第9話 返せと言う婚約者
舞踏会の翌朝、エドガーが診療院へ乗り込んできた。
官吏を二人連れ、王都施療院の押印がある返還命令書まで持っている。けれど差し出された紙を一目見て、私はため息をついた。
「これ、無効です」
「またそれか」
エドガーは苛立ちを隠さず言う。
「王立施療院の命令に従え」
「発令日が未来になっています。しかも副院長印が旧式のまま」
私は命令書を裏返し、紙質を指で弾いた。
「王立施療院が今使っているのは透かし入りの新紙です。これは旧紙の在庫」
連れてきた官吏たちが、さっと顔色を変える。
「君はいつまで意地を張るつもりだ」
「意地ではなく確認よ」
私は彼をまっすぐ見た。
「北辺の患者から薬を奪ってまで、クラリッサの病人役を続けさせたいの?」
その瞬間、エドガーの指先がわずかに震えた。
「彼女は本当に弱っている」
「なら、なぜ本物の検査表を出さないの」
返答はない。代わりに彼は一歩近づき、声を落とした。
「今ならまだ、君にも戻る場所を残せる」
「必要ありません」
言い切った私の前へ、ジークハルトが立つ。
「北辺診療院の主任薬歴官へ偽命令書を示した件、証拠として預かる」
低い声に、官吏たちはあからさまに怯えた。
エドガーは唇を引き結び、最後に私へだけ聞こえる声で言った。
「昔はもっと、君は私に従順だった」
「昔は、あなたが書類をここまで汚す人だと思っていなかっただけです」
彼が去った後、私は無意識に拳を握りしめていた。
ジークハルトがその手を見て、短く言う。
「よく言った」
その一言が、妙に深く胸へ落ちる。
誰かに従順であることを愛だと教えられていた頃には、もう戻らない。




