女子会と新しい一歩
婚約者の醜態を見てしまったクラリスは、翌日の夕方、いつも通りの顔で寮へ戻って来た。
まずは突然の実家帰りを、寮の管理人であるマーサに詫びる。
「マーサさん、急なことでエミリア先輩に宿泊許可をお願いしてしまい、申し訳ございませんでしたわ」
「いいえ、いいのよ。エミリアちゃんから理由もきちんと聞いているもの。クラリスちゃんがゆっくり休めたのなら、私はそれだけで安心したわ」
「はい、ありがとうございます。おかげさまでゆっくり休むことが出来ました」
クラリスはいつものように上品に微笑んだ。
その姿を見て、クラリスの後を心配そうについて来たルルは、思わず感心してしまう。
(クラリス、凄いな……)
昨日あんなことがあったのに、もういつものクラリスに戻っている。
もしルルがセレスに「お前との相棒なんて最悪だ」と言われたら、一か月は寝込む自信がある。
いや、一か月で済むかも怪しい。
一年以上立ち直れない可能性もある。
それなのにクラリスは、ちゃんと自分の心を立て直して帰って来た。
それもたった一日で……
これが貴族令嬢の強さなのだろうか。
そんなことを考えながら、ルルはクラリスの背中を見つめていた。
そして夜になり、ルル、ミア、エミリアの三人は、クラリスが心配で部屋を訪ねる。
「あら? どうしたの? エミリア先輩も? 何か用事かしら?」
出迎えてくれたクラリスはお風呂上がりで、一見するといつもと変わらない、優しい笑顔。
けれどルルには分かった。
目の下が少し赤い。
それにずっと見てきたから分かる。クラリスの本物の笑顔はもっと綺麗だから。
(クラリス……やっぱり無理してるよね……)
きっと昨日の夜は、たくさん泣いたのだろう。
貴族間の家族関係は分からないけれど、ご両親に甘えたのかもしれない。
それに今日は泣いたことが分からないよう、化粧で隠していたのだろう。
ナチュラルすぎて全然分からなかったけれど、戻ってきた時のあの自然すぎる顔も、もしかしたら努力して作っていたものかもしれない。
そう気づくと、クラリスの強さがハッキリと分かって、ルルはますますクラリスのことが好きになっていた。
「あのね、ミアとマカロンを作ったの。クラリスが戻ったら、一緒に食べようと思って……」
「フフ、ありがとう。二人のお菓子は美味しいから好きよ。良かったら部屋にどうぞ。私だって、お茶くらい淹れられるのよ。エミリア先輩も、よろしければ昨日のお礼がしたいので、どうぞ」
「ええ。お邪魔するわね、クラリスちゃん」
三人は「お邪魔します」と言って部屋へ入った。
クラリスの部屋は可愛らしく整えられていて、綺麗なクラリスのイメージにピッタリな部屋だった。窓辺には小さな花が飾られ、壁には絵が掛けられている。
でもその横、少し空間があるのは、もしかしたら婚約者の何かが飾られていたのかもしれない。
ルルは気づいたことに気づかないふりをした。
寮の個室には小さなキッチンもあるので、クラリスは宣言通り、自分でお茶を淹れてくれる。
「夜だから、安眠効果のあるハーブティーにしてみたわ」
「わぁ、いい香り……」
カップから立ち上る香りに、ミアが嬉しそうに微笑む。
ルルとエミリアもそれに同意し、クラリスの意外な特技を知った気がした。
四人で席につくと、温かなハーブティーが身体だけではなく、心までゆっくりと温めてくれるようでとても美味しい。そして皆がお茶を口に含んだことを確認すると、クラリスが頭を下げた。
「……昨日は、楽しい時間を壊してしまってごめんなさい。でも、決着はつきましたわ。彼とは婚約解消。両親に全て話して、彼の望み通りにいたしました。私も……後悔はありません」
そう言いながらも、クラリスの笑顔はどこか悲しげだ。
クラリスは強がっている。
それが分かるけれど、ルルには何もできない。
きっと、ものすごく辛い決断だっただろう。
もしかしたら、それでも……と、彼との関係を続ける道を選ぼうと悩んだ可能性もある。
寮生活が始まってから、クラリスが婚約者をどれだけ好きだったのかは、ルルにだって伝わっていた。
クラリスの恋は、エミリアとセドリックのような熱々の仲とは違う、穏やかな、落ち着いた関係に見えた。
話で聞く限り、クラリスは婚約者を想い、大切にし、尊重していた。
プレゼントされた髪飾りのことだって、とても大切にしていたことを知っている。
なのに、一番クラリスの気持ちを分かっていなければならない相手が、それを理解していなかったことが悲しい。こんなに素敵で、優しい心を持つ女の子をどうして傷つけたのかと、今でも殴ってやりたいぐらいだった。
「クラリスちゃん、ご両親はなんて?」
「……はい。その、笑ってしまうのですが、父がものすごい怒りようで……フフフ」
「うん?」
「それに母も、窘めるどころかそれに追随する勢いで、エヴァンス家……あの、彼の実家ですが、二人してそこへ殴り込みに行きそうな勢いだったんですの。私、泣くどころか止めるのに必死で、大変でしたのよ……フフフ」
「あら、まあ……でも当然ね」
「うわぁ……うん、でも気持ちは分かる」
「ええっ? 殴り込み? ああ、でも、私でも同じことするかも……」
「もう、みんなまでそんなこと言って、付いて来てもらえば良かったと思っていたのに、ダメじゃないの、もう……」
エミリア、ルル、ミアが目を合わせ、苦笑いを浮かべると、クラリスがクスクスと笑う。
どうやら一緒にご両親を止めて欲しかったようだ。
だけどそれは無理。
ご両親に協力しましょう! 三人とも同じ意見だった。
「フフフ、本当に止めるのに苦労しましたのよ。使用人も巻き込んで、必死で……だから私の怒りは消えてしまいましたの」
「消えたの?」
「ええ、消えました。本当に大変だったんですもの、あんなこと、こりごりですわ」
クラリスが楽しそうに笑う。
困っているけれど嬉しそうで、両親の愛情をハッキリと感じられたからだと思う。
でもご両親が怒るのも当然だ。
付き合いの短いルルだってクラリスが許してくれるなら、あの婚約者のところへ今すぐ怒鳴り込みに行っているだろう。
まあ、クラリスが吹っ切れた今ではもう遅いかもしれないが。
「フフフ、ルルちゃんなら、本当に行きそうね」
「もちろんそうだけど、エミリア先輩だって、ミアだって同じでしょう? 私には分かるんだからね」
「あら、ルルちゃん、私は自分の手は汚さないわ」
「私も直接戦うのはちょっと……一緒に行って応援するぐらいは出来ると思うけど、戦力にはならないかな」
「えー、二人とも酷ーい。それじゃあ私が乱暴者みたいじゃないのー」
エミリアとミアが無言で肯定するような笑顔を浮かべ、ルルが頬を膨らませると、クラリスがまたクスクスと笑いだした。
「実は、ウチの兄は少しルルに似ているのですけど……」
「えっ? 私に?」
「ええ、彼に決闘を申し込むと言い出して……」
「あ……」
それは似ているかもしれない。
ルルもそう思った。
もしルルがクラリスの妹だったら、あの場で即決闘を申し込み、あの男に土下座をさせていただろう。顔も踏んでいたかもしれない。それも力一杯、変形するほどに。
そしてエミリアもミアも、そんなルルの危険な思考に気づいたのだろう。
納得顔で頷いているルルを見て、二人とも苦笑いを浮かべた。
「兄、強いんですの。ものすっごく」
「えっ?」
「兄弟ですから私と顔は似ていますけれど……兄、ゴリラみたいな体つきなんですのよ」
「ええ?」
「そんな兄に決闘を申し込まれたら、あの方ならその日のうちに逃亡するでしょうね。それも国外に」
「「「……」」」
確かに逃げ出しそうだ。
ルルだけでなく、エミリアとミアも頷いてしまう。
女の子の肩を抱き、へらへら笑っていたあの男を思い出すと、肯定しか出来なかった。
「フフフ、私、それを想像するだけで可笑しくって……」
クラリスは口元を押さえながら笑い、そして少しだけ視線を落とす。
「それに私、自分の考えに気づいたのですわ」
「考え?」
「ええ。彼の言う通り、私は、彼のことを……無意識に見下していたのかもしれないって……」
「クラリス……?」
「彼は騎士ですもの。強くて、誇り高くて、何事にも立ち向かう人だと思っていました。だからこそ、私自身が兄のほうが強いと、戦えば彼が負けると、そう思っていることに、自分でも少し驚いたのです……」
あの婚約者も騎士だ。
けれどクラリスは、彼が兄に勝てるとは思っていなかったらしい。
そして決闘を申し込まれたとしても、負けると分かっていて立ち向かうのではなく、彼なら逃げる。
そう思った自分に気づいたのだという。
「私ね……彼のこと、本当に好きでしたのよ……」
「うん……」
それは見ていれば分かった。
クラリスは婚約者をちゃんと愛していた、好きだった。
恋を知らないルルが羨ましいと思うぐらい、大切にしていた。
だからだろう、本音をさらけ出すクラリスの声は少しだけ震えている。
「ですから、彼が竜騎士を一緒に目指したいと言ってくれた時、本当に嬉しかったのです」
「……うん」
「私の家族は、別に彼にまで竜騎士になってほしいと思っていたわけではありません。私だって、無理をしてまで同じ夢を追ってほしいなんて思っていませんでした」
クラリスはカップを両手で包み込む。
まるで自分の心を温めるように、そっと優しく、カップを手の中に収めている。
「ただ、一緒に頑張りたいと言ってくれた。彼のその気持ちだけで、私は十分嬉しかったのです……」
竜騎士になることが、どれほど厳しい道なのか、それをクラリスも、その家族もよく分かっている。
だから婚約者が試験に落ちた時だって、クラリスは本心から彼を励ました。
裏なんてなかった。
責めてなんていなかった。
ましてや馬鹿になど、しているわけがない。
ただ、受け取り方が違ってしまったのだ。
彼にはクラリスの心が曲がって伝わってしまった。
「私、彼にあんな言葉を言われても……竜騎士を諦めるという選択肢は、一度も考えませんでしたの」
「クラリス……」
「彼より、自分の夢のほうが大事だった。これはその結果なのですわ」
そう言って、クラリスは微笑む。
竜騎士になる。
その夢は、婚約者よりも大切なものだった。
その気持ちは、ルルにも分かる。
セレスと空を飛ぶ。
竜騎士になる。
それは誰かに否定されたからといって、簡単に手放せるような夢ではない。
だからといって、あの婚約者の言葉を受け入れる必要なんてない。
クラリスは今のままのクラリスで良い。
だからルルは思ったままを口にした。
「クラリスは、かっこいい! あの人の数百倍、ううん、数千倍かっこいい!」
「……ルル……」
なぜかクラリスはルルを見つめ、目をパチパチとさせている。
ルルは少し慌てた。
クラリスが泣いていない以上、自分が泣くわけにはいかない。
そんな気合いを入れたら、いつの間にか変な顔になっていたらしい。
クラリスが涙を我慢するルルの顔を覗き込む。
「ルル、なんですの、その顔。酷いですわよ。貴女、女性とは思えない顔ですわ……」
「ぐうぅ……こ、これは……そう! クラリスのお兄さんの真似! 私と似てるんでしょう!」
「まあ! アハハハハ! 貴女何を言いますの! もう、笑わせないでちょうだい。お兄様はそんな酷い顔は致しませんわ、アハハハハ」
クラリスに釣られ、ミアもエミリアも笑い出す。
部屋中に笑い声が広がり、さっきまでの重い空気が消えていく。
「もう、みんな酷い! 私女の子なのにー!」
ルルは少し不満だったけれど、クラリスが笑っているから、それでいい。
きっと今は、それが一番大切。
ルルの変顔がクラリスを励ます役に立つのなら、文句などあるはずがない。
「フフ……はあ、ルルのせいで一年分は笑ったような心境だわ」
「私もよ、ルルちゃん」
「ルル、私も、笑わせてくれてありがとう」
皆でしばらく笑ったあと、クラリスは目元を拭い、ルルたちを見て微笑んだ。
「皆様、話を聞いてくれてありがとう。なんだか、とてもスッキリしましたわ」
「なら良かった、笑われた私も役に立ったね」
「フフ、じゃあ、お茶で乾杯でもしましょうか?」
「乾杯?」
「ええ。せっかくお菓子もありますもの。皆でお祝いしてくださいませ」
「何のお祝い?」
ルルが首を傾げると、クラリスがクラリスらしい、ちょっと気取った笑顔を見せる。
「私が、無事に婚約を解消できたお祝いですわ」
「ああ!」
それなら、とルルも笑った。
クラリスが新しいお茶を淹れ、四人はカップを掲げる。
「クラリスの新しい門出に!」
「「乾杯!」」
「乾杯ですわ!」
温かなカップが小さく触れ合う。
そして、ルルとミアが作ったマカロンをお茶うけに、四人のお茶会が始まった。
「今度のお相手は、竜を一緒に愛してくれる方を選びますわ」
「賛成! あんな人にはクラリスはもったいない! もっとかっこいい人じゃないと!」
「うん、私もそう思う。クラリスなら、絶対に素敵な人が見つかるよ。竜騎士になってからでも遅くないし、それに女性の竜騎士は少ないから、クラリスならモテモテだよ」
「ええ、そうね、クラリスちゃんなら、絶対に素敵な方を見つけられるわ。それに、良かったらセドリックの友人を紹介してもいいのよ。ちょっと変わっている人が多いけれど」
「「「……」」」
クラリスは何とも言えない顔をした。
ルルもミアも何故か黙ってしまう。
セドリックの友人とは?
セドリックが沢山いる姿が頭の中に浮かび、クラリスが貴族らしい笑みを浮かべる。
「……セドリック様のお友達は、少し考えさせてくださいませ」
「あら、そう? もちろん無理には勧めないけれど、付き合ってみると意外と楽しいものよ。刺激もあるしね」
「……はい……それは、その、楽しそうですね」
そう言ってクラリスが苦笑いを浮かべる。
その顔がおかしくて、また四人で笑った。
昨日までのクラリスには、婚約者との未来があった。
けれど今日からは、自分自身の未来を選んでいく。
悲しみがなくなったわけではない。
それでも、隣には一緒に笑ってくれる友人がいる。
その夜、四人は遅くまで話し続けた。
恋の話。
竜の話。
学園の話。
そして、これからの夢の話。
夜が更けるにつれて、クラリスの笑顔は少しずつ、いつもの笑顔に戻っていった。
おはようございます、夢子です。
クラリスのお話、長くなってしまいました。
あともう一話お付き合いください。
今夜投稿します、よろしくお願いいたします。




