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第40話 薬湯の湯気の向こうへ

初夏の朝、北辺診療院の中庭には二台目の巡回診療台車が並んでいた。


 井戸検査用の器具、水質帳、常備薬、そして新しい局印。今日は巡回診療局の正式発足日であり、私とジークハルトの婚礼の日でもある。


 式は大げさにしなかった。診療院の礼拝室で署名し、マルタたちが笑って拍手をして、昼にはいつも通り帳場へ戻る。それくらいが私たちらしい。


 書庫へ戻ると、机の上に湯気の立つ薬湯があった。薄荷を少し控えめにして、生姜を多めにした私向けの味。


「局長殿、今日も食事を抜くつもりか」


「抜きません、旦那様」


 そう呼ぶと、ジークハルトは珍しく少しだけ困った顔をした。


 窓の外では、アイベン村へ向かう台車の車輪が回り始める。汚染された井戸は浄化され、村人の名は正しい帳面へ戻り、診療の道も新しく延びていく。


 私は薬湯を一口飲み、湯気の向こうの景色を見た。


 前の私は、誰かの都合で紙の端へ追いやられる女だった。今は違う。自分で作った帳場があり、守る村があり、並んで歩く人がいる。


 薬湯の湯気はすぐ消える。けれど朝ごとに繰り返されるこの温かさは、きっと簡単には消えない。


「行きましょう、ジークハルト」


「ああ、レティシア」


 私は新しい局印を持ち上げた。もう二度と、記録も名前も誰かに奪わせない。その先へ進むための朝が、ようやく始まる。


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