第3話 北辺伯からの招聘状
職務停止と婚約解消が同じ日に届いた。
王都の私室は、半日で他人のもののように感じられる場所へ変わる。贈られた花瓶も、婚約指輪の箱も、机の上の辞令一枚で意味を失った。
「今なら穏便に終われる」
荷をまとめていた私の前に、エドガーが立った。
「君が薬庫記録の誤りを認めれば、地方の診療所くらいは紹介できる」
「紹介ではなく、追い払いでしょう」
「クラリッサは本当に苦しんでいるんだ」
「なら、なぜ本物の診断書を出さないの」
問い返しても、彼は目を逸らすだけだった。
その沈黙だけで十分だ。もう、彼のどこにも私を信じる気持ちは残っていない。
エドガーが去った直後、下宿の女主人が一通の封書を持ってきた。厚手の灰色紙に、銀の山百合紋。差出人は北辺伯ジークハルト・ラインベルク。
私は眉をひそめて封を切った。
内容は簡潔だった。領内の北辺診療院で高価な治療薬が消え、補助金台帳にも不一致が出ている。王都で私が扱っていた薬歴監査の実績を知り、主任薬歴官として迎えたい。住居と給与は保証、就任は即日可。
「……早い」
私が呟いた時、扉がもう一度叩かれた。
現れたのは、黒い外套をまとった長身の男だった。三十八歳の北辺伯ジークハルト・ラインベルク。灰青の瞳は冷たく見えるのに、その視線には妙な誤魔化しがなかった。
「フォーゲル殿」
低い声で彼は言う。
「こちらへ来てもらいたい。あなたの記録を見る力が必要だ」
「王都で問題を起こした女ですよ」
「そうは思っていない」
即答だった。
「あなたが二年前、北辺向け救援薬の帳票不備を一人で止めたことを覚えている。あの時、王都で唯一、納品数より患者数を先に見た人間だった」
そんな昔のことを覚えていたのかと、私は少し驚いた。
「条件があります」
「聞こう」
「私の仕事は薬歴監査だけです。誰かの都合のいい飾りにはなりません」
「望んでいない」
彼は短く頷いた。
「必要なのは、現場を立て直せる人材だ」
王都にはもう、私の席はない。けれど紙と記録を必要とする場所はある。
私は招聘状を握りしめた。
「受けます」
それは逃避ではなく、反撃のための移動だった。




