The end of storm
依然として、民に占拠されたままの王宮内。
本来ならば足を踏み入れる事ですら畏れ多い筈の神聖な王の居城であるが、最早理性を失った民にとってはそんな価値観など無いに等しい。無残に踏み荒らされ、一方的に蹂躙されている美しい王宮はしかし、反撃する為の爪も牙も持ち合わせてなどいない。ただ半壊した大黒柱が静かに軋む音だけが、悲鳴のように木霊するのみである。
そんな無生物の物言わぬ抵抗などお構いなしに、クレイ、サイ、イルの三人を取り囲む人々は、飽きもせずに武器を振りかざしては彼らを追い詰めていく。とはいえ、相次ぐ負傷者―――といってもほぼ峰打ちしかしていない為、軽い打撲程度だが―――を目の当たりにして民も学習したのか、無闇に突っ込む事は止めたらしい。お陰で少しは攻撃の手が緩んでいる訳だが、無論油断は出来ない。
群れをなす人々は、皆一様に能面のような面白みのない無表情であるのに、その双眸だけは不気味な程暗い光を帯びていた。生きているかも死んでいるかも判然としない―――そう、まるで魂の無い人形の、ような。
クレイは“破壊”の二文字で支配された群衆を静かな眼差しで見遣り、表情を曇らせる。決して自ら望んだ訳ではない暴挙を強いられる彼らを、ただただ憐れだと感じた。
「クレイ……」
随分と長い間沈黙を守っていたのだろう、サイが遠慮がちに声を掛けるまで気が付かなかったが。
クレイは引き締めていた表情を少しだけ和らげると、不安気なサイに向けてにこりと笑い掛ける(その微笑が何時もより若干ぎこちなかった事に、彼女が気付いたか否かは分からない)。
「サイ、イルジクト。準備は良いですね?」
穏やかな声音の端々に凛とした響きを滲ませて、クレイは背後に居る二人―――サイとイルに確認を取るため視線を走らせた。返答の代わりに二人が身構えたのを横目で確認すれば、次いで背後の割れた窓に視線をスライドさせる。
『さて二人共、―――行きますよ』
数分前、その言葉と共にサイとイルに語られた破天荒な策が、いよいよ実行に移されるのだ。
今現在、サイは扉付近でしゃがみ込んでおり、クレイはサイに近付こうとする民衆を牽制し、イルは窓辺付近で残りの民をいなす、という構図になっている。一見無作為な布陣に見えるが、三人とも扉と窓の対角線上に居る、という共通点がある。その立ち位置は偶然の産物ではなく、クレイによる作戦の意図が絡んでいた。
「自然破壊は私の趣味では無いのですが―――背に腹は変えられませんね」
何やら意味深な言葉を呟いた直後、クレイは懐からそっと小型の手榴弾を取り出して栓を抜き、素早く窓の外に放り投げた。
「伏せろッ!」
―――ドガアアアアアン!!!!
珍しく敬語を欠いた短い言葉でクレイが命じたのとほぼ同時に、耳を劈く轟音が空気を震わせる。手榴弾は中庭の桜の木に命中し、小型といえども凄まじい威力を以て爆発した。熱を伴った爆風が容赦なく窓から侵入して回廊を吹き抜け、丁度その進行方向に密集していた民は次々と薙ぎ倒されてしまう―――言うまでもなく、クレイの号令で体勢を低くしたサイとイルは無事である―――。
爆ぜた木片や桜吹雪が視界を邪魔する中、腹這いの姿勢から立ち上がったクレイは、間髪入れずにサイの背後に回り込み、
「サイ、失礼しますね」
一言断りを入れると、攫うようにサイを抱き抱えて一直線に窓の方へとひた走る。そのまま人ひとり抱えているとは思えない身軽さで窓から飛び降り、直ぐ様イルも後に続いた。
こうして、三人はやっとの事で難を逃れたのだった。
「迷惑掛けて御免ね、クレイ。それにイルも……二人共有難う」
辛うじて城からの脱出に成功した三人は、月光から身を隠すように夜の闇に紛れ、人気の無い路地裏にて息を顰めていた。
束の間の静寂を取り戻した街中に、消え入りそうなサイの声だけが残響として耳に残る。クレイは自分の腕の中に居る彼女には視線を向けず、前を見据えたまま応えた―――追手を警戒しての事だろう―――。
「気にする必要は無いですよ、迷惑だなんて思っていません。私が貴女を助けたいと思ったから助けた、それだけの事です」
さも当然だと言うように、クレイは強い口調で断言する。その言葉を聞いて、嬉しいやら情けないやらで胸に熱いものが込み上げて来たサイは、くしゃりと表情を歪ませた。感情が入り乱れて思考が上手く纏まらない。飽和した激情が正常な呼吸を邪魔しているような、一時的な酸素欠乏症。
(何時だってそう、貴方が居るから呼吸が出来る)
今はまだ、伝える事が出来なくとも。
(何があっても、貴方に着いて行くと決めたの。怒りと絶望しか知らなかった私を救い出してくれたあの日から、ずっとずっと貴方だけを見てきたんだから)
衝動的に泣きたくなって、クレイの胸に顔を埋める。少しでも気を抜けば吐露しそうになる想いを隠すように、唇を強く引き結んだ。サイ、と優しげなテノールが彼女の名を紡ぐが、サイは顔を上げられずに俯いたまま。
その瞬間、刹那揺らいだ緑黄の瞳が、しかとサイを捉えていた事を彼女は知らない。
だが無情にも、迫り来る戦火の荒波は、些細な感傷に浸る暇すら与えてはくれなかった。
「―――みーつけたっ!」
ズガアアアアアアアン!!!!!!!
一難去ってまた一難。否が応でも現実に引き摺り込む激しい砲撃音が、痛い程に鼓膜を刺激した。三人は反射的に肩を竦め、思わず息を呑む。唐突に飛来した砲弾は、彼らが身を隠す煉瓦造りの壁を易々と突き破った。噎せ返るような硝煙の匂いと壁に空いた巨大な風穴が、爆撃の威力を何より雄弁に物語っている。彼らの身代わりとなって破壊された煤けた煉瓦は、やがて穿たれた穴から幾つもの亀裂が走り、見るも無残に瓦礫と化してしまった。
即座に射線を辿って索敵したクレイ等が見たものは―――満月をバックに揺れる、二つの影。障壁が無くなった事で露呈した、倒すべき敵の姿である。
「ひゅうっ、流石はリーダー作なだけあって威力抜群っすね!」
緊迫したこの場には不釣り合いな、心底楽しそうな歓声。丸見えになった壁の向こうでケタケタと嗤うのは、アルと幾つも変わらないであろう小柄な少年だった。その背後には、先刻クレイ等に宣戦布告した少女、アートの姿も見受けられる。クレイは彼女が“我が同胞である妖怪が、あと二名この街に潜伏しています”と言っていた事を思い出し、小さく舌打ちした。
今迄幾つもの修羅場を踏み越えてきたシンビオスメンバーならば、当然妖怪の力がどれ程強大なものであるかは身に沁みている。たった一人を相手取るだけでも(文字通りの意味で)骨が折れるというのに、仲間と合流されたというこの状況。クレイのみならず、強気なサイや冷静なイルでさえ、圧倒的不利を悟らざるをえない。
「隠れても無駄でありますよう、僕等は人間よりも遥かに夜目が利くんすから」
そんな彼等の焦燥を嘲笑うかのように、少年は何処か挑発的な口調で言い放った。
絶体絶命。にも関わらず、クレイを始めとするシンビオスメンバーの内、誰ひとりとして諦めようとする者は居なかった。クレイはそっとサイを地面に下ろすと、滑らかな所作で剣を抜き放つ。
「サイ、動けますか」
「ええ、何とかね」
「イルジクト、後方支援とサイの援護を」
「承知した」
クレイは二人それぞれに声を掛けると、愛剣を握る手に一層力を込め、静かに臨戦態勢に入った。サイとイルも各々武器を構え、キッとばかりに迫り来る敵を睨み付けている。そう、彼らは今迄幾つもの修羅場を踏み越えて来た。その場数を、伊達とは言わせない。
じゃり、じゃり。
人通りの絶えた往来を横切り、四散した瓦礫の山を踏み越えて、妖怪達がゆっくりと此方に向かって来る。距離が縮まるにつれて、ぼやけた輪郭ははっきりと形をなしていき、微かな月明かりが彼らの姿を浮き彫りにさせた。
容姿だけ見れば人間と何ら変わらないものの、どの妖怪も決まって美しいプロポーションと端整な顔立ちを持っている。少しずつ、だが確実に近付いて来る彼等も例に洩れず、人工的なまでの完璧な美貌を持つ二人が颯爽と居並ぶ姿は、誰が見ても絵になると思える事だろう。だがどんなに美しくとも、彼らが“敵”である事に変わりはない。
「御機嫌いかがっすか親愛なるシンビオスの皆さま! やっと逢えて光栄でありますよう」
にこにこと無邪気な笑みを浮かべる少年は、まるで知り合いに対するようにひらひらと此方に手を振っている。その様子からは敵意など微塵も感じられないが、だからといって戦意がない筈はない。それを証拠に、先程放ったばかりのバズーカの照準は、未だクレイ等を捉えたままなのだ。
「嗚呼そうそう、自己紹介が未だだったっすね。僕はレジスタンス組織“カロディルナ”の一員、デクスター・バラード。―――君達の首を獲りに来たっす」
思い出したようにポンと手を打ったデクスター―――基デックは、人懐こい笑顔を保ったままさらりと宣言した。余りにも自然に宣ったのでいまいちピンと来ないが、彼の殺意が紛れもなく本物である事は確かだろう。何を隠そう目が笑っていない。
続いて、後方に控えていたアートが一歩前に出た。その手には、しっかりと巨大なアーチェリーが握られている。
「私怨はありませんが、貴方がたにはこの国諸共消えて頂きます。全ては我らが主の偉大なる理想の御為」
言うが早いか、アートは自らの武器であるリカーブボウを構え、躊躇いなくハンドルを引いて狙いを定めた。ピンと張り詰めたストリングが微かな月明かりを吸収し、闇の中でチラチラと細かな煌めきを放つ。
不運にも的となったのは、―――最前線に居たクレイ。
―――ヒュンッ!
リムが充分にしなった所で、勢い良く矢が放たれた。高速で飛来するアローは寸分の狂いもなくクレイの心臓を目掛けるが、残念ながら鋭利な鏃が彼の胸を貫く事は無く。
「……何も知らない民をアジテートして、国を崩壊させるのが偉大なる理想ですか。それはそれは、虫唾が走る程の御高説ですね」
―――クレイの微笑を崩す事すら、叶わなかった。
真っ直ぐにクレイを射抜く筈だった矢は、彼の心臓まであと数センチという所でピタリと制止している。驚いた事に、クレイは放たれた矢を素手で受け止めたのだ。そのまま摩擦で擦り切れた掌を握り締め、ゆっくりと力を込める。やがて握力に耐え兼ねた弓は、バキンッ、と小気味よい音を立て、真っ二つにへし折れた。
「で、この馬鹿げた戦争を仕掛けた貴方がたのリーダーとやらは、何処に居るんです? 是非とも直接会って礼をしたいのですが」
クレイは強大な敵を目の前にして尚、全く気後れする事なく何時ものように穏やかに微笑んでいる。その言葉に込められた皮肉と余裕ある態度がデックの癇に障ったのだろう、ピリッと肌を刺激するような鋭い殺気が、瞬間的に場の空気を凍らせた。
「……くくくっ、はは、あははははっ!!! こいつはいいや、軟弱な人間の分際で、うちのリーダーに楯突くんすか? 身の程知らずにも程がありますよう」
無遠慮に響いた哄笑。それはクレイ等の存在そのものを否定するような嘲りの言葉と共に、彼らの心に絶望をもたらした。
どうあっても敵対しようというのか。何故そうまで頑なに人を見下し、拒絶するのか。人と妖怪が互いを理解し、手を取り合う未来―――彼らが目指す理想を、妖怪たちは決して望もうとしない。反目するシンビオスとカロディルナ。その構図は正しく、人間と妖怪が数百年に渡って繰り返してきた、血濡れた歴史の縮図であった。
「そんなに知りたいなら教えてやりますよう。リーダーなら今頃、」
―――ズズウウウウ……ン
「!!!」
デックの言葉を遮り、地の底から響くような地響きが大地を揺るがす。此処からでは少しばかり距離があるが、閑静な住宅街にもうもうと立ち昇る黒煙と火の手を目の当たりにして、クレイ達の顔色が変わった。
「―――君達の仲間と遊んでるっす」
事もなげに続けられた、或る意味予想通りのデックの言葉。流石のクレイも動揺を隠せず、インカムのスイッチを入れてアルに呼び掛ける。
「アルス、……アル? 聞こえますか、応答して下さい」
『――……ザザッ、ガッ―――』
しかしアルからの返答は返ってこず、代わりに聞こえる耳障りなノイズが悪戯に不安を募らせる。それでも暫くの間耳を澄ませていれば、微かだが甲高い女性の声が聞こえてきた。レイさんだ、と即座に気付いたクレイは、その声を拾おうとインカムを耳に押し当てる。
『―――ル……やく手当てを、』
『……るさい、僕に まうな。―――前はとっとと雷 を連れて逃げろ』
『何言っ るの、逃げるなんて な事出来る―――ないでしょ!』
声が遠くて聞き取りにくいが、辛うじてレイとアルの遣り取りが聞こえて来る。アルが回線を切っていなかった事に安堵したものの、途切れ途切れに流れて来る二人の会話は、少なくとも決して楽観視出来るようなものではなかった。
「ね、ねぇ、アルは大丈夫なの? レイちゃんと雷佳姫は? まさかやられたりしてないでしょうね!?」
「サイ、少し落ち着け。アルスの強さはお前も知っている筈だ、そう簡単に負けたりしない」
クレイの表情から何かを感じ取ったのか、思わず取り乱したサイは声を震わせ、誰にともなく質問を投げ掛ける。それに答えたイルの言葉で少しは落ち着いたようだが、当のイルも彼等を心配していない筈がない。
三人が三人共、不安を感じているのは同じだ。が、今此処で彼等の身を案じていても、意味をなさない。今はアルを信じて、目前の敵と戦う他ないのだから。クレイは再び掌を握り締め、湧き立つ私情を無理矢理押し殺した。
その場が水を打ったように静まり返る中、君達のお仲間、ヤバイでしょうね、という軽い声が沈黙を破る。
「リーダーが持ってる武器はこのバズーカの改良型なんすよ。“アレクサンドラヴィーナス003”っていうらしいんすけど、まあネーミングは兎も角として。威力は恐らく―――こいつの十倍以上」
「な……っ」
デックは肩に担いだバズーカを指で示しながら、ただですら絶望的な戦況に、更に追い打ちを掛けるような情報を口走った。クレイ等三人は最早言葉を失い、呆然と立ち尽くすしかない。先程のバズーカの威力だけでも充分に凄まじかったというのに、それの十倍となると―――想像するだけでも全身が粟立つ。
そんな彼等を尻目に、デックは自慢話の如くペラペラと饒舌に語り続ける。
「リーダーは高いエンジニアリングのスキルを持ってるっすからね、基本的に構造さえ分かればどんな機械でも作れるのでありますよう。アレクサンドラ然り、アルテミス然り」
「……アルテミス?」
クレイが新たに出て来た単語に眉根を寄せれば、デックは尋ねられるのを待っていたかのようにニタリと口角を上げた。彼は勿体ぶってひとつ咳払いすると、スッと人差し指を立てて得意げに説明を始める。
「“アルテミスフィーチャー005”―――愚民共を操ってるエトリーレの効果増幅器の事っす。この街中に五か所仕掛けてありますよう」
「デック、喋りすぎ」
すかさずアートからの横槍が入り、デックはあからさまにしまった、という顔をする。
思わぬ所でエトリーレの元凶が割れた。つまりその機械を全て壊せば民の暴走は止まり、サイを苦しめているパラライズも改善するという訳だ。今の情報は回線を通じてアルも聞いていた筈―――答えるだけの余裕は無いようだが―――、何とか彼等と合流し、協力してその機械を破壊する事が出来ればいいのだが、如何せん目の前に立ち塞がる妖怪達が易々と道を開けてくれるとは到底思えない。
そんなクレイの思考を読んだかのように、アートが動いた。
「さあ、遊びは終わりです。一気にカタを付けましょう」
彼女は不敵な笑みを張り付け、けれど一欠片の隙も無い立ち姿のままそう言い放つと、徐にすう、と片手を天に向けた。
『“風魔の子らよ、我が言の葉を聞け”』
朗々と響き渡る声に共鳴し、ゆっくりと巻き起こった風が、まるで意思を持ったかのようにアートを取り巻いていく。
風の影響で波及した葉擦れの音でさえ瞬時に支配する程の、その圧倒的な力。
『“汝久方の契りの許、我に集いてその力を解放せしめん”』
天つ風を味方に付けて、彼女の独壇場は更に続く。アートによって小さく巻き起こった旋風は見る見る内に肥大し、瓦礫を巻き込みながら天を目指してその勢いを加速させた。
クレイは徐々に下がっていく気圧に危機感を覚え、無意識に身を強張らせる。
「これは―――言霊……!」
言霊とは、言葉に霊力、もしくは妖力を込める事でその内容を具現化し、自然や生物に影響を与えるという、古くから使われている術の一種である。
クレイがその知識を思い出した時には既に、
(スケールが大きすぎる……本気で街ごと吹き飛ばす気ですか、このお嬢さんは)
―――全ての事象は動き出していた。
『“万物を薙ぎ払え!”』
―――ゴオオオオオオッ!!!!
急激に勢力を増した旋風は巨大な嵐へと変貌を遂げ、アートの背後で不気味に渦を巻いている。触れたもの全てを無に帰さんと吹き荒れる嵐は、今にもクレイ等に襲い掛かろうとしていた。
「はは、これは……、冗談抜きでマズイですね」
「ちょっと、何なのよこれ、嘘でしょ……!?」
「あの妖怪は風を操れるのか。厄介な能力だな」
揃ってじりじりと後退する三人は、凄まじい風圧に耐えるべく近くの木にしがみ付くが、それが折れるのも時間の問題だろう。何しろ、自然が相手では太刀打ち出来ない。
(まだか―――ソラリア)
イルは木の幹に爪を立て、祈るように頼みの綱である人物の名を紡いだ。
今は待つかない。この絶望的な状況にあって、気紛れな女神を微笑ませる事が出来る、唯一の人物を。




