第20話 もう誰の影にもならない
秋の始まり、北辺診療院の門に新しい看板が掲げられた。
『北辺診療院薬歴監督室』
王都と北辺をつなぐ正式な記録室として、私はその責任者になった。村の薬配分、慈善金、施療記録、患者本人の署名。全部を一つの流れで確認できるように整えた結果、診療院は少しずつ、でも確実に変わっていく。
「次の村便、封印番号は三十一です」
「確認しました」
マルタたちの声が廊下を行き交う。忙しいのに、不思議と心は落ち着いていた。
夕方、最後の患者を見送ったところで、机の上に王都からの封書が届く。差出人はエドガー。開けるまでもなく、減刑嘆願への協力依頼だと分かった。
私は未開封箱へそのまま入れる。
「返事はしないのか」
背後からの声に振り向くと、ジークハルトが薬湯と焼き菓子を持って立っていた。
「必要ありません」
私は笑って答える。
「私はもう、誰かの都合のいい影にはならないので」
彼は静かに頷き、私の机へ茶杯を置いた。今日の薬湯は薄荷が少し多い。長い一日の終わりにちょうどいい配合だ。
窓の外では、診療院の灯が一つずつともっていく。ここには本当に薬が必要な人がいて、必要な記録があり、私の仕事がある。
そして仕事の終わりを待ってくれる人もいる。
「帰ろう、レティシア」
「はい、ジークハルト」
私は印章箱を閉じ、彼の隣へ立った。
偽装療養に奪われた居場所は、正しい記録と正しい手で取り戻せる。そう知った今の私は、もうどこへ行っても自分の名前で歩ける。
今夜も北辺診療院の灯りは消えない。そして私はその中で、もう誰の影にもならずに働いて生きていく。




