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心をひとつに




 波音が一日の始まりを告げる、午前八時前。

 海にほど近い辺境にあるホームは、潮風の影響もありまだ少し肌寒い。この時間であれば、もっとも早起きなソラを始め―――どれだけ朝が早かろうと彼は目覚めスッキリ平常運行である―――、他のギルド員たちも各々活動を開始する頃合いなのだが。



「んぅ……アルが……アルが化け猫にぃ……」



 震え声で魘されている新人ギルド員浅倉レイ(17)は、未だ夢の中である。


 この世界に来てからというもの、様々な経験を積み重ねてきた彼女は、徐々にではあるが大きな仕事も任せられるようになっていた。細々とした任務も含め、この所詰まったスケジュールの中で慌ただしく方々を駆け回っていたレイ。今日はそんな彼女の久々のオフの日だったのだが、残念ながら夢見はあまり宜しくないようだ。








「―――レイちゃん? レイちゃん、起きてるかしら」


 コンコン、と軽いノックの後、耳に心地よいソプラノがレイを悪夢から目覚めさせてくれた。ゆっくりと目を開けたレイは、まだ覚醒しない意識の中でぼんやりと応答を返す。


「……、ふぁ……? さいふぁんさん……?」

「そうよ。ごめんなさいねお休みなのに。実は、クレイから緊急ミーティングの通達があったの」

「え……っ」

「今から支度出来るかしら?」

「はっ、はい! 直ぐに!!」


 慌てて布団を剥いだレイは、転がり出る勢いでベッドから降りると、火事の通報を受けた消防員ばりの超スピードで身支度を整え始めた。

 仕事柄、オフといってもあってないようなもの。人々の平和を守る為には、いつ不測の事態が起こってもいいように24時間営業なコンビニ的心構えがなくてはならない。新人とはいえ、経験豊富な先輩ギルド員等の姿を間近で見て来たレイにも、その心意気はしっかりと根付いているようだ。




 ―――バンッ!


「お、お待たせ、しました……っ」



 ぜぇはぁと肩で息をしつつ、レイは派手に音を立てて自室のドアを開けた。

 あまりの一生懸命さに驚いて呆気に取られていたサイは、やんわりと苦笑を零して肩口で跳ねている寝癖を手櫛で整えてあげながら、


「全力だったわねレイちゃん、偉いわ。でも無理はしなくていいのよ? ……顔色が悪いみたいだけど、大丈夫?」

「あ、いえ、これは多分、……悪い夢、見ちゃって」


 悪い夢? と心配そうに眉を顰めるサイに向けて、レイは固い表情で頷いた。











「―――アルが、妖怪みたいになっちゃう……夢、」


「…………」



 瞬間、周りの温度が下がった気がした。

 急に重力が増したような、妙に重たい沈黙に違和感を感じる間もなく、サイは直ぐに朗らかな笑顔に戻った―――多少ぎこちなく見えたのが気になる所ではあったのだが―――。


「やぁねぇレイちゃんったら、そんな事あるわけないでしょ? ただの夢よ」

「そっ、そうですよね! 夢の中でもぎりぎりミーアキャットで踏み止まってたし、アルなら大丈夫ですよね!!」

「どういう事なの」


 ちょっと見たかったわよその夢、とサイが笑い、怖かった悪夢もすっかり笑い話になった所で、クレイの部屋へ向かうべく二人で回廊を進み始めた。



 その矢先。


 レイの足許を何かが掠め、すばしっこく一周したかと思うと、身軽にレイの肩に飛び乗ってきた。ふわふわの毛並みが頬をくすぐり、甘えるように頭をこすりつけて来る小さな動物―――シルクは、すっかりレイに懐いている様子である。いつもであれば力の限り抱き締めて全力の愛を注ぐ動物愛好家のレイであるが、今はタイミングが悪く思わず気が動転してしまい、



「アルが……っ! アルが猫の妖怪にいいいいいいっ!!?」

「落ち着いてレイちゃん。その子シルクだから」

「うわあああああ!!!!!」



 聞いちゃいない。

 困ったようにレイを宥めていると、噂をすれば。マイペースな足音が近付いて来た。






「五月蠅ぇ。廊下で騒ぐな阿呆」

「アルっ!?」


 この安定の口の悪さはアルに相違ない。

 レイがほっとした表情で駆け寄れば、シルクも吊られたように肩から降りてアルの足許まで近付いて行った。制服のマントにじゃれつき、ガウガウ鳴いているシルクを抱き上げたアルは、その小さな身体を腕に収めてから、改めて訝しげな視線をレイに向けた。何を騒いでいたんだ、と問う視線だったのだが、変な方向にテンションが上がっている今のレイは上手く意志疎通出来る状態ではない。何を思ったのかアルの両肩をガシッと鷲掴みにすると、試合直前のプロスポーツ選手を送り出す監督のような熱を込めて、


「大丈夫だからねアル! ミーアキャットでギリギリセーフだから!!」

「何を言っている……?」

「気にしないでアル、レイちゃん悪い夢を見ただけなのよ」

「悪いのは頭だろ」

「何ですってぇ!? 人が心配してるのに!!」


 益々頭に血が上るレイだったが、半眼のアルはあくまで冷静である。

 が、情熱は充分に伝わったようで、レイの頭をポンと片手で弾くようにして「何だか知らねぇが、お前は余計な心配しなくていい」と、何時も通りの平坦な声で安心させてくれた。そうして迷いのない足取りで、スタスタとひとり足早に回廊を進んでいく。



 そう、アルならきっと大丈夫。

 彼はしっかりしているから、自分が心配しなくたって。



 そう思うと、安堵した反面、何だか寂しくなってくる。




「……心配しても、無駄なのかなぁ」

「あら、そんな事ないわよ? 良い事教えてあげましょうか、レイちゃん」


 サイは悪戯っぽく含み笑いすると、レイの耳元に顔を寄せて、






「照れると少し早足になるの、アルの癖なのよ」



 意外な癖を暴露してくれた。

 驚きに目を見開いたレイは、普段の歩調を思い返しながら前を行くアルをじっと眺めてみる―――アルは既に小さく見えるまでに進んでいた―――。確かにいつもより速い。その行動が照れ隠しなのだとしたら、いかにも不器用なアルらしい、とレイはこっそり笑みを零した。


「アルってば、本当分かりにくいんだから」

「そうね。“心配して貰えるのが嬉しい”って、素直に言えばいいのに」

「貴様等無駄話してんじゃねぇよ、―――これ以上クレイドを待たせて怒らせたいか……?」

「「すぐ行きます」」


 見事にハモッた二人は、いつもの三割増しで眉間の皺を濃くしたアルの後を、急いで追い掛けていった。

















「揃いましたね、皆さん」


 無事クレイの自室に、幹部全員とレイが揃ってから。

 緊急、という割にどこか悠然と構える態度で集った顔触れを見渡すクレイは、滑らかな動作で椅子から腰を上げた。整列する幹部達の顔が引き締まる。一体何の話だろうかと緊張を走らせる一同に向けて、クレイは自身の机の上にあった一枚の小さな洋紙を拾い上げると、彼等に見えるように翳した。




「今朝方、セレーノ支部から電報が届きました」




 その一言で、更に場の緊張が増したのが分かった。


 セレーノ。それは、以前カロディルナが訪れた際に口にしていた国名で間違いなかったと思う。詳しい事はレイには良く分からなかったものの、そのセレーノという所に大きな危機が迫りつつあるという事は漠然と理解していた。其処からの電報、という事は、何やら穏やかではない報せなのだろう。何にせよ、今のレイには分からない事が多すぎる。まずは一つずつ、疑問を解消していく事にした。


「あのぅ……セレーノに“支部”があるんですか? シンビオスは此処だけじゃないの?」

「そうですね。このランドシークにあるのがシンビオスの本部になるのですが、此処だけではなく各地、各国に支部を展開しています。その一つが、セレーノ支部なんですよ」

「な、なるほど……」


 レイの素朴な疑問には、クレイが丁寧に答えてくれた。

 つまりセレーノにあるのは海外支部という事か、と彼女なりに納得してこくこく頷くと、そう考えたらシンビオスって本当に大きい組織なんだなぁ、と改めて実感した。


「それで、その電報って何が書いてあるんでしょう。ええっと、本日……の……?」


 必死で目を凝らし、覚えたての言語を解読しようとするレイに代わって―――読み書きの練習は空いた時間に続けている―――、クレイが読み上げてくれた内容が、






「“本日の天気、曇りのち雨。所により雷が伴うでしょう。お出掛けの際は雨具の備えをお忘れなく”」

「―――天気予報!?」


 間髪入れずにレイがツッコむのも無理はない。てっきり切羽詰まった報せかと思いきや呑気に天気を報せてくるとは、一体どういう事なのか全然意味が分からない。無いなりに頭を捻った挙句に「あれ、でも今日はいいお天気なのにな……?」などと益々わけが分からなくなるレイだった。



「……ただの天気予報な訳ねぇだろうが、阿呆」



 そしてアルのもっともなツッコミである。

 ソラが顔を背けて爆笑を堪えていたがこの際気にしない事にして、確かに冷静に考えればこの期に及んでただの天気予報な筈はないし、クレイが冗談を言っているようにも見えない。じゃあ何だというのかと混乱するレイに、アルは淡泊な口調ながらも教えてくれた。


「この文面はコードだ。仲間内だけで意味が通じる暗号だと思えばいい」

「暗号……! じゃあ、これはどういう意味になるの?」


 当然ながらその文面の真意を知りたいレイは、ストレートに尋ねてみる。アルは電報を一瞥して目を細めると、毒虫でも見たかのように苦い顔をした。











「―――“セレーノの治安が悪化。場所によっては酷く荒れている所もある。よって応援を要請する。武器の用意を忘れずに”」


「……!!」



 重い口を開いたアルの意訳に、大きく瞠目するレイ。“緊急”の意味が、やっと分かった。つまりこれは、戦闘を前提とした応援要請。久し振りの大きな仕事、それも危険を伴う任務である。やはり、穏やかではない報せだったのだ。





「いよいよ近いという事か、―――“天地晦冥てんちかいめいの刻”が」



 まるで水中に居るような静けさに波紋を広げたのは、イルの低い呟きだった。

 その聞き慣れない単語は、確かアディが忠告していたものだ。レイが記憶を手繰り寄せている間に、クレイは再び椅子に腰掛けてゆっくりと両手を組む。さて何から話そうかと思慮深く瞬きをしてのち、一同の視線を受け止めた。


「そういう事になりますね。カロディルナの皆さんから情報を得てから既に数週間が経過していますし、いつ事が起こっても可笑しくはないと思います。ですから、まずは皆さんに事態を把握しておいて頂きたいのです」


 そもそも、此処に居る全員がアディの話を理解出来ていたわけではない。レイは勿論のこと、サイやソラも知り得ない情報だったようだ。先ずは説明が必要だろう。そう判断したクレイは全員の顔を見渡し、順を追って話し出した。


「“defectio solis”―――天地晦冥てんちかいめいの刻、と我々は呼んでいますが、簡単に言うと、太陽が月の影に隠されて日中真っ暗になってしまうのですよ」

「それって……、あ! 皆既日食って事ですか?」

「ええ、その呼び名が一般的ですね」


 それならばレイにも理解出来る。

 けれどあまり納得は出来ない様子で、まだ疑問符を浮かべたままちょいと首を傾けた。


「でも……それだったら別に、危ない事はないんじゃないですか?」


 まだこの世界によく精通していない彼女からすれば、当然の意見と言える。皆既日食ならば元の世界で見た事があるが、珍しくはあるものの別段危険が伴うような自然現象ではないはずだ。強いて言うなら、暗がりで周りが良く見えないので足許に注意するぐらい。それも数十分もすれば元に戻るというのに、それがどうしてセレーノの危機と結びつくのだろう?


 そんなレイの疑問にも、クレイは柔和に応対してくれるようで、



「この世界では、太陽と月は妖怪に少なからず影響を与えるのですよ。太陽は妖力を抑制し、逆に月は妖力を増し加えます。そして天地晦冥の刻というのが、月が持つパワーが最高潮に高まる周期でもあるのです。ですから敏感な妖怪は時期を悟れるようですが、不定期なので我々には予期出来ません。ともかくこの時が来れば、彼等は強力な月の魔力の影響を受け、抑制されていた妖力が一瞬にして解放される」


「つまり……?」


「彼等が持っている本来の力を、余す所なく発揮出来るという事です」


「て、事は……?」


「ほぼ無敵状態ですね」



 とてもいい笑顔で説明してくれたが正直笑い事ではない。

 携帯電話に例えるなら、通常であれば昼間はコンセントに繋がれていないので充電が減る一方だが、天地晦冥の刻に限っては太陽が隠される上に月の力が強まる為、妖力バッテリーが急速充電されてフルパワーになるという寸法である。

 続くクレイの解説によると、満月の夜も妖力が高まると言われているが、天地晦冥の刻は更にその上を行く力を得る事が出来るのだという。今までも人間にとっては充分脅威だったというのに、本気を出した彼等の破壊力など考えただけで眩暈がする。


「そういう事だったの……、それでヴァンダライズは、その天地晦冥の刻に合わせて一斉蜂起しようと画策してるわけね」

「流石の妖怪も、正攻法じゃセレーノは落とせねぇだろうしなぁ。何せ隙がねぇ、あそこの領主は徹底して妖怪を嫌ってっからな。対策も万全ってわけだ。ま、結果的にそういう驕りが治安を悪化させちまったってとこじゃねぇの?」

「セレーノの領主様は、少し、その……そういう所があるみたいだものね」


 やっと事態を飲み込めたサイとソラが揃って眉を寄せる。

 レイも自分なりに理解を深めようと思案顔になった。


「セレーノって、そんなに治安が悪い所なんですか……?」


「セレーノは常夏の島国ですから、水源も資源も豊富にあるんです。妖怪にとっても住みやすい土地なんですよ。ですから昔から所有権を巡って争われてはいたのですが……、今のようにあからさまに妖怪を排除するようになったのは、現領主が即位なされてからだと思います」


 いつもの丁寧な口調には変わりないものの、その声音にはやんわりと領主を非難する響きが含まれていた。クレイの理念とは正反対の排他的主義を、やはり認める事は出来ないのだろう。






「……急いだ方がいい」



 静まり返った一瞬のタイミングで聞こえた、アルの小さな呟き。

 大人しく彼に抱かれていたシルクも、同調するようにぎゃう、と鳴いた。


「ええ、分かっていますよ。痺れを切らした“彼女”に暴走されては困りますからね」

「マジもう限界みたいだぜアイツ。この間久し振りに会ったんだが『いい加減あのクソ領主の目ェ覚まさせてやろうか』って城に殴り込みに行きそうな勢いだっ……」

「直ぐにでも行きましょう」


 “彼女”が誰なのかレイは知らないが、遠くを見るような目で語るソラと食い気味に即決したクレイの様子を見る限り只者でない事は確かだろう。それでもソラは「ま、短気なアイツにしちゃあ今までよく耐えた方なんじゃね」なんて割と楽観しているようだが、日頃から揉め事処理が絶えないクレイは、これ以上問題を増やしたくないと見えて完全に目が笑っていない。そんなに癖の強い人なのかな? と瞬きをするレイの様子に、イルが目敏く気付いてくれた。



「―――グレンダ・タイトナイト」

「え?」

「セレーノ支部の局長を務めている女性だ」

「へぇ! 局長さんて女の人だったんですね」



 グレンダさん。

 まだ見ぬ新たな仲間の名を頭に入れて、レイは次なる冒険に思いを馳せた。


(争いの絶えないセレーノ領……か)


 厳しい戦いになるのは言うまでもないだろう。ただですら大きく力の差がある妖怪を相手にしているのだ、寧ろ今まで勝利を収められていた方が奇跡に近い。今回ばかりは、どうなるか分からない状況だという事はレイも分かっている。けれど。




 ―――お前は余計な心配しなくていい。




 けれど、不思議と不安はなかった。

 心配ではあるけれど、まだまだ非力なレイが気を揉んでいてもどうにもならない。だからせめて、頼もしい仲間を信じて着いて行くと決めたのだ。シンビオスの制服を受け取った、あの時から。


(皆と一緒にクレイドさんに着いて行くって決めたんだから)


 どこまでも底の見えない性格ではあるが、クレイは信頼に値する指導者だ。そしてそれは、レイだけではなくシンビオスの誰もが同じ認識なのだと確信している。例え口には出さずとも、見ていれば分かる事。クレイのたった一声で、たちまち全員の足並みが揃うのだから。








「さぁ、皆さん。急いで準備をして下さい。午後には出立しますよ」


「Yes,My lord!」




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