静謐なひととき。
「レーイ、雷佳ー! これも運んじまってくれー!」
「はーあい!」
「うむ、任せろ」
「ひ、姫様、配膳はわたくし共が―――」
「はーいそっちの子はコレ運んでー」
「え? あ、は、はいっ」
「―――どうしてこうなった」
太陽が頭上を通り過ぎ、地平線を目指し始めた昼過ぎのこと。快適な眠りを妨げるざわざわとした喧しさ、……オブラートに包むなれば若干騒々しい王宮内の様子にアルが目を覚まし、シンビオスの人間を見つけて第一声目に発した言葉はこうだった。否、此処がギルドのホームだったなら、この光景は強ち間違ってはいないのだろう。キッチンであの紫髪が食事を作り、それをレイが手伝い、そして、
「おや、おはようございますアルス。良く眠っていたようで何よりです」
「おはよう、アル!」
「……」
他三人が近くの机を囲んで茶をしばいている光景というのは。
返事を返すのも忘れ、アルは一度頭を振り再度確認する。何を確認するのかだなんて考えるまでもない、―――此処は楼銀の首都莉江州であり、現在地は莉江州一大きな建物、王族達が暮らす王宮のキッチンだということを。
「おー、アルス! 起きたならお前も手伝え」
「五月蠅い似非料理人」
「アルおは―――似非料理人!? 今アルが似非とか言いましたけど!?」
「嗚呼、何時ものことだから気にすんなよ、第一俺は料理出来るけど専門の人じゃねぇよ……?」
そう、もう一度だけ言おう。此処がシンビオスのホームだったなら、誰も何も間違ったところなんて存在しない。
但し此処は、
「アルス! 妾と共にソラリアの手伝うと良いぞ?」
「姫様! 危ないので両手でお持ち下さい……!!」
「……」
真っ赤なチャイナドレスにエプロンを掛け、何処か自信に満ち溢れた表情で配膳を手伝う姫様が居る、莉江の王宮なのだ。
あの事件の日から三日後、要は今日の夜。莉江州では宴が行われることとなった―――らしい。発案者は無論のこと、楼銀の姫君である雷佳その人で。
まるで爆撃にでも遭ったかのような街並み、荒れ果ててしまった城下の姿は少なからず人々を沈ませたことだろう。あれだけの騒動があったにも関わらず、その事件を記憶している民は誰一人として居ないのだから。施設復興には民達と力を合わせて取り組むと雷佳は言ったが、何故取り組まねばならないのか、自分達は何をしていたのか、民達のそういった問いに対しての説明に関してはたった一言、こう発言しただけだった。
『皆は賊に眠らされていたのだ』
間違えではない答え、真相と比べてしまえば解答の五割にも満たない答えを紡ぐ雷佳。最小限の被害で済んだとはいえ、確かに生まれた実害の為には真実を告げなければならない筈だったのだけれど。―――その話を民衆に告げる際、雷佳の視界の端に映っていた今回一番の被害を請け負ったギルドの長は、小さく首を傾け薄く微笑むのみで黙認したのだという。
「―――雷佳姫曰く、建物よりも心のケアの方が大事なんですって。賊によって街が荒らされたことより、皆が無事だったことに対するお祝い……ってことみたい。建物の修復はその後ってことね」
「……無事、なぁ」
ソラと雷佳に言われ手伝いを始めるでも良かったのだが、ずっと黙って茶をしばいているだけのイルの視線の方が気になった為、―――暗に“その怪我で動くな”という意思がひしひしと伝わってきた―――アルは黙って空いていたクレイの隣の席に座った。事の経緯はお茶と共に何故か置いてある茶菓子(恐らくソラ特製)をぱくりと口に運びながら、サイが語ってくれたのだが。
確かに無事であったとは思う、―――少なからず、民達は。アルの何処か含みのある言い方に気付かない者は居なかったようで、ほんの少しの間沈黙が起こった。現状を見るに、明らかに一番の重症を負ったのは以前の蓄積も含めそう言ったアル本人なのだが、恐らく彼が棘のある言い方を漏らしたのはその所為ではない。アルは、現在王宮のキッチンを占領する形で颯爽と料理を行うソラを一瞥する、自分からすれば何度も目にした人物だが、―――今回の事件に於いてもしも彼があの毒薬の解毒薬を運んで来なかったら、これだけの戦禍では収まらなかっただろう。作戦に組み込まれていなかった筈の彼がほぼ奇跡といっても良い確率でこの地に足を運び、それが最後の起死回生を生んだ。
「良いのかよ、そんな怪我しといて僕等は“ただの賊”を追い払ったってことになってんだろ」
気持ち落とした声で、アルは言う。ただの賊―――“人間の賊”を示唆して。彼等が人間であったなら、生まれなかった怪我や惨状がある以上、自分はそう問わざるを得ない。怪我をしている腕で頬杖を突きそうになり咄嗟に腕を代えつつ、他三人の―――主にクレイの顔色を伺えば、その視線に気付いたのだろう彼等は三者三様に微笑み(但しイルは無表情のままだ)、繋げるように言葉を吐いた。
「構わんだろう、そんなこと」
「賊には代わりないんだから、わざわざ訂正しなくたって良いんじゃない?」
「……そういうことです、それとも何ですか?」
中でもクレイはそう続け、三日前にはぴくりとも動かすことの出来なかった右手でわざとらしく人差しを突き立てればにこりと微笑むのだった。ちなみに左頬の腫れは既に引いたらしく、痛々しくもそこにあったガーゼは取り払われている。
「貴方は納得出来ませんか、アルス?」
妖怪達の襲撃により、クレイもサイもイルも相当の痛手を負ったというのに。現状“妖怪”という人種を言葉にするだけで忌み嫌う人間である筈の彼等は酷くどうでも良さそうに言葉を返し、悠然と茶をしばき倒している。流石は“共生”を冠するギルドの幹部達だと、単純に思った。
と、いうことは、だ。
「……お前等が良いなら、それで良い」
その一員である自分が、否を申し立てる訳が無い。つい浮かぶ笑みを殺し切れず、事件以来初めて、アルは失笑を零した。
「―――そういえばソラリアさん、何でソラリアさんが王宮のキッチンで料理作ってるんですか?」
雷佳の先導の元、切れた食材を取りに倉庫へと向かうレイは、後頭部で手を組みつつのんびりと歩く彼を見上げてそう問うた。紫苑色の髪を黒いバンダナで覆うソラの姿は何処か学校の料理実習を連想させたが、それはとりあえずは黙っておく。
「あ? ……いや、なんか使用人サン方も多少なりともお疲れっぽいし? だから手伝ってただけだぜ」
手伝っていただけ―――王宮付だと思われる料理人や侍女達に対し好き勝手に指示を出して、ましてや姫様を顎で使うようにしてキッチンを陣取っていたそれを“手伝っていただけ”の一言で片せるのなら誰も苦労はしないと思う。そう思ったレイだったが、これも口には出さなかった。
「ま、ギルドでも何時も似たようなことしてんだから変わりゃしねぇんだよ」
「ふむ、ソラリアはシンビオスの食事担当なのだな?」
「や、食事じゃなくて家事全般。うちのギルドの奴等はみいんな生活能力低いんだわ、俺抜きで一番高いのがアルだぜ?」
「そうなんですか!?」
「おうよ、まぁレイがどうなのかは知らねぇけどよ」
けらけらと楽しそうに笑みを零すソラについ声を荒げてしまったが、正直驚かざるを得ない事実だろう。あのアルが、見るからにあの中で一番やる気の無さそうなアルに生活能力が備わっているだなんて。本人に言ったならば確実に睨みを利かされるだろうが、生憎―――この場合は幸いにも―――彼は現在他のメンバーとのんびり談笑している(又の名をさせられている)筈である。
「っていうかな、アレだ。クレイとサイはさておき、イルはずっと部屋に篭ってっから放っとくと何もしねぇんだよ」
「……」
その件に対しては覚えがあった。シンビオスのホームで二週間近くお世話になっていたというのに、レイが彼と初めて会ったのは楼銀領にやって来る三日前のこと。しかも自分が医務室に赴くことがなかったら、会うことも無かったのではないだろうか……―――元気娘浅倉レイは、生まれてこの方風邪というものに罹った記憶が無かった―――。
けれど、そう考えると、だ。そんなイルよりも遅く出会ったこの、たった三日前に出会ったソラと居る事にこうも早く慣れてしまうだなんて。一時は女性だと勘違いまでしていたソラを今一度見上げ、レイは小さく首を傾げた。
「……あ、そっか!!」
「? どうしたのだ、レイ?」
そして気付く、目を見開いて喜び勇むその様子に問い掛ける雷佳に向け、レイは遠慮なく言い放った。
「ソラリアさんってお母さんみたいっ!」
視線はソラに向け、「だからお手伝いしたいなぁって思うんですね!」、なんてそう続ければ、刹那の間の後―――二人が同時に吹き出した。
「ふっ、レイ、そなた……っ!」
「ちょっ……ッ……ははっ! マジおまっ……お母さんて!!」
「え? え? わ、私何か変なこと言った!?」
どうにか笑いを押し殺そうとする雷佳と、遠慮なく笑い飛ばすソラ。その二人の間で挙動不審を晒すレイは自分の発言の何処にそこまで笑う要素があったのかを再検討してみるも、結論には至らず気持ち落ち込んで二人が笑い止むのを待った。
「そんなに笑わなくても……」
「すまぬレイ、だが―――」
「っはは! あーやべー母親とか! ……ふっ、……ふふっ、ははははっ!!!! ひー、腹痛ぇ……!!」
「……本人は最早爆笑の渦の中だが、男性にそれは少々失れっ……ふふっ」
「うん、雷佳も笑ってるけどね? もう良いですー!」
雷佳は未だしも壁を殴打するソラが笑い止むのは何時になるか分からないので放っておくことにして、レイはむくれつつも先を急ぐことにした。正直雷佳が居ないと倉庫までの道は分からないが、今はただ先に進むしか道は無い。ついでに言えば今は一本道の廊下である、曲がる方向を誤ることも無い状況に、素直に助かったと思った。
(嗚呼、でもそっか、男の人にお母さんはまずいか……。っていうか今更ちょっと恥ずかしくなってきたんですけどっ!!)
ほんの少し遅れてやって来る二人が来る前に、若干火照ってしまった熱を冷ますことに全神経を費やしたレイだった。けれど、
(こういう風に話が出来るのも、皆が頑張ったからって思うと、)
そんな会話すらもが尊く思えるのは、きっと気の所為では無い。
「レーイ、お母さん置いてくなしぃ」
「そうだぞレイ、母は敬うものだ」
「はいはい二人共五月蠅ーいっ!」
ほんの些細な言い合いではあったが、レイは苦笑いのままにそんな幸せを噛み締めた。
それから暫くの間宴の準備が恙無く行われ、世界が宵闇に呑まれた後も莉江が静寂に包まれることはなかった。―――此処からが本番なのだから当たり前ではあるのだけれど。
王宮から街に向かって伸びる橙の明かりと、人々が思い思いに騒ぐ姿。これこそが人の生きとし生ける姿なのだと考えては、その情景を目下に見据えクレイは双眸を薄く開いてふっと笑みを零した。
「―――クレイ、居る?」
「はい」
王宮の客間の一室にて。窓から外の様子を見遣っていたクレイは、部屋に響いたノック音に気付く。控えめに開いた扉の奥から顔を出したのは予想していた通りの人物で、部屋の暗さにより普段よりも落ち着いて見える夕陽色は、何処も変わらず綺麗な艶を晒していた。
「どうしたの? もう皆外で騒いでるけど……」
「いえ、何でもありませんよ。今行こうと思っていたところです」
「―――嘘吐け、出てくる気無かった癖に」
サイの不思議そうな表情の後ろから聞き慣れた悪態が飛んでくれば、誰か居たのか、と素直に驚く。誰と問うには愚問でしかないその態度に、クレイは苦笑を浮かべた。
「……アルス、居たんですね」
「居ちゃ悪いか」
「いえいえ、全く」
「……」
他意は無かったのだが、言い方が悪かったのだろう。アルは普段通りの仏頂面のまま、その不機嫌を一切隠さずに視線を外してしまった。ほんの少し困ったような表情を取り繕ってサイを見れば、くすりと苦笑を返される。
「……レイちゃんがね、皆で夜桜を見に行こうって張り切ってるわよ。だからクレイにも声掛けようと思って」
「夜桜、ですか」
恐らく雷佳姫に教えて貰ったのだろう、サファイアの瞳を爛々と輝かせて自分達を見るレイの姿を思い浮かべることがあまりにも容易で、クレイはもう一度苦笑を浮かべた。此処で行かないなど無粋なことは言えませんね……、なんてことを考えていれば、ふと扉前に居たサイがおずおずと言った風に歩み寄って来ていることに気付く。何か言いたげなその様に小さく首を傾げてやれば、サイは少しだけ視線を落として言葉を紡いだ。
「……腕、大丈夫?」
その控えめな問い掛けに対しクレイは、今気付いたかのようにサイの視線の先の自身の右腕を見遣る。我ながら大きな怪我を負ったものだと感じたが、他のメンバーに比べれば片腕など軽いものではないだろうか。
「私は平気です。私よりも、二人は大丈夫なんですか?」
あれから三日が経った、されどそれはたったの三日。一見して平然としている二人とて―――主にアルにはそろそろ本格的に休養期間を与えなければと思っている―――相当の怪我を負ったのだから、完治に至っている訳が無いのだ。ギルド長として部下達の体調を熟知しておかなければならないのと共に、何時でも気遣える余裕くらいは残っているつもりである。
「私は平気、解毒薬の他にもイルがくれた栄養剤とか飲んで寝たらすっかり。麻痺なんてもう疾うに取れたわよ」
「……三日ありゃ動けるようにはなる」
「そうですか、ならば良かったです、―――とりあえずアルスは安静になさい」
拳を携えての元気アピールをするサイはともかく、アルの包み隠さない物言いについぴしゃりと言いつけてしまった、……心配せずとも言う事を聞く気は毛頭ない様子だが。任務の時以外でもたまには言うことを聞いて欲しいところではあるものの、恐らく何を言っても無駄であろう今の彼にはこれ以上何かを言おうとはクレイも思わなかった。
「イルの方ももう全然平気だって言ってたわ、さっきも街の人達に体調は大丈夫か聞いて回ってたもの」
「騒ぎの場ですら仕事してやがる」
「……イルジクトの職業病も少々考え物ですね」
はぁ、とわざとらしく溜息を吐けば、サイはくすりと笑って「それがイルの元気な証拠じゃない」なんて言ってのけた。確かにその通りではあるので、その話はさておくことにして。
「サイファン、アルス」
はたと思い出したように名を呼べば、クレイは普段と変わらぬ笑みで二人を見た。
「今回はお疲れ様でした、それと同時に―――随分無理をさせましたね」
視線を窓の外に投げ、憂うような素振りで告げられた労わりの言葉。そろそろ皆の元へ行こうと思っていた様子のアルとサイは一拍子置いてから顔を見合わせ、今一度クレイを見る。
「簡単な護衛任務ではないと思っていたにしろ、久し振りに大きな任務になりました。主犯格の三人を見事に封殺したことに対する評価は絶大ですよ?」
つらつらと述べられるギルド長としての文句に対し、二人はその弁が止むまでひたすらに彼を見遣る。こちらを見る事なく告げられるそれの真意が分からず、サイは瞬きを繰り返し、アルは見事に怪しみ目を細める。……ですから、―――そう言って前置かれた言葉の後、振り返ったクレイの表情には珍しくも笑みは存在しなかった。
「今後とも宜しくお願いしますね、我がギルドの理念の為に」
こんな時に何を、……否、こんな時だからこそなのだろう。二人は思う。
何時だってクレイが言いたいことなど、聡明過ぎる彼の考えなど、理解出来る日が来るとは思ってもいない。分かっているのはただ―――普段何処か飄々としていて、ふざけているようにすら見える彼が時折こうして見せるギルド長としての姿に、自分達が魅せられているのだということは。
(んなの改めて言われなくたって、)
(そんなこと言わなくても、)
「「―――Yes,My lord.(御意のままに。)」」
二人は今一度視線をかち合せ、言葉とは裏腹に、サイは満面の笑みで、アルは何処までも素っ気なく、その言葉を紡いだ。だってそうだろう、どんなことがあっても―――自分達は彼に着いて行くだけなのだから。
「クレイドさーん! サイファンさーん! アルも早くー!」
「……あいつ、何で僕だけ敬称無ぇんだ」
「良いじゃない、その方が仲良しさんって感じするわよ?」
「誰と誰がだよ」
本来の目的である夜桜の元へやってくるなり、目敏くも三人を見つけた少女の元気な声が響き渡る。そこには既に皆が集っていて、民達の健康チェックに回っていたと言っていたイルの姿や、何処からどう見ても王宮の専属料理人にしか見えなくなっていたソラ、そしてこの楼銀を治める姫、雷佳の姿もあった。自分達の名を呼んだ少女―――レイが嬉しそうに、こちらに向けて手を振っている。
その姿を見るなり、二人の半歩後ろを歩いていたクレイが立ち止まった。アルとサイはそれに気付くことなくそのままレイ達の方へと向かったが、クレイはそんな二人と、他の仲間達の姿を見据え、ふと笑みを零して誰にでもなく呟く。
「―――これが、私達が守ったものですよ」
ひらり、鮮やかな桃色の花弁が舞い落ち、ほんの少し強い風が髪を撫ぜる。
鮮麗な桜吹雪が乱舞する夜陰と共に上がる民の声、そして仲間の笑顔が、確かな実情を教えてくれた。
激動する移り変わりの合間に訪れた、安寧の刻を。




