冴え凍る月の晩
月の光は、何時だって冷たい。
見るも無残に全壊した家屋の傍らに立ち尽くし、アルは隙間なく敷き詰められた空を見上げた。長い溜息を吐き出すと同時に、傾いた柱に腰を下ろす。が、数秒ともたずにパキン、と音を立てて脆く崩れた。辺りに散らばる木片に温度はない。それもその筈、四散した瓦礫の山は、残らず凍っていたのだから。
“春の国”楼銀にあって、彼を取り巻く一帯だけは、冷たく閉ざされた冬そのものだった。
(……寒い)
いよいよ深まった宵闇の最中、吐く息の白さがはっきりと分かる。体温を保とうと蹲るような体勢になったアルは、そのまま疲れたように瞼を伏せた。寒い所は嫌いだ。身体に沁み付いた“かつての記憶”が、その心をも凍らせてしまうようで―――
「おいクソリーダー、生きてるか」
「―――」
思い出したように再び視線を宙に浮かし、覇気のない声を投げかけた。瓦礫に埋もれるようにして横たわる彼の敵にかつての威勢など何処にもなく、文字通り微動だにしない。うつ伏せた白い顔が時折苦しげに歪められる事で辛うじて息がある事が判断出来るものの、もう喋る気力すら無いようだ。
少しばかりやりすぎたか、そんな舌打ち混じりの思考は、突如インカムに入った通信により中断された。直ぐさま耳元で光る受信ランプを押せば、ザザ、と空気に混じるノイズが程よく鼓膜を揺らす。
『アルス? 良かった、やっと通じたようですね』
「クレイドか」
『其方の状況はどうですか』
「嗚呼、終わった。その代わり、家一軒潰しちまったが」
『―――使ったのですね、力を』
「……悪い」
思わず声が沈む。インカムの向こうから、クレイがふ、と苦笑する気配がした。珍しくもしおらしい態度のアルを、無闇に責めるつもりはないらしい。
『まぁいいでしょう、お咎めは全て終わった後です。ともかく、今現在こちらは動きが取れません。イルジクトが回復するまでは、貴方も其処を動かないで下さい』
「イルジクト……平気なのか。お前も」
『平気ですよ―――と言いたい所ですが、正直な所かなりの痛手ですね。ですが、此方は此方でどうにかします。今は、自分の体力を温存しておく事を優先してください』
「……分かった」
『ああそれと、』
指が通信ボタンを離れようとした寸前の事、まだ続くらしいクレイの言葉に再び意識を向けたアル。
二分休符ほどの間を置いて再度口を開いたクレイは、柔らかさにほんの少し悪戯心を含めた何時もの声音で、
『通信が可能なら、レイさんと雷佳姫にも連絡を差し上げて下さい。彼女たちも、貴方を心配していますから』
「…………」
レイ、雷佳。
自ら大役を託し、戦場から逃がした二人の少女の姿が脳裏に浮かぶ。クレイの口ぶりから察するに、彼女たちとは事前に連絡が取れたのだろう。どうやら二人とも無事らしい。飲み込んだ重い鉛が、じわりと溶けていくような安堵感。力なくぶら下がっていた腕に、漸く感覚が戻ってきたような気がする。
未だ笑えるような状況とはほど遠いが、アルは不器用にもゆるやかに口角を上げて。
「―――了解」
ゆっくりと、だが力強く頷いた。
『もっ、もしもし……?』
『レイ、電話ではないぞ?』
それから程なくして、早速通信を入れてみれば。
気の抜けるようなレイの声に、雷佳の苦笑が混じる。やけに息の合った二人の遣り取りに、懐かしさすら覚えた。そっと携えた笑みを悟られまいと、小さな咳払いをひとつ零し、わざと低い声音で言葉を紡ぐ。
「……阿呆は相変わらずみてぇだな」
『アル!?』
『アルスか!』
呟いた途端、二人して無線機に食いつかんばかりの勢いで反応が返ってきたものだから、驚いたのはアルの方である。きゃあきゃあとひとしきり歓喜の声を響かせた後、興奮冷めやらぬ様子の二人は大きく深呼吸して、
『無事だったんだね……! 良かった、本当に良かった……っ』
『ずっと音信不通だったものだから、心配していたぞ。大丈夫なのか? あのリーダーとやらは――』
「アイツなら地面で伸びてる、心配ねぇよ。そっちはどうなんだ。自意識過剰な機械は壊せたのか?」
『その機械なら四つ見付けて、そのうち三つは壊せたんだけど―――』
『残り一つが、まだ見付かっておらぬのだ』
「そうか……それだけ壊せりゃ上出来だ」
アルは満足げに頷き、やや素っ気ないながらも二人の働きを労った。元より戦いに関しては素人同然の彼女たちに、全て壊せるなどとは思っていない。寧ろ、アルにしてみれば思っていた以上の成果だ。残りは、他の動ける仲間が―――といっても、今はまともに動ける者は居ないに等しいのだが―――どうにかしてくれるだろう。
そう考えたアルだったが、意外にも返ってきたのは否定の言葉。いいや、ううん、と、決意の籠った強い意思を、二人揃って彼に示してみせたのだ。
『全部壊すよ。残りの機械も、絶対に見付けるんだから!』
『しかし、これだけ探しても見付からぬとはな……あれだけ目立つフォルムであれば、見付けやすい筈なのだが』
『デジタル時計が光ってたもんね。それに、すっごい目に痛い色だし』
「…………」
二人の話を聞きながら、アルはほんの僅か首を捻った。何だ、この妙な違和感―――否、既視感、と言った方が正しいか。例の機械の事は、クレイドから話を聞いただけの筈なのだが。何処かで見たのだろうか? だが、何処で。
アルは思考を巡らせるべく固く瞳を閉じ、眉根に指を宛がった。何気ない情景に紛れ、今にも風化しかけている記憶。その中に、頼りない細い糸を手繰った先の些細な記憶の端に、何かが引っ掛かっている、ような。
「……骨董品」
『どうしたの、アル?』
「パーティーの後、集まった部屋にあった骨董品だ。あの中には、何が入っていた?」
『応接間にあった壺の事だろうか……? あれは飾り物ゆえ、何も入ってはいない筈だが。何故そんなこ―――まさか……』
ハッと息を飲むような雷佳の声。流石は一国の姫君というべきか、中々に勘の鋭い所があるようで、アルとしては話が早くて助かる。因みに隣のレイはというと、全く分かっていないらしく「え、え?」と終始クエスチョンを浮かべていたが、それはもう致し方ないと割り切る事にして。
アルは慎重に、限りなく正解に近い憶測を口にした。
「嗚呼、恐らくそのまさかだ」
『最後の一つは、王宮の中か! 道理で見付からぬ筈だ』
『あ、なるほど! 案外身近にあったなんて……灯台下暮らしだね』
「灯台下暗しだ阿呆。灯台の下に暮らしてどうする」
『もうっ、アルってばすぐ阿呆って言う!』
「阿呆に阿呆と言って何が悪い」
『何ですってぇ!?』
レイ、そう怒るな。すかさず宥める雷佳は実に慣れた様子であり、心なしか楽しんでいるようにも感じられる。元々気が合うようではあったが、何時の間にやら随分と仲良くなったものだ。こんな状況にも関わらず、否、こんな状況だからこそ、変わらず賑やかな二人の存在は少なからず救いになるというもの。しかし、だからといって気を抜く事は許されない。
戦いは未だ、終わってはいないのだから。
「レイ、雷佳」
不意に表情を引き締めて、マイクの向こうに呼び掛ける。揺るがぬ声が凛と響き、刹那の静寂を生み出した。その緊張感が伝わったのだろう、沈黙をもって答えたレイと雷佳は、大人しく続く言葉を待っている。
そう、この短い遣り取りの中で、彼は二人の大きな変化に気付いていた。本来なら護られる立場である筈の彼女達だが、
「―――頼んだぞ」
『うん!』『嗚呼!』
アルが精神的に頼れるほどに、二人の成長は目覚ましかったのだと。
夜半の風が、悪戯に美しい草花を散り散りにしていく。
吹き抜けていく夜風に赭の髪を遊ばせながら、クレイはひとり貴重な憩いの時を過ごしていた。大木に身体を預けたままで、そっと辺りを見渡してみる。デックとの戦闘を終えてから、一体どのくらいが経過したのか。多少時間の感覚が狂っているのは、彼の見る景色に現実味がないからだろう。あの激しい攻防は夢だったのかと思える程に、現在彼等が留まる丘は、水を打ったように静まりかえっていた。
ついと顔を上げたクレイは、更に遠くの景色を見ようと瞳を細める。真っ二つに割れた大地。好き放題に荒れた森林。所々煤けた垣根。戦いの爪跡が生々しく残る、容赦なく踏み荒らされた土地を目に焼き付けて、改めて現実を認知する。夢などではない、しっかりと見据えなければ。前を。
「―――…、……リーレ……」
ぽつり、不意に掠れた声が耳に届いた。
前方に向いていた視線をほんの少しスライドさせれば、其処には未だ自我との葛藤を続けているイルの姿がある。時折聞こえる呟きは聞き取る事が困難で、その大半はクレイに向けての言葉ではないようだったが、ほんの一瞬だけ―――イルが此方を見たような気がしたのだ。
「イルジクト? どうしました?」
ピクリ、と小さく肩が揺れる。
タイムリミットを迎えてから初めて、イルが意思を持って此方の呼び掛けに応えた。
「……トリーレの……解毒……ソラリ……が……」
今にも消え入りそうなか細い声が、辛うじて空気を振動させる。定まらない焦点が、何かを探す様に忙しなく動いていた。明らかに今迄とは様子が違う。
「イルジクト、私は此処に居ますよ。何か伝えたいのですね?」
クレイは直ぐさま立ち上がり、用心して距離を取りながらもその微かな声に耳を澄ませた。機械仕掛けのようなぎこちない動作で、一度クレイの居る方向を見遣ったイル。ひゅ、と短く息を呑む音と共に薄い唇を開き、何かしら言葉を発そうとしたようだったが、
どさり。
「イルジクトっ!?」
糸が切れたかのように、その場に倒れ伏した。
血相を変えて駆け寄ったクレイは、咄嗟にイルの首筋に数本指を宛がう。脈は弱いが、命に別状はないようだ。更に弱々しい呼吸はゆるやかに一定のリズムを刻んでいて、寝息のようにも聞こえる。否、実際に眠っているようだと気付いたクレイは、彼が自分で打った薬が睡眠薬であったのだと悟った。
幾ら強靭な精神力を持つイルといえど、生身の人間。いつまでもエトリーレの効力に抗う事など出来ない事は、百も承知だったと見える。そこで先手を打ち、薬で自身を眠らせるまでは、自我を保とうと考えたわけだ。
(本当に……うちのギルド員は無茶ばかりしますね)
呆れたような溜息が、自然と零れる。とはいえ、あの状態にありながら、それでも迷いなく仲間にとって最善の選択をするというのは、実に彼らしいとクレイは思う。そもそも並大抵の精神力では、此処まで耐え抜く事など出来なかっただろう。途轍もなく頑固な彼だからこそ、成せた業。
「お疲れさまでした、イルジクト。よくやってくれましたね」
クレイにしてはシンプルな言葉で静かに声をかけ、漸く休息を得た身体を木陰に横たえる。その傍らに座り込んだクレイは空を見上げ、無意識に月の位置を確認していた。かつて、これほどまでに夜明けを望んだ事があっただろうか。長い夜になりそうだ。
―――…ザザッ
ほんの少しだけ気を抜いていた矢先、ノイズに混じって入った通信に、一気に意識を覚醒させたクレイ。間髪入れず通信ボタンを押した彼の耳に届いたのは、予想だにしなかった人物の声で。
そう、起死回生の鍵を握る、たったひとりの―――
『―――よお、聞こえてるか?』
現状にはおよそ相応しくない陽気な調子で、“彼”は笑った。
良く聞こえている。クレイにとっては、聞き慣れた声。ただ驚きから呼び掛けに答えられず、クレイは一先ず冷静になろうとごくりと唾を飲み下してから、
「ソラ……、ソラリアですか?」
信じ難いという風に目と口を開いたまま、“彼”の名を呼んだ。
ソラリア・スタンリー。ギルドの中核を担う幹部の一人であり、シンビオス専属の料理人でもある。その彼の声を間違えようもないのだが、けれど、どうして。今頃忙しく任務で飛び回っている筈の彼が、何故此方に連絡を? 混乱真っただ中のクレイの様子を気にした風でもなく、彼―――ソラは淡々と続けた。
『おう、その声はクレイだな? 遅くなって悪かった、イルに頼まれた解毒薬を手に入れんのに手間取っちまってな』
「イルジクトに……?」
『何だ、聞いてなかったのか? たまたま任務で楼銀の近くに来てたんだけどよ、ついでだと思ってイルに連絡入れたら―――、ええと何だ……エトリーレっつったか。もしかしたらその厄介な毒が使われてるかもしんねぇから、念のため解毒薬を調合して持って来てくれって頼まれたんだよ』
ソラの話を聞きながら、クレイは隣で眠るイルに視線を遣る。成程、と漸く合点がいったように小さく頷いた。
先程イルが伝えようとしていたのはこの事か。そういえば、パーティーが終わったあとも、彼は何かを報告しようとしていたように思う―――その後立て続けに起こった戦闘に気を取られて、すっかり忘れていたのだが―――。
「……そういう事でしたか」
『嗚呼、今さっきやっと楼銀に入ったんだけどよ。……ひっでぇ有様だなこりゃ、美しい城下町が見る影もねぇ』
「ええ、本当に。詳しい現状を話すのは直接会ってからで構いませんか? 今は一刻も早く応援を頼みたいのです」
『オーケイ、任しときな! 今何処に居る?』
そうして口頭で現在地を説明したのち、通信は途絶えた。
「―――はぁ……」
長い間溜め込んでいたような深い深い息を吐いて、クレイはイルと同様に地面に横たわる。正直な所、これから先の事を考えると眩暈がしそうな途方もない気分に襲われて仕方がない。何とか勝利にはこぎつけたものの、本当に大変なのはこれからだ。無論、自分を頼りにしてくれている仲間の前では、そんな弱音など吐くつもりは毛頭ないのだが。
クレイは今一度立ち上がり、ジオラマのように小さく見える街を見下ろした。
まだ何も終わってなどいない。
この国に、その民に、笑顔が戻るまでは、まだ。




