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 十二月に入ると、テレビの内容も人との話題もクリスマスカラーが強くなる。特別キリスト教とは関係ないはずのこの施設でも、談話室と食堂にはクリスマスツリーが飾られる。

 談話室の中央に飾られた、高さ一メートルほどのクリスマスツリーを見て、澪がもの悲しそうに言った。


「せめて二メートルは欲しくない?」

「え、そう?」


 一メートル以上のクリスマスツリーを、私は見たことがない。なので、この大きさのクリスマスツリーでも文句はなかった。けれど、澪は不満そうだ。モミの木もどきをいじりながら、ぶつぶつと言っている。


「ライトすらついてないし。どう考えてもしょぼいでしょ。あーあ、USJのクリスマスツリーでも見に行きたいなあ」


 USJというのはテレビで見たことがある。確か、大阪にあるテーマパークだったはずだ。けれどもちろん、私は行ったことがない。


「澪、USJに行ったことあるの?」

「あるわよ。小六の修学旅行が関西方面だったし。あとはクリスマスの季節に、家族で行ったのが二回」

「へえ」

「へえって。卯月は行ったことないの?」

「ないんだけど……」

「卯月、東京から来たんでしょ? 修学旅行はどこ行ったの?」


 中学一年生の自己紹介の時、私は東京から来たと嘘をついた。だからみんなの中で、私は東京出身ということになっている。実際はこの施設出身のこの施設育ちで、この施設がどの都道府県に入っているのかも知らない。


「ええと……」


 東京の子って、修学旅行はどこに行くのだろう。北海道? 沖縄? 九州?

 私は十秒ほど考え、結論を出した。


「実は…………修学旅行、行ってなくて」

「え、なんで?」

「旅行当日、インフルエンザで倒れたの」

「ありゃー、ご愁傷さま」


 どこかに行ったと嘘をつくよりも、インフルエンザにかかったと嘘をついた方が後々楽だろう。私は適当にごまかして、楽器演奏室から出てきたばかりの牧乃ちゃんに話を振った。

 牧乃ちゃんは広島だよ、と答えた。そうか、そこら辺が無難なのかな。

 それからしばらく三人で話して、澪がトイレに行くと席を立った後、牧乃ちゃんが私をちょいちょいと手招きした。顔を近づけると、牧乃ちゃんは少し照れたように言った。


「実は、わたしも修学旅行行ってないの」

「え?」

「家にお金がなくて、修学旅行代を積み立てられなかったから」


 私は、牧乃ちゃんが家の事情で旅行に行けなかったということにも、牧乃ちゃんが嘘をついたということにも驚愕した。彼女は普段、嘘をつかない。


「広島に行ったっていうのは?」

「もちろん嘘だよ。本当は、行ったことない」

「じゃ、なんで広島にしたの」

「わたしの学年の修学旅行先が広島だったから。友達に、後からいろいろ聞いたんだ。原爆ドームと、厳島いつくしま神社と、もみじ饅頭の話をすればどうにかなるって教えてもらったの。広島の人には怒られそうだけど」


 鍵谷さんには内緒ね、と牧乃ちゃんはいたずらっぽく笑った。私はこそこそと話を続ける。


「どうして嘘なんてついたの」

「家にお金がなかったから行かなかったって言ったら、皆に気を使わせちゃうから。そういう雰囲気、あんまり好きじゃないし」

「じゃあ、どうして私には本当のことを教えてくれたの?」

「斎藤さんも修学旅行に行ってないって分かったから。変な言い方するけど、仲間を発見したような気がしてちょっと嬉しかったよ」


 ここまで話したところで、澪が戻ってくる姿が見えた。私は牧乃ちゃんから顔を離す。けれど、至近距離で話している様子をばっちり見られたようだった。


「なになに? ふたりで何の話してたの?」

「修学旅行で、わたしがパンツを脱衣所に忘れちゃってた話」


 牧乃ちゃんがさらりとそう言うと、澪は「あれ、なんでか誰かひとりは確実に忘れるよね」とけらけら笑った。


「公衆の面前で『忘れもののパンツがある』とまで言われて、それわたしのパンツですって言えないし。恥ずかしかったよ」


 牧乃ちゃんはそう言いながら、私に目配せして、ふふっと笑った。



 ――そういえば、山田君の小学生のころの話ってあまり聞いたことないな。

 土曜日の朝、私は図書室に向かいながらそんなことを思っていた。豊富な知識は披露してくれても、彼自身の話はあまりしてくれたことがない。私も人のことを言えないけれど。彼は外にいたころ、どんな場所に行っていたのだろう。

 図書室の扉は開いていて、中を覗くと山田君の背中が見えた。私や澪や牧乃ちゃんよりも広い肩幅。何かに熱中しているのか、私の存在には気づいていないようだった。


 ……触れてみたい。そう思った。


 私は足音を忍ばせて、ゆっくりと山田君に近づいた。至近距離になっても彼はまだ気づいていないようだ。本を読んでいるらしく、頭が若干下を向いている。男の子にしては細い指が、ぱらりとページをめくった。

 両手で背中を思いっきり押して、「わっ!」とやってみるか。それとも、ただ肩を叩くだけにするか。――まさかいきなり抱きつくわけにはいかないし、そんな勇気もなかった。澪ならやりそうだけれど。

 澪、で思い出した。人差し指を立てたまま肩を叩いて、振り向いた相手の頬をぷにっと突くいたずら。私も澪に、何度かやられたことがある。……あれをやったら、山田君はどんな反応をするだろう。


 ――その肩に、触れてみたら。


 彼へと伸ばす自分の右手が思いっきり震えた。心臓が悲鳴を上げて、鼓膜の裏にまでその音が聞こえている。きっと今、血圧と脈拍を測ったらとんでもない数値を叩きだすに違いない。……やめるなら今だ。ただ一言、お待たせと言って向かいの席に座ればいい。

 だけど、触れたかった。

 無言で、控えめにその肩を二回叩く。その瞬間に私の決意は吹き飛んで、人差し指を立てるいたずらはやめてしまった。

 山田君は室内なのに分厚いコートを着たままで、だから肩を叩いても、彼の身体に触れた感覚はよく分からなかった。それが酷く残念で、悲しかった。

 しばらく待ってみたけれど、反応はなかった。コートが分厚いから、触れられたことに気付かなかった? それとも、肩を叩く力が弱すぎたのだろうか。

 今度は人差し指を立てて、背中をつついてみることにした。とんとん、とリズムよくつつく。けれど、やっぱり反応がない。

 寝てる……の、だろうか。授業中に居眠りすらしない彼が?

 私は背後から声をかけるかどうかで悩んで、けれど起こしたら悪いなとも思い、すり足で向かいの席に向かった。もしも寝ているのなら、その寝顔を見てみたいとも思ったからだ。

 けれど、寝ていると思っていた山田君の横を通ると、彼はふっと顔をあげた。


「斎藤?」


 彼の声に、私の心臓は飛び上がった。もしくは破裂した。内心では床から十センチほど足が離れた気がしたけれど、実際は肩を震わせるだけで済んだ。

 山田君は寝起きでもなさそうな、いつも通りの顔をしていた。そして、とても不思議そうな顔で私を見上げている。


「いつからここにいたんだ?」

「さっ、さっき! 今!」

「足音が聞こえなかったが」

「あの、……山田君、寝てるのかと思って。起こしたら悪いかなって」

「寝ているように見えたか?」

「だって、」


 肩を叩いても気づかなかったじゃない。そう言おうとして、私は思い出した。

 私が肩を叩く直前、彼の右手が本のページをめくったことを。


「……気づかないふりしたの?」

「なんの話だ」

「肩、叩いたんだけど。反応なかったから」


 私がそう言うと、山田君は一瞬、ほんの一瞬だけ顔を歪めた。ような気がした。

 けれどすぐにいつも通りの表情に戻って、


「すまない。本に夢中になっていて、気づかなかっただけだ」


 そう言った。

 こんなことならいっそ、両手で力いっぱい押して「わっ」とやっておけばよかった。そう思いながら私は向かいの席に着く。山田君はもう一度「すまなかったな」と言って、それから大学ノートを取り出した。


「斎藤の小説。すべて読み終えた。ありがとう」

「……こちらこそ、読んでくれてありがとう」


 綺麗に積み上げられた四冊の大学ノートを私は両手で受け取って、その次の言葉に悩んだ。

 面白かった? だめだと思うところは? もっとこうしてほしいと思うようなものはあった? 印象に残ってる文章は?

 ――山田君が一番好きになってくれた作品は、どれ?


「どこから感想を言うべきだろうか」


 私の心中を見透かしたかのようにそう呟いて、山田君は腕を組んだ。


「まず、重複してしまって申し訳ないが、とにかくうつくしかった。面白いとか綺麗とか、そういう言葉では表現できない。君の文章はうつくしいと思う。ストーリーラインも、組み立てているというよりかは流れるようになっていて、素晴らしかった」

「……ありがとう」


 それしか言えない自分がもどかしかった。山田君は「うん」と頷いて、それから少しだけ沈黙した。時間にしてみれば五秒ほどだったかもしれないけれど、私にとっては一時間にも二時間にも感じられる沈黙だった。


「これは、斎藤が体験したことをベースにして書いたのか?」


 沈黙を破ったのがその言葉で、私は首を傾げた。


「どういうこと?」

「全体を通して思ったのだが、まずやはり情景描写が圧倒的に不足している。それと、物語の構成およびテーマが偏っている印象があった。できないことができるようになる、孤独だった人間が様々な人間と触れ合う、狭い場所から広い場所へと旅立つ。この三つが圧倒的に多い。そして大体の物語に、命という題が練り込まれている。違うか?」


 私は頷いた。頷くしか、なかった。


「失礼な質問をしていいか」

「……なに?」

「斎藤はもしや、引きこもりか何かだったのではないか? そして、室内でずっと本を読んで過ごしきた。だとすればすべて合点がいくんだ。外に出た経験が乏しければ情景描写がうまくできない。外に行くことがなければ、出来ないこともたくさんある。人間と触れ合う機会も少なく、孤独を感じるだろう。そして、本当は外に出てみたいと願っている」

「…………」

「見当違いだったら申し訳ない。ただ、そう感じただけだ。テーマについて責めたりするつもりは一切ない。ただ、一読者として気になっただけの話だ」


 ――だめだ、また泣きそうだ。私は涙を堪えた。


 山田君の推測はおおよそ当たっている。私の人生の大半は、引きこもりのようなものだった。自分で願ったわけではないけれど。ずっとひとりで狭い空間にいて、外に出ることを夢見ていた。私にとっては非日常である光景を、日常として映し出すテレビばかり見た。無限に与えられる本を読み続けた。やがて、自分だけの世界を作った。何でもできる世界を。

 そして、その世界を文章にした。それが、そこにあるノートたちだ。

 本当は、私が書いた小説は大学ノート五冊だけじゃない。その何倍もの物語を書いている。けれどそのほとんどが、私の記録として、研究員に没収された。私の小説を読んでどんな研究をするのか、あるいは勝手な心理分析をされるのかは分からなかったけれど、没収された小説は二度と手元に戻ってこなかった。


「――やはり俺は、余計なことしか言わないようだ」


 私が無言になったので、山田君はなんだかばつの悪そうな顔をした。確かに、引きこもりか? なんて、面と向かって訊く人間はあまりいないかもしれない。私は首を横に振った。


「あのね……。みんなには内緒にしてくれる?」

「ああ。なんだ?」


 私、ここで生まれたクローン人間なんだよ。生まれてから今まで、一度もこの施設から出たことがないの。


 私は内心でそう呟いて、それから小声で言った。


「山田君の言う通りなんだ。私、引きこもりだったの。不登校で、小学校もほとんど行ってない。養護施設の人達に教師代わりになってもらって、最低限の勉強だけはしてた。でも、このままじゃ駄目だと思って……だからここに来たの」


 そう言うと、山田君は目を丸くした。嘘をついたと思う心の隅で、珍しい表情だなあと思った。


「その状況下で、よくここの試験に通ったな」


 試験なんて受けてないから、とも言えない。


「現代文の成績だけ、異常に良かったみたい。それで、入れてもらえただけ。ほんとにラッキーだよ。多分、びりっけつだったと思う」


 私が笑うと、山田君は「そうか。よかったな」と笑わずに言った。どこか納得いかない、そんな感じの顔だと思った。

 話題を変えなくちゃ。そう思い、私は修学旅行の話を思い出した。


「そうだ。山田君は、修学旅行ってどこに行ったの?」

「修学旅行? 何故、何の脈絡もなくそんな話になるんだ」

「この前、澪と牧乃ちゃんとで話してたの。それで、山田君はどこに行ったのかなあと思って」

「そうか」


 山田君は組んでいた腕を解き、かと思えばまた組みなおした。


「修学旅行だが、俺は行ったことがない」

「え? どうして?」

「修学旅行当日に、インフルエンザに罹患りかんしたからだ」


 私はそのエピソードを聞いて、思わず吹きだした。私の嘘を本当に経験した人間がいて、それがまさか山田君だったなんて。


「何がおかしい」

「いや、山田君でもインフルエンザにかかるんだなあって思って。なんかそういうの、事前にワクチンとか打ってそうだから」

「ワクチンを打っていても、罹患することはある」

「うん。ごめんね笑っちゃって。大変だったでしょ」

「まあな」


 山田君は仏頂面で頷いて、けれどその後、笑った。


「――斎藤の小説の話を、もう少ししてもいいか」

「うん。なに?」

「俺が一番うつくしいと思った作品は、『箱庭の外』だった」


 ――ああ。私は目を伏せた。


「実験体として檻の中で生き続けていた動物たちが、自らの意志で外に出る物語だ。実験は命に関わるものばかりで、薬を毎日投与されなければ動物たちはすぐに死んでしまう。それでも、檻の外に出ようとする。見たことのない景色を見るために。会ったことのない同胞に会うために。牙を使って、爪を使って、檻を壊す。その牙や爪が擦り切れて無くなってしまっても、外に出るんだ。動物の名前は――レオン、ひな、きなこ、ピーター、なずな、チロ、ハク、もも、こたろう、ごんた、はなこ、はなまる、ココ」

「――……よく覚えてるね」

「散々読み返した。だから、ノートを返却するのが遅れてしまった」


 山田君は苦笑した。


「それぞれの動物の描写もリアルで、見事だった。檻の中にいる心境も、実験されている恐怖も、身体を傷つけ命を縮めてでも外に出たいと願う心理も。そのすべてが静かに、けれども激しくえがき出されていた。あの動物たちにはモデルがいるのか? 本当に、何かの実験体なのか」

「……うん」

「実際の彼らは外に出られたのか? それともまだ、檻の中か」

「……檻の中だよ。きっともう一生、外には出られない」

「そうか。会ってみたいな。そしてできるならば、解放してやりたい」


 ――そうだね。

 私は震えていることを悟られないように、小さく返事をした。


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