35 漁火公園(1)
樹神くんと加賀谷さんは展望台の裏手にある公園まで二人で静かに歩く。混雑する夕暮れからだいぶ時間が経っているし、平日だし、うちの生徒どころか他のお客さんもまばらだった。ときどき、観光タクシーで来たらしきお客さんが通り抜けるくらいで。私もこんな場所があるなんて知らなかった。
二人は空いているベンチに座った。私はその背後の植え込み近くの段差に腰掛ける。
「のぞき?」
ヒッと声が出そうになって慌てて両手で口を塞ぐ。声のほうを見ると、土岐くんだった。私に合わせてしゃがみ込んでくる。
「だからさっさと言えば良かったのに」
「おっしゃる通りです。あと1号車の意味もわかった。あのままだったら、直後はさすがに辛過ぎる。泣くかもしれない」
「なんであっちが成功する世界線にいるの」
土岐くんは呆れ顔だ。
「不思議だよねえ、見込みないほうが意外と特攻できて、脈あるほうが不安がるって」
「うん私、邪魔して特攻しようとした」
「いや違」「しっ」
樹神くんが口を開いた。
「加賀谷さん」
「……」
「ホテルで本当にごめん」
「……」
「僕、告白されたことなくて」
「…………友だちが昔、樹神くんに告白したって言ってました、塾が同じで」
「ごめん、中学になってからはないですごめんなさい」
ぼそぼそと土岐くんが耳打ちしてくる。
「樹神くんけっこう格好悪いな?」
「しっ!静かに」
私は彼を睨みつける。
樹神くんはまた弱々しく弁解を始める。
「とにかくこういうの慣れてなくて、失礼な態度でした、ごめんなさい」
「……」
「あれから考えて、加賀谷さんとやりとりあったの、あれかな2年の音楽会の時の。伴奏お願いした時の」
「はい」
「僕のほうが助けられたのに、ありがとう」
「とんでもないです」
「あれ、あの時と髪型変わってる?」
「はい、伸ばしました。樹神くんが髪の長い人が好きって聞いて」
「僕、そんなこと言ってた?」
「その、塾でいっしょだったていう友だちから聞いたのを思い出して」
「はは、小学生のときはそうだったかも」
樹神くんが笑って、少し柔らかい空気になって、それからしばらく二人は静かになった。沈黙を破ったのは加賀谷さんだ。
「樹神くん、彼女いるんですか」
「いないです」
「いたことありますか」
「ないです」
「本当に?」
「うん」
「……私じゃだめですか」
「今気になっている子がいて」
「気になってる、程度なんですよね」
加賀谷粘るなあと、土岐くんが呟いた。
「いや……もうその子のこと好きだと思う。だからごめんなさい。僕なんか好きになってくれてありがとう」
長い沈黙のあと加賀谷さんの声がした。
「わかりました。あ、大丈夫です。1人で戻ります」
私と土岐くんは気配を殺す。加賀谷さんが遠くなったころ、樹神くんの深いため息がした。
とたんに土岐くんが大きなくしゃみをした。確かに函館山の頂上は冷えてきていて、私たちは石の上に腰を下ろしていたけれど。何も今、このタイミングでくしゃみなんてしなくても。
あともうちょっとだけ我慢できないの!?
回り込んできた樹神くんの足が見えた。顔を上げると見下ろしている樹神くんと目が合う。
「え」
「はは……は」
みっともない。みっともな過ぎる。
「聞いてた?」
「ごめん」
「え、えーー……」
「樹神くん好きな人いたんだね」
「うん……」
「ごめん、今日いっしょに居過ぎたかも。その人に誤解させちゃうよね。次から気をつける」
そう言って私はその場を逃げ出した。




