第二十一話 変わったもの
帰りの車内。
窓の外を、夕暮れの景色が流れていた。
行きの車内とは違い、誰もほとんど話さない。
九条は窓の外を見ている。
蒼井は腕を組み、目を閉じていた。
湊も座席に深く座り、ぼんやりと外を眺めていた。
泥に覆われた道路。
壊れた家。
泣きながら写真立てを抱きしめた女性。
立入禁止区域へ入っていった子供。
崩れた地面。
そして。
巨大な瓦礫を支えていた蒼井の姿。
一日の出来事が、何度も頭の中に浮かんでくる。
「朝霧。」
日下部の声がした。
「はい。」
湊は身体を起こす。
「寝ていいぞ。」
「大丈夫です。」
「そうか。」
日下部はそれ以上何も言わなかった。
再び車内が静かになる。
湊は窓の外を見る。
まだ考えなければならないことがある。
今日のことを。
自分がしたことを。
できなかったことを。
そう思っていた。
だが。
数分後。
湊の頭がゆっくりと傾いた。
そして。
眠った。
九条が湊を見る。
「寝ましたね。」
日下部は前を向いたまま答えた。
「ああ。」
蒼井がゆっくりと目を開ける。
眠っている湊を見る。
そして。
何も言わず、再び目を閉じた。
――――――――
翌日。
育成プログラム施設。
湊が訓練場へ入ると、九条が待っていた。
「朝霧。」
「はい。」
「昨日の自分の行動を、どう思う?」
突然の質問だった。
湊は少し考える。
「子供を助けられて、良かったと思います。」
九条は何も言わない。
ただ、湊の次の言葉を待っている。
湊は昨日の出来事を思い出した。
子供を見つけた。
でも。
地面が崩れた。
帰る道がなくなった。
「……でも。」
「僕一人だったら、助けられませんでした。」
九条が静かに湊を見る。
「どうしてそう思う?」
「僕は子供を見つけました。」
「でも、見つけただけです。」
湊は自分の手を見る。
「地面が崩れた時、僕には何もできなかった。」
「蒼井さんが道を作ってくれなかったら。」
「九条さんが瓦礫を止めてくれなかったら。」
「日下部教官が指示を出してくれなかったら。」
湊は少しだけ言葉を止めた。
「僕は、子供と一緒に戻れなかったと思います。」
九条は黙って聞いていた。
「第18話で、蒼井さんに言われました。」
「綺麗事だけじゃ、人は助けられないって。」
湊は顔を上げる。
「少しだけ、意味が分かった気がします。」
「助けたいと思うだけじゃ、足りない。」
「知識も。」
「判断も。」
「経験も。」
「それに……。」
湊は昨日の三人を思い出す。
「一人で全部やろうとしないことも、大事なんだと思いました。」
しばらく。
九条は何も言わなかった。
やがて。
「そうか。」
短く答える。
「それに気づけたなら。」
九条は湊を見る。
「昨日、現場へ行った意味はあった。」
湊は小さく頷いた。
「はい。」
九条は歩き出す。
「朝霧。」
「はい?」
「昨日のことを忘れるな。」
「助けられたことも。」
「助けられなかったかもしれないことも。」
湊は九条の背中を見る。
「……はい。」
――――――――
訓練場には、昨日防災訓練へ参加していたメンバーたちも集まっていた。
湊が入ると。
「おい。」
聞き慣れた声がした。
振り返る。
輝羅が壁にもたれている。
その近くには如月もいた。
「で?」
輝羅が聞く。
「本物の現場はどうだった?」
湊は少し考える。
昨日の光景が頭に浮かぶ。
「……怖かった。」
輝羅が少し意外そうな顔をする。
「怖かった?」
「ああ。」
「訓練とは全然違った。」
「何が起きるか分からなかった。」
湊は一度言葉を止める。
そして。
「でも。」
輝羅を見る。
「行って良かった。」
輝羅は湊を見つめる。
「そうか。」
それ以上は聞かなかった。
「あなたが朝霧湊くんね。」
突然。
女性の声がした。
湊が振り返る。
昨日、日下部の隣に立っていた女性教官。
富山美鈴だった。
「はい。」
「そうですけど……。」
美鈴は湊を見る。
「昨日、日下部教官から聞いたわ。」
湊の身体が少し固くなる。
「えっ。」
「僕、何か……。」
美鈴が笑う。
「そんな顔しなくていいわよ。」
「怒られるような話じゃないから。」
「……良かった。」
湊が少しだけ安心する。
美鈴はそんな湊を見て、また笑った。
「初めての現場だったんでしょう?」
「はい。」
「怖かった?」
湊は少し驚いた。
さっき。
輝羅にも同じことを聞かれた気がした。
「……怖かったです。」
「そう。」
美鈴は静かに頷く。
「じゃあ。」
「その感覚は、忘れないでね。」
「え?」
湊は美鈴を見る。
美鈴の表情から、先ほどまでの笑顔が少し消えていた。
「怖いと思うから、慎重になれる。」
「怖いと思うから、周りを見る。」
「自分は大丈夫だと思い始めた時の方が。」
美鈴は少しだけ笑う。
「私は怖いから。」
湊は黙って、その言葉を聞いていた。
「怖がることは、悪いことじゃないんですか?」
「もちろん。」
美鈴は答える。
「大切なのは、怖い時にどう動くかよ。」
湊は少し考える。
そして。
「はい。」
美鈴は満足そうに頷いた。
「じゃあ、今日も頑張って。」
「はい。」
美鈴が離れていく。
その背中を見ながら。
湊は小さく呟いた。
「色んな教官がいるんだな……。」
「今頃気づいたのか。」
輝羅が言う。
「いや、そういう意味じゃなくて。」
「じゃあ、どういう意味だ。」
「……分からない。」
輝羅が少し笑った。
その様子を。
如月は少し離れた場所から見ていた。
――――――――
その日の訓練。
湊は一人で資材を運んでいた。
能力を使わない。
人の手で行う訓練。
昨日の現場でも。
能力だけで全ての作業をしていたわけではない。
持ち上げる。
運ぶ。
置く。
単純な作業。
だが。
何度も繰り返すと、少しずつ身体が重くなっていく。
「……重い。」
湊は地面に置かれた箱を持ち上げようとする。
両腕に力を入れる。
「よいしょ……。」
「朝霧。」
後ろから声がした。
湊が振り返る。
蒼井だった。
「はい?」
蒼井は湊の持ち方を見る。
「腰を落とせ。」
「え?」
「その持ち方じゃ、すぐに腰を痛める。」
湊は自分の姿勢を見る。
「こうですか?」
「違う。」
蒼井が少し近づく。
「腕だけで持とうとするな。」
「足を使え。」
湊は言われた通りに腰を落とす。
そして。
もう一度、箱を持ち上げる。
「……あ。」
さっきより軽い。
「持ちやすい。」
蒼井はそれだけ確認する。
そして。
何事もなかったように歩き出した。
湊はその背中を見る。
「蒼井さん。」
蒼井は止まらない。
「ありがとうございます。」
返事はなかった。
振り返りもしない。
そのまま歩いていく。
「……。」
湊は蒼井の後ろ姿を見る。
昨日までなら。
きっと何も言わなかった。
そんな気がした。
何が変わったのか。
湊には、まだ分からない。
蒼井が変わったのか。
自分が変わったのか。
それとも。
何も変わっていないのかもしれない。
ただ。
昨日までとは。
ほんの少しだけ違っていた。
――――――――
訓練が終わった。
湊は荷物を持ち、施設を出ようとしていた。
「朝霧湊。」
突然。
後ろから名前を呼ばれる。
湊は振り返った。
そこに立っていたのは。
如月だった。
「はい?」
如月は何も言わない。
ただ。
湊をじっと見ている。
「……あの。」
湊が困ったように声を出す。
如月は少しだけ首を傾けた。
そして。
「あなた。」
一度、言葉を止める。
「面白いね。」
「え?」
それだけ言うと。
如月は歩き出した。
「ちょっと待って。」
如月は止まらない。
「どういう意味?」
返事はない。
そのまま去っていく。
湊は一人、その場に立っていた。
「……何だったんだ?」
「知らねぇ。」
すぐ近くから声がした。
振り返る。
輝羅がいた。
「いつからいたんだ?」
「最初から。」
「じゃあ、あれどういう意味だ?」
「知らねぇって言ってるだろ。」
輝羅はそう言いながら。
少しだけ笑っていた。
「何だよ。」
「別に。」
「絶対何か知ってるだろ。」
「知らねぇ。」
「笑ってるじゃないか。」
「気のせいだ。」
二人の声が廊下に響く。
現場から戻った。
施設は何も変わっていない。
訓練場も。
廊下も。
そこにいる人たちも。
昨日までと同じ。
それでも。
何かが少しだけ。
変わり始めていた。
第21話 変わったもの 完




