帰るべき場所
エヴェニーレ五大陸のひとつ、“ランドシーク”。
その歴史は古く、初代国王による建国は数千年前にも遡る。名君として知られる彼に妖怪の血が流れていた事から、ランドシークでは古来より人と妖怪が密接に関わりを持ち、時に友好的に、時に反目し合いながら互いに均衡を保ってきた。その均衡が崩れる切っ掛けとなったのは、ランドシークの末姫であるシャンリーが、人質として祖国から連れ出された事に端を発する。この事件以降、人と妖怪との断絶はいよいよ決定的となった。そんな折、荒廃していく国を護ろうと創設されたのが、ギルド“シンビオス”である。初代ギルド長であるクレイド・ミルフィスは、妖怪との“共生”の精神を打ち立てた。無論、その信念を貫くのは容易な事ではない。双方が生きられる社会を作るために、誰もが安心して暮らせる国を護るために、多くの血が流れた。それでも、理想を理想で終わらせないために。彼等の魂でもある双獣の代紋は、今も変わらずホームの最先端に掲げられている。
朝靄の中、陽の光を浴びてはためく御旗を前にして、レイの口許は自然と綻んでいた。
「ただいまー!」
シンビオス本部、ホーム内部。広大なエントランスホールに、一際明るい声が木霊した。ギルド員(+準隊員)の凱旋である。
楼銀での任務を終えて、レイとシンビオス一行は漸く故郷であるランドシークに帰り着いていた。ホームを空けていたのは実質一週間程度なのだが、楼銀での出来事が余りに濃かった所為か、随分と懐かしく思える。レイは大きく深呼吸して帰還の喜びを噛み締め、遅れて入って来たギルド員たちも、みな思い思いに肩の荷を下ろしていた。
「皆、お疲れ様でした。暫くは任務の予定もありませんし、ゆっくり出来そうですね」
「何だか、やっと日常が戻って来たって感じですね!」
「だといいんだがな」
「もう、アルってばまたそんな……あら、イルはもう部屋に戻るのかしら?」
「嗚呼、今回使用した新薬のデータを纏める」
「マジおま……どんだけワーカーホリックだし……せめて飯ぐらい食えよ、後で握り飯でも持ってくから」
ソラの小言にひらりと片手を上げ、イルは振り向く事なく自室に戻って行った。少しの表情変化も見せずに通常運転を貫くイルは例外として、多少なりと気の抜けた表情を見せる面々は、やっとの事で日常を取り戻しつつある。ロビーのソファを占領して欠伸を洩らすアルに、湯船につかるのだと意気込むサイ、洗濯物が溜まっているとぼやくソラ、そしてそんなソラを宥めすかすクレイ。
(―――やっぱり皆の家なんだ、此処は)
彼等の自然な姿を見て、レイは心から微笑ましく思った。
「さて、私は報告書を書かねば。それと、……準備が必要でしたね」
何の? と首を傾げるレイの方を向いたクレイは、如何にも困ったような表情を浮かべている。
「レイさん、帰って早々申し訳ないのですが、お使いを頼まれてくれませんか?」
「へっ? はい、もちろん良いですけど」
「助かります。必要なものを書いておきますね。セントナフィアに行けば、全て手に入りますから」
クレイはにこりと微笑むと、早速羊皮紙にサラサラと箇条書きしてレイに手渡してくれた。レイはそれを、まるで宝の地図であるかのように神妙な顔付きで受け取る。続いてポケットから取り出されたのは、千花模様の小さな巾着袋。同じく手渡され、掌の中にすっぽりと収まったそれは、見かけによらずずしりと重たい。金属が擦り合う音から硬貨だと気付いたレイは、重さ以上の責任を感じてごくりと喉を鳴らした。楼銀での一件で分かってきた事だが、クレイは決してレイをお客様扱いしない。危険だと分かっていて尚レイに出来る事を任せ、他のギルド員と同じように任務を与えたのは、彼なりの信頼の証だったのだと、今ははっきりと理解出来る。例えお使いのような小さな仕事でも、何かを任される事がレイにはこの上なく喜ばしかった。
ならばその信頼に応えるまでだと、早速食い入るようにメモを眺め、
「……読めない!」
やはり読めなかった。
「心配要りませんよ、アルスも一緒に行かせますから」
「……あ?」
思いっ切り油断していたらしいアルは、珍しくもソファからずり落ちそうになって此方を見ている。寝る気満々だったのだろう、どう見ても乗り気ではない。肩を竦めたクレイは、ややオーバーな仕草でやれやれと首を振って説得にかかった。
「仕方ないでしょう、都に出るには“迷いの森”を通って行かねばならないんですよ? レイさん一人では行かせられません」
「だからって何で僕が」
「イルジクトはとっくに部屋に戻ってしまいましたし、サイも浴場に行ってしまいました。ソラリアは滞っていた家事に追われるでしょうね。私は先程も言ったように報告書を書かねばなりません。さて、貴方の仕事は?」
「…………」
アルは完全に逃げ遅れた顔をしている。クレイの論破攻撃に負けたというよりは、反論するのが面倒だと言わんばかりに小さく溜息を吐いた。彼は従うつもりなのだろうか。確かにレイとしては付き添いが居ると非常に助かる。しかし楼銀で数日間養生していたとはいえ、あれだけ満身創痍だったアルを付き合わせるのは少々どころではなく心苦しい。途端に居た堪れなくなったレイは、慌てて両手を振って声を張り上げた。
「あの、私一人でも大丈夫です! アルだって疲れてるだろう……し……?」
思わず手が止まる。レイが言い終わる前に、アルは身軽にソファを離れていた。
「何ぼけっとしてんだ。行くぞ」
「……え。あっ、待ってよアル!」
急いでメモと硬貨を懐に仕舞ったレイは、アルの後を追って正面扉まで走る。その後ろ姿がいつも以上に頼もしく見えたのは、内緒にしておこう。レイはこっそりと笑みを零した。
「離れないでね! 絶対離れないでよアルっ!!」
「落ち着け阿呆、それだけくっついてりゃ離れる心配なんかねぇだろうが」
「だって此処いかにもお化けが出そうな……あ、もう駄目、足が言う事きかない」
「お前妖怪には立ち向かうくせに何で幽霊は怖いんだよ」
「そそそれとこれとは別なのっ!!」
現在地、迷いの森。
レイは必死の形相でアルの腕にしがみ付いていた。先程から何度も呆れた視線を送られているのだが、逆に何故アルは平気なのかと問いたくなるような不気味さである。まだ昼前だというのに辺りは薄暗く、本来ならば森に生息している筈の愛らしい鳥や小動物などはほとんど見られない。代わりにぎゃあぎゃあと得体の知れない生き物の声が定期的に響き渡り、その度にレイの心臓を跳ね上がらせた。最早色々といっぱいいっぱいなレイだったが、せめて道だけは見失うまいと、必死に目を凝らして辺りを見渡す。
ランドシーク北部に鬱蒼と生い茂る巨大な樹海は、迷いの森の名に相応しく天然の迷路になっていた。厄介なのはそれだけではなく、この森は強力な磁場の中心地であり、地中には多くのマグネタイトが含まれている。そのためコンパスを使っても、狂ったようにぐるぐると出鱈目な方向を示すだけ。加えて磁場の影響によって通常の第六感は働かなくなり、徐々に距離感や体内時計までも狂わされてしまう。そんな不可解な現象から、いつしか“亡者が道に迷わせようとしている”などといった俗説が囁かれるようになったという。実際はただの都市伝説のようなものなのだが、そうと分かっていても怖いものは怖い。人並み以上の勇猛さを持ち合わせているレイだって、やはり女の子なのだ。
(アルが来てくれて良かった……、こんなとこ私一人じゃ絶対無理!)
早くも出発前の発言を撤回し、レイは掴んだ手に力を込めた。葉擦れの音にびくついては涙目になるレイの腕をほどくでもなく、一方のアルは着実に歩を進めていく。
「しっかりしろよ。もう直ぐセントナフィアに着くぞ」
「ほんとっ!?」
アルは真っ直ぐ進行方向を示した。見ると、確かにうっすらと明かりが見えてきたのが分かる。時間の感覚が鈍っているため正確には分からないが、恐らく三時間近くは歩き続けただろうか―――馬が森に入りたがらないため、馬車は使えない―――。目的地に到達するだけでもこんなに苦労するなどと思いもよらなかったレイは、一先ずほっと胸を撫で下ろし、ところで、と言葉を継ぐ。
「―――セントナフィアって、何処なんだっけ」
「知らないで行こうとしてたのかお前は……。王都セントナフィアは、この国の首都に当たる。人口の五割が集まっている大都市だ」
「半分も!?」
「ランドシークは広大な国だが、都市自体はそう多くない。必然的に最も多くの施設が揃い、治安も交通の便も良いセントナフィアに人が集まるのは道理だ」
「なるほど……」
こくこくと頷きを返すレイは、改めて道の先を見据えた。
初めてこの世界に訪れた場所は、確か“ 死行く廃墟”といっただろうか。中世ヨーロッパを思わせるような、独特の街並みだったのを覚えている。考えてみれば、ほとんどの時間をホームで過ごしていたレイは、ランドシークの事をあまり良く知らないのだった。この機会に社会勉強をしてみるのも一興かもしれない。クレイもそう考えて、敢えてレイを使いに遣ったのだろう。
「……!」
急激に視界が白む。考えている間に、森を抜けていたらしい。アルの腕から手を離し、白昼の陽光に目を眇めながらも、二人はしっかりとした足取りでセントナフィアに踏み入った。
「うわぁ、素敵……」
サファイアの双眸が開かれると同時に、レイはほう、と溜息を吐いた。レトロな外灯、石畳の道路、大きな噴水、そして煉瓦造りの豪邸の数々。目の前に広がる美しい景観は、ほぼ 死行く廃墟の町並みと大差ない。だが、決定的な違いは、言うまでもなくセントナフィアには人が住んでいるという事だ。広い往来を埋め尽くすように、多くの人が引っ切り無しに行き交っている。大都市というだけあって、目で追っていれば酔いそうなほど人の流れが激しい。その表情はどれも生き生きとしたもので、あの寂しい廃墟とは比べ物にならない。住人が居るというだけで、こうも街の様子が違って見えるものかと、レイは小さな感動を覚えた。
「すごい人だね」
「此処はまだ少ない方だぞ。メインストリートに行けば、もっと人が増える。はぐれるなよ」
「こ、これで少ない方なの……」
既に目を白黒させているレイである。
今度はアルがレイの手を取り、二人は人の波に乗って石畳を歩き出した。その間もレイの好奇心が止む事はなく、しきりに首を動かしては目を輝かせている。
「ねぇアル、あそこは何? 大きな洋館だね」
「あれもギルドの本部だ」
「シンビオス以外にも、ギルドがあるの?」
「嗚呼。コンセプトに違いはあるが、似たような組織は各地に点在してる。特に王都に本拠地を置くギルドは実力者揃いだ。……うちも色々と世話になってる」
後半の説明は何故か歯切れが悪かったような気がしたが、レイは大して深く考える事も無く、へぇ、と軽く相槌を打った。実際には“うちも”というよりは、主に“アルとサイの破天荒コンビが”世話になっているわけだが、其処はリーダーの巧みなフォローによって何とか丸く収まっているのである。
そんな裏話を知る由もないレイは、続いて平たい石造りの建物を指差した。
「あれは? 馬が沢山並んでる……」
「停車場。あれは馬車用の馬だ」
アルの説明によると、ランドシーク各所に同じような停車場があり、一時間に一度、それぞれの目的地へと馬車を走らせているのだという。中継地点を乗り継げば、国を一周する事も可能らしい。つまり駅のような交通網がこの世界にもあるのかと、レイは感心して巨屋の建物を見上げた。
大きな停車場は長屋のように隣り合った個室が水平に連なり、ひとつの長い棟を形成している。土壁で等間隔に仕切られたスペースには、馬が一頭ずつ配置されていた。その首には、それぞれ透明なプレートが掛かっている。何か文字が書かれてあるようだと気付いたレイは、アルに尋ねてみた。
「何て書いてあるの?」
「行き先が書いてある。シンクマイア、レギーナ、リュミ=サンドラ……」
「く、読めない……何も書いてないのもあるね?」
「それは自由便だ。定期便よりも値は張るが、行き先を自分で指定出来る」
「へぇー……」
興味津々のレイは、右から左へと視線を移し、「あの建物は?」と天まで届きそうな円錐の塔を見上げた。上部には金の円盤が埋め込まれており、中にはギリシア数字に似た文字が刻まれている。
「満月の塔。月を動力源にして動いてる時計塔だ」
「月!? 太陽発電なら知ってるけど、月で動いちゃうんだ」
「お前の国ではどうか知らないが、月には魔力が宿っていると言われている」
「月の魔力……引力みたいなものかな」
「―――何でもいいが、目的を忘れるなよ。観光で来てるわけじゃねぇんだぞ」
「……!!」
「完全に忘れてたろお前」
あはは、と笑って誤魔化しつつ、レイは上着のポケットからメモを取り出した。此処まで来ておいてなんだが、何を買えばいいのかレイは知らない。隣からメモを覗き込んだアルは、どういう訳か怪訝そうに眉を潜めた。
「海兎の涙、ドラグーンの槍、星砂、ブランチフラワー……」
「何それ?」
「メモに書かれてある内容だ。……確かに此処ならありはするだろうが、どれも簡単には手に入らない代物ばかりだな」
「そうなんだ……この街広いし、探すの大変そうだね」
「陽が落ちるまでに帰れればいいがな。急ぐぞ」
先導するアルに続き、二人はメインストリートへ向かうべく足を早めた。
中心地に近付くにつれて、都の喧噪は更に姦しさを増していく。通行人の笑いさざめく声や、商店からの威勢のいい掛け声が混ざり合い、都会育ちのレイですら圧倒されるばかりである。
(賑やかだなぁ……)
キョロキョロと首を左右に振りながら、レイは思う。だが、一見平和なように見えても、人々が妖怪の脅威に怯えながら生きているという事も、今のレイは理解していた。それは実際に街中を歩いてみれば一目瞭然であり、網の目のように複雑に入り組んだ街並みは、華やかさの中にも要塞都市のような物々しさを感じさせる。恐らくこの美しい都でも、争いは起こっているのだろう。改めて気を引き締めつつ人垣を掻き分け、急勾配の坂を上り、見晴らしの良い広場に出た所で、突然アルの足が止まった。つられて立ち止まったレイは、彼の視線を追ってハッと目を見張る。
「あれって……お城だよね」
「―――そうだな。セントナフィア宮殿だ」
すらりと蒼眼を細めたアルは、じっと王宮を見据えたまま答えた。
王都セントナフィアの中央には、国の統治者たる王族の居城が聳え立っている。深い堀に囲われ、鋼鉄の門扉で守られたその王宮には、本来なら王の末娘であるシャンリーも居るはずなのだが。
『“シャンリーは囚われている”、妖怪共にな』
レイが夢で出逢った少女は今、あの王宮には居ない。
何処に囚われているのかは分からないけれど、彼女が助けを必要としているのは確かだ。今でも鮮明に思い出せる。綺麗なソプラノを震わせて、貴女に、わたくしの国を救って欲しいのです、と。レイとさして変わらない年頃の少女が、自分の身よりも国の行く末を案じていた。そんな心優しい姫君の願いを、無碍に出来るはずがない。
「アル、」
アルと視線の先を同じくして、レイは誓った。
「絶対に取り戻そう。この国の平和。あの子が帰って来れるように」
アルは徐にレイに向き直ると、誰が見ても様になる微笑を浮かべた。
答えなど、最初から決まっている。
「当たり前だ。その為に僕等が居る」
その後、無事メインストリートまでたどり着いたレイとアルは、様々な商店を虱潰しに訪ね回り、やっとの事で品を買い揃えた時には、既に都の色は茜に染まっていた。
今回の買い物で使用した金額は、合わせて三十九万六千八百ルート―――この世界での通貨単位は“ルート”という―――。初めてのお使いにしては随分と高額である。そんな大金をポケットマネーとしてポンと出せるクレイドさんって本当にシンビオスのリーダーなんだなぁ、なんて失礼な事を考えながらも、レイは益々尊敬を深めるのだった。
こうして任務を終えたレイは、増えた荷物を抱え、行きよりも不気味さを増した(ような気がする)迷いの森に涙目になりつつアルの袖を引っ張りまくり、最早ぎりぎりな感じで帰路についていた。体力には自信のあるレイだが、精神的ダメージがかなりこたえているようだ。それでもアルの的確な道案内のお蔭で迷う事なくホームまで辿り付き、どうにかレイの小さな冒険は幕を閉じた。
―――はずだったのだが。
「ただいまー、遅くなってすみませ―――あれ?」
勢いよく扉を開けた体制のまま、レイはキョトンと首を傾げた。ホーム内は不自然なほど静まり返っており、明かりすら点いていない。レイとアルは顔を見合わせ、それぞれ困惑の表情を浮かべた。
「皆、寝ちゃったのかな……」
「この時間からか? だとしても、全員寝てるなんて事は無いはずだが」
「そう、だよね……」
一体どうした事だろう。レイは益々困惑する。
イルは極端にしても、シンビオスのメンバーは基本的に勤勉な者ばかりであるのは、レイもよく知っている。暫くは任務の予定もないとクレイが言っていた事から、全員がホームを空けているとも考えにくい。となると―――
(まさか……妖怪が襲って来た?)
つ、と冷たい汗が流れる。アルも同じ事を考えたのだろう、何時もより低い声音でレイに耳打ちした。
「レイ。僕が動いたら、壁伝いにゆっくり歩け」
油断なく四方に視線を走らせるアルは、素早くホルスターから銃を抜き取った。レイは声を出さずに頷くと、壁際に移動してじっとアルの様子を窺う。奇妙な静寂の最中、鼓動の音が体内で大きく響いた。呼吸を制限し、銃を構えたアルが慎重に前へ進むと、レイもじわりと後に続く。回廊を半分ほど進んで行った所で、アルの視線がとある方向へと固定された。そして鋭く虚空を睨み据えたまま、ピクリとも動かなくなる。不審に思ったレイは、音量に注意しながら声を掛けてみる事にした。
「ア、アル? どうかした?」
「しっ……、物音がした。大広間の方だ」
言われて耳を澄ましてみたが、レイには何も聞こえなかった。だが、アルは既に何かの気配を察知しているようで、その足取りに迷いはない。
(ていうか、何でこの暗がりで真っ直ぐ歩けるのよアルは! 信じられない!)
アルの人並み外れた視力と聴力に改めて驚かされつつも、二人は回廊を抜けて大広間へと向かう。何時もであれば、食欲旺盛なギルド員たちが、ソラが用意した夕飯を食べに集まって来る時間帯。普段ダイニングとして使用している大広間は、うるさいほど賑わっているはずだ。にも関わらず、構内からは誰の声も聞こえて来ない。皆無事でありますように。祈るような気持ちで、レイは閉じられた扉を見上げた。
「下がってろ」
身長の二倍以上はあると思われる扉の前に、アルが音もなく移動する。そのまま躊躇なく足を振り上げ、
―――バァンッ!!!
「サプラーイズ!」
思い切り蹴破った瞬間、パンパァン、とクラッカーの音が連続して鳴り響いた。
「……? ……!!?」
「……何だこれは」
ヒラヒラと舞う紙吹雪と、薄い火薬の匂い。それまで暗かったホーム内に、一斉に明かりが灯っていく。訳が分からずポカンとするレイとアルは、全員集合していた幹部の面々を見渡して一気に脱力した。
部屋の中央に据えられたディナーテーブルには、何時ものような―――否、何時もよりずっと豪華な、どう見ても夕食ではなく晩餐レベルの料理が並んでいる。その盛大な雰囲気に合わせるように、卓上にはキャンドルが配置され、構内の至る所に色鮮やかな花がセンス良く飾られていた。更に良く見ると、二人を出迎えた幹部のメンバーは、何故か男女ともシンビオスの制服を着込んでいる―――状況にもよるが、基本的にホーム内では私服で居る事の方が多い―――。取り敢えず全員無事なようで良かったのだが、如何せん全く状況が把握出来ない。問うようなレイの視線を受け、クレイが実に爽やかな笑顔を携えながら両手を広げた。
「ふふっ、驚きました? ドッキリ大成功ですね」
かちり。
アルが無表情でハンマーを起こしたのを見て、サイが慌てて仲裁に入った。
「ストップストップ! 別に悪戯ってわけじゃないのよ、歓迎パーティーなの!」
「……歓迎パーティー?」
「そうです。我がシンビオスに、期待の新人を迎えるための宴ですよ」
「…………」
訝しげに眉を寄せるアルは、クレイとサイの表情を見比べ、次にレイを振り返り、やがてゆっくりと銃を下ろした。そういう事か、ぽつりと呟いたアルは何やら納得した様子だったが、生憎レイは彼ほど賢い頭を持ち合わせていない。取り敢えず抱えたままだった荷物をその場に下ろし、レイはぱちぱちと目を瞬かせた。
「えーと、……誰か、新しい人が入ったんですか?」
「やぁねぇレイちゃんったら。君の事よ」
「なーんだそっか、わた……えっ、私……!?」
クスクスと楽しげに笑うサイが指差したのは、紛れもなくレイである。気付くの遅ぇよ阿呆、などとアルが冷静にツッコミを入れていたが、愕然としている今のレイの耳には届いていない。気持ちの上ではとっくにシンビオスの仲間になっていたレイだが、あくまでかっこ仮である事をすっかり忘れていた。この歓迎パーティーは、未だ立ち場が曖昧である彼女のために催されたもの。クレイがわざわざ手に入りにくいものを買いに行かせたのは、宴の準備をする為の時間稼ぎだったのだろう。そうして盛大なドッキリを成功させたクレイは、彼らしい紳士的な微笑みをレイに向けた。
「浅倉レイさん」
「はっ、はい!」
広い構内に、穏やかなテノールが反響する。反射的に背筋を伸ばすレイの目前に、真新しいシンビオスの制服が差し出された。
「貴女は楼銀での戦役に於いて、大いに我々の力となって下さいました。その功績を認め、シンビオスギルド長、クレイド・ミルフィスは、正式に貴女をシンビオスの一員として迎えたいと思います。受けて頂けますか?」
丁寧に紡がれる言葉のひとつひとつが、レイの胸に沁み渡っていく。言葉にし難い幸福感に包まれたレイは、今一度破天荒な、けれど誰よりも強く優しい仲間の顔を見渡した。この人たちの力になりたい。込み上げる思いのまま、レイは真っ直ぐに手を伸ばす。
「―――はい。改めて、宜しくお願いします!」
そう、答えなど最初から決まっている。飛び切りの笑顔で制服を受け取り、レイはペコリと頭を下げた。刹那、わぁっ、と歓声が沸き起こる。成り行きを見守っていた幹部の面々から、良かったな、歓迎するわ、等々それぞれ祝福の言葉を受け取りつつ、レイは部屋の中央へと促された。
「ほらほら、レイちゃんは主役なんだから上座に座って? 沢山食べてね」
「凄い、どれも美味しそうですね……!」
「ったりめぇだろ、俺が腕によりをかけて作ったんだからよ」
「似非料理人にしては上出来だな」
「アルてめっ、お前の皿だけ野菜大盛りにしてやろうかこの野郎」
「ああああのっ、二人とも喧嘩は……あれ、イルジクトさんは?」
「イルジクトなら既に料理を取りに行ってますね」
「まさかの一番乗り!?」
ガヤガヤと、騒がしくも笑いの絶えない宴が始まる。
この日、ギルド“シンビオス”のメンバーとして、新たに浅倉レイの名が刻まれた。




