この世で一番大切なこと
ギルド“シンビオス”のギルドホーム、そこに暮らす幹部含めたメンバーの中で最も朝が早いのは誰かと尋ねられれば、皆が皆声を揃えてソラだと答えるだろう。彼は誰よりも早く目を覚まし、炊事洗濯を済ませ、仕事がある時はぞろぞろと起きてきた面々と一言二言言葉を交わして出掛けていけば、帰ってくるのは日の落ちた後となる。……否、落ちた後、だった。
「いやぁ、良い洗濯日和だわぁ……」
ギルド内でも一際機動力を持つ彼だからこそ一時期そんな多忙な生活を馬鹿の一つ覚えのようにしていたのだが、治安が一時的に落ち着いてきている最近、一日ギルドホームに居る、という日も少なくはない―――そんな今日のような丸一日オフの日になど、それこそ洗濯くらいしかやることがないらしい生粋の家事脳なのだが。仕事で引きこもり過ぎだと怒られ、先程医務室から引っ張り出されて大広間へと連れて来られたイルは、緑色のバンダナを簡易ピンで留め、すっかり家事に熱中している彼の後ろ姿をレンズ越しに眺めては、
(実際、あれで首都の名家の出身だったんじゃなかっただろうか)
などと何時か聞いた(気がする)情報を頭で反復させて、早々に考えることをやめた。本人は何時も頑なに否定しているが、何処からどう見ても母親のそれである。そう言った無駄なことを言うことなくイルは、手元の文学小説に目を落した。
クレイドは部屋で書類仕事、他の者達も今日は昼で帰って来ると言っていた。空に昇り切った太陽からもたらされる暖かな光を視界の端に捉えつつ、ただソラが一人家事に精を出す静かな昼下がりが訪れる。たまにはこんな休日も良いものだと、研究一筋のイルですらがそう感じたところで、
「―――すいませーん! どなたかいらっしゃいますかー!」
「あ? 誰だ? ……イル、今日誰か来る予定あるとか聞いてっか?」
「聞いていない、言っていないだけかも知れないが」
「ははっ! 書類で手一杯って顔してたからな、クレイ。―――はーい! ちょっと待ってくれ!!」
―――そうは問屋が卸さないのが、このギルド“シンビオス”の凄いところである。
それから約三時間後。仕事―――と言っても、近くの村に頼まれた資材を届けに行く程度の簡単なものだ―――からレイが帰って来たことで、シンビオスのギルドホームで起こっている不可思議な事態が発覚する。
「ただいま戻りましたー!」
自分一人で出来ることなど高が知れてるとはいえど、ギルドの仕事をしっかり熟して帰って来たことに優越感すら感じながらホームの入口を潜り、レイは元気良く帰宅の挨拶をした。時刻も未だ早い、夕食まで時間もあるし、つい買ってきてしまったケーキでも食べてアフタヌーンティーなんかにしちゃおうかなぁ、などとるんるん気分で考えていたレイは、遠くから「おかえりー」と緩い返事―――この声は間違いなくソラである―――がしたのを聞き取ってから、変わらぬ笑顔で大広間へと続く大きな両開きの扉を開けた。
「おいお前、アルスはまだ帰ってこねえのかよお」
「だからもう少ししたら帰って来るっつってんだろ? もう少し辛抱しろっての。なぁイル?」
「……素晴らしい、正しく人智を超えた機械だ」
「はぁい聞いてない!」
そして其処でソラとイル、と、もう一人―――何処かで見たことのあるゴーグルの彼を、見つけてしまった。
「おいレイ、お前からも何か言ってくれよ。こいつ辛抱しねぇしイルはこいつが持って来た変な機械に夢中だし……」
「馬鹿野郎! 変な機械じゃねえ! こいつは俺様最高傑作三号レジストラスアンジット二十二号だっつったろうが!」
「わっかんねぇよ何よそのネーミングセンス! 最高傑作なのに何で三号!? 後この機械何の用途で使うんだよ!?」
「飛ぶんだよ!」
「素晴らしい」
「だけかよ!? ってあーもう!! イルはだぁってろ!!」
「……はあああああああっ!?」
ぎゃあぎゃあと目の前で喧嘩を繰り広げる二人の内の一人、ゴーグルひとつでスチールグレイの前髪を雑にまとめ上げている彼。
思い出すは綺麗な桜吹雪、そして、凄惨過ぎる一晩の戦乱の記憶。恐怖、畏怖、憂虞、そんな覚えておきたくもない感情を抱いたあの楼銀領での争いの首謀者―――アドルファス・フレイムザインが其処に居た。その事実に気付くなり叫び声を上げたレイに二人がびくりと身を震わせ―――相変わらずイルに反応は臨めなかった―――るのも気にせず、わなつきながら彼を指差す。
「な、な、何で!? 何であんたが!?」
「おお、浅倉レイか。正式にギルドに加入したらしーな」
「何で知ってるの? ……じゃなくて! あんた何してんの!? というかソラリアさんもイルジクトさんも凄い自然体なんですけど!!」
「心配すんな、今日はただの客人だと」
「お客さん!? 信じられませんよ!」
あんなことがあったというのに、何故この二人はこんなにも冷静に彼を客として迎え入れているのだろうか。からりと笑って普通に会話をするアディはソラに出されたのだろう珈琲をず、と啜りながら大広間の一角に大人しく座っている。ちなみにその正面にイルが座っているのだが、ソラは未だしもイルは彼がどんなことをしたのか詳しく知っている筈、何故あそこまで何も無かったかのように接することが出来ているのかが理解出来なかった。
と、いうか、だ。この際年長者二人が何時も通りなことには目を瞑ろうとレイは低く唸り、一度目を伏せれば再びカッと目を開いてアディへと向き直る。
「あんた、さっき“アルスはまだ帰ってこないのか”とか、言ってた?」
「嗚呼、言ったな?」
「な……、アルに何の用よ! 何かしたらただじゃおかないわよ!?」
一度指差した手前その手を下すことは出来ず、そのままの姿勢で気になったことを問えば、案の定返って来た言葉に更に語尾が強くなる。もうすっかり元気な姿で「初めてのおつかい頑張れ」などといちいち嫌味を飛ばしてからサイと共に朝方出掛けて行ったアルを想い、レイは叫んだ―――思い出したら苛立ったという事実は割愛―――。
「ほーお、ギルド“シンビオス”のお姫サマは騎士クンに随分ご執心ってかあ?」
「はあああ!? な、何馬鹿言ってんの変なゴーグル付けてる癖に!」
「ゴーグルに罪は無いだろーが! 俺様のゴーグルにケチ付けんじゃねえぞ浅倉レイ! 俺のことは何言っても良いがゴーグルだけは許さん!」
「どんだけゴーグルに思い入れあんのよあんた!?」
「なぁ、オレ買い出し出てきてもイイ?」
「せめてクレイドが来るまで待て」
がたり、勢い良く立ち上がったアディがどうでも良いところに憤慨しているのは気にしないこととして、それを綺麗に流して話す年長者達の言葉に耳を傾けたところ、どうやら此処に彼が居ることに関しての情報は既にギルド長であるクレイの耳に届いているらしい。一安心半分の、だったら何故さっさと追い出してしまわないのだろうというのが半分。幾ら能天気で頭の足りないと言われるレイであろうと、自分が直面したあの戦禍―――皆をあれだけ苦しめた彼を易々と許して受け入れるなど難しいことなのだ。
「俺様が用があるのはアルスだけだ、それが終わったら直ぐに退散する。それまで辛抱しろ、浅倉レイ」
「辛抱? 何よそれ、っていうかあんたはまず私達に言わなきゃいけないことがあるんじゃないの?」
「は? ……ふっ、謝罪でもして欲しいかあ? 残念ながら俺の頭の辞書に“謝罪”などという文字は無い!」
「どんだけよあんた!」
「生憎だが、俺様は俺様が本気で倫理的に考えて悪いと思ったことに対してしか謝らないんだなあコレが」
こいつ本当に偉そうにして……! 悔しそうに奥歯を噛み締め、レイは渾身の力を込めてアディを睨み付ける。ふいっと視線を逸らし腕を組む彼の態度が気に喰わないのも宛ら、あれだけのことをしておいてのうのうとこの場に現れたその事実。全てが全て普段は穏やかなレイを苛立たせている訳だが、一番の理由は恐らくアディが口にした“アル”に関する言葉だろう。
(何よこいつ、アルはあんた相手にあんなに怪我したのに! 治り掛けの身体じゃなかったらあんたなんてもっともっと早く倒せちゃってたんだから……!!)
宛ら自分の好きなアクションヒーローが負けそうになった唯一の敵を見る幼い少年の様。否、レイの場合少女だろうか。
そんな訂正はさておき、何時までも彼を睨み付けていても埒が明かないことなどレイとて分かっている、確か今日アルは何時もよりも早くホームに戻ってきてしまう筈だ。だったらこんな奴彼に会わせる前に追い出して―――足りない頭でそんな計画を暗躍させようとして数秒、カラン、と扉脇に備え付けられた褐色のベルが揺れた。あのベルはとりわけ横の扉が開いたことを知らせる為の、という訳ではない。そんなもの見れば分かるし、故にあのベルが知らせるのは見えない表玄関の入口が開いたこと、即ち来客の訪れ、または―――ギルド員の帰還を知らせる音、ということになる。
「お、帰って来たか?」
「だろうな」
ソラの言葉に今までずっと機械に夢中だったイルが顔を上げれば、レイのみがしまった、と瞠目。アディは待ってましたと言わんばかりに、けれどがっつくでなく一度椅子に座り直して頬杖を突けば刹那、計ったようなタイミングで大広間の扉が開いた。今このギルドに帰って来る可能性のある人物は二人しか居ない、幹部メンバーである二人、ギルド長補佐のサイ、そして、
「―――……」
「あ、アル……」
ガン! と、何故扉を開けるだけでそんなにも強く扉を蹴破る必要があるのか些か不思議だが、毎度のように耐久性のある扉を足蹴にして我先にと大広間へ入って来たアル。普段と変わらずただいまの一言も見受けられないその様に、安堵する暇もなく彼はきょろりと辺りを見回した。
それはそう、正に誰かを探しているかのように。
「おうおうやあっと帰って来やがったか、我が永遠のライバル、アルス・イルバート!」
「……本当に居やがった、カロディルナのクソリーダー」
紅と蒼の対の瞳がお互いを捉えてそう一言。元よりその場に居た三人が双方を見比べるも、片方は嬉々として立ち上がり、他方は信じたくないとでも言う様に、白けた視線を細めて溜息を吐いていた。
「……え? アル、此処にこいつが居ること知ってたの?」
「……」
アディはともかく、アルの反応に気付けばレイが不思議そうに首を傾げた。というか、一緒に出ていったサイの姿も見当たらない、一体何処に居るのだろうか。気になることは多々あるが、そんなレイの言葉を聞いたアルは視線だけをスライドさせてレイを一瞥、後に其処に居る全員を見ればくい、と顔を動かして扉の外を促した。“こっちに来い”、その意味を込めて。
それから仕事終わりで疲れているのだろう、三割増しで鋭利な視線を走らせ更に一言、
「クレイドも連れて来い、客はまとめてあいつに相手させるぞ」
持ち前の長使いの荒さを発揮させる言葉を吐いた。
「「リーダー!!」」
「嗚呼、お前ら」
「ふ、増えた……!」
「レジスタンス組織“カロディルナ”、勢揃いってやつですね」
アルに促されるままにギルドの表にまでやって来れば、其処には先に居なかったサイがとある二人と共に言葉を交わしている最中だった。考えるまでもない、アディと共に楼銀領を襲撃したあの二人である。ソラが部屋から引っ張り出してきたクレイ―――書類仕事の所為で笑顔のまま苛立っているクレイに空気を読まず追突出来る人物などソラくらいのものだ―――は何処か清々しい笑みを浮かべてその情景を見遣っているが、何処となく滲み出る疲労のオーラがその他の幹部メンバーを黙らせていることは間違いないだろう。
「ぼ、ボク達に黙って何てところに来てるんすかリーダー!」
「此処は、人間の巣窟です、リーダー」
「置手紙残してっただろ?」
「それはこれのこと言ってるんすか!? “ちょっと、あの……シン……デックが怖がってるギルド長が居るギルド行ってくる”―――って!? 完全にボクのこと馬鹿にしてるじゃないっすか!!」
「呼びましたか?」
「ひいいいいっ出たああああああっ!」
「クレイドさん、物凄く怖がられる」
「トラウマにもなるだろう、アレは」
デック、という名は聞き覚えがあったものの、楼銀で彼を見たことは無かったレイ。確かこいつがクレイドさんの腕を……、とまで考えたところで音もなく右隣に現れたイルに気付く。神妙な面持ちで遠くを見ているが、一体クレイとデックの間にどんな因縁が生まれたのかは聞かない方が身の為な気がして、珍しくも空気を読んだ。何せ、にっこりと何時もと変わらない柔和な笑みを見せるクレイに物凄く恐怖しているデックの姿を目下に見せられているのだ、……どんな生物にも、生存本能と云うものがある、……ただそれだけのことだとレイは悟る。
三人は未だ言い合いの真っ只中―――どう見てもアディが二人に怒られているだけだが―――。その隙を突いて投げられるクレイの視線を合図に、幹部メンバーは各々自分達が知っている情報を吐き出した。
「表門からどうどうとお客さんとして来たから通しただけだぜ?」
「アルスに話がある、それだけで敵意は無いと言った後、武器も何も持ち合わせていないことは予め確認した」
「迷いの森で叫び声が聞こえた、で、行ったらコイツ等が居やがった」
「警戒はされたんだけど、流石に放っておけなくて……。それにリーダーを探してるだけだっていうし、リーダーはうちのギルドに居るっていうから……確かめようと思って連れて来たのよ」
アディはともかく、アルとサイの発言から他の二人はあの森で迷子になっていたことが明らかになる。一度味わったあの恐怖をしかと覚えているレイは身震いをしてご愁傷様、とだけ考えてそちらを見た。首都を経由してシンビオスのギルドホームに来る為には、どうしてもあの樹海を超えなければならないのだとは理解したものの、何故そんな場所を経由しなければならないのか、何故そんなところにこのギルドがあるのかが未だ不思議でならない。が、今はそんなことで脳内論争を繰り広げている場面ではないのだ。
「何なんすかあの森! あの得体の知れない生き物から逃げてたら道に迷ったっすよ!」
「人間の手を借りてしまった……不覚」
「嗚呼、あの鳥か? でかかったよなあ」
「リーダーの感性どうなってるんすかああああっ」
「―――そろそろ宜しいでしょうか、カロディルナの皆さん」
彼等のなかなか終わらないどうでも良い話に痺れを切らし、クレイはあくまでも客人に対する態度を崩さず笑みを零す。ソラやイル同様、あれだけのことがあったとしてもクレイは相手等へと態度を崩さなかった。此処に来るまでずっとそれが不服なレイではあるも―――“共生”、このギルドが掲げる御旗の為にはそういった不条理を飲み込むのもまた大事なことなのかも知れない……ほんの少しだけ、そう感じた。
そして今気付きましたと言わんばかりに三人衆がこちらを向けば、クレイはゆるりと首を傾けて辞令を続ける。
「ギルド“シンビオス”にようこそいらっしゃいました、―――“あの節”はどうも」
早々に前言撤回、この人飲み込んでなどいない、ばりばり根に持っている発言だ。薄ら細められた、しかししっかりと三人を射抜く視線が一言と共に彼等に送られている。ひしひしと伝わる牽制の言葉にはは、と笑いを零したのはソラ一人だったが、恐らく皆同じようなことを考えていただろう。こういう時のクレイは、実に人間らしい。また、クレイのその言葉に反応を見せたのは味方内のみではない。一切の武装を取り払っているのはリーダーであるアディだけであり、他二人は無論の事、“あの節”同様にフルで武装を固めているのだ。第一アディ以外の二人の能力は実に攻撃的なものである、武装解除していたとしても安心など出来はしない。現にアディを除いた二人はその言葉を聞くなり文字通り目の色を変えて、臨戦状態とでも言わんばかりにこちらを睨め付けている。その異変に気付き、シンビオス側も各々武器に手を掛け―――ようとした矢先、そうするよりも早く、凛とした声音が辺りに響いた。
「やめろ、お前達」
彼等のリーダー、唯一先程までのふざけた態度を崩さないままの彼が、二人の前に出て静止の声を掛けたのだ。
「お前達を連れて来るとこうなるだろーと思って置いて来たのになあ……」
がしがしと頭を掻いた影響で、彼の自慢のゴーグルは肩にまで落ちた。同時に下された前髪の奥から、気怠げに覗く赤銅の双眸が何かを考えるように地を見ている。アディの後ろの二人は渋々といった風に大人しく待っているが、いつ何時何をし出すか判断し兼ねる状況下だ。レイの隣に居るイルは彼女にも気付かれない程度の動きでほんの少し前に出た、立っている位置関係上、武器を持たないレイを護るのは自分だと判断したのだろう。サイやアルは何時でも大剣の柄、ホルスターに手を掛けられるように神経を研ぎ澄ましているようだが、……一目瞭然、クレイとソラは何もしていなかった。正面で話を聞くクレイはともかく、ソラは本当に何もしていない様子である。
(……呑気なものだ)
後頭部にて手を組む今の彼に、警戒心というものは存在していない。アディの言葉にけらけらと楽しげに笑みを零しているくらいなのだから―――三人衆の一番近くに居るにも関わらず。だが、彼と長い付き合いである者ならそれこそが真実なのだと悟ることが出来るだろう。即ちその内の一人であるイル―――そして他のメンバー達も、―――は呑気だ、と考えておきながらも、彼に倣って臨戦状態を解いた。勘の良いソラがあのような態度を取っているのに、意識を張り巡らせることなど無意味なのだから。
そして、ひゅう、と辺りの木々の葉の間を吹き抜ける風音だけが聞こえる静寂の後、一度目を伏せたアディが意を決したように再び顔を上げてクレイを見るから、その視線に応えるようにクレイは口を開いた。
「用件を聞きましょうか」
「何だって良い、お前達が望む状況で構わねえ。何をされても文句は一切言わねえし、こいつ等にも言わせない。―――だから頼む、アルスと話をさせて欲しい」
これまでにない真摯然な態度でアディが言えば、何の反応も見せないアルを一瞥、それから刹那の間の後に、クレイがやんわりと笑みを浮かべた。
条件はこうだ、―――“自分達の見える場所で話をすること”。
外で何かされては堪らないからと、先程アディを通した大広間へと場所を移してクレイが告げたのはその一言のみ。名前の挙がっている当人はクレイの意志に従うつもりらしく、「さっさと話せクソリーダー」と悪態を漏らしながらもアディと共に大広間から続く外庭へと出ていった。距離も勿論そうだが、屋内と外、硝子に寄って遮られている以上その会話が聞こえることは無い、……気にならないといえば嘘になるだろう。今此処に居る誰もが時折外庭の方へと視線を滑らせ直ぐに逸らす、そんな行為を繰り返していたが、
「珈琲淹れたぞー」
ただ一人相変わらず空気を読まない紫髪だけが、呑気に飲み物を運んでいた。
「ソラリアのそれは、最早才能の内ですね」
「あ? ……ったく、気にしたってしゃあねぇだろ? 客人方だって何話してんだか知らねぇみたいだし」
くすくすと笑うクレイに、溜息を零すソラ。溜息交じりの言葉にシンビオス一同がちらりと正面の二人を見れば、肩身の狭い思いをしているだろう身をびくりと竦ませた。
「お二人さんも珈琲で良かったかい」
「えっ、えーっと」
「人間の施しは受けません、どうせ毒でも入っているのでしょう」
デックはともかく、其処に居る誰もを見ない視線、ぴくりとも動かさない表情でそう啖呵を切るアート。ソラは笑い、デックは慌ててみせたが、……この一言でとある夕陽色の美女に火が付いてしまったようだ。
「―――あら、ソラは貴女みたいなことはしないわよ? 飲み物に毒を入れるような風情のないこと」
「……エトリーレの毒にも気付かず、飲み下すような勢いで紅茶を飲んでいた貴女に風情を語られたくはありませんね」
「うわ……サイファンさんが怒ってる……」
「正しく女の戦いってやつですね」
「クレイドさん笑ってないで止めて下さいよぉ……!」
「女の戦いに男が割って入るのはご法度ですからね、レイさんにお譲り致します」
椅子に座るアートの横にすらりと仁王立ちするサイ、視線など合っていない筈なのに、二人の間には確かにばちばちと火花が散って見えた。この二人の間にも、どうやら強い因縁のようなものが芽生えたのだろう。こちらもこちらで知りたくはないなと思いながらもレイは、全く嬉しくないスルーパスをクレイから受け取ってしまい一人慌てていた。
「アート! あんまり騒ぐとリーダーに怒られるっすよ!?」
「……それは困る」
けれどあちらのことはあちらで解決してくれた模様、横に座るデックがレイ同様に慌てた様子でそう言えば、ぐっと押し黙ったアート共々視線で硝子窓の向こうに視線を投げた。ウッドデッキに座って胡坐を掻くアディは先程まで何も気にした様子は無かったが、今はがっつりとこちらを見ている。それはもう物凄い白けた視線で。最初、この大広間で彼とちょっとした喧嘩を繰り広げたレイだったが、この状況を見れば少し悪いことをしたかも知れないと反省する。彼は本当に、話をしに来ただけなのだと、レイはこの時それをちゃんと理解した。自分の仲間達が粗相をしでかさないか監視をしながらも、アルに向き合って話す姿は何処か真剣で。名指しされていたアルが怒ることもなく黙って話を聞き、時折言葉を返していることもそうだが、何よりギルド長であるクレイが認知した危険をそう易々とこのギルドホームに舞い込ませる訳がない。此処で暮らすようになった時から知っていたこと、そう、―――自分達のギルド長が間違った判断をしないのだと皆が知っているから、皆が悠然とした態度を取っているのだ。
「心配なさんなって、毒なんか入ってねぇからよ、お嬢さん。それとも紅茶がお好みだったか?」
「……出されたものに文句を言う程、低俗ではありません」
「そうかい」
正面に座って頬杖を突き、にこりと笑ってみせたソラの言葉に渋々といった様子でお盆の上のマグカップを手元へと引き寄せたアート。その様子に横に居たサイもくすりと笑みを零して身を翻し、すとんと少し離れた椅子に着いて両の手をマグカップで暖めた。
「あ、そういえば私ケーキ買ってきたんです。良かったら食べません? ……沢山買ってきちゃったから、あんた達もどう?」
「いただきます」
「そ、即答!? さっき珈琲あれだけ渋ったのに!」
「アートは甘いものには目が無いんすよ……」
「世の中の甘味であれば、毒が入っていようと私は食べる」
「何その信念?」
じゃ、俺持ってくるわ。レイが二人とぎゃあぎゃあ言い合いをしている間にソラがそう言ってキッチンの方へと消えていってしまった。シンビオスに於いてキッチンがソラの持ち場と化していることは当人含めて皆が知っていることだが、手伝えることは手伝いたいレイは何となく落ち込んで溜息を吐いた。お母さんが良いお母さんであればある程、娘は気の利かない自分に劣等感を感じる物だ―――きっとアルが居たらそんなふざけた発言を真顔でかましていただろうが、運の良いことに彼は今硝子で隔てた向こう側である。
「うぅ、ソラリアさん、ホームに居ても結局働いてるんだもんなぁ……。たまにはゆっくりしてもらわないとだよね……」
「レイちゃん、アルじゃないけどその発言、そろそろ本格的にソラがお母さんにしか聞こえてこないわよ?」
「え」
ほぼ無意識なのだから仕方ないが、サイにまでそう指摘されると思わず狼狽してしまう。ばっと慌てて他のギルドメンバーを見れば、クレイはあからさまに顔を背けて笑いを堪えている様子で、イル―――今の今まで彼が此処に居ることを忘れる程、彼は空気に溶け込んでいた―――は相変わらずの無表情で、ただ一言。
「あいつが好きでやっていることだ、気にするな」
そう言った。……直後。
「―――バンダナの彼が母親ならば、眼鏡の貴方の発言は宛ら父親ですね」
そんなアートの真っ直ぐな発言によって皆が唖然とする中、唯一違う反応を見せたクレイは平静を装う機能が大破したらしく、ばたんと机へと崩れ落ちて微かに震えていた。
「おい、クレイド、何してんだ」
「放っといて下さい、今忙しいので」
「机に突っ伏して何が忙しいんだ貴様」
それから数分して、外庭から戻って来た二人。数分前から机に伏したままのクレイを発見するや否や声を掛けるアルだったが、珍しくも素っ気ない答えが返ってきて不審に思いながらも放っておくことにする。幾らポーカーフェイスの得意なギルド長だって、笑いのツボに入る時は入るのだ。
「よーお前等、大人しくしてたかあ?」
「リーダー、このケーキ美味しいでありますよぅ」
「美味しいです」
「誰もケーキの感想聞いてねえよ、がっつり餌付けされてやがる……。つか何俺差し置いて美味そうなもん食ってんだあ?」
ソラが運んで来たケーキを食べ始めるなり大人しくなった妖怪二人は自分達のリーダーに感想を述べて、再びケーキへと向き直り食べることに専念していた。彼の発言にレイが「食べる? あんたの分も出せるわよ」と首を傾げるも、アディはひらりと手を舞わせて否定の意を見せた。
「甘いもんは好かねえ、珈琲で充分だ」
「今美味そうなもんって言ったじゃないあんた」
どっちよ、と心中でツッコミを入れながらも、レイは一足先にケーキを食べ終わり、ず、と珈琲を啜った。無論レイの珈琲は、ミルクも砂糖もたっぷり入ったカフェオレや珈琲牛乳に近いものである。どうでも良い話だが、珈琲の派閥はクレイとイルとソラは無糖のブラック、サイはレイと同じもの、アルはその時の気分で変わるので無所属といったところだ。
「何の話だった」
「……後で話す」
レイがアディと言葉を交わす最中、遠くでイルがアルにそう一言尋ねるのを聞いた。どうやら仲間に話せない内容では無かったらしく、意識した訳ではない小声でぼそりとそう返事をしている。難しい話が苦手なレイは深く考えないことにして、そのままアルが空いたイルの隣に座ったのを見て視線を戻した。
「さあて、テメェ様方のごコウイによって無事俺様の用件は済んだ訳だが、―――ギルド長さんよ、もう少しこちらのお喋りに付き合っちゃあくれねえかい」
各々の話が止んだ数秒の隙を突いて、やけに響く声音でそう言ったのは。もそもそとケーキを食べる二人の手下の横に立ち、拾い上げるようにしてマグカップを掴んだアディだった。にやりと含みのある笑みを浮かべてシンビオスメンバーを眺め、一先ずと云った具合に彼等の長を見る。無論机で死んでいたクレイとて、その一言で顔を上げない訳もなく、視線に応えるように身を起こしてみせれば、にこりと柔和な笑みを浮かべた。
「内容次第、といったところでしょうね」
「勿論俺様の一方的なお喋りって訳じゃあねえ。テメェ様等の耳に入れておいても悪いこたあねー話よ」
空いた手でひらひらと手を舞わせて、どうするよ、とでも言った風に赤銅を細めてみせるアディ。一同がこぞってクレイの動向を窺えば、先程まで机でくたばっていた気配など毛頭見せない真剣な表情で、アディの発言を吟味している様子。けれど直ぐに切り替えて、
「良いでしょう、聴かせてもらいます」
そう言って了承の意を伝えた。アディは満足そうにおーけい、と呟いて指を弾く。一度考える風な所作を取って見せたクレイだったが、正直な話最初から彼の申し出は受け入れるつもりであった。楼銀領での一件で、彼の妖怪としての能力とは別に備わっている、情報収集能力が並大抵ではないことは事前に聞いたアルの話で認知済みであるのだから。
手に取ったまま口を付けずにいるマグカップには相変わらず目も暮れず、―――何処か落ち着いた雰囲気を纏って、アディは言った。
「近年、セレーノで内乱が多く勃発していることは知ってるだろ」
「セレーノ領……ですか」
セレーノ領―――確か五大陸の中のひとつで、楼銀領から海を挟んで隣接する島国だったとレイは脳裏で世界地図を思い描く。
「確かにセレーノ領の領主は少々……、だと聞いています」
「そう言葉を濁すな、――横暴なとこがあるって言っちまえ」
「領主様ってことは……雷佳と同じみたいなもの?」
「正しくは雷佳の父親みてぇなもんだろ」
レイが少々身を乗り出して、近くに居たアルにこそりと尋ねると、茶化すこともせずそう一言。どうやらアルも、彼のリーダーの話に興味があるらしい。
「俺達は元々セレーノに根城を構えてたんだが、最近はどうも危ねえってんで楼銀に居たんだ。……機材を取りに戻ってみたら、ありゃやべえ、妖怪云々なんざどうでもよくなるぜ。……楼銀の比じゃない」
「……え? 妖怪って皆……あ、あう、あうあう……」
「アウローラ」
「それ! に、住んでるんじゃないの?」
真剣な話をしているのは分かっているが、どうも分からないことがあるとその先を聞いていられないレイ。再びアルに尋ねたのだが、どうやら声が大きかった様子でその発言に視線を走らせたアディ、彼が珍しくも苛立ったような様子で吐き捨てた。
「馬鹿言え、アウローラは“ヴァンダライズ”の根城だぞ。あんな危ねえところに居られるか」
「……ん? ……え?」
「すみませんアドルファスさん、少々うちの姫君に説明する時間を頂きます」
胸の前で小さく手を上げてクレイがそう言うのも無理はない、何も理解出来ていないと言わんばかりにクエスチョンマークを飛ばしまくるレイが居ては、話も進みはしないのだから。クレイがアルを見てレイへの説明を促せば、アルは普段のトーンで話し出した。
「妖怪の全てがアウローラ領に居る訳じゃねぇ。元々な」
「そうなの?」
「嗚呼。……あいつ等みたいにセレーノ領で暮らしてた奴も居れば、ランドシーク領にだって隠れ住む奴等は居るだろうな」
「そうなんだ……。私てっきり妖怪は皆あう……から来てるのかと思ってた」
「アウローラ。それに、皆が皆あのクソ忌々しい組織に従ってる訳じゃねぇ、その馬鹿共みてぇに単独でレジスタンス組織組んでアウトロー気取ってる奴だって居る」
「おいアルス、俺様には大体悪口のように聞こえてるんだが」
「悪口のようじゃねぇよ、悪口だろ」
ふぅん、と乾いた返事。理解は出来たが納得はあまり出来ていない。レイはアルにツッコミを入れたアディを渾身の眼力で睨み付け、だったら、と前置く。
「だったら何で、あんた達は楼銀であんなことをしたのよ」
「……あんなこと?」
「沢山の人達を危ない目に遭わせて、命を狙って……! そんなのあんただって―――“ヴァンダライズ”と一緒じゃない!」
「! っばか……!!」
レイのその叫びの後、その間は一秒として無かっただろう。瞠目して慌てるアディがマグカップを机に叩きつける勢いで置いて横を見たのと、ほぼ同時。
―――ザンッ!!!!
レイの頬すれすれに横を掠めた何かが、背後で斬撃の傷痕を残した。
「……するな……」
「……え……?」
「リーダーを、私達を、あんな組織と一緒にするな!」
「アート、落ち着け」
「アート!」
はらりと落ちた白銀の髪、髪型に支障が出るほどの量では無かったものの、その斬撃が―――アートの放った鎌鼬が、レイの真横を斬り抜けていったことを教えてくれた。突然のことで反応が出来なかったレイと、その他のシンビオスメンバー。唯一隣に居たアルだけが何かを悟りレイを自分の方へ引き寄せていたが、……恐らくそれがなければ、今の斬撃はレイの髪を掠るだけでは済まなかっただろう。
「お前は喋んな」
「へ?」
「妖怪を妖怪という括りでしか見ない低俗な人間、何もしていないのに勝手に私達を迫害する。あの組織の所為で普通に暮らせなくなった、命を狙われた、自衛の為に能力を使えばやはり危険だと恐れられた。―――何も知らない人間風情が、私達を守ってくれたリーダーを侮辱することは許さない!!」
「落ち着けっつうの!」
壊れたレコーダーのように、金色に光る瞳は瞬きを忘れたように。つらつらと述べられる言葉は全てレイへと向けられる。アルに指摘され黙っていたが、アートがそう言い切ったその直後、その壊れたレコーダーを直すかのようにアートの頭を叩いたのは、無論彼等のリーダー、アディだった。
「危ねえこたあすんなっつったろうが! 鎌鼬って! 危ねえじゃ済まねーんだぞ! 人も妖怪も真っ二つだわ! ばあか!」
「……でも」
「でももかしこもねえんだよ、分かったか? はい、ごめんなさいは!」
「……ごめんなさい」
「よし、それでいい」
そしてこの子供扱いである。先程までの金色がすぅ、とプラチナに戻り、しょぼんと俯くアートの頭を撫でてにっと笑うアディ。今の沙汰を見てその往なし方、最早慣れているのか、流石はリーダーといったところだろうか。一同唖然としてその様子を見ていたが、アディは直ぐにレイへと向き直り、―――小さく頭を下げた。
「悪かった、アートはちょっと人間……も、妖怪にもなんだが、不信気味でな。許してやってくれ」
「……」
「返事してやれよ」
「え? ……あ、え!? あの、私が気に障ること言った……みたいだし、こちらこそごめんなさい」
『生憎だが、俺様は俺様が本気で倫理的に考えて悪いと思ったことに対してしか謝らないんだなあコレが』
今度は返事をしろというアルに理不尽さを感じながらも、先程アディが言っていた言葉を思い出した。彼が頭まで下げて謝る様を見て、本気で慌てるレイ。けれど、彼にとって今の行いが“倫理的に考えて悪いこと”だった、そういうことなのだろう。仲間の失態にはちゃんと頭を下げる彼は歴とした“カロディルナ”のリーダーなのだとレイが悟れば、ちらりと視線をアートに向けて、「ごめんね」と今一度謝った。当たり前だろうが返事はなく、視線を逸らされてしまった。レイの背後の斬撃痕についてはアディが責任を持つようで、クレイに向かって何かを告げている。
「浅倉レイ、」
「は、はい」
その合間、アルを挟んで向こう側に居るイルに呼ばれ、レイは素直に返事をした。
「我々が忘れてはならないことは、妖怪も人も変わらないということだ」
「……変わらない?」
「妖怪には人にはない力がある、けれど、」
レンズ奥の深い瞳が、カロディルナの三人を映すのをレイは見る。
「彼等とて、俺達と同じように感情があり、意志がある。中には理由もなく人里を襲い、力を誇示する者は居る。けれどそれは、人とて変わりない」
「……」
「アート、ボクのケーキ余ったっす。食べる?」
「……良いの?」
「うん、アート、甘いもの好きなんだから食べて」
「ありがと、デック」
「何なら紅茶でも淹れてきてやろうか、やっぱケーキには紅茶の方が良いだろ?」
「私が飲みたいわ、ソラ」
「何でお前?」
「……美味しくないと許しません」
「あら、ってことはさっきの珈琲は美味しかったのかしら? 貴女のマグカップ、すっかり飲み切ってるように見えるわよ?」
「!」
「ふはは、じゃあ淹れてくるから待ってな、お嬢さん方」
気遣わしげにデックがそっとケーキを差し出せば、先程まで無言だったアートはほんの少しだけ口元を綻ばせてそれを受け取った。それを茶化すようにソラとサイが声を掛けて、その様子を話しながらも横目に見ていたアディは、ふ、と気の抜けた笑みを浮かべて直ぐにクレイへと向き直る。その様子は確かに、人のそれと変わりはしない。自分達が毎日送っている日常と、何ら変わりない。
「楼銀領での出来事にだって、人にも非はある」
二人の間に挟まれ会話を聞いていたアルがそっと口を開けば、視線は何処かへ投げたまま、言葉を続けた。
「奴等が楼銀領であんな作戦を企てたのは、元は人間の所為らしい。自分達は何もしていないのに、罵詈雑言を浴びせられ、酷い時は斬り付けられたと」
「……酷い。……でも、だからって罪のない民を、」
「レイ、お前の言う“罪のない”というのは、どんな人を云う。妖怪に何もしなければ罪は無いのか、罪のない妖怪を嫌悪するのも、暴言を吐くのも、……時には罪だと言えると思わないか?」
「……分かりません。でも、……何も知らない私が今あの子を怒らせたのは、悪いことだったと思います」
「人も妖怪も変わりゃしねぇんだよ。自分達が快適に生きる為に、他を潰そうとする。誰にも迷惑を掛けず生きたいと願ってたって、今の情勢じゃあ武力を行使しねぇことにはその些細な願いすら叶わない」
そんな世の中を作ったのが妖怪で、呑まれたのが人間だ。酷く忌々しそうに頬杖を突いて吐き捨てたアルは次いで「まぁ、あいつ等もやり過ぎた感は否めてねぇけど」と、カロディルナの行いを否定してみせる。だがその発言にはちゃんとニュアンスが含まれていた、―――“奴等だけが悪い訳ではない”、そんな意味が。
「へい、そいじゃあ話を戻すぜ」
ぱちん、ともう一度指を鳴らしてこちらに注意を引き付ければ、アディは言葉を続ける。
「元々セレーノの首都圏近くじゃ武力紛争なんかが多く見られんだがな、激化してるその紛争を見逃すヴァンダライズじゃねーぜ。鎧に固められたあの砦と、領の百選練磨の兵達を一掃してしまいたいと思っているこたあ間違いねえんだろう。漁夫の利を狙う気満々だと思うぜ?」
「ですが、日常的に紛争が起こっているならば、見逃すも何も無いのではありませんか?」
「其処! 良い事言うじゃねえかクレイド・ミルフィス」
ビシッと指をさされて名指しされ、クレイはやんわりと笑みを浮かべて光栄です、と告げるのみ。無駄な言葉は挟まず、自慢げに片目を伏せたアディの言葉を待つことにした様だ。
「アートの話じゃ、近々起きるらしいぜ」
「……?」
起きる、そう言われてはいそうなんですか、と理解出来るものは居なかった。アディもそれは分かっているらしく、強気な表情を一同に向けて、付け加えるようにして、告げた。
「―――“天地晦冥の刻”がな」
「……ちっ」
一切表情を変えない面々の中、アルが一人舌打ちをかます。誰がどれだけ理解出来たか分からないものの、彼だけはその意味を悟ってしまったようだ。
「アーティリーさん、……何時、という正確な時間は分かるのでしょうか」
するとどうやらクレイ、そしてイルすらもが理解したようで、神妙な面持ちで彼女を見ている。アートはといえば、食べていたケーキから目も逸らさずぼそりと、
「もう少し先」
と漠然とした答えを返すのみ。口振りからそこまで直ぐ、ということでも無いことが読み取れただけで儲けものという様子で、クレイはそのまま口を閉ざし、イルも何も言わなかった。
「―――“defectio solis”、妖怪からしたら格好の狩り時って訳か」
「そういうことだ、人間達の支配力がでけえセレーノにしちゃあ妖怪達の姿も多く見られたし……あんた等からしたら、止めるべき紛争なんじゃねえのかねえ? 妖怪と人間、それが直接的にぶつかり合うなんてことになったら、テメェ様等が目指す“共生”の世の中なんざ遠退いちまうぜ?」
吐き捨てるアルの言葉ににやりと笑みを浮かべて挑発的に返すアディ。アルは潔くそれを無視したが、代わりという様に口を開いたのはサイだった。
「何だか私でも理解出来ない単語が出て来てるけど、それは後で聞くとして。……国単位で争われるかも知れない、だなんて……」
「既に国単位の話ですよ、サイ。ランドシークの姫君が攫われた、その時から」
クレイの笑みを欠いた言葉に思い直すようにそうね、と、彼女は小さく息を吐いた。
「けれど、聞き流すことが出来ない情報であることには変わりありません。情報提供、感謝致しますよ、また宜しくどうぞお願いします」
「次があったらの話だけどなあ」
白々しいクレイの言葉を豪快に笑い飛ばした後、アディは横に座る自身の仲間を見て、今一度笑った。
「後はそうさな、一つだけテメェ様方に言っておく。俺様達は人間に危害を加えたことは謝らねーし後悔もしてねえ。けど、―――テメェ様方みてえな馬鹿な人間が居ることを知ってる、こいつ等に手を出されなきゃ、俺はなあんもしねえよ」
その笑顔を見て、レイは胸がつきりと痛むという感覚を初めて知った。全ての話を聞いて、やはり同じなのだと悟ったから。
―――仲間を護りたいのは、妖怪だって一緒なんだと。
『また来るぜ! 我が永遠のライバルアルス・イルバート!!』
『来んな』
そんな捨て文句を吐いて―――アートとデックは、そんなアディの横で小さく頭を下げていた―――、彼等は自分達の根城へと帰って行った。
「何時からライバルになったんですか、アルス?」
「知るか」
くすくすと茶化すように笑うクレイを一蹴しながらも、アルは彼等の姿が見えなくなるまでその後ろ姿を眺めていた。言葉とは裏腹に、認めているところがあるということだろう。
「だーあッ、結局買い出し行けなかったし!!」
「今日くらい休みましょうよ、ソラ。ほら、明日だったら私も付き合えるし、ね? ね?」
「そうですよソラリアさん! 私もお手伝いします!」
「え? お、おお……何でそんなに熱が入ってんだよお前等……」
叫び声にも似た声音で悔やむソラを言い淀ませる勢いでサイとレイが言えば、レイの頭を撫でながらも「じゃあ明日な?」と苦笑するソラ。ちなみにその後にソラはサイの頭にも一度ぽん、と手を置いてから夕飯の支度を始めるべくキッチンへ向かったのだが、慣れない様子ながらもサイとて満更でない表情をしていたのを誰しもが見逃さなかった、無論ソラを除いて。
「働きもののお母さん孝行も楽じゃねぇな」
「っふ……、はは……! そうですねお父さん……ふふっ……」
「アルス、お前存外そのネタ気に入っているだろう。というかクレイド、お前も蒸し返すな、後笑い過ぎだ」
そんな様子を見てちらりとイルに一瞥を送るアルだったが、イルが言葉を返すよりも早く俯いて吹き出したクレイに良く分からないと言った風な視線を送った。イルは一度眼鏡を指先で押し上げながらも溜息を吐いてそう指摘、一向に笑い止む様子のないクレイの横をすり抜けて「部屋に戻る、食事時に呼んでくれ」と廊下に消えて行った。
「久し振りこれだけ笑いましたよ、死ぬかと思った」
「そんだけ笑ってるのを初めて見たわボケ」
笑い過ぎから来るのか、敬語を欠いた発言と共に(笑いのツボから)戻って来てクレイがさて、と一言置いて、やっとのことで何時もと変わらぬ笑みを浮かべた。
「今日の話については少し時間を頂いて吟味するとして、アルス、貴方の方から話したいことはありますか?」
「……少しだけ」
「では、その話も後日。本日はもう遅いですからね。ですが……そうですね……」
少し考えるようにして腕を組み、目を細めてから、
「―――アルスとレイはソラリアの手伝い、サイは私の手伝いを頼めますか?」
少し悪戯心の窺える表情でそう言うから、三人は各々らしい笑みを見せて、肯定の意を示した。
「ねぇねぇアル、私、クレイドさんに初めて呼び捨てにされたかも」
「……意味、分かるか?」
「え? ……ええと、分かんない」
「あいつが呼び捨てるのは、特定の人間だけ。―――“仲間”、僕が認識する意味は、それだけだ」
「……」
キッチンに向かう少ない移動時間、アルに問われて首を傾げた。アルやサイ、ソラリア、イルジクト。確かにクレイは自分以外を呼び捨て、レイだけに敬称を付けていたように思える。
(……って、ことは)
―――その意味を理解した刹那、どうしようもない嬉しさが込み上げてきて、レイは笑った。きっとタイミングもあったのだろう、寧ろ今までもそう思ってくれていたことは分かっているが、改めて、ギルド長であるクレイが自分を仲間だと、そう言ってくれたのだということが嬉しくて。
「お、何だご両人」
「ソラリアさん! お手伝いします! 今なら何だって出来る気がします!」
「お、おお? だから何でそこまでパワフルなんだ……?」
「馬鹿は煽てられるだけで木に登んだよ」
「ふふふ! 今ならアルの嫌味も聞き流せるわよ?」
「ははっ! よく分かんねぇけど手伝ってくれるのは助かるぜ、さんきゅーな」
色々考えて疲れた頭など無かったもののように、レイは元気一杯に両手を振り上げた。
難しい話も、気にしなければならない話もあったようだが、今のレイが認識したのは、―――仲間という存在の大切さ、ただそれだけ。
理解出来なかった話はその内、レイの無い頭でも理解出来るように噛み砕いて皆が教えてくれるだろうからそれで良い。呑気、けれどきっとそれが正解だと確信を得ながら、夕食作りの手伝いを始めたのだった。




