クラリスの決断
翌日。
ルルは少し眠い目をこすりながら、セレスの元へ向かった。
ルルの様子がいつもと違うことにセレスはすぐに気づいたらしい。「どうしたの?」と聞くように「ギャウ」と優しく鳴き、ルルの頬をぺろりと舐める。
「セレス……ありがとう。でも私は元気なんだよ。実はね、友達に嫌なことがあってね……」
周りに世話係の人がいないことを確認すると、ルルはクラリスの名前を出さず、一昨日喫茶店であった出来事をセレスに話した。
セレスたち竜は、一度自分の番を見つければ一途だ。竜の中で浮気など、もちろんあり得ない。
だからだろう。「ギャウ! ギャウギャウ!」とセレスが出した提案は、おそらく「そんな男、私が一千切りにしてあげる」というものだった。
ルルは是非そうして欲しいと思いながらも、「汚いから、やめとこう」と断るしかなかった。
セレスにあの人の垢が付くと思うと、それだけで気持ち悪い。
それにセレスには、どんな嫌な人間であっても、傷つけるような行為はして欲しくはなかった。
「ギャウ」
「えっ? アレク? アレクは今日は来ないよ。王子様だもん、そんなに度々は来られないよ。アハハ、セレスもアレクのことが気になってるんだね~。良いこと聞いたな。手紙に書いとこ~とっ」
「……」
セレスは別にアレクシスのことなど、どうでもいい。
ただ、アレクシスが来ればルルが元気になると思って、その名前を出しただけだ。
多少、話の主旨は違ってしまったけれど、ルルにいつもの笑顔が戻ったので、とりあえず目的は達成できたらしく、そのことにセレスはホッとする。大事なパートナーを傷つけるものは、人でも物でも決して許す気はないからだ。
それにしても、人間というのは面倒くさいものだ。
セレスは、好きな相手ができたなら、その者だけを大事にして生きればいいのではないかと思う。それなのに、どうしてそれができないのか、セレスには分からない。
ただ、大事な相棒であるルルを悩ませたことだけは許せない。
もしルルを泣かせる者が現れた、その時は……。
セレスは自分の鋭い爪を見つめ、恐ろしい決意を固めていた。
セレスと別れ、朝食を取り、身支度を整えたルルは、書いたばかりのアレクシスへの手紙をそっと鞄に忍ばせた。
この手紙で、すでに三回目となる。
最初は、本当に校長先生に預けてもいいのだろうかと悩んだけれど、校長先生は「待っていたぞ!」とでも言いたげな顔で、ルルの手紙を嬉しそうに受け取ってくれた。
「ルル、殿下は心を許せる友人が少ない。二人きりの時だけでも対等であってくれ。あの方も、それを期待している」
校長先生はアレクシスのことを心配するように、ルルにそう願った。
ルルには想像することはできても、アレクシスの不自由さを本当の意味では分からない。
だけど、友達でいることはできる。
だから「はい、もちろんです」そう言って胸を張り頷けば、校長先生は笑顔でルルの頭を撫でてくれた。
その手が余りにも優しくて、ちょっと祖父バルガスを思い出してしまったのは内緒だ。
会いたくなって、胸の奥がきゅうっと鳴ったけれど、ルルは気づかないふりをした。
ルルが部屋を出て玄関へ向かうと、いつもはルルより先に学園へ行っているミアの姿が見えた。
もしかして、昨日の夜に喋りすぎて遅起きになってしまったのかな?
そう思いながら「ミア、おはよう」と声を掛ける。
するとミアは、青い顔で振り向いた。
それに酷く緊張しているようにも見えて、ルルは慌ててミアに駆け寄った。
「ルル、どうしよう。あの人が来てる」
「あの人?」
ミアが指さす方を見ると、クラリスの元婚約者が騎士学校の制服を着て待っている姿が目に入った。
不審者ならば学園にも連絡が行く。
けれど、あれでは騎士学校の生徒が竜騎士学校の友人を待っているだけに見える。だからだろう、ルシアン・エヴァンスを気にする者はいないようだった。
きっとわざと騎士学校の制服を着てきたのだろう。
本当にズルく、嫌な人だと思ってしまう。
勝手かもしれないけれど、ルルはクラリスには絶対に会わせたくないと思った。
「ミア、先輩たちはもう学校だよね?」
「うん。今日は私たちが最後だよ。クラリスも、多分もうすぐ降りてくると思う」
クラリスの事情を知られることを考えれば、生徒が少ないのは良かった。
けれど、頼りになるエミリアも、見るからに強そうな三年生のキャプテン、アルフレッドもいない。それは正直痛い。
だけどルルは、クラリスとあの男をもう一度会わせるのは嫌だった。
これ以上クラリスを傷つけないで欲しい。
それがルルの正直な気持ちだった。
「ミア、マーサさんを呼んできてくれる? 多分、洗濯場か裏庭にいるはずだから」
「うん。でもルルは?」
「私はあの人と話してみる。できれば少し離れた場所に連れ出したい。クラリスに会わせたくないからね」
ミアもルルと同じ気持ちだったのだろう。「うん」と頷き、すぐに動いてはくれたけれど、それでも足取りは重く、振り向いた。
「ルル、ルルは大丈夫なんだよね?」
「もちろん! ミア、私は主席だよ。どんと任せといて! それに、話をするだけだしね」
「うん、分かった!」
ミアは納得した様子で駆けていった。
あの様子なら、短時間でマーサを連れてきてくれるだろう。
けれどルルは、ミアもあの男から離したかった。
あんなひどい言葉を言う男だ。下手をしたら、ミアのことまで傷つけるかもしれない。
そう思ったら、自分ひとりで立ち向かうべきだと思えた。
(ただ、セレスが飛んでこないといいけど……)
朝からルルを心配していたセレスのことだ。何らかの異変を感じて、飛んできてしまう可能性はある。
それはもう、大事になること確実だ。
学園だけでなく、街中の騒ぎになるかもしれない。
ルルはできるだけ平静を装おうと、ルシアンへ近づいていく。
「あの、クラリスの元婚約者さんですよね?」
元婚約者を強調し、ルルが声を掛けると、ルシアンは振り返った。
その顔には先日会った時の軽薄さは消えている。
今のルシアンの顔は青ざめ、目の下には隈があり、とても同一人物とは思えない姿だった。
「君は……? クラリスの友達かい?」
「……そうですけど、それが何か?」
「だったらクラリスを呼んできてくれないか? 婚約者のルシアンが来ているって、伝えてくれれば分かるはずだから」
「婚約者って、元婚約者ですよね? クラリスとは婚約を解消したって聞いてますけど?」
ルルが正しい情報を告げると、ルシアンは目を見開いた。
クラリスの友達だと聞いていながら、婚約解消の話を知らないと思っていたのだろうか。
それとも、プライドの高いクラリスなら誰にも話さない。
そう考えていたのかもしれない。
計画が狂ったとでも思ったのか、ルシアンは見るからに焦り出す。
「違う、違うんだ。あれは間違いで……」
目の前に立つルルの肩を、ルシアンがギュッと掴む。
流石に二学年上の男性だけあって力が強く、肩が痛む。
けれど、怖くはない。
ルルは祖父や父から剣術や護身術だって習っている。
これだけ隙のある相手なら、全く恐怖は感じない。
それでも、ルルがルシアンを傷つけてしまうことは怖い。
もし問題になればクラリスにも迷惑がかかるし、学園では大事になってしまうかもしれない。
(手加減ってどうやるんだっけ? 正当防衛って、一回殴られてから?)
そんな危険な思考に陥っていると、「そこで何をやってますの!!」とクラリスの慌てた声が聞こえてきた。
「貴方、何をやってますの! ルルは私の大事な友達ですのよ!」
クラリスはそう叫び、ルルとルシアンの間に割って入る。
離れたところから見れば、大きな青年に小さな女の子が襲われているようにも見えたのだろう。
クラリスの表情は厳しく、固いものになっていた。
「クラリス! 良かった、会いたかったんだ!」
ルシアンは必死な顔でクラリスを見る。
その顔にはクラリスへの愛情など何もない。
ただ自分のことだけ、自分が大変だと、焦っている顔だ。
「クラリス、聞いてくれ。あれは、あの日のことは間違いだったんだ。ちょっと悪ぶってみたかっただけ。君の愛を試しただけで、本心じゃないんだ。竜騎士になった君に嫉妬していただけなんだ、すべて本心じゃないんだよ」
「……」
「だからさ、君の言葉で俺の両親の誤解を解いて欲しいんだ。父も母も、俺を廃嫡するって言いだしたんだ。だから、それを止めてくれないか? 俺たちがやり直せば、それが叶うだろう? きっと両親も許してくれるし、君も幸せになる。なあ、頼むよ、俺と君との仲じゃないか」
そう言って伸ばしてきたルシアンの手を、クラリスは叩いた。
そして氷のように冷たい目をルシアンへ向け、静かに言葉を吐く。
「今更、何をおっしゃってますの? 私と貴方がやり直す? あり得ませんわ」
ルルをギュッと抱きしめ、クラリスはルシアンに最終宣告をする。
あれだけのことをして、どうしてクラリスが許してくれるとルシアンは思ったのか、ルルには分からない。
だけど、実家で色々あってクラリスを頼ってきたことだけは分かった。
きっとこのルシアンは、ずっとクラリスに頼り切りだったのだろう。
だから何をしても、クラリスなら許してくれる。
そんな甘い考えがあったのかもしれない。
だけど今、クラリスはきっぱりと彼を切り捨てた。
そのショックは大きいようで、ルシアンは口を開けたままクラリスへ向けた手を泳がせている。
もう、どうしていいのか分からない。
迷うその手は、情けなくて、ぶらぶらしていて、とても剣を持つような立派なものではない。
情けない騎士の卵。
ルシアンは自分自身でそう言っているようだった。
けれど、そんなルシアンの手をガシッと力強く掴む相手が現れた。
「あーら、どこの誰さんかしら? 私の可愛い寮生に迷惑をかけている悪い子は?」
「「マーサさん!」」
ミアが無事にマーサを呼んできてくれたようだ。
マーサはルシアンの手を握り、ニコニコと笑っている。
その力は、ルルから見ても物凄く強そうで、何故かその笑顔が恐ろしい。
「痛い、痛い、痛い、痛い!」
ルシアンは喚いていたが、笑顔を浮かべるマーサと目が合うと、急に大人しくなった。
この人には勝てない。
マーサの笑顔には、騎士にさえそう思わせる強さがあるようだった。
「さあ、あなた達。ここは私に任せて学校へ行きなさい」
「ですが……」
「クラリスちゃん、大丈夫よ。でも、担任の先生にだけは事情を話してね。親御さんにも連絡をしていただいた方がいいわ。心配になるもの、ね」
「は、はい……」
笑顔のマーサの前では、クラリスも素直に頷いて見せる。
担任のガイウスに話せば、当然クラリスの実家にも連絡が行く。
つまりルシアンは、自分の道を自分で壊したことになる。
廃嫡されても騎士学校さえ卒業していれば、騎士になることはできただろう。
でも、こんな騒ぎを起こしてしまった以上、ルシアンは騎士学校も退学になるはずだ。
あと少し。
あと一年……いや、半年にも近い期間で卒業だったのに……
残念なことだが、同情心は全く湧かない。
これがルシアン自身の起こした結果だ。
ルルは当然のことだと思い、マーサに引きずられていくルシアンの姿を見ても、同情することはなかった。
こんばんは、夢子です。
二話投稿取り敢えずここまでで終了です。
明日からはまた一話投稿に戻り、またストックが溜まったら二話投稿したいと思います。
あ、土曜は二話投稿続けます。




