43 五稜郭タワー(2)
秋の平日ということもあって、展望台入り口はさほど混んでおらずすぐに入場することができた。エレベーターで展望台まで上がっていく。上まで行くと桜井先生が開口一番、
「俺はパネルとか全部読むつもりだから!二人は好きに見てていいよ。降りたくなったら声をかけて」
と別行動を宣言してきた。
私と樹神くんは顔を見合わせる。
まさか私の想いがバレて気を遣われたのだろうか。そんなふうに気を回していると、桜井先生は熱心に写真を撮り始めた。なんだ、ふつうに展示が好きみたいだ。
「先生、新撰組とか好きなんですか」
「うん、最近だけどね。もともと奥さんがこういうの好きなの。だから修学旅行について行っていいか聞いたとき、写真撮ってくるよう頼まれて」
「へぇ」
「そこも事前確認してるんですね」
「つばめちゃんのこと、お願いしないといけないからねー。でも向こうのお母さんが来てくれたから。うちの親も面倒見に行きたいって言いそうだけど、俺なしだと奥さんが気を遣うからね」
「親御さんと仲良いんですね」
「つばめちゃんが生まれてからだよ」
桜井先生は資料写真を撮る手を止めて、私たちを順番に見た。
「それまでは俺の人権ない感じだった」
「そうなんですか」
「無職だったし」
「あー」
「そんなんで結婚反対されなかったんですか」
「事後報告」
私は空いた口が塞がらない。
「勢い良くてすごいですね、逆に」
「後から大量にお叱りをいただいてるけどね。奥さんの実家では塩撒かれたし」
「扱いが悪霊じゃないですか」
樹神くんの突っ込みに私は吹き出してしまった。
「結婚って二人だけの話じゃないってのを結婚してから思い知ったよ……でも」
桜井先生は柔らかく微笑んだ。
「今はどちらの両親にも、すごく助けられてるよ」
桜井先生は、自由に生きているようで苦労もあるんだ。それでもなんだかんだ最後には周囲が手を差し伸べてくれていて、それが羨ましくもあった。
「実は昨日、つばめちゃん朝ちょっと熱があって。仕事休もうとしたら、奥さんがもうヘルプ呼んでた。奥さんの親が来てね、せっかく就職できた先を手放すなって。早く行けって家から叩き出されたの」
「あっ、それで東京駅行けなかったんですね」
「そう。うちは奥さんのほうが朝出るの早くて。その後で調子悪くなったから、奥さんに電話で相談して、どうしようってもたもたしてたら義理のお母さん呼ばれちゃった」
桜井先生も遅刻したと言っていたけど、つばめちゃんが理由だったんだ。樹神くんはそもそも欠席予定だったし、ただの寝坊で遅刻したのは私一人だった。これは居た堪れない。
「つばめちゃんが大変な時に、私の安否確認とか、しょうもない仕事増やしちゃってすみません」
「もう元気になって今日はふつうに登園してるから大丈夫だよ。あと、どっちの両親にも、俺いないほうが喜ばれるし」
「そうなんですか」
「うん、つばめちゃんが俺にべったりだから」
そうか。桜井先生は、つばさちゃんと離れるのが昨夜が初めてと言っていた。父子の絆がずいぶん深そうだなと思った。
私のお父さんの仕事は夜勤も休日出勤もあって、いつも家にいなかったから、これまでの人生を足し込んでも桜井先生の1週間ぶんくらいしか思い出がないかもしれない。そんなだから最初に別居したときも、私はとくになんのダメージもなかった。すでにお父さんは子育てに関して戦力外で、私の生活圏にはいない人だった。
それでも私が寄りかかる相手が自分ひとりという状況に、お母さんは苦しんで苛ついて気をおかしくしていた。
稼ぎにならない仕事ばかりやりたがって。というのはお母さんの口から頻回で出た愚痴だった。離婚する前から塾代も受験費用も私立の学費も、うちは全部お母さんが払っている。
こんなことなら無理して受験なんかしなくたってよかったのかもしれない。自分の家はどうも様子がおかしいと気づいた時にはもう入塾していて、今さら受験をやめるとお母さんに切り出すのも怖かった。
しょっちゅう塾の自習室に逃げ込んで、ごたごたした家の中にいなくて済んだのは助かった。自習室が使えない日も適当に廊下に机を用意してもらった。私の学力は凡庸だが、塾の滞在時間はおそらく塾内最長の域だろう。それで受かったようなものだった。
自分の過去に意識が飛んでいたら樹神くんに話しかけられる。ちょうど前にいた団体のお客さんが移動して、展望台の嵌め込みガラスから外の景色がひらけて見えた。
「ちゃんと星の形しててすごいよね」
「なんでこんな形なんだろ」
「山田さんまったく予習してこなかったね」
樹神くんは、まるで塾講師のように私を軽く睨んだ。
「砲撃に適した形なんだ」
「あーだから1階にあったんだ、砲台が」
「そうそう」
それから樹神くんは、五稜郭の成り立ちをかいつまんで説明してくれた。
「ペリー来日がきっかけなんだね」
「はは、来日」
「違った?」
「間違ってないけどワールドツアーで来たみたいだから」
「ふつうなんて言うんだっけ」
「来航かな」
「そうだった」
眼下に広がる星形の森のような公園を眺める。私の無学を披露してしまった、よりによって好きな人に。さぼり気味だったけど、ほんと帰ったらちゃんと勉強しようと私は思った。




