第6話 国境村の未提出カルテ
フィルン村の診療所は、木の壁から冷気が染み込む小さな建物だった。
発熱した子どもは三十一歳の母親に抱かれ、浅い呼吸を繰り返している。私は備蓄箱を開き、残っていた代替薬と湯の配分を指示した。
「月白根が一包あれば楽になるのに……」
母親の震える声に、私は唇を結ぶ。
診療棚の下段からは、提出済みのはずのカルテ控えが束で見つかった。正式帳票へ転記されていない患者名が七人分。どれも成人の鉱夫や母親ばかりで、補助金対象になりやすい重症群だった。
「王都へ送る前に抜かれたのです」
私はカルテ番号の飛び方を指で辿る。
「しかも、抜かれた患者の代わりに同じ年代・同性の虚偽患者が登録されている」
同行していたジークハルトが眉をひそめた。
「現場を知らなければ、ここまで巧妙にはできない」
「ええ。診療補助の流れを知っている人間が関わっています」
帰り際、村の年配薬師が私を呼び止めた。
「奥さん」
「違います。まだそういう関係では」
思わず言い返すと、隣のジークハルトがわずかに咳払いした。薬師は気にせず続ける。
「あの旦那さん、あんたが記録を読む時だけ顔が少し柔らかい」
私は返答に困り、そのまま荷車の方へ逃げた。
診療所を出てすぐ、ジークハルトが何気なく外套の端を私の肩へかける。夕暮れの風は冷たかったが、その所作は自然すぎて礼を言うタイミングを失った。
「今日の控えは全て王都へ持ち帰る」
「はい」
「あなたが見つけた記録を、今度は消させない」
その一言だけで、張りつめていた心が少し緩む。
王都で私は、気づいたことを口にするたび孤立した。ここでは、見つけた記録がすぐ次の行動へ変わる。
それがどれほど救いになるのか、私はもう知ってしまっていた。




