追懐メルキオール1
私の目の前には、瓦礫の山となったかつての生家があった。
突風が吹いて、降り積もっていた灰が舞い上がり、焦げた臭いが漂う。
懐かしさなんて感じないと思っていたのに、いざ跡形もなくすべてが消えてしまうと、自分がそこに存在したという過去すら失ったかのような、かすかな心細さを覚える。
視線を少し横に移せば、真っ黒に焼け焦げた竜舎が見えた。
(火の竜を育てるための竜舎だったから、ここは燃えなかったのね)
まさか、この竜舎の耐久性をこんな形で知ることになるなんて、思ってもみなかった。
セイレニア教は調査団のみならず、インヴィディア王国の各地でパンドラを盗み、主要な都市や竜医師の家を狙って爆破させた。
私はパンドラで狙われた場所のひとつ……旧キントバージェ領を訪れていた。
(ここには、個人的につらい記憶も多かったけれど……ここに住む人たちに罪なんてなかった)
セイレニア教はイーリス教を信仰する人々に対し、一斉に攻撃を仕掛けた。
王都も被害を受け、現在は負傷者の救護や、火災や建物崩壊による二次被害への対応に追われているそうだ。
幸いと言うべきなのか、アウデンティア公国にパンドラの被害はなかったため、アルトリーゼ家は被害のあった都市への支援を行っていた。
「大丈夫か?」
隣に立っていたヘリアス様が、気遣うように声をかけてくれた。
その声を聞くだけで、胸の中の寂しさが薄れていく。私は小さくうなずいた。
「大丈夫です。ありがとうございます、ヘリアス様」
「無理はするな」
「はい」
ヘリアス様は周囲を見渡しながら言った。
「ここにいた竜たちは、竜医師に逃がされて奇跡的に無事だったそうだが、避難誘導を行った竜騎士たちや逃げ遅れた領民たちが犠牲となったそうだ」
「そんな……」
爆風を受けただけでも命の危機を感じたというのに、あの爆発に巻きこまれた人々の恐怖は、どれほどのものだっただろう……。
せめて苦しまずに、女神様のもとへ旅立ったと願いたい。
私は両手を組んで目を閉じ、心の中で静かに祈りを捧げた。
その時、少し離れた場所からラインさんの声が聞こえて、まぶたを開く。
「奥様! こちらに見てもらいたいものがあるのですが、よろしいでしょうか!」
「すぐに向かいます!」
私とヘリアス様は、積み上がった瓦礫の山を迂回して、ラインさんの方へと向かった。
彼がいるのは竜舎のさらに奥、キントバージェ家の厩舎があった場所だけど、爆風でほとんどが吹き飛ばされて、真っ黒に焦げた骨組みだけが天へと伸びている。
「どうかしましたか?」
「あそこに変なものがありまして……」
ラインさんが指差した先には厩舎の残骸があり、その中に見覚えのない巨大な船のようなものが横たわっていた。
二十人乗りくらいの大きさだろうか。船底がこちらを向いていて、紺色の夜空に白い星が散りばめられたかのような模様が描かれている。
なぜここに船があるのだろうと疑問に思っていると、船底がかすかに波打ったように見えた。
「もしかして……」
ゆっくりと船首の方へ回りこみながら、その物体を慎重に観察する。
船首と思った場所には大きな口があり、目も確認できた。瞳はまぶたの奥に隠されている。
「この子、『王竜』ですね!」
それは船ではなく、クジラとよく似た姿をした竜だった。
船底と思った場所はふっくらと丸い腹部で、よく見れば、側面には大きな胸鰭がついていた。
「ああ、やはり竜でしたか! こんなところにクジラなんているはずないと思いましたが」
「これが王竜か」
間近で見たのは初めてなのか、ヘリアス様も興味深げに王竜を眺めている。
「毎年繁殖期にインヴィディアに移動してくる竜だな」
「その通りです。この王竜はおそらく、ルクスリア帝国周辺の海に生息している種類ですね。毎年インヴィディア王国の上空を通過して、暖かい海を目指します」
私は王竜にゆっくり歩み寄り、腹部の前で屈みこんだ。
「腹部に大きな傷がありますね。ここの上空を通過しようとして、パンドラの爆発に巻きこまれてしまったのでしょう」
「セイレニアめ……」
ヘリアス様が低く唸った。
その時、背後から軽い足音が近づいてきた。
「奥様、その竜は亡くなっているんですか?」
シーラが哀れみを帯びた声で訊ねる。
すると大きな尾鰭が動いて、朽ちかけた骨組みを吹き飛ばした。
「うわぁ!? 動いた!?」
シーラが悲鳴を上げて飛び上がる。
ラインさんは飛んできた破片を避けながら言った。
「生きてますねぇ。怒っているんじゃないですか?」
「え!? ご、ごめんなさい! 悪気はなかったんですよぉ!」
王竜は今まで気を失っていたらしく、混乱したように地面を跳ねて、砂埃を巻き上げた。
ヘリアス様は、尾鰭の攻撃に巻きこまれないよう距離を取った。
「助けられそうか?」
「落ち着かせて安全に運び出せれば……」
私は水属性専用の竜笛を吹いてみたけれど、王竜の動きは止まらない。
王竜は竜笛が効きにくい竜と言われている。それならばと、今度は鎮静薬を撒いてみた。でも、思ったような効果は得られなかった。
(弱った王竜を一時的に保護したという話は聞いたことはあるけれど、生きた王竜に麻酔銃を撃つなんて聞いたことがない。投与する量も大体でしか判断できないし、過剰投与になる可能性も……)
陸の上に転がっている王竜の姿は何度か発見されているけれど、いずれも瀕死の状態か、すでに亡くなっている場合がほとんどだ。
そのため、王竜の生態はいまだ謎に包まれている。
(私にできることは……)
私は喉に触れ、ヘリアス様を見上げた。
「声の力を試してもいいですか?」
ヘリアス様の目がすっと細められ、私はこくりとつばを飲んだ。
古代竜の鳴き声を真似たことで、アジ・ダハーカを誘導することができた。この力なら、王竜にも通用するかもしれない。
だけど、この力を使う際はヘリアス様の許可が必要……というわけではないけれど、黙って使用することは禁じられていた。
「あの時、医者が何と言ったのか覚えているか?」
「は、はい。二度とこのような使い方はするなと……。ヘリアス様にもご心配をおかけして、本当に申し訳なく思います」
少し間があって、ヘリアス様は静かに口を開いた。
「それでも使いたいということは、使いこなせる自信があるということか。竜のためとはいえ、自分を犠牲にしようとはしていないな?」
「はい。自分を犠牲にするということは、救えるはずの命を見捨てることにもなりますから」
私の返答を聞いて、ヘリアス様は小さくうなずき、ラインさんに視線を向けた。
「人払いを」
「承知いたしました」
ラインさんは、近くで行方不明者の捜索を行っている竜騎士たちに向けて、「王竜の治療のため、一時撤退しろ」と声をかけた。
私の声の力を知る人間は、アルトリーゼ家内でもごくわずかだ。
ヘリアス様とも相談し、教会から教えられていないこの力の存在は伏せておくべきだと判断したからだ。
私は王竜に向き直ると、喉に触れたまま、小さく声を発した。ゆっくりと音を大きくしていく。
竜の歌でも何でもない、ただの声。
喉に負担がかからないよう慎重に。凪いだ水面にそっと息を吹きかけて、波紋を起こすように。
(大丈夫。怖くないよ。落ち着いて)
心の中で優しく念じる。
いくら身体が大きく見えても、成竜の大きさを考えればまだまだ子供のはず。群れからはぐれてしまい、怖がっている。
何度も心の中で呼びかけていると、次第に尾鰭の動きが緩やかになった。
やがて、王竜は全身の力を抜いて、そっと地面に横たわった。
その様子を見ていたヘリアス様が、小さく息を吐いた。
「落ち着いたみたいだな」
「はい!」
「喉は問題ないか?」
「はい。問題ありません」
「それならいい。それにしても、ウタヒメの声とは不思議なものだな。竜笛のような使い方もできるとは」
「そうですね……」
ウタヒメの力に関して、わからないことばかりが増えていく。
それよりも今は、目の前の王竜を保護しないと。
運搬網の準備を補助竜医師たちにお願いしようと考えていると、シーラが「あれ?」と首を傾げた。
「どうしたの?」
「今、王竜の背中の方で何か光りませんでしたか? 石のようにも見えましたが……私、ちょっと見てきますね!」
「気をつけて、シーラ。王竜に近づかないようにね」
「わかりました!」
「俺も行きますよ」
人払いをして戻ってきたラインさんが、シーラの後について行った。
ふたりは王竜を刺激しないよう遠回りをして、背中側に回りこむ。
「さて、何が光って……ひい!?」
シーラは王竜の背中を見て、甲高い悲鳴を上げた。
ラインさんも慌てて背中を確認し、「うわ、これは……」と頬を引きつらせた。
「何だ?」
「私たちも見に行きましょう」
ヘリアス様と一緒に王竜の背中側へ回った私は、その衝撃的な光景に、凍りついたように立ち尽くしてしまった。
王竜の背中には大きな結晶が張り付いていて、その透き通った黄色の結晶の中に、人間が封じこめられていた。
三十代くらいの男性で、頭部と左手以外は結晶に埋まっている。
左目や口の中から結晶の柱が突き出していて、すでに絶命していた。
その表情は、かすかに微笑んでいるように見えた。
次回更新は4/25です。




