30 ロープウェイ
「桜井先生、バスで来なかったんですかぁ」
「先に来て団体手続きしていました。ここの横断、暗いし危ないので気をつけてくださいね」
「はい♡」
すでに日は落ちていてほとんど夜だった。函館山は夕暮れがいちばん人気だけれどやはり混むので、サンセット目当てのお客さんが引いたころに僕たちは到着した。
桜井先生は3年女子に瞬く間に認知され、大人気となっていた。どこから漏れ出たのか2組内定の話も飛び交っている。
函館山ロープウェイの駐車場で、交通指導をしている桜井先生は、ボサボサだった髪をきっちり束ねてハーフアップにしていた。逆にヤンチャ度が増すのに、それで整えたつもりになっていて、本人の自覚なしである。
「どのクラスでもすでに顔割れてるのすごくないですか」
「はは! 樹神くんは上に行かないんですか?」
「もうちょっと待ってもいいですか」
「特別にいいですよ。2号車と1号車、遅れているらしいです」
桜井先生に見透かされたように微笑まれて、僕はうっと喉が詰まる。するとまた次の女子の集団が入れ替わり立ち替わり、いちいち話しかけにやって来た。
「先生、ビュッフェいなかったですかー?」
「昼にちょっと食べ過ぎてしまって」
「えっかわいー」
なんなんだこれ、すごいな。
「先生、彼女いますか?」
「いますよー、今は妻ですが」
「きゃー」
僕だったら彼女はいません、って言うだろうな。それから結婚してますって。返しの妙な柔らかさは、今まで別の意味で、女性に苦労してきたからだろうか。
「桜井先生、うち妹がいて」
「そうなんですね」
「学校説明会すごかったって聞きました。あとすごいイケメン出てきたって。あれ桜井先生ですよね?」
「はは、妹さんも、ご入学をお待ちしています」
「頑張らせます!」
僕は桜井先生の顔をまじまじと見る。僕たちの学校は入試があるから、受験生とその保護者向けに年に何回か学校説明会が開かれていた。
「説明会出たんですか?」
「そう、出ろって言われて。俺、ここの卒業生で」
「それは知りませんでした」
「だから採用してくれたってのもあるね」
「説明会すごかったっていうのは……」
「あー、昔の個人的な写真を少し見せたのと、あと入試のデータ分析ですね、出せる範囲で」
「へぇ」
「あ、来ましたよ」
同じ柄の2台のバスが続けて駐車場に入ってくる。前方のドアが開くと生徒が中からぞろぞろと出てくる。
「あっ桜井先生! 2組の先生になるんですかー?」
「来月発表なのでお楽しみに」
「1組の可能性もある?」
「どうでしょう」
「あーあ、1組の担任も辞めちゃえばいいのに」
すると、穏やかだった桜井先生は能面のような顔になる。美形の無表情はけっこう怖い。
「……すみません」
「そうだね、もう言わないよー」
そうしてその女子の肩のあたりをとんとんする。あれ、僕もやられたな、桜井先生にされると、堪らない気持ちになるんだ。そして桜井先生じゃなかったらああいうのきっとセクハラとか言われちゃうんだ。
バスの出入り口に目線を戻す。出てくる人がまばらになったころ山田さんは降りてきた。男子と何か話しながら。
バスの前に出たとき、他の観光客の、乗用車のライトがビームになる。そばにいた男子が山田さんの肩に手をかけて車を避ける。びっくりしたのか、山田さんはずっと身をすくめながら歩いている。男子は肩に手をおいて抱き寄せたままだ。
だんだん二人が近づいてきて、山田さんと目が合った。するとその男子も僕に気づいて、山田さんの肩に置いた手をするっと後ろに引っ込めた。なんなんだよ、今の。
「樹神くん、どうしたの」
「いっしょの便で登ろうと思って」
「いいのそれ」
「うん」
山田さんは隣の桜井先生を仰ぎ見る。桜井先生が口を開く。
「樹神くん、逸れちゃったので」
「えっ先生もグルなの」
非難を声に出したのは、2組の男子だった。そうだ、暗がりでわかりづらかったけど、サッカー部の土岐くんだ。
「1人に肩入れするのはズルじゃないですか」
「たしかに」
桜井先生、何を言ってるんですか。
「でも、君も勝手に席を変えたでしょう? ズルじゃないですか?」
「早っ!なんで知ってるんですか」
「運転手さんが座れなくて困ってる女の子がいたって連絡くれました」
バスの中で何があったか、なんとなく想像できた。山田さんは桜井先生を潤んだ目で見ている。だめだ、僕は完全に負けている。
「じゃあ少し時間ずらして、4人で次の便に乗りましょうか。土岐くんのことも知りたいので」
そう言って僕たちを順に見回して、桜井先生は微笑んだ。




