44 五稜郭
無防備な山田さんは、僕のことを好きらしい。土岐くんが言っていた。
ということはもしかして、無自覚に見えていたこれまでの行動にも何か意図があるのだろうか。なんて裏を読みたくなってしまう。
さっきの市電だって、停車で揺れるたびに、微かに肩が触れてしまって気が気ではなかった。僕は気を逸らして違うことを考えるのに一生懸命だったのに。
山田さんは、腕が疲れたのかなんなのか、途中から踏みとどまることを放棄して、ぐらぐらと物理運動に身を任せていた。ちゃんと立ってくれ、と僕は心の中で悲鳴を上げる。
だけど進路のことを聞いたらあっさり地方の大学に行くようなことを言っていた。山田さんの好きって中学時代完結レベルの好きなんだろうか。今だけの思い出ってやつ?
桜井先生の身の上話を聞いているうちに、僕はどうにも結婚についてふと考えるようになった。数日前までの僕では考えられない。
だって女性には結婚適齢期があるけれど、男にはないから。結婚なんて遠い未来の、ずいぶん先の話だと思っていた。それに自分は大人になったら親の紹介でお見合いをするのだと思っていた。うちの両親もお見合い結婚だ。今どきという気もするが、うちはそうなのだ。でも僕の代でそれも無くなるかも。
「先生、なんでそんなに早く結婚決めたんですか」
熱心に十八ヶ条の御触書の抜粋を読んでいる桜井先生に僕は声をかけた。別行動していいと言われたけど、なんとなく僕は桜井先生にくっついて同じペースで展示を見ていた。
山田さんは階下の売店にお土産を見に行っている。
「え、何、どうしたの」
「女性には結婚適齢期があるけど男性にはないじゃないですか。でも桜井先生は結婚が早いですよね」
「男にもあるよー、適齢期」
「そうなんですか?」
「うん」
桜井先生の意外な答えに食いついた。
「男性の適齢期って何歳なんですか」
「何歳とは言えないけど、女性と同じだと思えばいいよ」
「え、よくわからないです」
「樹神くんは、女性は何歳で結婚すると丁度いいと思うの?」
「うーん、20代でしょうか」
「じゃあ樹神くんも20代が適齢期だよ」
「えっ早くないですか」
「ははははは!」
急に笑い飛ばされて僕は納得がいかない。
「樹神くんは中学生のわりに古風なんだ」
「そうでしょうか」
「統計上、今は同い年で結婚する人がいちばん多いんだよ」
「えっ」
「適齢期というものさしを使うなら、自分にも使わないと」
「理解しました」
良い気づきを得た気がする。その一方で、なぜ早く結婚したのかという質問については、はぐらかされた。僕は仮説に辿り着く。
僕たちが中学生である手前、桜井先生はそれをはっきりと言わないけど、総合的に考えて、いわゆるさずかり婚なのではないだろうか。
だって、挨拶に行って、塩を撒かれるなんてことあるだろうか? しかもあんなに外見がいいのに。無職が板についているのか、装いはラフだったが、それにしては桜井先生はどこか上品なところがあった。
結婚を事後報告と言うのも引っかかるし、そうだ、土岐くんの質問に恋が多いとか何とか言ってなかったか?
桜井先生は僕に中断された御触書を読み上げる。ペリー来航後、箱館が開港したときの藩からの諸注意だ。
「外国人はお酒が好きなので、蔵に隠して店に置かないこと、だって。面白いね」
「意地悪してたんでしょうか」
「悪意というより、どちらかといえば心配症かな? 何が理由で足を掬われるかわからない時代だし、余計な荒波を立てないための策だろうね。ここには書かれていないけれど、女性を守るような御触書もあるんだよ」
へえ、後で調べてみようと僕は思った。
「そろそろ下りて、歩いてみようか」
「はい」
僕と先生は「女子ってお土産好きだよね」なんて言いながら、売店を眺めているだろう山田さんを呼びに行った。




