花芽ぐむキルシュヴァッサー1
竜たちの甲高い鳴き声が響き渡る。
敵が来たと告げるような不穏な叫びは、次々と竜舎や放牧場にいる竜たちへと広がっていく。
私は急いでエアルのいる竜舎に向かった。
扉を開けてすぐに目に飛びこんできたのは、竜房の中で翼を広げて暴れるエアルと、エアルを連れ出そうと竜房を取り囲んでいる王国安全調査団の姿だった。
「エアル!」
私は竜房に駆け寄りながら竜笛を吹いた。
エアルは低く唸りながらも、渋々といった様子で翼を折りたたみ、私のそばに近づいてくる。
「ごめんね、大丈夫だからね」
そう声をかけながらエアルの頭をなでると、エアルは調査団の方をじろりと見ながら、ふんっと鼻を鳴らした。
言いたいことがあるのは私も同じだ。
怒りを抑えながら振り返る。そこには、調査団のひとりであるフロリアンさんが立っていた。
彼はエアルを哀れみの眼差しで見つめていた。
「何の連絡もなしに竜舎に侵入するなんて、どういうつもりですか?」
「侵入だなんて人聞きが悪い。我々は証拠保全のため、そして竜を守るために、事前の連絡なしに訪れる権利があるのですよ。隠蔽されては困りますからね」
「隠蔽って、どういう意味ですか」
「アルトリーゼ家の竜医師は信用できないということですよ」
そう言って、フロリアンさんは書状を広げ、私に向かって突き出した。
「竜の安全装置のことは、フィルナ様もよくご存じのはず」
「ええ、もちろんです」
安全装置とは、竜が人を優先的に守るよう訓練することを指している。
フロリアンさんは、冷たい怒りを宿す目で私をにらみつけた。
「五年前、この安全装置のおかげでたくさんの命が救われました。ヘリアス様の父君であるオリアス様の部下、ジン・グレンカイトの相棒……メルキオールが犠牲になったおかげでね」
メルキオールの犠牲。その言葉に、胸の奥が冷たくなっていく。
彼はさらに責めるような口調でつづけた。
「メルキオールは、反乱軍が使用した鉱石爆弾『パンドラ』を防ぐために犠牲になったこともご存じですか」
「はい」
私は静かにうなずいた。
パンドラとは、鉱石を使用した強力な爆弾で、世界でもっとも多くの犠牲者を出したとされる鉱石兵器だ。
そのため、現在は全世界で使用が禁止されている。
「我々の調査では、メルキオールは行き過ぎた訓練の結果、自らを犠牲にするように洗脳されていたのではないかと考えております」
「それは――」
フロリアンさんは私の反論をさえぎるように口を開いた。
「アルトリーゼ家の竜医師であり、ヘリアス様の母君でもあるアンネマリー様と、ジン・グレンカイト。この両名の虐待とも言える訓練により、尊い竜の命が失われた。そして、アルトリーゼ家の竜医師となったフィルナ様もまた、エアルに同じような訓練……いや、虐待をしている可能性があります!」
思わず感情的に言い返しそうになって、私は一度呼吸を整えた。
怒りに身を任せれば、相手の思う壺だ。
「……私はエアルにそのような訓練を行ったことはありませんし、虐待などしていません」
「どうだか。あなたはアルトリーゼ家の竜医師であり、さらにウタヒメという謎の力を持っている。その力を悪用し、竜を洗脳しているのではありませんか? 今までエアルがどれほど苦しんできたのか、あなたに理解できますか?」
それを聞いて、今まで黙っていたシーラがたまらず声を上げた。
「そんなはずありません! 奥様はエアルを家族のように大切にしています! 虐待なんてあり得ません!」
「そ、そうだ、そうだ! その目は節穴ですか!」
シーラに同調するようにマシーシャさんも声を上げたけれど、フロリアンさんににらまれ、怯えたように身をすくませた。
私はエアルを庇うように立ちながら、フロリアンさんを見すえた。
「それで……エアルをどうするつもりですか?」
自分でも意外に思うほど平静な声だ。
虐待を疑われたことにショックを受けたし、怒りもある。でも、私はエアルにそんなことを一度だってしたことはないと、胸を張って言える。
そんな私を見て、フロリアンさんは勝ち誇ったように言った。
「エアルは我々調査団が預かります。そして、フィルナ様の調査が終わるまでは接触禁止とさせてもらいます」
ドクンッと心臓が強い鼓動を刻んだ。
私の手を離れ、飛び去っていくエアルの寂しそうな背中がよみがえって、一瞬呼吸が止まった。
またエアルと会えなくなる……? 全身から血の気が引くような、そんな感覚に襲われた。
「エアルを連れていけ」
フロリアンさんが指示を出すと、調査団員たちが再び竜房に近づこうとする。
「待ってください! そんないきなり――」
私が彼らを止めようと声を上げたその瞬間、エアルが咆哮を上げた。
ビリビリと鼓膜を震わせる声は激しい怒りに満ちていて、開いた口から炎が漏れ出している。
吊り上がった大きな目とあふれる炎を見て、調査団員たちが悲鳴を上げた。
そして、エアルの怒りの矛先はフロリアンさんに向いた。
フロリアンさんが目を見開き、後退りする。
「下がってください!」
私はフロリアンさんを庇うように立ち、竜笛を吹いた。
エアルはとっさに炎を飲みこみ、不満そうに鼻息を吐いた。
「暴れた火の竜を、竜笛だけで……!」
調査団員たちのざわめきが耳に届く。
私は竜笛から口を離し、ゆっくりエアルに近づいた。
「エアル。怖い思いをさせて、ごめんね」
鉄格子の間から手を伸ばすと、エアルはすりっと頭をすり寄せてきた。
その目はかすかに潤んでいて、すがるように私を見つめていた。
言葉はわからなくても、きっと私との別離を感じ取ったのだろう。
この子に、こんな気持ちを抱かせてしまったことが悔しくてたまらなかった。
「ごめんね、エアル。でも、大丈夫だよ。すぐに迎えに行くからね」
「キュウ、キュウ……」
寂しそうな鳴き声に、目の奥が熱くなる。
でも、今ここで悲しそうな顔を見せれば、賢いエアルはまた暴れてしまうかもしれない。
私は笑顔を作って、エアルの頭を何度もなでた。
「何も心配いらないからね。大丈夫、大丈夫」
しばらくして、エアルが落ち着いたのを確認してから、私はフロリアンさんに向き直った。
彼は驚いたようにこちらを見ていたけれど、はっと我に返って顔を顰めた。
「な、何ですか? 我々を助けたつもりでしょうが、それだけのことで虐待疑惑は払拭できませんよ!」
「わかっています。ただ……エアルを傷つけるようなことだけは、絶対にしないと約束してください」
フロリアンさんは心外そうな顔で言った。
「当然でしょう。あなたと違って、我々は竜を守るためにやってきたのですから。エアルだけではなく、あなたも我々とともに来ていただきますよ。事実確認をしなければなりませんからね」
「わかりました」
私が承諾すると、フロリアンさんは調査団員たちに再び指示を出して、竜房に入っていった。
エアルは不機嫌そうに唸りながらも、今度は抵抗しなかった。
その様子を見ていたシーラが、悔しそうにつぶやいた。
「ひどい……いくら何でも横暴すぎますよ」
マシーシャさんを含む補助竜医師たちが同じようにうなずき、敵を見るような目で調査団員たちをにらんでいた。
(これが彼らの仕事とはいえ、かなり強引なやり方ね)
たしかにこのやり方なら、証拠隠滅を防ぐことができるし、竜虐待の現場を確認できる。
そうやって救われてきた竜もいるとは思うけれど、冤罪で愛した竜と引き離された人もいたはず。
(エレスチャルを奪われたルネ様も、こんな気持ちだったのかしら……)
にぎり締めた拳が震える。
虐待を疑われたこと以上に、エアルと会えなくなることが……エアルを苦しめてしまうことが、つらくてたまらなかった。
「奥様」
その声に振り返ると、息を切らしたラインさんが立っていた。
騒ぎを聞いて、駆けつけてきたのだろう。
「これは一体……」
「私がエアルを虐待しているという疑いで、調査団がエアルを預かるそうです。私も調査団の支部に向かいます」
「奥様が虐待? 何を勝手なことを!」
怒りを見せたラインさんに、私は小さく微笑みかけた。
「私なら大丈夫です。必ずエアルを連れ戻します」
「奥様……」
「その間、どうかヘリアス様のことをよろしくお願いします」
「よろしいのですか? せめて一目でも……」
私は無言で首を横に振った。
ラインさんは労るような眼差しで私を見つめていたけれど、すぐに真剣な顔をしてうなずいた。
「わかりました。ヘリアス様のことはお任せください」
ラインさんの返事を聞いて、内心安堵する。
そっと目を閉じると、鮮やかな赤髪が脳裏によみがえった。
私を真っ直ぐに見つめる瞳の輝きも、「信じる」と言ってくれた声の低さも鮮明に思い出せる。
まぶたを開く。ここにいないヘリアス様に向けて、私は「行ってきます」と小さくつぶやいた。




