母の味
「あれ? お母さん、何かお菓子を作るの?」
「ええ、新鮮なバターとミルクが届いたから、携帯食にもなるようなお菓子を作ろうと思って……」
「なら私も手伝いたい! 実はね、竜鞍に乗せる荷物の中にお菓子を入れたいと思ってたんだよね~」
朝の鍛錬を終えたルルが、汗を拭きながらミレイユの元へやって来た。
この寒空の下、ルルは毎日欠かさず剣の稽古を行っている。
相手を務めるのはグレイヴとエドだ。
猫のニコは、ルルの部屋からそれを眺めている。寒さに弱いため、それも当然なのだが、鍛錬の見学が習慣になっているせいか、五歳になった今でもやんちゃさが抜けない、ニコはルルそっくりの猫だった。
庭で剣やナイフを振るう娘を見ると、ミレイユは応援したい気持ちと同時に、胸が痛むのを感じてしまう。もっと普通に、村の女の子たちと同じような平凡な生き方ができたら、どんなに良かっただろうかと。
傷を作り、汗をかき、危険な場所へも果敢に攻め込んでいく娘を見ると、心配でたまらなくなる。
どうか怪我もなく、ただ楽しんで空を飛んでいてほしい。
けれど、学園で覚えたばかりの鞭を嬉々として振り回す娘を見れば、そんな願いはきっと叶わないだろうと分かってしまう。大人しくしているなど、ルルにはできないことも、母だからこそよく分かっていた。
「ルル、汗が引く前に着替えてらっしゃい。風邪をひいてしまうわ」
「うん、分かった。あ、お母さん、計量も待っててね。私、お菓子作りをちゃんと覚えたいから」
「ええ、分かったわ。エプロンも忘れないでね」
「はーい、着替えてきまーす」
年末年始、ルルが家にいる時間はとても楽しく、あっという間に過ぎてしまった。
あと三日もすれば、ルルはまたこの家を出て行ってしまう。
そのこともあって、焼き菓子を作り、そっとルルに渡そうと思っていたのだが、一緒に作りたいと言われて、ミレイユは思わず笑ってしまった。
(ルルが作ったものなら、お父さんとロイドのものになりそうね)
それに、きっとエドも欲しがるだろう。
エドが子供の頃からルルに夢中なのは、ミレイユにも十分分かっていた。ルルと一緒にいるときのエドの様子を思い浮かべると、応援してあげたい気持ちにもなる。
ルルの旅用のお菓子は、また明日にでも焼かなければ。そう思いつつも、娘と一緒に過ごせる楽しい時間は大歓迎なミレイユだった。
「お母さん、何を作る予定?」
「ええ、マエルがナッツ類を持ってきてくれたから、ビスコッティを焼こうと思っているわ」
「ビスコッティ? やったー、私、大好き! でも、またマエル? この前もメープルシロップを届けてくれなかったっけ?」
「……きっと村長さんのお家だから、贈り物が多いんでしょう。ルルに食べさせてあげてほしいって言っていたから、友達のルルの体のことも心配しているのね。会ったらちゃんとお礼を言いなさいよ。マエルも喜ぶはずだから」
「はーい、ありがとうってちゃんと言います。あ、そうだ。ビスコッティが上手に焼けたら、マエルにお礼だって届けに行こうかなぁ」
エドだけでなく、マエルの気持ちもミレイユには筒抜けだった。けれど、ルルにはどうしても伝わらないようで、少し不憫に思えてしまう。
この前、マエルが木の実を届けに来てくれた日は、ちょうどルルがエドと森へ出かけていた日で、そのことを伝えたときのマエルの落ち込みようは、見ていて申し訳なくなるほどだった。
王都へ行って、なかなか会えなくなってしまったルルに、やっと会える。そう思っていたのに、ルルは王都へ一緒に行ったエドと森へ出かけてしまっていたのだ。
大きなショックを受けたのは間違いないだろう。このままルルのことを諦めて、村にいる他の可愛い女の子と幸せになる方が、マエルのためになる。そんなふうに願ってしまうほどだった。
「お母さん、何から手伝う?」
「そうね、粉を量ってもらおうかしら。私はバターを細かく切るわね」
「うん、分かった」
ルルは慣れた様子で計量を始めた。
幼い頃からいろいろなものに興味を持ち、ミレイユの手伝いも喜んでしてくれたルル。
それに、ロイドの手伝いで動物を診に行くこともあったし、村の女性たちの集まりに参加して、編み物や刺繍も興味津々で覚えていった。
けれど、その中でもルルが何より興味を持ち、大好きだと言い切るもの。それは、竜グレイヴと空を飛ぶことだった。
危険だとどんなに心配しても、ルルは一人で空を飛べるようになりたいと、グレイヴの傍を離れなかった。大変な世話であっても、進んで覚えていったのだ。
「ルル、混ぜてくれる?」
「うん、任せて。力はお母さんにはもう負けないからねー」
卵やナッツ、バターなどの材料を粉に混ぜていく。
塩もちょっとだけ加えて味を調え、粉っぽさがなくなるまでしっかりと混ぜる。
「オーブンも温まったし、焼きましょうか」
「うん、鉄板入れちゃうね。えへへ、美味しく焼けると良いな~」
焼き上がりを待つ間、お茶を淹れ、ルルと一緒の時間を楽しむ。
寮での友人はお茶を淹れるのが上手だとか、女の子だけのお茶会をときどき開いて、そこで自分が作った焼き菓子を楽しむのだとか。年頃の娘らしい話を、ルルはミレイユにいろいろと聞かせてくれる。
「そういえば、お母さんはお父さんとどうやって出会ったの? 私、聞いたことなかったなーって思って……」
「……私とロイドの出会い? あら、ルル、そんなことに興味を持つだなんて、もしかして王都で素敵な人に出会ったりしたの?」
「ち、違うよ! お父さんとお母さんの出会いが気になっただけ! 全然そんなんじゃないんだからねー」
からかうつもりだったのだが、どうやら図星を突いてしまったらしい。
それが恋なのかどうかは分からないけれど、気になる相手がいることは本当のようだ。これまで両親の恋愛などまったく気にも留めていなかったルルの成長に、ミレイユは思わず笑みを浮かべた。
「ロイドは……お父さんはね、街で体調を崩したお母さんを助けてくれたのよ」
「そうなの?!」
「ええ、お母さんは実家であまりいい扱いを受けていなかったから、お父さんは親身になって心配してくれてね……」
「ええ、お父さん、カッコいいね! お母さんのヒーローだ!」
「ええ、その通りよ。それで、おじいちゃんやおばあちゃんもお母さんの力になってくれて、何とか実家から出ることができて、お母さんとお父さんは結婚したの。でも一緒になればもっと迷惑を掛けちゃうからって、最初は断ろうと思ったのだけど……お父さんが他の誰かと結婚してしまうことを想像すると嫌だって思ってね、お母さんはいろんな悩みを全部ポイって捨てて、お父さんの手を取ったわ」
「うわぁー、そうなんだ。なんだか物語の主人公みたいだねー」
「ウフフ、そうね。お母さんは結構欲張りなのよ。お父さんに気がある子をたくさん知っていたけど、お父さんを独り占めしちゃったんだから。だけど、これはルルと私の秘密ね。ロイドには言ってはダメよ」
「うん、もちろん! うわぁ、でもすごいな、お母さん、ライバルに勝ったんだ! うん、お父さんには絶対に内緒にするね。エヘヘ、でも、話が聞けて良かった。今度おじいちゃんの話も聞いてみようかなー。おばあちゃんとの出会いも気になるしねー」
恋話に興味を持ち始めた娘を嬉しく思う一方で、自分の実家についても、もっと詳しい話をするべきかもしれないと悩んでしまう。
(ルルがもう少し大きくなったら……)
そんな先延ばしの言葉を思い浮かべていると、ちょうどお菓子が焼き上がり、ルルが席から立ち上がった。
「お母さん、美味しそうに焼けてるよ! 一個味見しても良い?」
「もう、ルルったら、それが最初からの目的でしょう? 一個だけよ。全部なくなったら、お父さんもロイドも泣いてしまうわよ」
「はーい、分かってますって。ねえ、お母さん、半分こしようよ。お茶もあるし、二人でお茶会しよ」
「フフフ、ええ、そうね。お茶会をしましょう。ルルが学園でどんな様子なのか、もっと詳しく聞きたいしね」
「うん!」
ルルが休みのときだけの特別な時間になってしまった、二人だけのお茶会。ミレイユはそれを楽しむことにした。
こんな時間を過ごせるのは、きっと次は夏になってしまうだろう。
寂しさは当然あるが、それよりも娘の成長が何よりも嬉しい。
「それでね、学園祭にお友達のお兄さんが来てねー」
楽しそうに話し続けるルルを、ミレイユは優しく見つめる。
自分の娘でいてくれる期間は、あと何年だろうか。自分が結婚した年齢を考えれば、残された季節はとても少ない。だからこそ、この時間を大切にしよう。ミレイユはそう思った。
「ルルが楽しそうで良かったわ」
「うん、学校、すごく楽しい! 私、竜騎士学園に入って良かった。お母さん、私、絶対にカッコいい竜騎士になるから楽しみにしててね!」
「ええ、楽しみにしてるわ。それに、ルルなら竜騎士になれるって信じてもいるわ。頑張ってね」
「うん!」
焼きたてのビスコッティをもう半分こして、二人のお茶会は続いていく。
結局、マエルに持っていくビスコッティはなくなってしまったけれど、ミレイユのお菓子を前にすれば仕方のないことだと、ルルは気持ちを切り替えたのだった。
おはようございます、夢子です。
本日もお読みいただきありがとうございます。
またブクマ、良いね、評価など、いつも応援ありがとうございます。
作者の中で村長の息子マエルは不憫な男の子認定されています。w




