第十八話 譲らないもの
翌日。
育成プログラムのメンバーは、いつもの訓練場ではなく、屋外のグラウンドに集められていた。
目の前には、救助用の人形。
その先には、いくつもの障害物が並べられている。
日下部が全員を見渡した。
「今日の訓練は、負傷者の搬送だ。」
「救助現場では、能力を使えば全てが解決するわけではない。」
「負傷者の状態。」
「周囲の状況。」
「自分自身の体力。」
「全てを考えながら、安全な場所まで搬送しろ。」
日下部は救助用の人形へ視線を向ける。
「人を見つけることが救助じゃない。」
「安全な場所へ送り届けるまでが救助だ。」
全員の表情が引き締まる。
「始めろ。」
号令と同時に、訓練が始まった。
――――――――
湊は救助用の人形を背負い、走っていた。
「はぁ……はぁ……。」
想像していた以上に重い。
足が思うように前へ出ない。
能力者たちは、それぞれ自分の能力を活かしながら進んでいく。
障害物を避ける者。
瓦礫を動かす者。
足場を作る者。
しかし、湊には能力がない。
自分の身体だけで進むしかなかった。
「はぁ……はぁ……。」
額から汗が流れる。
呼吸が苦しい。
それでも、湊は人形を下ろさなかった。
一歩。
また一歩。
少しずつ前へ進む。
「朝霧。」
少し離れた場所から九条の声が聞こえた。
「無理をするな。」
湊は息を切らしながら答える。
「大丈夫……です。」
しかし、明らかに他のメンバーより遅れていた。
その様子を、蒼井源太が黙って見ていた。
「……。」
何も言わない。
ただ、湊の姿を見つめていた。
――――――――
訓練が終わった。
湊はその場に座り込み、大きく息を吐いた。
「はぁ……。」
腕が重い。
足にも力が入らない。
昨日の課題では、九条より早く人形を救出することができた。
だが今日は違った。
能力のない自分と、能力者たちとの差。
それを嫌というほど感じた。
「分かったか。」
声が聞こえる。
顔を上げる。
蒼井が立っていた。
「……蒼井さん。」
蒼井は湊を見下ろす。
「昨日は上手くいった。」
「能力を使わない方が早かった。」
「それは認める。」
湊は黙って聞いていた。
「だが、今日はどうだ。」
「お前は誰よりも遅かった。」
蒼井の言葉に、湊は何も返せない。
事実だった。
蒼井は続ける。
「物流事故のことも知っている。」
湊が顔を上げる。
「……えっ?」
「あの事故で、お前は女の子を助けた。」
「能力者でもないのに、迷わず飛び込んだ。」
少しだけ間が空く。
「だが、あの時はたまたま助かっただけだ。」
湊は黙って蒼井を見る。
「お前も。」
「あの女の子も。」
「毎回、絵に描いたように上手くいくわけじゃない。」
蒼井の声は冷たかった。
だが、怒っているようには聞こえなかった。
「そんな綺麗事だけじゃ、人は助けられない。」
「守れないんだ。」
静かな風が二人の間を通り抜ける。
湊は何も言わなかった。
蒼井の言っていることは間違っていない。
あの事故で、自分は何も考えていなかった。
ただ身体が動いただけだった。
もし、あの時。
少しでも何かが違っていたら。
自分も。
あの女の子も。
助からなかったかもしれない。
「……そうかもしれません。」
蒼井が湊を見る。
湊はゆっくりと立ち上がった。
「僕は、まだ何も知りません。」
「今日だって、みんなについていくので精一杯でした。」
拳を握る。
「でも。」
湊は蒼井を真っ直ぐ見る。
「目の前で困っている人がいたら。」
「僕は、やっぱり助けたいです。」
蒼井の表情がわずかに変わる。
「助けられるか分からなくてもか?」
「……はい。」
「自分まで死ぬかもしれなくても?」
湊はすぐには答えなかった。
少し考える。
そして、静かに口を開いた。
「怖いです。」
蒼井が黙る。
「死ぬのは怖いです。」
「助けられないのも怖いです。」
「だから、ちゃんと学びたいと思っています。」
湊はグラウンドを見渡した。
「何も知らないまま飛び込むんじゃなくて。」
「一人でも多く助けられるようになるために。」
「だから僕は、ここに来ました。」
蒼井は何も言わなかった。
二人の間に沈黙が流れる。
やがて、蒼井は湊から視線を逸らした。
「……俺は認めない。」
「はい。」
「まだ、お前を認めたわけじゃない。」
「分かっています。」
蒼井はそれ以上何も言わず、歩き去っていった。
湊はその後ろ姿を静かに見つめていた。
――――――――
「蒼井の言ったことは、間違ってはいない。」
後ろから声が聞こえた。
振り返ると、九条が立っていた。
「九条さん。」
九条は蒼井が去っていった方向を見る。
「現場では、全員を助けられるとは限らない。」
「どれだけ力があっても。」
「どれだけ訓練をしても。」
「助けられないことはある。」
湊は黙って聞いていた。
「……はい。」
少しだけ間が空く。
九条が静かに続ける。
「あいつも昔、人を守れなかったことがある。」
湊が顔を上げる。
「えっ……。」
「詳しいことは、俺から話すことじゃない。」
九条はそれ以上、何も話さなかった。
ただ一言。
「あいつは、誰よりも失敗を恐れている。」
湊はもう一度、蒼井が去っていった方向を見る。
無能力者を見下している。
そう思っていた。
でも。
もしかすると、違うのかもしれない。
「蒼井さん……。」
小さく名前を呟く。
その時だった。
「全員、集まれ。」
日下部の声が響いた。
メンバーたちが一斉に集まる。
日下部は全員の顔を見渡した。
「今日の訓練はここまでだ。」
「そして、次の課題を発表する。」
訓練場の空気が変わる。
日下部は静かに告げた。
「次は――現場実習だ。」
湊は思わず顔を上げた。
訓練ではない。
本当の現場。
育成プログラムに入ってから初めての実習が、始まろうとしていた。
第18話 譲らないもの 完




