采配の行方
護っているつもりだったのに、護られていたのは自分の方だった。それを痛感した遠い記憶の自分に、せめてあの時よりも成長しているんだと言える生き様を貫きたい。
―――失えないんじゃない、失わないんだ。
「は……ははっ、やっと一人っすか。本当にしぶとい人間だ……!」
ご丁寧にも動きを止めてくれている、目前の茶眼、地の妖術を操る妖怪デック。人間如きに追い詰められたという事実と、人よりも有能な生き物であるというプライドのようなもので負の感情が飽和し切っているのが見て取れる。流血の色を楽しげに、しかし余裕無く高らかに笑い声に変えれば、それに圧された様にその張本人、イルの身体が一度ふらりと揺らいだ。
目下の敵を打破しなければ、この先に進めない。だが、目下の敵以前に今は―――クレイは、自身の細剣に視線を落とした。
見比べるは、仲間と剣。
護るべき仲間と、護る為に必要な剣を。
―――殺せと言ったイルと、殺す為の道具を。
「―――さっさと死ねよ、これがトドメッ!」
モーションを掛けて、デックは再び振り絞った妖力を発動させた。狙いはイル一人、理由は何であれ、動きの鈍った相手から殺すに越したことはない。ダン、と手の平を大地に着き、一直線に土槍を飛ばした。
自らの意識に気を集中させているのであろうイルに、地面を低空飛行してくるそれを避ける手立ては無い。今現在その場に立ち尽くすことですら危うい彼に、妖術を避けろということが酷な話だ。イルは一人、クレイが居る位置からでは援護は間に合わない。殺れる、貰った―――デックがそう思った刹那、低空飛行していた土槍の軌道がぐんと急激に引き上がり、彼の心臓を貫く、
―――ザシュッ
軌道を描いた、
―――筈だった。
「……何で、」
「それが、何に対しての問いなのか私には判り兼ねますね」
土槍が人体を貫くのは、ほぼ決定された事項だった。妨害する障害物も、軌道をずらす現象も何も無かったのだから。なのに何故、何故彼がそこに居るのか。デックとイルを結ぶ一直線上から数十メートル以上後方に離れていた筈の彼が、
「正にこの世の者では無いモノを見ているような、そんな表情をなさっていますね」
“普通に考えて”居ることの出来る訳がないクレイが、土槍のターゲットであるイルを庇うような形で、そこに移動していた。有り得ないことが起こり過ぎている、身震いを起こしながらデックはそう考え、じわじわと迫り来る悪寒にはぎり、と歯軋りを加えて堪えた。クレイは頑なに口元に携えた笑みを崩さない、崩さない理由はたったひとつだけ―――彼は、決意を固めたのだ。
「クレ、……イド……」
背後から聞こえた自分を呼ぶ声に、振り向くことはしなかった。クレイは己の握る細剣の先を天に向けるように翳してから、思い切り空を薙ぐ。先程土槍を真っ二つに両断した剣は、少しの刃毀れもしていない。
「イルジクト、五分……いえ、三分だけで良い、意識を留めて下さい」
真剣にならざるを得ない眼差しが、驚愕の色を隠せないでいるデックの姿を冷然と貫く。背後からの返事が返って来なくても構わない、クレイは刹那、一度だけ瞬きをした。
「人間っていうのは凄いっすね、自我を失った部下に殺されても良いんすか」
何か言葉を紡がなくては、そう急いたのであろうデックの口から零れた言葉は、クレイの耳には酷く稚拙なものに聞こえた。自我の喪失が原因で動きを鈍らせていることに気付かれているのは仕方のないこと、確かに今、イルの意識が飛べばクレイは彼を―――否、本当ならばそうなる前に“対処”すべきであり、しなくてはならないのだ。
「……そうですね、今、私は馬鹿なことをしているのかもしれない」
幾らクレイとはいえ―――普通の人間では考えられない瞬発力で、瞬間的に恐るべきスピードを発揮出来る彼だとはいえ―――、この至近距離で背を突かれればただでは済まないだろう。だが、それでも。
「それでも、護る為に振るう剣で、護るべき仲間を犠牲にする方が―――俺にはよっぽど愚かに思える」
怜悧な思考に決意を込め、クレイは言い放った。ギルドの為に自らを殺せと言い放った彼を、どんなことがあっても護り抜く覚悟を。
(……イルジクトを気絶させようにも、彼が背後を取らせてくれる気がしません)
今ならもしや、とも考えたが、一時的に向ける戦意が今の彼に何らかの影響を与えてしまいそうで手が出せない。自我破綻に拍車を掛けてしまいそうなことをやり兼ねない今の状況を、打破する為に先ずやらなくてはいけないことは分かっているのだ。
だったら、やることはひとつ。
「―――先ずは貴方を、戦闘不能にさせてもらう」
もう笑みは要らない。
緑黄の鋭利な視線とその手の切っ先を、倒すべき敵へと向けた。
先に動いたのはデックの方だった。
あの動きに対抗しろなんて無理言わないで欲しい、それが内心ではあったが、そんなことを言える訳もない。先の攻撃ですら絞り出した最後の力だったというのに、妖力切れの著しい今、この目で追うことすら難しいあの動きに対抗する術など無い。自らの身体能力で跳び退けるだけ後退をし、デックは焦る。
「人間風情に負けるなんて有り得ない! 妖怪より下等な種族に―――」
それより先の言葉を発する時間は無かった。デックは視線を右に走らせると同時に、身を屈めて大地に手を着く。瞬時に形成された土の壁だが、既に妖力切れの彼が作り出せるそれなど当初の絶対防御壁に比べればただの目晦まし程度の効能でしか無い。形成されたとほぼ同時、綺麗に入った斜めの線は刹那土の壁を泥へと還元させ、デックは反対側へと身を投げ出した。
「未だ力が残っているみたいですね」
「くっ……!」
受け身を取れば素早く起き上がるが、代償の影響で身体がいうことを効かず、立ち上がろうとすれば膝からがくりと崩れ落ちたデック。それを見逃すことなく右足を踏み切るはクレイ、土の壁にすら容易に一線を描いた細剣を構え直し、再び相手との距離を瞬時に詰めた。
「いえ、体力を糧に捻り出している、というべきでしょうか」
「なんて身軽さ……ッ」
踏み込む時の隙など一切伺えない、地を滑るようにして動くクレイにデックは今一度驚愕をする。最早転がるようにして追撃を避ければ、デックは起き上がることを諦め再び土槍を突き立てた。
「ですが苦し紛れで、妖力を無駄遣いをしない方が宜しいのでは?」
「五月蝿い!」
体力というエネルギーを妖術に変換している為、先程から始まった息切れがデックの動きを更に鈍らせる。当然のように避けられた攻撃の余韻など双方どちらにも存在せず、バランスを崩しながらも立ち上がったデックと、剣で虚空を振り抜いたクレイ。一定の間隔を空けて再び相対した二人の内、最初の余裕など既に面影すらないデックが、咆った。
「妖怪がただの人間に負ける訳が無いんだっ! 妖怪がっ! 人間如きに……!!」
確かにそれは事実だと、クレイは考える。自身に言い聞かせるように吐かれた言葉の意味は文字通り、人間は妖怪より劣る生き物であると、そう言っていた。
「僕が! リーダーが! お前ら人間を殺す! それはどんなことがあっても変わらない事実っす!」
「……それはそれは。高尚なる妖怪様は、未だそんな戯言を吐けるのですね」
皮肉でしかないクレイの言葉も、感情の高ぶったデックには届いていないのだろう。そう、誰もがそう思っていたからこそ、次に出た彼の行動も苦し紛れの所業としか思えなかった。
「このぉ!!」
掛け声、そしてデックが腕を力任せに振ったと同時に、クレイの視界が黄土色に包まれた。
(砂煙―――……このエリア一帯に……否、)
そんな力が、彼に残っている訳が無い。そうとなればこの砂煙はクレイ一人の周りにだけ発生させられたもの、元より視界に頼った戦闘はしないクレイは、気配のみで敵を追った。恐らく勝負は、この砂煙を抜け出した時が決着の時。
キュイイン―――聞き慣れない効果音を合図に、クレイは気配目掛けてその砂煙を抜け出した。
「―――言ったでしょう、僕は、お前ら人間を殺すって」
かちり。
ズガァアアアアアアアン!!!!!!
やけに落ち着いた一言の後、再び鳴り響いたあの轟音。鼓膜を劈くあの破壊音が、エリア一帯の静寂を奪い去った。あんな砂煙しか起こせない程疲弊していても、バズーカのひとつすら担げなくとも、地に落ちたそれの引き金を引くことくらいは出来る。視界の端にちらちらと映っていた充電完了の緑色のランプの元へ走り込む為、その為だけにデックは力を振り絞った。
「……は、はは、……当たったっす」
彼を今動かしている原動力は先に述べた通り、執念以外の何物でも無い。だから其処を狙えたし、今の砲撃の方へクレイが飛び出してくることも分かっていた。執念が生み出した第六感、渇いた笑みだけが、デックの感情を支配していた。
一度クレイが拾い上げた、彼のリーダー作の改造銃―――名前は長い為割愛―――。地に投げ捨てられたそれは、クレイの居る位置からほんの少し左に逸れた向きに照準が合っていた。だからこそ、デックはそのまま引き金を引いた。人間離れした動きをする彼の敵が、砲撃の向きに気付いたとしても―――後ろに守るべき仲間が居れば、絶対に避けることは無いと、デックは悟っていたから。
「本当に避けなかった……ははっ、はははっ! はははは―――」
「避ける訳がないでしょう、」
「は……」
―――土煙の中から声がする、破壊力だけが取り柄のあの砲撃を喰らった筈の、兵の声が。止んだ笑い声と共に見開かれた茶眼は、其処に確かな人影を捉えた。嘘だ、もうそうとしか考えられないデックの思考の外、剣を握るその腕だけを負傷させ、煤けてしまった着衣を纏い、視界の晴れやかな場所まで歩を進めてきたクレイ。
「麻痺の効果が身体に回ってきた様で、差ほど痛みは無いのですが、」
(嘘だ……あの砲撃を……腕一本で作り上げた空圧で耐えたなんて……!)
「私の仲間に危害を加えたこと、―――それは万死に値するといっても過言では無い」
もう、分からない。何がおかしいのかも理解出来ない、デックは身動きひとつ取れず、戦く身体を気力で押さえ込んだ。
つかつかと、歩み寄って来る影にもデックは反応出来ない。ただひとつだけ、頭に過ぎった言葉だけが、彼に渇いた笑みを取り戻させる。
「はは、……そうか、抱いた時点で呑まれていたんすね。―――“恐怖”ってやつに」
座り込んでいた彼はその言葉を最後に、意識を飛ばした。
―――ザ、ザザ―――
「レイ、レイ……何か聞こえぬか?」
「え? ……む、無線機!?」
辺りに人気が無いことを確認してから、ほんの少しだけ休憩をしようと決めたのは数分前のこと。石垣の上に置いた無線機にノイズが走ったことに気付いたレイは、慌てて無線機をひったくった。
「え、えっと、これを押せば良いんだよね……?」
「そうだ、流石に使い方が分かってきたな」
『―――それは何よりです、レイさん、雷佳姫』
かちり、と無線機のボタンを押すのと同時に二人の耳に届いたのは。
「クレイドさん!」「クレイド!」
『お二人が無事で良かったですよ』
二人が走り出してから、未だ一度として無事を確認出来ていなかったクレイの声だった。それはこっちの台詞です、掛けられた言葉にそう思ったレイだったが、優しげで柔らかなその声に安堵し言葉を返すことは出来なかった。
「そなたも無事なのだな?」
そんなレイに代わってか、ずいとレイの持つ無線に身を寄せて、雷佳は問う。ええ、まぁ―――聞く人によっては歯切れの悪い台詞に聞こえたかもしれないが、そんなことをレイや雷佳が思うよりも早く、無線機越しのクレイは口早に現在の状況を伝えた。
『あの大嵐が止まったのは言わずもがな理解して頂けると思いますが、その大嵐を起こしていた張本人であるカロディルナの一人は既にサイが無効化してくれたことでしょう』
(サイファンさん……)
あの地下道で彼女と別れた、よって、今のレイには彼女の安否が分からない。きっと大丈夫、そうやって自分の心を落ち着けながら、レイは一人拳を強く握った。
『そしてもう一人、三人の内の二人目を、たった今捕縛したところです』
「え……!? クレイドさん、無事なんですか!?」
『えぇ、この通りですよ、レイさん。……私は、ですが』
あっさりと述べられた事実につい素っ頓狂な声を上げてしまったが、声しか聞こえないこの状況で彼が本当に無事なのかどうか、レイには到底分からないことである。声音を聞く限りでは確かに無事な様だったが、ほんの少し沈んだ様子のクレイに、レイと雷佳は顔を見合わせた。
『良く聞いて下さい、レイさん、雷佳様』
穏やかで誰もを安心させるテノールが、再び張り詰めた雰囲気を取り戻す。
『此処から、というのは少々遅過ぎる気もしますが―――現在我々は、余念を許されない状況下にあります』
「……」
「……はい、理解してる、つもりです」
雷佳の沈黙と、レイの首肯がクレイの言葉を促した。
『相手はたったの三人、そして残りは後一人。現在、その最後の一人と交戦しているのはアルス……のはずですが、連絡が取れない以上どうなっているのか私にも認知出来ていません。そして、その最後の一人を捕縛出来たとしても、我々には未だやらなければならないことが残っています』
「あの、自意識過剰な機械……ええと、名前何だったっけ……」
「アルテミス……だったか、」
『アルテミスフューチャー005、と、言っていましたが……名称などどうでも良いのです、あの効果増幅器の無効化。そしてもうひとつ―――この国の民を正気に戻す、……それが出来なければ、この戦いに意味が無くなってしまうのですよ』
この戦いの意味。
クレイやイルが王宮に残って、雷佳とレイを逃がした意味。
アルが怪我の治りきらない身体で、戦いの場に立った意味。
サイがあの大嵐に、たった一人で立ち向かっていった意味。
その全てが、無意味になるというのだ。その、全てが、
(そんなの……!)
「絶対にさせぬ」
無線を握る手に力を込めたのとほぼ同時。レイの思いを代弁するかのようにそう言ったのは、
「妾の国の民は必ず元に戻す! そして、そなた達の行いを無意味になど―――無駄になど、絶対にさせぬぞ!!」
「雷、佳……」
その向こうに敵が居るかのように無線機に噛み付いた、今回の依頼に於いて守らねばならない対象であるはずの雷佳だった。
「クレイド、妾に力は無い。そなた達が居なければ、妾は無事ではなかっただろう。だが、妾は諦めぬ、絶対に。諦めなければ、きっと道は繋がる!」
「雷佳……」
「のう、それであろう? レイ」
ふわりと、けれど何処か力強く。レイに向けて片手を差し出した雷佳のその双眸は、確かに未だ、諦めてはいなかった。そうだね、レイはその手を掴んで元気良く笑い、雷佳に倣って無線機に向けて、叫んだ。
「諦めません! 私達に出来ることを出来ることから潰します! 残りあと一つの機械も、きっと見つけてみせますから!」
(―――強いな)
動く左手で握った無線機の向こうから、時折ノイズを交えて聞こえる二人の守るべき存在の決意に、クレイは苦笑を浮かべた。ただ守られるだけなんて嫌―――言葉にされずとも伝わってくる二人の想いが、この絶望的な状況下の中でも一際輝いている。浮かべた笑みが消えることは無く、左手を下して、クレイは闇夜を仰いだ。
そう、状況は絶望的。気絶させたデックはロープで縛り上げ、今自分が凭れている大木の後ろに寝かせてある。そちらを見る訳では無いが、イルも直ぐ近くに居る。―――高熱を出したかのように苦しげで、今にも意識を飛ばしそうな状況を保ち続けながら。自我はある、自身が持っていた薬を打った形跡があったのだが、それが何の為の薬だったのかクレイには分からない。一時はなかなか彼を殺さない自分に痺れを切らし自害を謀ったのかとも思ったが、そうでは無かったことが今も意識を保つ彼自身によって証明されている。
(諦めていないのは、彼女達だけではない。……と、いうことですよね)
イルは時折何かを呟いているのだが、それはクレイに向けて放たれた言葉ではないのだろう。それを証拠に、呟きに反応をせずともイルは何のアクションもしてみせなかった―――ただ出来ないだけなのかもしれないが―――。
先程レイが言った“あと一つの機械”というのは、彼のリーダーが作ったとされるアルテミスフューチャー005のことを言うのだろう。自分の知らぬ間に五つの内の四つをも見つけていたことには正直驚きだが、それでもあと一つ。まともに動ける人間がこれだけしか居ない状況下に於いて、壊さなければならない機械が一つに、未だ見つかってすらいない機械が存在する。
こつん、後頭部を軽く大木に打ち付け、隠すことなく溜息を吐く。瞼を伏せ今一度、緑黄の双眸を以って虚空を捉えた。
『……クレイドさん? ……あれ? 未だ切れてないよね? 何かあったのかな……』
『……?』
「レイさん、雷佳姫」
そして背凭れた木肌から背を離し、ほとんど動かない右腕は放って、左手の無線機へと再び呼び掛けた。
「私とて、諦めてなどいません。ですから、」
不甲斐ないとは思う、守るべき相手にその言葉を投げ掛けるのは。
それでも、背に腹は変えられないのと、彼女達の想いを無碍にはしたくなったのと。数々の理由を聡明過ぎる脳裏に駆け巡らせながら、クレイは告げる。
「―――どうか、力を貸して下さい」
(俺は、)
―――負け戦の采配など、握る気は無い。無論、仲間を失うつもりも。
表情すら伺えないが、それでも未だ、自分同様に諦めの色を見せないイルに視線をくれながら。無線越しに響いた二つの肯定に、クレイは笑みを浮かべた。




