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それぞれの正義

 自然の猛威は恐ろしい、という認識は、例え次元が違おうとも変わりは無い。


 自然災害とは無縁であった筈の春の国“楼銀”に、突如として現れた巨大な暴風。

 今や不気味な大蛇のようにどす黒くとぐろを巻く嵐は、何もかもを呑み込まんと刻一刻と勢力を拡大している。暗闇の中で低く垂れ込める曇天に稲妻が走ったかと思えば、叩き付けるようなスコールが急激に周囲の気温を下げた。出鱈目に吹き荒ぶ風はありとあらゆる無機物、有機物問わず容赦なく巻き上げ―――それこそ小さな小石から大きな瓦礫まで―――、この平和な国を更地に変えようとしていた。



 ―――本来ならば人に恩恵を与える筈の自然が、悪意を持った瞬間。






 サイは更に強くなった風圧に耐えるように、掴まっている大木に爪を立てる。同じ様に木の幹にしがみ付いているクレイとイルの無事を確認しようと首を動かしてみるが、最早目を開けているのも難しく、絶えず立ち昇る砂利と土埃で呼吸すら儘ならない。それでも一人の戦士として敵の姿を見失うまいと、自然に悪意を持たせた張本人であるアートを鋭く睨み付けた。

 これだけ凄まじい風圧だというのに、術者であるアートは大して風の影響を受けないのか、しっかりと自分の足場を保っている。これだから妖怪は狡いのよ!、等と毒付く暇もなく、周りを巻き込みながらゆっくりと成長する嵐は、やがてアートをも飲み込み、術者自身の姿すら隠してしまった。


「うそ、まさか巻き込まれた……!?」

「いや、恐らく“台風の目”に入ったんだろう。其処が最も安全地帯だからな」


 思わず目を見張るサイに、イルは努めて冷静な口調で答えながらも微かに表情を歪めた。自らの技に巻き込まれる程、彼女とて愚かではない筈。一旦嵐の中心に入ってしまえば、飛び交う石や瓦礫に当たる事もなく、その上クレイ達も簡単には手出し出来なくなるという訳だ。周到だと(のたま)う弁は、口先だけではない。常に人を凌駕する妖怪の知恵というものを、改めて思い知らされる。

 そんな何とも言えない焦燥を助長させるように、手元の木がミシミシと嫌な音を立て始めた。今にも壊れる寸前のようなその音にギョッとして我に返った三人は、顔を突き合わせて息を呑む。




「ね、ねぇちょっと、折れそうよこの木! このままじゃ吹き飛ばされちゃう……!!」

「困りましたねぇ。この風速で吹き飛ばされて壁に激突でもしたら―――」

「無事では済まないだろうな」

「ちょっと二人共! 少しは真面目に考えてよ!!」
















 ガチャン。


 彼等の暢気とも取れる会話を余所に、殺意の籠った無機質な銃器の音が木霊する。

 嵐から数十メートル離れた家屋に避難していたデックは、割れた窓からバズーカを突き出し、心底楽しそうにその口許に笑みを形作っていた。短い雌黄の髪が風に靡くのも構わず、彼はじっとスコープから目を離さない。



「中々しぶとい奴らっすねー、さっさと吹き飛ばされて潰れちゃえばいいんすよ」



 その表情には似つかわしくない辛辣な台詞には、何の感情も存在しない。彼らにとっては、虫を殺すのも人を殺すのも大差は無いのだ。

 ひと欠片の躊躇いもなく引き金に指をかけたその一瞬。ある意味純粋な殺気が宿った海老茶の双眸に、鋭い光彩が走った。嵐の轟音の中にあっても尚その威力を損なわないであろうバズーカの照準が、真っ直ぐにクレイ等へ向けられる。




「アディオス、勇敢なる戦士の皆さん」
















 ―――ドゴオオオオオオオオン!!!



 家屋から放たれた砲弾はクレイ等の頭上を掠め、大木の上半分を盛大に吹き飛ばしてしまった。命中こそ免れたものの、いよいよバランスを崩した木が、風圧に耐え兼ねて右へ左へ大きく傾く。目に見えて青褪めたサイは、完全にパニック状態で金切り声を上げた。


「もう駄目よ! この木じゃ支えられない!!」

「……どうする、クレイ」


 イルに問われたクレイは数秒瞳を伏せ、何かを模索するように眉根を寄せている。そうしている間にも、破壊された木はその巨体を大きくうねらせ、今にも地面から離れようとしていた。

 それでも彼は一切の焦りを見せる事無く、素早くサイに視線を向ける。



「―――サイ。貴女の大剣、少しの間貸して頂けますか」

「え!? いいけど、剣なんて何に使うのよ」

「説明は後です、早く此方へ」



 この状況では、武器など何の役にも立たないというのに。訳が分からず困惑するサイだが、クレイの真剣な表情を見れば、何か考えがあるのだという事ぐらい直ぐに悟れる。彼女は迷う事なく頷きを返すと、背中に固定しているベルトを片手で外して剣を下ろした。

 ミシミシ、メキ。耳元で生々しい音を立てる木の悲鳴に追い立てられるようにして、サイは彼に自らの命運と共に武器を手渡す。ずし、と予想以上に感じられた重厚な重みに少々驚いた様子のクレイだったが、それでもしっかりと受け取って前を見据えた。



「二人共、しっかり私に掴まっていて下さい」



 その言葉を合図に、サイはクレイの背中へ、イルは腰へとそれぞれしっかりと掴まった―――その直後の事。


 バキバキベキ、バキンッ!!

 ついに風圧に耐え兼ねた大木が弾かれるように地面から引き剥がされ、支えを無くしたクレイ等は、為す術も無く吹き飛ばされてしまった―――
















「ちぇっ、外したっすか。やっぱりこう風が強いと狙いが定まらないっすねぇ。ま、どっちにしても無事では済まないでしょーけど」



 不貞腐れた子供のように肩を竦めるデックであるが、次の瞬間には早くも勝利を確信したようににんまりと笑みを深めていた。

 リーダーに報告、と思い出したように独り言つと、壁に背を預けて床に座り込み、ポケットから無線を取り出してスイッチを入れる。赤いランプが点滅したのを確認すれば、通信部分をトントン、と指で数回叩いてみた。



「リーダー、聞こえますか」

『あん? 嗚呼、デックか。今取り込み中だから手短にな』


 何時もより口早に喋っている所を見れば、アディは未だ戦闘真っ最中らしい。彼ならばもうとっくに倒している頃だと思っていたのだが、向こうの敵も中々手強かったのだろうか。デックは少しだけ首を傾けつつも、得意気に現状を報告してみせた。



「こっちは片付きましたよう、奴ら嵐に飛ばされていったっす」

『お、でかしたぞデック! しっかしまだ油断出来ねえなあ、何せこいつ等思った以上に―――っらァ!!』




 ガッシャアアアアン!!!


 突然の怒号の後に派手な破壊音が響き渡り、デックはビクリと肩を撥ね上がらせた。何事かと耳を澄ませていれば、硝子にでも突っ込んだのだろうか、やや遠くの方から低い呻き声が聞こえる。続いてふう、と一息つくようなアディの声が聞こえ、何事も無かったように先程言い掛けた言葉を紡いだ。


『思った以上にしぶてえからな。死体の確認ぐらいしとけよ?』

「へーい、了解っす」


 ぷつん。内容のシビアさとは裏腹に、まるで緊張感の感じられない返答を最後に、通信は途絶えた。

 デックは徐に座り込んでいた床から立ち上がり、ぐっと背伸びをする。完全に気を抜いているように見えるが、決して油断している訳ではない。鋭い眼光はそのままに、ゆるりと窓の桟に腕を乗せ、じっとクレイ等が飛ばされて行った方向を見遣った。妖怪の中でも単純な方にカテゴライズされるデックであるが、シンビオスが厄介なほど結託の強い組織である事、そしてそのメンバー―――特に組織を取り纏めている長であるクレイ―――が一筋縄ではいかない人間である、という事は理解しているつもりだ。だからこそ、彼らが簡単に殺されてくれるとは考えていない。

 久し振りの強敵。対等に戦える相手。






「奴ら、何処まで飛ばされて行ったんすかねぇ」



 高揚する胸の内を隠す事なく、彼は呟いた。





















(随分遠くまで、飛ばされちゃったわね……)



 ころころと景色の変わって行く周りの様子に不安を覚え、サイはきゅっと唇を噛み締めた。

 デックの予想通り、クレイもサイもイルも未だ生きている。流れに身を任せたお陰か、今の所運良く何処にもぶつかっていない。とはいえ現在進行形で風に流され続けている彼等は、瞬く間に大通りを抜け、豊かな雑木林を越え、それでも尚勢いを失う気配のない気流は、ついに人里離れた小高い丘にまで彼等を運んでいた。

 近付くにつれて見晴らしの良くなるその場所からは、街の全貌が見える。今は大分破壊されているとはいえ、こうして見ると楼銀は本当に緑豊かで美しい国だ。状況を忘れて思わず見惚れてしまうサイであるが、ふとある事に気付いて表情を引き攣らせる。




「ねぇ、この丘の向こうってもしかして……」

「―――崖だな」

「いいいいいやあああああああっ!!!」


 そう、街の全貌が見えるという事は、下は崖になっているという事だ。因みに現在地は丘の中腹、要するに相当高所である。涙目で絶叫するサイを尻目に、今迄押し黙っていたクレイが動いた。









「さて、サイのように上手く扱えますかね」



 クレイはしっかりと手に持っていたサイの大剣を掲げ、素早く地に振り下ろす。


 ガガガガガッ、ガガッ!!

 地に食い込んだ大剣がブレーキ代わりになり、風の勢いを殺して徐々にスピードが緩んでいく。クレイが更に腕に力を込めれば、地に傷跡を刻みながらゆっくりと減速していき、やがて崖っぷちギリギリの所で完全に止まった。強い衝撃に耐えられたのは、彼女の丈夫な大剣だったからこそだろう。






「―――助か……った……」



 放心状態で呟いたサイは、はああ、と大きく息を吐いてその場に頽れる。最早ボロボロになってしまった自分の身なりに今更ながら気付き、そういえば未だドレスのままだった、と思わず苦笑した。お気に入りのドレスだったが、これではもう使い物にならないだろう。

 多少へこみながらも、直ぐに視線を上げて仲間の様子を窺ってみた。クレイとイルも、それぞれ安堵の表情を浮かべて脱力している。一旦止まってしまえば、もう風に飛ばされる心配は無い。極度の緊張状態から解放されて、そのまま座り込んでしまったサイを気遣い、クレイが静かに声を掛けた。


「平気ですか、サイ。大分顔色が悪いようですが」

「……大丈夫よ、有難う。ちょっと疲れただけ」

「無理はしない方がいい。少し騒ぎ過ぎたのではないか」


 二人共心配してくれるのは有難いけれど貴方達が冷静すぎるのよ、とツッコミを入れたい所であるが、今は無駄な体力を消費したくない為黙っておく事にする。それを肯定と取ったのか、イルは彼女の傍らにしゃがむと、手を取って脈を計った。途端、彼の眉根に小さな皺が寄る。



(―――やはり、毒の回りが早い。先程よりもパラライズが悪化しているな)



 遠目では分かりにくかったが、手の震えが一段と酷くなっている。顔色の悪さも呼吸の乱れも、緊張の所為だけではないのだろう。これでは立っているのもやっとであった筈だが、責任感の強い彼女の事だ、持ち前の気力と体力でカバーして誤魔化していたに違いない。だが医者としては、そんな無茶を何時までも許しておける筈もなく。



「サイ。お前は此処に残れ。これ以上は危険だ」



 温和な彼にしては珍しく厳しい声音で、サイにドクターストップを言い渡した。それを聞いたクレイも、仕方ないと言うように浅く溜息を吐く。彼女は貴重な戦力―――寧ろ主力と言える程の実力を持っているが、クレイとて鬼ではない。体を壊すまで戦わせる気は無いのだ。


「残念ですが、そうした方が良さそうですね。安心して下さいサイ、あの妖怪達は私達二人で何とか―――」

「嫌よっ!!」



 サイ自身も驚く程の大声だったと思う。彼女はキッと二人を睨み付け、きっぱりと拒絶の意を示した。何時になく反抗的な態度に困惑したクレイは、探るように今にも泣き出しそうな彼女の顔を覗き込む。

 元々意思の強い彼女ではあるが、こうも頑なにクレイやイルの言葉に逆らうのは珍しい事だった。


「サイ……?」

「嫌よ、こんな所で立ち止まるなんて絶対に嫌。私も行くわ」

「気持ちは分かります。ですが……」



 困ったように説得を続けようとするクレイを遮り、サイは大きく首を振った。




「約束したの」




 痛い程に拳を握り締め、サイは懸命に言葉を繋ぐ。




「あの子……、レイちゃんと約束したのよ。“絶対に守る”って約束したの。だからお願い、お願いします、最後まで戦わせて……!」



 きつく目を瞑り、勢い良く頭を下げて頼み込むサイ。

 クレイとイルは、そんな彼女を見て言葉も無く顔を見合わせている。思えばサイは、レイを実の妹のように可愛がっていた。そのレイが自分の手の届かない所で危険に巻き込まれているのだ、本当は今直ぐにでも彼女の許に飛んで行って無事を確認したいのだろう。心配で心配で堪らないのだと、口に出さずとも手に取るように分かる。

 無論クレイもイルも、レイの事を心配していない筈がない。訳も分からず見知らぬ世界に飛ばされ、理不尽に危険な戦いに巻き込まれたにも関わらず、それでも懸命に立ち向かおうとしていたレイ。そんな真っ直ぐで純然たる志を持つ彼女を、仲間として大切に想わない筈がないのだ。


 けれどそれでも、イルの表情は変わらなかった。




「―――駄目だ。今のお前では、まともに戦えない」

「……っ」



 感情に流されず、仕事に私情を挟まないのがイルのスタンスだという事は分かっている。だが、ある程度予想していた答えではあっても、サイは目に見えて落胆していた。彼の言葉が事実を告げているだけに、反論すら出来ずに益々落ち込んでしまう。確かに今のサイでは、己の重量武器を扱う事はおろか、敵の攻撃を防ぐ事すら危ういだろう。今の自分では、足手まといだ。酷な現実を突き付けられ、胸が押し潰されそうになる。

 思わず嘆息するサイから目を離す事なく、イルは再び口を開く。



「戦うなら、せめて麻痺を治癒してからにしろ」



 ぽん、と唐突に白い何かを投げて寄越され、サイは慌てながらも反射的に受け取った。サイの掌に収まったそれは、一見何の変哲もない小さな包み紙。多少戸惑いながらも、きっちりと折り畳まれた紙を慎重に開いてみる。中には、シンプルな透明のカプセルがひとつ、ころんと転がっていた。



「……? これは?」


 不思議そうに指でカプセルを抓むサイに、イルは少しだけ逡巡しながらも説明を加える。



「麻痺症状の中和剤だ。試作段階の薬など出来れば使わせたくはなかったが……、どうするサイ。それはまだ未完成の薬だ、後から副作用が露骨に表れるぞ。それでも使うか」



 その言葉の意味を理解するまでに、数秒の時を要した。つまり、この薬を飲んで麻痺症状が改善すれば戦っても良いと、イルはそう言っているのだろうか。驚きに目を見開くサイであるが、無論の事迷いなどある筈もなく。聞くまでもないでしょう、と言わんばかりにニッと悪戯っぽい笑みを浮かべれば、大きく頷いて即答した。


「―――有難く使わせて頂くわ」

「上等だ。但しその薬は飽く迄応急処置だという事を忘れるな。効き目は恐らく、三十分が限度だろう」


 相変わらず堅い声音ではあったが、先程より若干柔らかくなったように見える表情―――傍から見れば非常に分かりにくい表情変化であるが―――で念を押すイル。サイは真剣な表情でカプセルを握ったまま、胸中で彼の言葉を反芻した。この薬で麻痺症状は消えるだろうが、快癒する訳ではない。それも制限時間付きだ、それを過ぎれば副作用に襲われて本当に戦闘不能になってしまう。不安要素は尽きないが、不思議と恐怖はない。ただ純粋に誰かの為に戦えるのが嬉しくて、護るものがあるとこんなにも強くなれるのだと知ったから。








 一部始終を見守っていたクレイは優しげに微笑むと、地面に刺さったままの大剣を抜き放ち、サイに渡した。




「そうと決まれば、お返ししますよ。貴女の武器」


 やんわりと微笑むその微笑は、何時もの皮肉げな笑みではなく、自然と綻んだような柔らかな微笑みで。それにつられるようにして、サイも口許を緩めた。

 ありがとう。サイは畏まって二人に礼を返すと、未だ街の中心を陣取るように渦を巻く嵐に視線を向ける。









(レイちゃんもアルも雷佳姫も、皆無事でいてね。直ぐに助けに行くから)



 サイは自らの武器である大剣を握り締め、既に手に馴染んだ感覚を今一度確かめた。

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