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第39話 誓約書より先の言葉

巡回診療局の初日を終えた夜、ジークハルトが新しい紙を持って書庫へ来た。


 また契約書かと思ったが、今回は一枚だけ。婚姻後の職務継続と裁量権、住居と帳場の分離、朝の薬湯提供義務まで丁寧に条文化されている。


「ずいぶん細かいですね」


「前回、条件追加があったから学んだ」


 私は笑い、余白に一本線を引いた。


「ここに一つ足します。互いに、相手の仕事を軽く扱わないこと」


「異論はない」


 筆を置いたあと、私は紙を見下ろしたまま言った。


「本当は、こういう紙がなくても信じています」


 ジークハルトが静かに息を止める気配がした。


「でも、残したいんです。私たちが大事にしたものを」


「なら残そう」


 彼はそう答え、次の瞬間には書類より近い距離へいた。


「誓約書より先に言っておく。私は、あなたが仕事をしている顔が好きだ」


 あまりに真っ直ぐで、胸の奥が熱くなる。


「……ずるい言い方です」


「否定は?」


「しません」


 私は契約書へ署名し、その横へ自分の名前をもう一度なぞった。名前を奪われない約束は、たぶん愛情の一つの形でもある。


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