花芽ぐむキルシュヴァッサー3
私は竜笛に触れ、フロリアンさんの目を見つめながら言った。
「何もしないというのは無理です」
「何?」
「先ほどのように竜医師が不在で、竜と人どちらにも被害が出ると判断した場合は、私はあなたの指示や規則を破るかもしれません」
フロリアンさんは怒りで顔を真っ赤に染めて、唇をわななかせた。
私は彼に左腕の腕章を見せた。アルトリーゼ家の専属であることを示す腕章であり、私の誇りだ。
「竜医師のコートとこの腕章に恥じるような行いはできません。私は竜を救う竜医師ですから」
こちらをにらむフロリアンさんに負けじと、私も彼を見つめ返す。
しばらく沈黙が流れ、そろそろ気まずくなってきたところで、フロリアンさんが大きなため息をついた。
「言いたいことは山ほどありますが……とりあえず、施設へ案内します。詳しい話はそこでしましょう」
フロリアンさんは「逃げるなよ」と言わんばかりに鋭い視線を投げかけ、歩き出した。
口を曲げながらも必死に耐えていたシーラが、ついに爆発した。
「何なんですか、あの無礼な人は! こっちだって言いたいことが山ほどありますよ! 奥様の代わりに殴ります!」
「き、気持ちだけ受け取っておくわね」
◇◇◇
私は広い部屋の中央に立たされ、数人の調査団員に囲まれて事情聴取を受けていた。
逃げ場のない空間で、視線だけが次々と突き刺さる。
正面にはフロリアンさんが座っていて、探るような目で私を見ていた。
私は右手を顔の横くらいまで上げて、天井近くから私を見守っている女神イーリスの像を見つめながら言った。
「真実のみを話します」
宣誓を終えると、早速フロリアンさんが口を開いた。
「我々調査団は、メルキオールが自らを犠牲にするよう洗脳されていた可能性が高いと考えております。私は調査団員として様々な竜を見てきましたが、竜が自らの意思で人間のために命を差し出そうとするとは考えにくい」
フロリアンさんは、猜疑心に満ちた目で私を見ながらつづけた。
「人間と共生し、家族のような絆を結べることはあっても、竜はそのような自己犠牲的な思考をしない。つまり、アンネマリー様とジン殿がメルキオールを洗脳し、道具として扱ったということです。フィルナ様もまたエアルを洗脳し、道具のように扱っているのではありませんか」
「発言の許可を」
「ええ、どうぞ」
フロリアンさんは余裕たっぷりにうなずいた。
私は事前に調べていた報告書の内容を思い出しながら言った。
「メルキオールの安全装置に関して、外部の竜医師たちや竜騎士たちによる調査の結果、アンネマリー様やジンさんの訓練は適切であり、問題はなかったと報告されています」
「なるほど。つまり、そちらに落ち度はなかったと、そう言いたいのですね」
フロリアンさんは責める口調で言った。
彼の目には、私への憎しみが色濃くにじんでいた。
私は内心ため息をついた。どうあっても、アルトリーゼ家を悪者に仕立て上げたいみたいだ。
(アルトリーゼ家というよりも、竜医師という存在そのものが憎いのかも……)
フロリアンさんは苛立ったようにバンッとテーブルを叩いた。
「いいですか、メルキオールが死んだのは、あなた方アルトリーゼ家のせいです。そして、あなたはエアルにも同じことを繰り返そうとしている。あなたが隠そうとしているものを、絶対に見つけてやりますからね」
「私は何も隠していませんし、探られても問題ありません。納得するまで調査してください」
フロリアンさんが反論しようと身を乗り出したその瞬間、扉が荒々しく開け放たれた。
そこには、若草色の瞳をした老年の男性が立っていた。
「いやぁ、遅れて申し訳ない」
「団長……! 今までどこに行っていたのですか」
「たった今、本部から帰ってきたんだよ。これでも急いで来たんだよ」
フロリアンさんから団長と呼ばれたその人は、眠たげな目で私を見てから一礼した。
そして、背中を丸めながらのしのしと歩いて、フロリアンさんの隣に腰を下ろした。
(失礼だけど、竜が歩いているみたい……)
そんなことを考えたせいか、ほんの少しだけ気分が和んだ。
でも、団長と呼ばれた彼も、フロリアンさんと同じように私を疑っているかもしれない。
私は再び気を引き締める。
「えー、私は調査団の団長をやらせていただいております、ウルリッヒ・エピドシスと申します。メルキオールに関しては、安全装置の件で他国にまでその名が知れ渡っておりますので、まあ我々も、何かしらの結論を出さなければなりません」
ウルリッヒ様はテーブルに置かれた資料を手に取り、目を細めながらその内容に目を通してから、隣のフロリアンさんを見た。
「今のところ、フィルナ様がエアルを虐待しているような証拠は見つかっていないよね。アルトリーゼ家の竜医師がどのように竜と接しているのか、うちの竜医師に判断してもらったら?」
「判断と言っても、どのように?」
「うちで保護した竜を診察してもらうんだよ」
「は!?」
フロリアンさんは声を上げ、勢いよく立ち上がった。
私も思いがけない提案に驚きを隠せなかった。
ウルリッヒ様は、納得していない様子のフロリアンさんには構わず、私に向き直って微笑んだ。
「フィルナ様、うちの竜舎にご案内します。ついて来てください」
「あ、はい!」
ウルリッヒ様は入室して間もないというのに、再び扉を開けて部屋から出ていってしまった。
私はフロリアンさんに一礼し、急いで後につづく。
「ちょっと、事情聴取の途中なのに! 待ってくださいよ!」
慌てて合流したフロリアンさんも加わり、私たちは調査団の竜舎に向かった。
その途中、竜舎に隣接するように大きな建物があった。
何気なくその建物を眺めていると、フロリアンさんが私の視線の先に立ちはだかった。
「あそこは関係者以外立ち入り禁止です。絶対に入らないでください!」
「は、はい。わかりました」
これ以上、彼の怒りを買わないようにと、私は前を歩くウルリッヒ様について行く。
(とても大きな建物だったけれど、保護された竜がいるのかしら)
ウルリッヒ様につづいて竜舎の中に入ると、入り口近くにある竜房の前に、小柄な少女が立っていた。
十二、三歳くらいだろうか。
桃色がかった金髪を肩まで伸ばした、お人形のように整った顔立ちの少女だ。
ウルリッヒ様が彼女に声をかけた。
「シャーロット先生」
「あ、ウルリッヒ団長。お帰りなさい」
シャーロットと呼ばれた少女は、こちらを見て小さく微笑んだ。
(先生、ということは……)
わずかに視線を下げると、彼女は私と同じ竜医師のコートを身にまとっていた。間違いなく竜医師だ。
その胸元には竜笛と、土属性の竜の鱗で作られたブローチがついていた。
「フィルナ様、ご紹介します。この支部の代表竜医師であるシャーロット先生です。まだ十四歳ですが、立派な竜医師ですよ」
「よろしくお願いします、フィルナ様」
彼女は大きな桃色の目で私を見上げて、一礼した。
年齢を感じさせない、落ち着いた所作だった。
(十四歳でこの支部の代表竜医師だなんて、よっぽど優秀な人なんだわ。それに、とてもしっかりしている)
私は内心感心しつつ、背筋を伸ばして自己紹介をした。
何だか自分の方が子供っぽく感じて、少し恥ずかしい気持ちになる。
挨拶を終えると、ウルリッヒ様が竜房に視線を向けて、シャーロット先生に訊ねた。
「イネスはどう?」
「ええ、何も問題ありません。尻尾の怪我の処置も終わりました」
竜房の中にいたのは、先ほどパニックを起こして尻尾に噛みついていたイネスだった。
イネスは竜房の隅に座って、じっとこちらを見ている。
(下半身あたりの鱗の生え方がまばらだわ。強いストレスを感じて抜け落ちてしまったのかしら……)
イネスを観察していると、ウルリッヒ様が近くにあった薬瓶を手に取り、私に差し出した。
「フィルナ様。この薬はどう思いますか?」
どういう意味だろう。不思議に思いながら薬瓶を受け取る。中には、濃い紫色をした液体が入っている。
「こんなことをして何の意味があるんですか?」
フロリアンさんが不機嫌そうにつぶやいた。
シャーロット先生も、その顔に戸惑いの色を浮かべていた。
私は薬瓶の蓋を開けて、においを嗅いだ。
ほんのり甘いにおいがする。
「鱗の再生を促す薬ですね。この竜舎オリジナルの調合でしょうか」
「その通りです」
「頑丈な鱗にするためだと思いますが、死の釣鐘の量が多いように思えますので、胃を荒らしてしまうかもしれません」
死の釣鐘とは、ルクスリア帝国の滋養強壮薬に使用されていた猛毒のハーブだ。
少量ならば害はなく、竜の身体を頑丈にしてくれるため、インヴィディア王国でも使用は認められている。
私が答えると、ウルリッヒ様が「ふむ」とうなずき、シャーロット先生は目を見張った。
「うそ……。私のオリジナルの調合なのに、どうしてわかったんですか!?」
「ふん、どうせ偶然でしょう」
フロリアンさんが鼻で笑う。
ウルリッヒ様は、イネスの竜房に視線を向けながら訊ねた。
「イネスに関して、他に何か気になるところはありますか?」
私は竜房に近づいて、鉄格子の隙間からイネスを観察した。
「呼吸音が気になります」
「呼吸音?」
「風邪を引きかけているのかもしれません。鼻水が出ています」
「え、そんなはずは……!」
シャーロット先生が竜房に駆け寄り、じっと目を凝らす。
そして、愕然とした表情でつぶやいた。
「本当だ……。この私が、見落としていたなんて」
「ふむふむ」
ウルリッヒ様は二度うなずいた。
「フィルナ様。このイネスは元々、とある竜医師の家に、供血竜として閉じこめられていたのです」
淡々と告げられたその内容に、私は思わず息を飲んだ。
供血竜とは、輸血を必要とする竜に血液を提供する竜のことだ。
それ自体は珍しい話ではないけれど……。
「閉じこめられていたということは、その竜医師は輸血のためだけに、この子を所有していたということですか?」
「その通りです。閉じこめられていたストレスと、毎日のように血を抜かれつづけた影響で、新しい鱗が作られなくなり、保護した当時は鱗がほとんど剥がれていました」
「ひどい……」
悲しそうな目をして竜房の隅に座っているイネスに、胸の奥がずきりと痛んだ。
イネスは永遠につづく痛みと恐怖を、自身の尻尾を噛むことで紛らわせていたのだろう。
「保護して二ヶ月が経ちましたが、まだここに慣れないみたいで、近頃は睡眠不足の心配も出てきています。フィルナ様、あなたならこの状況をどうしますか?」
ウルリッヒ様は眠たげな目を細めながら、試すように私を見つめていた。
次回更新は2/14です。




