行き交う為、時間によっては酷く混雑するという。そして中でも人がごった返す真昼間に、堂々と頭上を獣怪が通り過ぎるなどという騒ぎを起こす訳にもいかないだろう。突っ切るというのならばきっと、その姿を鳥と見紛う程の遥か頭上数百メートル地点ではないのか、と、ソラは言いたいらしい。だがイルの表情はぴくりとも動かない―――普段から動くところなど滅多に見られないが―――、それどころかぱたん、と本を閉じ、自然な動きで窓の外に視線を投げた。


「アルスが言っていた」

「アルが?」


『空が飛べるのに、橋を渡る必要ねぇだろうが。上に飛ばなくたって、横に逸れりゃ見つからねぇだろ』


 要するに、こういうことだと言わんばかりに、最後の言葉はクレイその人が引き継いだ。



「エルン海峡もマイアド海峡も通らず、突っ切ったみたいですよ。―――それはもう海面すれすれを滑るようにして、あの三大陸に囲まれるが故に酷く海流の入り組んだラキノス海を」



 そうすればやっとのことで、ソラの表情が引き攣りばっと大仰に身を引いた。クレイの言う“気を遣った”という意味が此処で漸く理解出来たようで、「ま、マジでサンキュ」と軽く吃りながら感謝の言葉を述べている。


「……えっと?」

「ラキノス海とは、楼銀、クローチェオ、セレーノの三領に囲まれて成る海だ。ルブラまでの最短ルートを地図上で見れば、確かにあの海を越えるのが早いだろう」


 案の定地理が頭に入っていないレイがきょとんと首を傾げれば、隣のイルが簡潔に説明をくれた。


「黎明期、海賊達の間ではあの海の中心へと辿り着き、無事に帰還することが己の力を誇示する行為とされていたらしい」

「そうなんですか、……そんなに大変な海なんですね」


 そして、溜息交じりに告げられたその説明の締めくくりはこうだ。



「今では幽霊船の噂さえされ、漁師ですら寄り付かない通称“死者の海”。空路だから止めなかったが、……要らない説明は抜きに言うと、ソラリアはカナヅチだ」

「あんなところ落ちたら俺は死ぬ」



 その時のソラの表情が今まで見たどの顔よりも鬼気迫るものだったことと、クレイがただの一度もソラを茶化さず穏やかに笑っていたので、これは本当に駄目な人のやつだ、と直感人間浅倉レイは瞬時に悟ったのである。
























『アルくん、……あーるーくん、こら、起きなさーい?』

『……起きたか? ったく、こんなところで寝てるから探すのに時間掛かっただろ……ほら、リーダーが呼んでんだ、行こうぜ』


 穏やかな日差し、酷く冷える夜とは打って変わり、眠りを誘うは頬を撫でる柔らかなそよ風。ついうたた寝してしまっていたところに振り注いだ二つの声は、諫めつつも何処か優しく、差し出されたその手も、決して無理強いではなく彼を待っているようで。


 手を伸ばせば、掴めるだろう。けれど、その必要は無いのだと知っている―――自分自身が、そう決めたのだから。



(浅ましいな、―――こんな夢を見るなんて)






 同時刻。


「もう、こんなところで寝たら風邪引くのに……」

「……」


 最初に目に入ったのは、自分の膝の上に丸くなる白く小さな塊だった。考えるまでもなく、シルクである。


「あ、起きた? 遅くなった私が言えた立場じゃないけど、こんなところで寝てたら風邪引いちゃうわよ」


 それから正面の人影に気付くと、丁度その背後を照らす夕陽の色と同じ髪色をした彼女が、アルの表情を覗き込んで笑っていた。ゆっくりと瞬きを繰り返し状況を確認すると、どうやら自分は、視察の後に彼女―――サイとの待ち合わせ場所である街外れの木陰で眠りこけていたらしい。そんな自分に倣うように膝上を占領するシルクは、自分達を運ぶ為に費やした妖力を回復するべく眠っているのか、未だ起きる気配はない。


「……アル? ほら、起きて。今日のところはそろそろ支部に行きましょう?」


 元来寝起きがよろしい方では無いアルだが、その反応の薄さからサイは彼が寝惚けているとでも思ったのだろう。くすくすとおかしそうにアルを見て、ぽんぽん、と優しく頭を叩いた。その仕草はまるで子供をあやすようであったが、この時ばかりはこれといった反応を見せずに、アルはシルクを起こさぬよう優しく抱き抱える。


「明日になれば皆も到着するだろうし、……アル、」


 名を呼ばれ、顔を上げる。立ち上がりやすいようにと、差し伸べられた右手。丁度先程見た夢の中の出来事を思い出しながらも、―――アルは躊躇いなく、その手を借りて立ち上がった。


「……サイ」

「ん?」

「夢を見ていた」

「そうだったの。……ふふ、どんな夢だったのかしら?」


 腕の中のふわふわな毛並みを撫でながら、回顧の念を催させるような先程の夢を想う。悪戯に笑うサイに一瞥をくれて溜息を吐き、疲れたようにアルは言った。



「どっかの馬鹿につられたのか、僕まで悪い夢を見た」



 どれだけ思い返すことがあっても、懐古主義など御免被る。

 今はただ、前だけを見て進むと誓ったのだ。己自身の矜持と、―――かつて交わした約束達に。



「あんなところで寝るからよ、シルクの上でも寝てたのに」

「こいつの背中が昼寝に丁度良かった」

「アルが落ちないか凄くひやひやしてた私の身にもなって欲しいものね」

「そこまで寝相悪くねぇよ」


 セレーノ領特有の温暖な風、それは日中のじりじりと照り付ける夏の日差しがなくなった夜でも変わらない。夜の闇が慣れない支部への道を暗闇に隠してしまう前に、先遣部隊としての視察を経た二人は、気持ち足早に目的地へと向かうのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ