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消えない残光





(出て来なさいったら出て来なさい)

(自意識過剰な機械……!)






 弾む息を切らして、二つの人影が宵闇を駆け抜ける。


 夜の帳は隙間なく街全体を包み込み、濃紺から漆黒へと舞台の色を塗り替えていく。見上げれば満天の星と上限の月。自然豊かな楼銀の夜空は、この異常事態にあっても変わらぬ美しさで静寂を支配していた。

 だが、今の彼女らに天空を見上げる余裕などある筈もなく、痛み始めた足を動かす原動力はただ一つの使命感のみ。大切な仲間と共に、この国を守る。実に単純明快なものだが、二人の純粋な心を動かすには充分な理由だ。澄んだ空気が徐々に体温を奪おうとも、止まってなどやるものか。




「雷佳、こっち!」


 ぐん、と勢い良く腕を引っ張られ、雷佳は急激に方向転換した。つっかえながらも入り込んだ脇道に身を隠し、一体どうしたのだと視線のみでレイに問う。返答は無かったが、その引き締まった横顔を見れば聞かずとも分かる。追手が居たのだろう。街の中心地から大分離れていた為に確実に民は減っていたのだが、やはりまだ油断は出来ないという事か。

 可能な限り息を殺し、塀の陰から様子を窺ってみると、











「ンメエエエエエー」


「「…………」」

「雷佳、あれ」

「うむ。ロウインヤギだな」

「え、羊じゃなくて?」

「いや、我が国ではロウインヤギと―――」

「そんな事より!!」



 不用心にも声を張り上げて、レイはビシッと羊―――もとい、ロウインヤギを指し示した。

 訊いておいて会話をぶった切る彼女のマイペースさにもそろそろ慣れたのだろう、気を悪くした風でもなく、雷佳は彼女の指を追って目を凝らす。


 ロウインヤギの背中には、毒々しい緑色の機械が括り付けられていた。見覚えのあるフォルムだ。ロウインウサギに取り付けられていたものよりもサイズは大きいが、“自意識過剰な機械”と見て間違いないだろう。



「もうっ、あのカロ……カロ何とかの奴ら羊さんにまで動物虐待して!!」

「ロウインヤギぞ、レイ。それは兎も角、でかしたな。漸く四つ目を見付けた」

「うん、早く取ってあげなきゃ」

「しかし気を付けろ、ロウインウサギと違ってあやつは凶暴なのだ」

「そっか。じゃあ餌で釣るとか……」

「好物はビーフジャーキーだな」

「肉食なの!?」











 ―――…ザザッ


 まるで緊張感の感じられない会話の最中、人工的なノイズが一瞬だけ葉音に混じった。



「今何か……」

「? どうしたレイ」

「聞こえたの、アルの声が!」


 雷佳の耳には雑音としか認識されなかった微細な音だが、レイは耳聡く仲間の声を拾っていたらしい。ひったくるようにしてポケットから無線を取り出し、オンを示す通信ランプを注視する。一言も聞き洩らすまいとじ、と神経を集中させていれば、やがて数秒の間を置いて。






『さっきまでの威勢は……した。顔色が悪  ぞ』

『―――…ルス・イルバート。テメェやっぱり  だったのか』



 冷静と驚愕。相対する感情を纏った声が、レシーバーの向こうから流れて来る。聞き取れる声は途切れ途切れではあるが、会話の内容からしてレイ達に向けた通信ではなさそうだ。恐らく繋ぎっぱなしになっていた受信機が、偶然アルの無線電波を傍受したのだろう。

 もっと良く聞こえないかと開けた通りに移動してみれば、耳障りなノイズが徐々に収まっていく。よりクリアになった音声に、今一度耳を傾けてみた。



『嗚呼。お前に隠し立てする義理なんざねぇしな。これで心置きなく叩き潰せる』

『……ざけんなよオイ。そんなんアリかよ、反則だろーが……ッ!』

『は、この期に及んで反則もクソもあるか。テメェが売ってきた喧嘩だろ、僕はそれを買ってやったまでだ』



 やがて冷静は冷酷へ、驚愕は焦燥へと。

 聞き慣れていた筈のアルの声音は何処までも淡々としており、もしも対峙していたならば、仲間のレイですら平静を保てそうにない。


 そうして気付いた。元々怒りっぽい気質ではあったものの、彼は今迄一度たりと本気で怒った事などなかったのだ。無線機越しでも充分に威力があるこの威圧感。逆鱗に触れてしまった当の相手は、一体どれほどのプレッシャーを感じているのか。最早想像すらしたくない。




『……そういう、事か』


 呟く声に嘲笑が混じる。レイの予想に反して、アディは早くも落ち着きを取り戻したようだった。


『くくっ、まさかテメェがあのアルス・イルバートだったとはなあ。かの有名人が人間に混じってヒーローごっこやってるたぁ、笑うしかねーよ。裏切り者の半人前にゃお誂え向きじゃねーか! なぁ!』


 尚も挑発を続けるアディに対し、アルが返したのは短い溜息ひとつ。



『お前の下らねぇ演説は聞き飽きた』



 吐き出す様な乱雑さで、言い捨てられた言葉を最後に。これ以上会話を続ける気はないとばかりに、アルはその凄まじい気迫を尖らせた。


『もう一度言うが、手加減なしだ。一瞬でも気ィ抜いたら即刻地獄行きだと思え』

『ハッ、そう来なくっちゃな! 来いよ、アルス・イルバート。俺様も本気で相手してやる』











 プツン。

 通信は其処で途絶え、後には砂嵐のようなノイズだけが残った。耳障りな雑音はそれまで以上に強く、何度通信ボタンを押しても繋がる気配はない。


「切れちゃったね……」

「うむ。何やら強烈な電磁波が発生したらしいな、酷いノイズだ」


 物言わぬ小さな機械を見詰めたまま、二人は揃って眉根を寄せる。アルの居丈高な態度がハッタリでなければ、少なくとも状況は不利ではなさそうだ。しかし、アルについて何か知っている風だったアディの口振りが気にかかる。

 裏切り者。半人前。嘲るようなその言葉が何を示しているのか、レイには分からない。本当に分からない事だらけだ。アルに勝算はあるのか、サイファンさんは無事なのか、クレイドさんとイルジクトさんは今何処に、この戦いの行く末は―――




「そんな顔をするな、レイ。そなたの仲間は強い。そうであろう?」


 不意に紡がれた言葉に、レイはゆっくりと顔を上げた。

 力強い彼女の声は、何時だって燻る不安を溶かしてくれる。



「そしてそなたも、強いではないか」



 寒空に沁み込む、凛とした声。しなやかで長い指が、冷えた頬を器用に包み込んだ。薄紅の瞳に覗き込まれ、レイは自信無さげに視線を泳がせる。

 強くなんかない。自分に出来る事といえば、この優しい手を見失わないように掴み続ける事ぐらいだ。



(それが、今の私に出来る唯一の事)



 仲間の役に立ちたいから。大切な人を護りたいから。



(だから果たそう、私の役目を)




 ただ真っ直ぐに、前を見据えて。


























「ちょこまかちょこまかと、しぶとい奴らっすね!!」



 鳴り止まない轟音と硝煙の匂いが、辺りに充満する。たった数時間で、小高い丘は今や地形を変える程に荒らされていた。

 嵐のように襲い来る砲撃、雨のように降り注ぐ槍、細かな土の粒子はデックの意のままに形を変え、変幻自在に二人を追い詰めていく。右へ左へ上へ下へ、休む暇なくデックの波状攻撃を避け続ける彼等は、同時にじわじわと底を尽きそうになる体力とも戦っていた。にも関わらず、クレイにもイルにも焦った様子は見られない。


 交互に色彩を変える金と茶。その瞳から目を離す事なく、辛抱強く勝機を待つ。



「つまらないっすねぇ、逃げてばかりじゃこの僕は倒せないでありますよう」


 そんな彼等の姿勢に痺れを切らしたのか、怒涛の勢いを見せていたデックの攻撃がピタリと止んだ。不満げに口を尖らせる彼は、バズーカを地に下ろしてわざとらしく両手を広げて見せる。反撃はまだかと、相手の攻撃を誘うように。


「そろそろですかね」

「嗚呼、恐らく」


 しかし、生憎敵の誘いに素直に乗ってやる程単純な二人ではない。目前の少年を見遣ったまま意味深に言葉を交わし、それきり口を閉ざして相手の出方を静観する。

 自分の言葉が黙殺されたと見るや、デックはいよいよ機嫌を悪くしたようにピクリと眉を動かした。ギラリ、見開かれた双眸が、これまでとは比べ物にならないほど強烈な光を宿す。



「嗚呼、嗚呼、本当につまらない。所詮はこれが人間の限界でありますか。ならこれで終わりっすよ!」


 癇癪をおこした子供のように大声をあげたデックは、片足をふわりと浮かせ、勢い良く大地を踏み締める。


 刹那、全ての大気が呼吸を止めた。

 地の底から湧きあがる地響きが広大な土地を揺さぶり、肥沃な大地が悲鳴を上げるように軋んでいく。やがて発生した小さな亀裂は、いとも容易く堅い地面を真っ二つに引き裂いた。




「……ッ!」



 咄嗟に回避行動を取ったのは二人同時、素早く地面から離れて高い木の枝に飛び移ったのが幸いし、何とか難を逃れた。ほっとしたのも束の間、ぶら下がったまま地を見下ろして愕然とする。先程までしかと足を踏み締めていたはずの大地は、あっという間に底の見えない崖と化していた。全身のバネを最大限活用して漸く避ける事が出来た大技に、改めて息を飲む。



「つくづく悪運の強い奴らっすね。まぁいいや、これでフィールドも狭くなった事ですし。直ぐに谷底に叩き落としてやりますよ……、っと」



 数メートルはあろうかという崖を軽々と飛び越え、デックは二人の真下に移動してバズーカを構えた。今の態勢では、直撃は免れない。
















「よい夢を。シンビオスのつわものたち」




 ――――ガシャン、


 万事休すかと思われたその時。

 響いたのは砲撃ではなく、重々しい落下音。


「ち……っ、流石に妖力を使い過ぎたっすか」


 舌打ち混じりに毒付くデックは、取り落とした自らの武器を拾い上げようとするが、どうしたことかピクリとも動かない。まるでバズーカの重量が急激に増したかのように―――というよりは、寧ろ彼の力の方が弱くなっているように見えた。


「成程。それが貴方の“代償”という訳ですね」


 トス、と安全な場所を選んで着地し、クレイはデックが取り損ねた武器をひょいと拾い上げる。見た目以上に腕に負担をかける重み、けれど持てないほど過重なわけではない。

 続いて枝から飛び降りたイルが、レンズ越しの瞳を細めてぽつりと口を開いた。


「筋力低下、といったところか」


 落ち着き払った彼等の様子に、今度はデックが愕然とする番だった。


「―――まさか。今迄逃げ惑っていたのは、妖力を無駄使いさせる為だったと……?」


 クレイとイルを交互に見比べ、乾いた声で問う。すると二人の口許に、肯定を示す笑みが浮かんだ。






「不思議に思ってたんですよ。これほど強大な力を持つ貴方がたが、何故人工の武器を必要とするのか」


「確かに力は強大だが、妖力は無尽蔵ではない。無闇に使えばあっという間に底を尽き、その上代償によって身体を蝕まれる」


「そこで、妖力とバズーカを併用する事で少しでも力の消耗を少なくしていた。つまりその武器は、己の弱点をカバーする為のものなのでしょう?」


「ならば此方から下手に攻撃を加えるよりは、避ける方に集中して相手の自滅を誘えばいい。君の代償が現れるまでな」



 そうして今、彼は代償によってバズーカを持てなくなった。代償が現れたという事は、当然妖力も尽きているという事になる。




「さぁ、覚悟はいいですか」

「お待ちかねの反撃だ」



 じわりと両側から間合いを詰められ、デックは怯んだように一歩後退した。恐怖からか悔しさからか、整った顔が見る見る歪んでいく。




「まだ―――…まだ僕はっ!!」




 声高に叫んだかと思えば、ひび割れた大地を乱暴に掴んで握り締める。絞り出した妖力に反応し、数本の槍の群れが真っ直ぐに二人を襲った。先程より数は少ないものの、スピードは落ちていない。


「もう妖力は尽きている筈なのに……。執念ですかね」


 飛び来る土の槍を体勢を低くする事で回避したクレイは、ふと視線をずらしてぎょっとする。同じく攻撃を避けていた筈のイルの右肩が、深く貫かれていたのだ。

 苦しげに膝を付いた彼は、片手で槍の柄を掴み、そのまま握りつぶす。形を無くした槍はさらさらと元の粒子に戻り、土に還っていった。その上に、ボタボタと鮮血が沁み込む。



「イルジクトっ!!」

「――――…ッ」



 様子が可笑しい。大分体力を消耗していたとはいえ、彼ならばあんなヤケっぱちの攻撃程度、問題なく避けられる筈なのに。



(まさか―――)









『クレイド、もし俺が壊れたらさっさと殺せ』



 クレイの脳裏に過ったのは、誰あろうイル自身の忠告。



(タイムリミット……こんな時に!)



 恐れていた事態が起こった。イルの全身に、エトリーレの毒が完全に回ってしまったのだ。額に浮かぶ大量の汗。彼は全身を震わせながらも、必死に己の自我を繋ぎ止めようとしているようだった。そんな仲間の姿を目の前にして、クレイは強く唇を噛む。

 彼は言った。依頼に支障をきたすのなら、とっとと殺してくれて構わない、と。




(……冗談じゃ、ありませんよ)



 死なせはしない。仲間の命を犠牲にしなければならないのなら、例え勝利を掴んだ所で意味などないではないか。シンビオスという大きな組織をその身に背負うクレイには、誰一人として失う気などなかった。




 そう、欠けてはいけない。誰一人として。

 瀕死の仲間と血走った茶眼をそれぞれ視界の端に捉え、クレイは更にその眼光を鋭くした。





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