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第二十話 予想外


「日下部教官!」


湊の声が響いた。


「子供が!」


「立入禁止区域に入っていきました!」


日下部の表情が変わる。


「どこだ。」


「あそこです!」


湊が指を差す。


立入禁止の看板。


その先には、まだ安全確認が終わっていない区域が広がっていた。


地面には大雨によって流れ込んだ泥。


倒れた木。


崩れかけた建物。


そして。


規制線の奥に、小さな子供の姿が見えた。


「九条。」


「はい。」


「進路を確保しろ。」


「蒼井。」


「周囲の安全を確認。」


「分かりました。」


日下部の指示と同時に、二人が動き出す。


九条が前へ出る。


両手を向けると、道を塞いでいた木材や小さな瓦礫がゆっくりと浮かび上がった。


そのまま安全な場所へ移動していく。


蒼井は周囲を見渡す。


地面の亀裂。


傾いた壁。


瓦礫の重なり方。


一つずつ確認していく。


湊はその姿を見ていた。


昨日まで。


蒼井の能力を知らなかった。


だが。


次の瞬間。


蒼井は道を塞いでいた巨大な瓦礫に手をかけた。


「……ふっ!」


持ち上げる。


湊は目を見開いた。


大人が何人集まっても動かせないような巨大な瓦礫。


それを蒼井は、一人で持ち上げていた。


「すごい……。」


思わず声が漏れる。


超怪力。


それが蒼井源太の能力だった。


しかし。


蒼井はすぐに瓦礫を動かさなかった。


持ち上げたまま、周囲を見る。


「九条。」


「右側の瓦礫を先に動かせ。」


「これを先に抜いたら、向こうの壁が崩れる。」


九条が視線を向ける。


「……分かった。」


念力で別の瓦礫を動かす。


蒼井はそれを確認してから、ゆっくりと巨大な瓦礫を移動させた。


力任せではない。


どこを動かせば。


何が崩れるのか。


一瞬で判断している。


湊は蒼井の言葉を思い出した。


『そんな綺麗事だけじゃ、人は助けられない。』


今なら少し分かる。


人を助けるには。


気持ちだけでは足りない。


力だけでも足りない。


知識。


判断。


経験。


その全てが必要だった。


「朝霧。」


日下部の声が飛ぶ。


「子供は見えるか。」


湊は前を見る。


「……いません。」


先ほどまで見えていた子供の姿が消えていた。


「どこへ行った……。」


湊は周囲を見渡す。


日下部も辺りを確認する。


「九条。」


「分かりません。」


「蒼井。」


「こっちにもいません。」


子供の姿がない。


湊は規制線の奥を見る。


どこへ行った。


なぜ。


一人でこんな場所に。


その時。


泥の上に、小さな跡が見えた。


「……足跡。」


湊はしゃがみ込む。


大人のものではない。


小さな足跡。


一つ。


二つ。


泥の上に続いている。


「日下部教官!」


日下部が振り返る。


「足跡があります。」


「子供のものだと思います。」


日下部たちが集まる。


湊は足跡の先を見る。


「こっちです。」


四人は足跡を追った。


やがて。


足跡は、崩れた建物の前で途切れていた。


「この中か。」


日下部が建物を見る。


入口は瓦礫で塞がれている。


その横。


人一人が、やっと通れるほどの隙間があった。


九条が中を覗く。


「狭いな。」


蒼井が隙間を見る。


「俺たちでは入れない。」


湊も隙間を見た。


そして。


「僕なら入れます。」


蒼井が振り返る。


「駄目だ。」


湊は蒼井を見る。


「でも。」


「中の安全が確認できていない。」


「入った瞬間に崩れるかもしれない。」


蒼井の声は厳しかった。


第18話と同じ。


湊を否定するような言葉。


だが。


今は少し違って聞こえた。


日下部が建物を見る。


地面を見る。


周囲の状況を確認する。


「九条。」


「はい。」


「上部の瓦礫を固定できるか。」


九条が建物を見る。


「短時間なら。」


「蒼井。」


「入口周辺は?」


蒼井は壁と地面を確認する。


「今すぐ崩れる状態ではありません。」


「ただし、長くは持たないと思います。」


日下部は湊を見る。


「朝霧。」


「はい。」


「中に入ったら、すぐに子供を探せ。」


「見つけても勝手に動くな。」


「必ず状況を伝えろ。」


湊は強く頷く。


「はい。」


日下部は一度だけ隙間を見る。


そして。


「……行け。」


「はい!」


湊は隙間へ身体を滑り込ませた。


――――――――


中は薄暗かった。


泥の匂い。


湿った空気。


どこかで水の滴る音が聞こえる。


「君!」


湊が声を上げる。


「どこにいる!」


返事はない。


ゆっくりと進む。


「聞こえたら返事をして!」


その時。


小さな音が聞こえた。


「……クゥン。」


湊は足を止める。


犬の鳴き声。


「こっちか。」


音のする方へ向かう。


崩れた壁の奥。


そこに。


子供がしゃがみ込んでいた。


腕の中には、泥だらけの小さな犬。


「いた!」


子供が顔を上げる。


「お兄ちゃん……。」


「大丈夫?」


湊が近づく。


「怪我は?」


子供は首を横に振る。


「この子を……探してたの。」


腕の中の犬を強く抱きしめる。


「雨の日から、いなくなっちゃって……。」


「ここから鳴き声が聞こえたから。」


湊は犬を見る。


震えている。


だが、大きな怪我はなさそうだった。


「見つかって良かった。」


子供が頷く。


その時。


ミシッ。


音がした。


湊の表情が変わる。


天井から、小さな砂が落ちてくる。


「日下部教官!」


外へ向かって叫ぶ。


「子供を見つけました!」


『状態は!』


日下部の声が返ってくる。


「怪我はありません!」


「犬と一緒です!」


『すぐに戻れ!』


「はい!」


湊は子供を見る。


「帰ろう。」


「うん。」


湊は子供の手を握る。


ゆっくりと来た道を戻り始める。


だが。


突然。


地面が揺れた。


「えっ?」


次の瞬間。


大きな音とともに、足元の地面が崩れた。


「危ない!」


湊は咄嗟に子供を抱き寄せる。


地面に亀裂が走る。


出口までの道が崩れていく。


「朝霧!」


外から蒼井の声が聞こえる。


「大丈夫です!」


湊は叫ぶ。


だが。


目の前の道は塞がれていた。


戻れない。


子供が震えている。


「お兄ちゃん……。」


「大丈夫。」


湊は子供の前にしゃがむ。


「絶対に帰れるから。」


そう言ったものの。


どうすればいい。


瓦礫を動かす力はない。


崩れた地面を飛び越えることもできない。


自分だけなら。


何とかなるかもしれない。


でも。


子供と犬がいる。


その時。


外から蒼井の声が響いた。


「朝霧!」


「はい!」


「右側の壁から離れろ!」


湊はすぐに子供を抱き寄せる。


「こっち!」


壁から離れる。


次の瞬間。


大きな音が響いた。


目の前の瓦礫が動く。


「えっ……。」


巨大な瓦礫が、ゆっくりと持ち上がっていく。


その向こうに。


蒼井がいた。


両腕で巨大な瓦礫を支えている。


「蒼井さん!」


「話は後だ!」


蒼井は周囲を見る。


地面の亀裂。


崩れかけた壁。


瓦礫の重なり。


一瞬だけ確認する。


「九条!」


「分かっている。」


九条が念力で上部の瓦礫を固定する。


しかし。


地面はまだ少しずつ崩れていた。


蒼井が叫ぶ。


「朝霧!」


「左から来い!」


「真ん中は踏むな!」


湊は地面を見る。


「でも……。」


「俺がここを支える!」


蒼井の腕に力が入る。


「今のうちに行け!」


湊は子供を抱き上げた。


「しっかり掴まって。」


子供が湊の首に腕を回す。


犬を胸に抱く。


湊は走った。


蒼井が作った道を。


九条が守る道を。


一歩。


また一歩。


「止まるな!」


蒼井の声が響く。


「はい!」


湊は走る。


そして。


最後の亀裂を飛び越えた。


日下部が子供を受け取る。


「よくやった。」


湊が振り返る。


「蒼井さん!」


蒼井はまだ巨大な瓦礫を支えている。


「九条!」


「もういい!」


九条が念力を解除する。


蒼井も一気に後ろへ下がる。


その直後。


大きな音を立てて瓦礫が崩れた。


土煙が舞う。


「蒼井さん!」


湊が駆け寄る。


土煙の中から、蒼井が歩いてくる。


「騒ぐな。」


「この程度でどうにかなるか。」


湊は思わず笑った。


「良かった……。」


蒼井は何も言わなかった。


子供の元へ視線を向ける。


湊も振り返る。


子供は地面に座り、泥だらけの犬を抱きしめていた。


「良かった……。」


「本当に良かった……。」


犬が子供の顔を舐める。


子供は泣きながら笑っていた。


その姿を見て。


湊も笑った。


少し離れた場所。


蒼井が黙って立っている。


湊は蒼井を見る。


蒼井も湊を見る。


ほんの一瞬。


二人の目が合った。


言葉はなかった。


「ありがとう」も。


「認める」も。


何もない。


それでも。


昨日までとは。


何かが少しだけ違っていた。


――――――――


「良かったね。」


子供の声が聞こえる。


「もう大丈夫だからね。」


犬を抱きしめる姿。


その光景を。


蒼井は黙って見つめていた。


その時。


頭の中に。


一瞬だけ。


別の光景が浮かんだ。


『助けて!』


誰かの声。


伸ばされた手。


自分も手を伸ばす。


だが。


届かない。


あと少しだった。


あと少しで。


届くはずだった。


「……。」


蒼井は強く拳を握った。


「蒼井。」


九条の声が聞こえる。


蒼井は目を閉じる。


そして。


「何でもない。」


それだけ言うと、歩き出した。


九条は何も聞かなかった。


ただ、その後ろ姿を静かに見つめていた。


本物の現場。


そこでは。


訓練では起きなかったことが起きる。


一人では、できないことがある。


力だけでは、届かないことがある。


でも。


誰かの目が。


誰かの力が。


誰かの判断が。


一つにつながった時。


届かなかったはずの手が。


届くこともある。


第20話 予想外 完

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