9話 森へ
ただ、ありのままを受け入れよう。
自然の摂理にならって、圧倒的捕食者のワーグに僕の命を――
「う、うわぁぁぁっ!!!」
そう思ったはずなのに、考えるより先に体が動いた。
何かに突き動かされるように体が勝手に跳ねた。
直後、いつの間にかしっかりと握りなおしていた土槍を、横薙ぎに振るう。
僕の手に、ゴツッと重い衝撃が走った。
「キャヒンッ!」
ワーグは甲高い声をあげて、ザザッと後ずさる。
顔の左側からポタポタと血を滴らせて、低く、小さく唸る。
い、今の動きは……
僕は何で――反撃したんだ?
心の中で決めたはずだ……このまま死を受け入れようって。
仮に戦ったところで、勝ち目もないし無意味だって。
それなのになんで――僕は槍を構えて立っているんだ?
僕の体は、まるで自分の意思とは無関係のように次の動きをとっていた。
重心は低く、牽制するように槍先をワーグに向ける。
全部諦めたはずなのに、体の感覚は冴え渡るようだ。
「グルルル――ガアァッ!!!」
ワーグは低く唸ったあと、落ち葉を蹴散らして飛び掛かってきた。
「うわっ!?」
僕は咄嗟に槍を持ち替えて防御姿勢を取った――が、ワーグの体重と勢いに押されてそのまま転倒。
さらに食らいつこうとしてくるワーグの口を、槍の持ち手部分でなんとか抑える。
「うぅっ、ぐっ……!!」
ミシミシと、持ち手が音を立てる。
むき出しになった凶悪な犬歯が、興奮して飛び散るよだれが、ゾワゾワと僕の中の恐怖の色を濃くしていく。
バキィッ――
そしてついに、棒は真っ二つになった。
ワーグがニタリ、と笑った気がした。
「――こんのっ!!」
僕は咄嗟に折れた【土槍】を持ち替え、槍先がついている方を振り回した。
折れてリーチが減った分いくらか扱いやすく、がむしゃらに振った槍はワーグの額を何度かかすめた。
バクバクと、心臓は爆ぜるようだ。
全身が熱い、呼吸も荒い――それでも、死んではいない。
僕は槍で牽制しつつ、チラッと後ろを見た。
草の茂みは少なく、中くらいの木々が森の奥まで続いている。
つまり、僕にとっては走りやすく、ワーグから身をかわす為の障害物も多いってことだ。
……逃げよう。
僕はそう考えるやいなや、ジリジリと後退した。
今はただ、たまたま死んでないだけ。
奇跡に奇跡が重なって、なんとか生きているだけだ。
ほんの一瞬でも歯車が狂えば、たった一度でもミスをすれば――今度こそ終わりだ。
僕は震える手に、できる限りの魔力を集中させた。
ワーグもこちらの動きを察して、姿勢を低く構えた。
一瞬でも隙を見せたら、やつは僕の首筋目掛けていつでも飛び込んでくるだろう。
僕はそのまま慎重に後ずさりして、チラッと逃走経路を確認した。
次の瞬間――ワーグは牙と爪をむき出しにして、大きく飛び上がった!!
「【電鱗】ッ!!」
僕は咄嗟に身をかがめながら魔法を放ち、空気中にパチパチッと電気火花が散った。
そして、ワーグが帯電した空間に触れた瞬間――
バチンッ――!!
「キャンッ!?」
一瞬、明るくスパークして空気が爆ぜた。
ワーグは空中で小さく悲鳴を上げ、そのまま態勢を崩して木に激突した。
僕はその隙を逃さず、一目散に駆け出した。
「はぁっ、はぁっ、や――やった、できた……!!」
呼吸も荒く、手が震える。
膝が笑ってうまく走れない――それでも、僕はやつに一矢報いてやった。
特異四属性の一つ、電気属性の基礎魔法電鱗が、ココ一番で僕を助けてくれた。
本来はマナから電気を作り出したり、空気中の微細な電気を集めるくらいの効果で、当然さっきみたいな強い電気は起こせない。
僕が狙ったのは、静電気――それも特大のやつだ。
最近雨が降ってなくて乾燥した森の空気。
ただでさえ電気を溜めやすい毛皮なのに、激しい運動をしたワーグ。
それに、僕自身びっしょり汗をかいたことで電気も集めやすかった。
偶然と偶然が重なりあって、僕一人では絶対に出せない力を生み出した。
きっと、冬場にドアノブを触った時の数倍以上の電気が流れたことだろう。
でも、当然こんなものじゃあ――
「グルルッ――ババウッ!!」
やつは倒せない。
ワーグは怒りに目を血走らせて、猛然と迫りくる。
分かってる、ほんの一瞬怯ませたってだけだ。
でも、その一瞬が大事なんだ……!
僕はさらに、次の手を打った。
「【闇套】、【闇套】、【闇套】!!」
詠唱に続いて黒いモヤがいくつも現れ、ワーグの視界を遮っていく。
特異四属性の一つ、闇属性の基礎魔法だ。
見た目通り、黒いモヤを発生させるだけの魔法だ。
でも、煙幕効果として考えるならこれ以上ないくらい最適だ。
ただの追いかけっこじゃあ、僕に一切勝ち目はない。
だから……この環境も、僕の力も、運も――全て使わせてもらう!
僕は走った。
力の限り走った。
息をしてるのかどうかも、分からないほどに。
僕は魔法を使い続けた。
残存魔力なんか気にしない。
ありったけを、今にぶつけ続けた。
そして――それでも僕は、ワーグに追いつかれた。
「ガウゥッ!!」
すぐ後ろでワーグが大きく吠えたかと思うと――次の瞬間、背中にザッ、という衝撃が走った。
「うっ!?」
僕は思わず前のめりになりながらも、走り続けた。
不思議と痛みはない。
ただ、ヒリヒリと冷たいような感覚だけが残る。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………!!」
それでも走り続けた。
前も後ろもなく、ただ足を動かし続けた。
「はぁ、はぁ、はっ――――えっ?」
途端に、体が軽くなった。
僕は空を飛んでいるのか?
足を動かしてみても、そこには何もない。
重力の消えた世界の端に、逆さまになった地面とワーグが見えた。
「あっ――」
僕はそこで、ようやく気付いた。
取り返しのつかない状況になってしまったことに。
僕の体は制動を失い――森の深みへと落っこちていった。




