第六十九話 変わらない心
十五年前――。
朝。
東理病院。
病室のカーテンの隙間から、柔らかな朝日が差し込んでいた。
心電図の電子音だけが静かに響く。
義一は、眠る詩織の隣へ腰を下ろした。
変わらない寝顔。
変わらない静けさ。
それでも昨日とは違う。
義一は、もう能力者だった。
「……おはよう。」
返事はない。
義一は少しだけ笑う。
「今日は仕事に戻るよ。」
「心配しなくていい。」
「もう、逃げないから。」
詩織の手をそっと握る。
冷たかった手が、少しだけ温かく感じた。
義一は俯き、小さく息を吐く。
「俺さ。」
「今でも思い出すんだ。」
「あの日。」
「『心配しすぎですよ』って笑った顔。」
涙がこぼれそうになる。
それでも堪えた。
「今度は……。」
「その笑顔を守る。」
静かに立ち上がる。
病室を出る直前。
もう一度だけ振り返った。
「行ってきます。」
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警備会社。
制服へ着替える。
鏡の前でネクタイを締める。
胸ポケットへ手を入れる。
小さなお守り。
義一は優しく握りしめた。
「これからも。」
「よろしくな。」
胸ポケットへ戻す。
鏡を見る。
昨日までと同じ自分。
能力者になっても。
顔は何も変わらない。
「……俺は。」
「俺のままだ。」
そう呟き、仕事へ向かった。
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夕方。
ZERO活動拠点。
義一は入口に立ち、静かに周囲を見渡していた。
通りを歩く人。
自転車。
子どもたちの笑い声。
何事もない日常。
その当たり前が、今は何より大切だった。
蓬萊が後ろから声を掛ける。
「義一さん。」
義一は振り返る。
蓬萊は深く頭を下げた。
「本当にありがとうございます。」
義一は少し困ったように笑う。
「お礼を言われることじゃありません。」
「俺は。」
「自分で決めただけです。」
蓬萊は静かに頷いた。
「それでも。」
「あなたがいてくれるだけで安心できます。」
義一は照れくさそうに頭をかいた。
「そんな大した人間じゃないですよ。」
二人は笑う。
ほんの少しだけ。
張り詰めていた空気が和らいだ。
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その帰り道。
夕焼けが街を赤く染めていた。
横断歩道。
小さな男の子が走り出す。
その瞬間。
一台の自転車が勢いよく曲がってきた。
「危ない!」
義一は反射的に駆け出す。
男の子を抱き寄せる。
自転車はすぐ目の前を通り過ぎた。
「あっ……。」
男の子は驚いた顔で義一を見上げる。
「おじちゃん、ありがとう!」
その笑顔を見た瞬間。
義一は胸を撫で下ろした。
「よかった……。」
母親が駆け寄ってくる。
「本当にありがとうございました!」
義一は笑って首を振る。
「気を付けて帰ってください。」
親子が手を繋いで歩いていく。
その後ろ姿を見送りながら、
義一は小さく呟いた。
「守れた……。」
その一言には、
あの日とは違う重みがあった。
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夜。
東理病院。
仕事帰りの義一は、再び病室を訪れた。
眠る詩織の隣へ座る。
「今日はな。」
「一人の子どもを守れたよ。」
少し照れくさそうに笑う。
「まだ能力を使ったかも分からない。」
「でも。」
「少しだけ。」
「自信が持てた。」
義一は詩織の手を優しく握る。
「だから。」
「次は必ず。」
「君を守る。」
静かな病室。
その時だった。
詩織の指先が――
ぴくり。
ほんのわずかに動いた。
義一は気付かない。
しかし、
心電図は変わらず静かに命を刻み続けている。
窓の外では、
夕焼けから夜空へと景色が変わり始めていた。
新しい明日は、
もうすぐそこまで来ていた――。
第70話へ続く




