花芽ぐむキルシュヴァッサー28
私の喉からあふれたのは、最早歌とも言えない音の羅列だった。
私は、記憶の中の古代竜の声に自分の声を近づける。
ウタヒメだからといって、竜の鳴き声が再現できるのかはわからない。
だけど、歌の力があるのなら、音で相手に干渉できる可能性はあるはず。
そう信じて声を発していると、身体の奥から熱が湧き上がってきた。
空気が振動し、私の声が波紋のように広く、遠くまで伝わっていく感覚がした。
私は肉薄するアジ・ダハーカから目をそらさないまま、心の中で念じた。
(来ないで……こっちに来ないで!)
そう強く念じた瞬間、キィィンと金属音が耳の奥で鳴り響き、鋭い痛みが走った。
まるで同じ痛みを共有したかのようにアジ・ダハーカが叫び、地面に触れそうな高さから、突然空へ急上昇した。
私は全身から力が抜けて、その場にへたりこんだ。
「で、できた……?」
漆黒の巨体が頭上を掠めるように飛んでいくのを見て、私は半ば放心状態でつぶやいた。
すると、喉に激痛が走り、口内に鉄の味が広がった。
無理をしすぎたかもしれない。
「奥様!!」
シーラが目に涙を浮かべながら駆け寄ってきた。
なぜだか、彼女の声が少し遠くに聞こえた。
「お、奥様、耳が……耳が!」
「耳?」
自分の声すら、少しこもって聞こえる。
右耳に触れると、指先に血がついた。両耳から出血しているみたいだ。
(上手く制御できなくて、自分に跳ね返った?)
シーラがハンカチを取り出して、ぼろぼろと泣きながら私の耳を拭いてくれる。
「ど、どうしましょう! 早くお医者様に診てもらわないと!」
「心配かけてごめんなさい、シーラ。もう大丈夫だから。私、行かないと……」
再び旋回し始めたアジ・ダハーカが見えたので、私はゆっくりと立ち上がった。
ぐらりと視界が揺れたけれど、歯を食いしばって、どうにか踏み止まる。
「だめです、危険すぎますよ!」
シーラが私の両肩をつかんで引き止めようとする。
「完全に追い返せたわけじゃないわ。また戻ってくる前に、声を使って遠くへ誘導しないと」
「で、でも、その声を使うと奥様のお身体が壊れてしまいます! そんなの嫌です!」
「使いこなしてみせるわ。大丈夫、私を信じて……!」
シーラはぐっと言葉を詰まらせた。
「信じて」だなんて、ずるい言い方をしたことに罪悪感を覚えた。そんな言葉を使われたら、シーラは私を送り出すしかないのに。
「私に……奥様とともに戦える力があれば」
シーラは悔しげにつぶやくと、私の手を両手で包みこんだ。
「奥様、どうかご無事で。必ず帰ってきてください!」
「うん、約束する。行ってきます」
シーラは寂しそうに微笑み、そっと手を離した。
私は、空を警戒しているエアルに近づいた。
「エアル。私と一緒に戦ってくれる?」
エアルはその目に私を映し、ゆっくりとまばたきした。「もちろん」という声が聞こえた気がして、頬が緩む。
「ありがとう。さあ、行こう」
背中に乗って手綱を引けば、エアルは己を奮い立たせるように雄叫びを上げ、空へと舞い上がった。
火の竜の登場に、アジ・ダハーカはちらりとこちらを見たけれど、三つの首は再び地面を見下ろした。
(こっちよ!)
そう強く念じながら、もう一度声を発する。
再び耳の奥で金属音のようなものが鳴り響き、アジ・ダハーカも不快を訴えるように叫んだ。
けれど狙い通り、私たちの後についてきた。
「……げほっ!」
咳きこむと、かすかに血のにおいがした。
魔物の思考を操れるだなんて、すごい力だと思う。だけど、反動が大きすぎて何度も使えないし、短い命令しか出せない。
エアルはアジ・ダハーカから逃れながら、ちらりと私を見た。
その意味に気づいて、私は小さく笑みを浮かべる。
「私は大丈夫。心配かけてごめんね」
エアルの首をなでてから、手綱をにぎり直す。
(このまま誰もいない場所へ誘導し、攻撃して爆破させる!)
そのためには、アジ・ダハーカを誘導しつつ、爆発に巻きこまれないように距離を離す必要があった。
「エアル! 追いかけっこなら誰にも負けないよね!」
「キャア!」
頼もしい返事が返ってきて、ぐんと速度が上がった。
風が壁のように身体にぶつかってきて、気を抜くと吹き飛ばされそうになる。
(フロリアンさんの話では、この近くに旧調査団支部の廃墟があるはず……)
目の前には広大な平野が広がっていて、人もいなければ竜の姿もない。ここでなら爆破させられそうだ。
背後を確認すると、アジ・ダハーカは飢えたような目をして、必死になってエアルを狙っていた。
(おかしい……エアルの速さについてきてる!?)
速度を上げたはずなのに、先ほどとまったく距離が変わっていない。
この近さで爆破させれば、私もエアルも巻きこまれてしまう。
(通常の翼竜種が火の竜に追いつけるはずがない。このアジ・ダハーカも手を加えられているのね)
魔物といえど、その命を弄ぶような行為に吐き気がする。
エアルは、背後から飛んでくる三つの火の玉の攻撃を避けながら、背中にいる私が耐えられる限界まで速度を上げた。
それでも振り切れない。
(声を使って停止させるしかない!)
わずかにエアルの速度を落とし、私は全力で声を発した。
だけど、喉だけでなく耳や全身に激痛を感じて、それ以上声を出すことができなかった。
息苦しさと全身を襲う痛みで、自然と涙がにじんだ。呼吸が上手くできない。
アジ・ダハーカはわずかに速度を落としたように見えたけれど、すぐに追いつかれてしまった。
(上手く声が使えなかった。効果が落ちてる)
喉がズタズタに引き裂かれたかのように痛い。これ以上は使えそうになかった。
背後から、まるでこちらを嘲笑うかのような咆哮が聞こえてくる。
手綱をにぎる手に力が入った。
(冷静になって、フィルナ! 声が使えないなら、別の方法を考えるだけ!)
落ちかけた心を奮い立たせたその時、どこからか指示笛の音が聞こえた気がして、はっとした。
(誰かが……呼んでる?)
間違いない。指示笛の音がする。
諦めるなと、こちらに道があると示してくれるように。
「エアル!」
ひどい声だったけれど、気にしていられない。
私はエアルに指示を出し、指示笛の音のする方向へ向かった。
すると、森の中にぽつんと古びた塔が建っているのが見えた。
きっとあれが、旧調査団支部の建物の一部だ。
その塔の頂上に誰かが立っている。
マントを風になびかせながら、その人はじっとこちらを見つめていた。
じわりと胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、視界が涙で揺らいだ。
さらに指示笛の音が大きくなった。
指示は「直進」。
迷うことも、疑う必要もない。
エアルには「全速力で」と指示を出し、その身体にしがみつく。
翼が風を切り、勢いよく塔のそばを横切る。
その瞬間、鮮やかな赤髪が風に舞い、エメラルド色に輝く瞳と目が合った。
その唇が動く。「あとは任せろ」と。
次回更新は4/10です。




