8話 獲物
初めての狩りから数日が経ち、僕の食卓には少ないながらもお肉が並ぶようになっていた。
……まあ、狩りと言っても自分で仕掛けた罠を確認するくらいなんだけど。
こういう環境下で、考える限り一番バランスのいい食事ができている……と思う。
気のせいかもしれないけど、体はよく動くようになったし、気持ちだって、ほんの少しだけど前を向けてると思う。
そんな日々を過ごしていたある日。
いつもより遠くに探索に出ていた僕は、ついに念願のものを発見した。
「……こ、これって!」
太い木の幹……ちょうど僕の腰くらいの高さで、不自然に皮がむけてツルツルになっている部分がある。
見渡せば、同じようにハゲてしまった木が周りにいくつもある。
「うん……うん……! そうに違いない!」
僕は慌てて木の根元に駆け寄り、枯れ葉や削れた樹皮をガサガサと払った。
そしてその中に、短い茶色の毛を発見した。
「あった……! 間違いない、シカの毛だ……!」
夢にまでみた、大型動物――シカの痕跡をついに発見した。
いや、もちろんいるとは思っていたけど、これだけ探しても一頭たりとも見かけないし、少し心配になってて……うん、これは本当に嬉しい出来事だ!
僕は、はやる気持ちを必死に抑えて、冷静に周囲の観察をすることにした。
いくつもの木々をじっくり見て回ると、はがされてまだ新しい樹皮に、ころころとした湿ったフンまで見つけることができた。
これはつまり、今もこの場所はシカたちが使っている……ということだ。
よしっ、よしっ、やった……!!
仮に仕留められたら、しばらくの間お肉に困ることもないし、うまくいけば皮や骨を使って色々作れるかもしれない……!
まだ何も獲ってはいないのに、考えるだけでソワソワと浮足立ってしまう。
僕は声を押し殺すのに必死になりながら、できるだけ静かにその場を後にした。
* * *
翌日の朝、僕はできる限りたくさんの食料と武器にする為の棒を手に、森へと入った。
相手はいつ現れるか分からない。
下手したら、暗くなるまでの長期戦だって考えられる。
それでも――
「……よし、やるぞ!」
僕は不思議な高揚感の中、足取り軽くズンズン森を進んだ。
そして歩くこと二時間――お昼になる前に、再び痕跡を見つけた場所へ到着した。
「……うん、新しい痕跡は増えてないようだな。 これなら、シカがやってくる可能性は十分あるぞ」
辺りの木々をザッと見渡し、ホッと一息。
まあ、来ない可能性だって十分あるんだけどね。
後は、僕とシカとの根競べ。
目星をつけた木から少し離れて、小枝や落ち葉をわさわさと頭からかぶる。
……これでも、カムフラージュ効果を期待してのことだ。
それから待つこと数十分――いや、もう一時間は経っただろうか。
落ち葉がカサカサと肌を撫でてかゆい。
緊張からくる汗が首筋を、背筋をつたって気持ち悪い。
それでも僕は、ジッとその場に息を潜め、シカがやってくるその時を待った。
そして、その時は唐突に訪れた。
ザッ、ガサッ――
落ち葉を踏みしめる音に続いて、茂みの向こうから、スッと伸びた角が見えた。
二つに分かれた角――若い雄のシカだ。
きっ、きたっ、本当に……!!
まさに千載一遇のチャンス――でも、これを待ち望んでいたというのに、いざとなると緊張してどうにかなりそうだった。
棒を持つ手は小刻みに震え、心臓の音がバクバクとうるさい。
それでも僕は、キッと歯を食いしばると魔力を棒へと集中させた。
「……【土片】」
僕は細心の注意を払って、できる限り小さな声で詠唱を済ませ魔力の出力も、できる限り抑えた。
途中、シカの耳がパタパタと動いたけど、なんとかバレずに【土槍】を作り上げた。
心の準備はできた、武器の準備も、できた。
後はただ、シカが一番油断するその瞬間を待つだけだ。
ドッドッ、ドッドッ――
心臓が大きく脈打つのを感じる。
がっちりと掴んだ【土槍】に僕の鼓動が伝わる。
シカまでの距離はおよそ六、七メートル。
僕は全身の筋肉をこわばらせながら、牛よりも、亀よりも遅い動きで進み出した。
シカは僕の存在に気付いてるのか気付いてないのか、耳をぱたつかせながらも木の皮をむしるのに必死だ。
この位置なら、僕は完全に死角だ。
直接槍を刺せなくても、投げてどうにかなる距離――うん、いける。
僕は心の中で静かに意を決した。
ほんの少しずつ体を浮かせて、一気に飛び出す態勢を整える。
……………………よし、今だ――――!!
僕がいざ飛び出そうとしたその刹那――音もなく現れた黒い影が落ち葉を散らして駆けた。
風よりも早く、シカの首元目掛けて――
「ヒーーーンッ!!」
ドカッ、と肉と肉が激しくぶつかり合う音がして、悲痛なシカの叫びが響く――と同時に、パッと鮮血が舞う。
シカはだくだくと首から血を流し、後ろ脚がバタバタと揺れたかと思うと、それきり動かなくなった。
「グルルル――」
突然現れた”本物の”ハンターは、どうやら次の獲物を決めたらしい。
それは、他でもないこの僕だ。
すでに息絶えたシカの首から口を離し、僕に向かって低く唸り声をあげた。
一目見てイヌ科のそれとわかる特徴の見た目――だけど、これを犬と呼ぶにはあまりにも恐ろしい姿だった。
シカより一回りも大きい体躯、長くごわついた毛皮、見るからに獰猛そうな顔つき――
怖い、怖い、怖い――!!
目の前の光景に理解が追い付くよりも先に、僕の本能が全身に恐怖を告げていた。
こいつはまさか、そんな――
「ま、ま、ま……魔獣……!? こ、こんな、ところに……?」
――魔獣。
元は動物だったとされる生き物だけど、この星のマナの作用によって進化……というより、歪な変異をしたものの総称だ。
分野を問わずたくさん勉強したから、僕の頭は知っている――こいつの正体も、どれほど危険なのかも。
そして僕を睨んでいるこいつは、犬型の魔獣。
すばしっこくて獰猛で、狡猾。
どう転んだって僕が勝てる相手ではない、それだけは分かる。
そもそも、相手が魔獣という時点で、ほとんどの人はなすすべもなくやられてしまうだろう。
僕の指先から、感覚が抜け落ちていく。
でも、絶望だとか、そういう感傷にひたる感じはない。
ただ、避けられない死をゆっくり受け入れていくような――
ははっ、やっぱり僕は最後の最後まで無能な落ちこぼれだったみたいだ。
結局誰の期待にも応えられず、何も成しえないまま死んでいく。
そして、僕が死んだことすら知らずに、みんなは過ごしていくんだ。
――あぁ、悔しいなあ。
みんなの期待を裏切ったままの自分が。
……いや、違う。
進級試験のあの時、自分の力をどうにかしてでも証明できなかった自分が。
父上と会った時、話すらまともにできなかった自分が。
期待に応える為だけの人生じゃなく――何かを変えようと、変わろうとできなかった自分が……!!
魔導学院でも家でも、何一つ言い返せなかった自分が――!!
……そして、このまま惨めに終わる自分の人生が。
「……悔しいなぁ」
僕は地面に、ぺたんと腰をおろした。
ワーグは喉の奥からゴルル、と恐ろしい音を立てて身をかがめた。
「――ウゥゥゥッ…………バウッ!!」
ワーグは勢いよく飛び出した。
僕の目の前は、まっしろになった。




