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第十九話 初めての現場


翌朝。


育成プログラムのメンバーは、いつもより早い時間に訓練場へ集められていた。


全員が整列すると、日下部が前に立つ。


その隣には、一人の女性教官がいた。


「今日は予定を変更する。」


日下部の言葉に、メンバーたちの表情が引き締まる。


「数日前の大雨で被害を受けた地域から、国を通じて復旧支援の要請が入った。」


訓練場の空気が変わった。


訓練ではない。


本当の被災地。


本当に助けを必要としている人たちがいる場所。


湊は静かに日下部の話を聞いていた。


「今回の要請に向かうのは、俺と九条、蒼井の三名だ。」


名前を呼ばれた二人が、真っ直ぐ前を見る。


「今回の被害状況を確認した結果、二人の能力が最も復旧作業に適していると判断された。」


日下部は一度言葉を切る。


そして、湊を見た。


「朝霧。」


「はい。」


「お前は見習いとして、特別に同行する許可が下りた。」


「……僕もですか?」


思わず聞き返す。


「ああ。」


「ただし、勘違いするな。」


日下部の声が少し低くなる。


「お前はまだ何もできない。」


その言葉に、湊は黙る。


「だからこそ、見てこい。」


「訓練と現場がどう違うのか。」


「人を助けるということが、どういうことなのか。」


湊は真っ直ぐ日下部を見る。


「はい。」


日下部は残りのメンバーへ視線を向けた。


「他の者は、地域の防災訓練へ参加してもらう。」


すると、隣に立っていた女性教官が一歩前へ出た。


「今日、みんなと一緒に行く富山美鈴です。」


柔らかな声だった。


「防災訓練だからって、気を抜かないでね。」


美鈴は笑顔で続ける。


「災害は、訓練通りに起きてくれないから。」


「はい!」


メンバーたちの返事が響く。


日下部が静かに頷いた。


「現場だけが学ぶ場所ではない。」


「それぞれの場所で、しっかり学んでこい。」


「以上だ。」


メンバーたちが一斉に動き始める。


湊も準備へ向かおうとする。


その時だった。


「朝霧。」


振り返る。


蒼井が立っていた。


「昨日みたいにはいかないぞ。」


「……はい。」


「本物の現場だからな。」


蒼井はそれだけ言うと、先に歩いていった。


湊はその後ろ姿を見つめる。


昨日の言葉を思い出す。


『毎回、絵に描いたように上手くいくわけじゃない。』


『そんな綺麗事だけじゃ、人は助けられない。』


湊は静かに息を吐いた。


そして、蒼井の後を追った。


――――――――


車が被災地域へ近づくにつれ、窓の外の景色が変わっていった。


道路の端には泥が積もっている。


倒れた木。


壊れた塀。


家の前に積み上げられた、泥だらけの家具。


湊は窓の外から目を離せなかった。


テレビでは見たことがある。


ニュースでも見たことがある。


でも。


実際に目の前で見る光景は、まるで違った。


車を降りた瞬間。


湿った土と泥の匂いが鼻を突く。


多くの人が復旧作業をしていた。


泥をかき出す人。


壊れた家具を運ぶ人。


住民へ水を配る人。


疲れ切った表情で、自分の家を見つめている人。


湊は言葉を失った。


訓練場とは違う。


ここにある瓦礫は、誰かが用意したものではない。


壊れた壁も。


泥だらけの家具も。


全て、誰かが大切にしていたものだった。


「朝霧。」


日下部の声で我に返る。


「はい。」


「何を見ている?」


湊は周囲を見渡した。


「……全部です。」


日下部は何も言わなかった。


少しだけ間を置く。


「助けを求める声は、大きいとは限らない。」


「えっ?」


「覚えておけ。」


それだけ言うと、日下部は歩き出した。


湊には、まだその言葉の意味が分からなかった。


――――――――


復旧作業が始まった。


九条が両手を前へ出す。


念力によって、大きな瓦礫がゆっくりと浮かび上がる。


数人がかりでも動かせないほどの瓦礫だった。


周囲から驚きの声が上がる。


「すごい……。」


湊は思わず呟いた。


蒼井も迷いなく作業を進めていく。


二人が選ばれた理由が、湊にも分かった。


現場に必要な能力。


その時、その場所で、最も人の役に立つ力。


ただ強いだけではない。


必要とされる力がある。


湊は自分の手を見る。


自分には何もない。


瓦礫を浮かせることもできない。


一度に多くの物を運ぶこともできない。


「朝霧!」


日下部の声が飛ぶ。


「はい!」


「止まるな。」


「今のお前にできることを探せ。」


湊は周囲を見渡した。


何ができる。


自分に何ができる。


瓦礫は動かせない。


なら。


湊は泥の中に落ちていた木材を拾い、運び始めた。


水を必要としている人に水を届ける。


作業区域へ入ろうとする住民に声をかける。


重い物を一つで運べないなら、誰かと一緒に運ぶ。


能力がなくても。


自分にできることはあった。


小さなことばかりだった。


誰かに褒められるようなことではない。


それでも湊は、止まらなかった。


その姿を、少し離れた場所から蒼井が見ていた。


「……。」


何も言わない。


ただ、しばらく湊の姿を見つめていた。


――――――――


作業は続いた。


湊が水を運んでいると、一人の高齢の女性が目に入った。


家の前に立ち、泥の中をじっと見つめている。


周囲では多くの人が忙しく動いていた。


しかし、その女性だけは動かない。


湊は一度、その横を通り過ぎる。


だが。


足を止めた。


『助けを求める声は、大きいとは限らない。』


日下部の言葉が頭に浮かぶ。


湊は女性の元へ戻った。


「あの。」


女性が顔を上げる。


「何か、探しているんですか?」


「……いえ。」


女性は小さく首を横に振る。


「皆さん忙しいから。」


「こんなことで、手を止めてもらうわけにはいかないわ。」


湊はしゃがみ込んだ。


「こんなことって、何ですか?」


女性は少し迷ったあと、泥の中へ視線を向けた。


「写真立てがあったの。」


「写真立て?」


「亡くなった主人との写真が入っていてね。」


女性は寂しそうに笑う。


「大雨で、どこかへ流されてしまったみたい。」


「でも、仕方ないわ。」


「家もこんな状態だもの。」


「写真くらいで、皆さんの手を止めるわけにはいかないから。」


湊は泥の中を見る。


そして、持っていた水を地面へ置いた。


「どの辺りにありましたか?」


女性が驚いた顔をする。


「でも……。」


「探します。」


「えっ?」


「僕にできることなので。」


湊は泥の中へ手を入れた。


一つずつ。


木片を動かす。


泥をかき分ける。


簡単には見つからない。


それでも探し続けた。


しばらくして。


指先に硬い物が触れた。


「……あった。」


泥の中から、小さな写真立てを取り出す。


ガラスにはひびが入っていた。


写真も泥で汚れている。


それでも。


二人の姿は、まだ残っていた。


湊は泥を拭い、女性へ差し出した。


「これですか?」


女性は何も言わなかった。


震える手で写真立てを受け取る。


泥の付いた写真を、何度も何度も指で拭う。


「……この人です。」


女性の目に涙が浮かぶ。


「主人です。」


湊は何も言わず、女性の隣に立っていた。


「ありがとう。」


小さな声だった。


周囲の作業音に消えてしまいそうなほど、小さな声。


「本当に……ありがとう。」


女性は写真立てを胸に抱く。


「私にとっては、これも助けてもらったのと同じです。」


湊は少し驚いた。


そして。


日下部の言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。


助けを求める声は、大きいとは限らない。


叫ぶ人ばかりではない。


助けてと言えない人もいる。


遠慮する人もいる。


諦めてしまう人もいる。


だから。


見なければならない。


聞かなければならない。


その人が、本当に困っていることを。


「見つかって良かったです。」


湊は笑った。


少し離れた場所から、その光景を見ている二人がいた。


九条と蒼井だった。


九条は何も言わない。


ただ、静かに湊を見ている。


蒼井も黙っていた。


瓦礫を動かしたわけではない。


多くの人を救ったわけでもない。


たった一枚の写真を見つけただけ。


それでも。


女性は泣きながら笑っていた。


蒼井は何も言わなかった。


ただ。


昨日までとは少し違う目で、湊を見ていた。


――――――――


その時だった。


湊の視界の端に、小さな影が映る。


一人の子供。


周囲を気にしながら、ゆっくりと歩いている。


その先には。


立入禁止の看板。


規制線。


まだ安全が確認されていない区域。


子供は規制線の隙間から、中へ入っていく。


湊の表情が変わる。


「……あの子。」


すぐに日下部の方を見る。


「日下部教官!」


日下部が振り返る。


「子供が!」


湊が指を差す。


「立入禁止区域に入っていきました!」


日下部の表情が変わった。


湊はもう一度、子供が消えた方向を見る。


訓練ではない。


本当の現場。


予想外のことは。


何の前触れもなく起きる。


第19話 初めての現場 完

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