38 アイスキャンデー(1)(山田さん)
「桜井先生以外の先生って誰?」
曲がり角の向こうで先生が待っているという。私は大浴場の帰り、土岐くんにつかまって連れて来られた。ふざけた調子で土岐くんが言う。
「樹神先生だよ」
曲がり切ったところで目が合う。背もたれのないソファに座っている樹神くんを見て、私は棒立ちになった。
「連れて来てあげたよ。今日は樹神くんに貸しばっかりなんだけど。ご褒美ない?」
「アイス食べる?」
樹神くんは小分け袋になったアイスバーを何本か持って土岐くんに差し出す。
「これ大浴場のやつ? 食べるなって言われてなかった?」
「先生たちが他のお客さん見てたら食べたくなって、外で買ってきたやつ。それもらった」
「自分たちだけズルいな!」
2種類のアイスから「俺、ガリガリくん」と言って土岐くんはすぐにひとつを選び、封を切って口に入れた。
大浴場の横には棒アイスが詰まれた冷凍庫があって、宿泊客はお風呂上がりに自由に食べて良かった。だがこれも、過去の修旅で無茶な本数を食べた先輩がいたせいで、私たちの代は絶対に取らないよう、きつく注意されていた。
「2組のレク、桜井先生が入るみたいだから俺戻るわ」
桜井先生の忠犬と化した土岐くんは、大きな口で残りのアイスをひとくちで食べた。「ゴミ捨てとく」と樹神くんがビニールと木の棒を受け取って、それから木の棒を几帳面にビニールにしまいこむ。
土岐くんが「じゃあね」と手を振って行ってしまうと、樹神くんは私の方を向いて顔を上げた。
「座ったら?」
「あ、はい」
騙し討ちで呼ばれて閉口したが、函館山の展望台で盗み聞きをしたうえ、そこからお詫びもなく立ち去った手前、文句は言えない。
私は樹神くんを見るのが辛かった。ふとしたはずみに泣けてしまいそうだ。気にしないで、と伝言されたが、こんなふうに呼び出すなんて、内心は腹を立てているのだろうか。
「用事ぽく声かけるって言ったじゃん」
「これがそれ?」
「うん」
「それはまた手の込んだ」
そう言いながら隣に座ると、樹神くんは少しだけびくっとした。
「山田さん、髪乾かしてないの?」
「ドライヤー混んでて、部屋で自分のでやろうかと思って」
「声かけたの、タイミング悪くて、ごめん」
「ううん、部屋にいるより気分転換になるし」
よりによって加賀谷さんと同じ部屋なのだ。でも、そんなことを伝えたところで樹神くんだって困るだけなので、ふんわりと理由を言った。今は濡れたままの髪をひとつに結んでいる。私の髪はそんなに長くないし、きっと10分もかからず乾かせる。
「頭冷えちゃうね」
「ホテルの中あったかいし大丈夫」
「アイス食べる?」
「食べる」
「どっちがいい?」
差し出された丸いアイスバーは赤紫がひとつと、白がひとつ。
「白っぽいほうは何味なんだろ」
「ちゃんと見てなかったな。りんごか、ももかな?」
「じゃあ白いほうにする」
袋を開けてアイスを取り出して口に入れる。少し溶けかけていたから、口の中でほろっと形が崩れる。
「ふふ」
「あじ違った?」
「違った。マスカットだった」
りんごかももだと思って口に入れたから、脳が混乱して最初は全然味がしなかった。徐々にマスカットの風味が口の中に広がる。
味が違ったのがおかしくて自分でウケていたら、樹神くんが微笑んだ。
「マスカットかあ」
「そっちはぶどう?」
「ぶどうだけど、味濃いからたぶん巨峰」
「へぇ期間限定とかかな」
しゃりしゃりとアイスバーを口の中で溶かしていると、わだかまりも溶けていくような気持ちになった。私はお風呂上がりで、ふつうに部屋着みたいな格好だったから、しまった、もっと可愛い服にすれば良かったと後悔する。樹神くんはまだ制服のままだった。
「樹神くんはお風呂まだなの」
「うん、部屋で入るから。部屋着がないから浴衣になっちゃうんだよね。それだと外は出にくくて」
そうだった。桜井先生と樹神くんは最小限のものだけ盛岡で買ったけど、部屋着まで手が回らなかったんだろうか。
「いや買おうとしたんだよ。なのに桜井先生がホテルに浴衣あるみたいだからそれでいーじゃん、とか言い出して」
「え、まさか桜井先生って」
「浴衣着てレク行ってる」
ロビーは通らないからセーフなのかな? 土岐くん、盛り上がってそうだなと笑みが浮かんだ。
「もしそっち行きたかったら遠慮なく」
「あの、桜井先生のこと、ほんとそういうのじゃないので」
「うん、わかってる。一応確認でした」
なんだか樹神くんが柔らかい。
「じゃあ、ここで僕と少し話してくれる?」
頷くと「良かった」と彼は嬉しそうにした。




