氷解アイオン6
夜が明けると、アイオンは目を覚まし、竜舎の窓から朝焼けを眺めていた。
そして、また同じ場所をうろうろと歩き出した。
「オスカー様に会いにいこうか」
そう声をかけると、アイオンは首だけを動かしてこちらを振り返った。
オスカー様の名前を聞いて、目の輝きが増したように思えた。
「さっきまでここにいたんだけど、鍛錬の時間なんだって。マクシミリアン様は昨日のことを反省して、補助竜医師のお仕事を手伝ってくれてるの」
アイオンはじっと私を見つめている。早くオスカー様に会いたいと思っているのかもしれない。
私は竜房の中に入り、慎重に竜装を取り付けた。
オスカー様もマクシミリアン様もいないので、もっと嫌がるかと思っていたけれど、とても大人しかった。
「お利口さんだね」
ぽんぽんと軽く触れた身体はとても冷たくて、かすかに眉が寄る。
霜がつく範囲が広がっている。
「……オスカー様と合流したら、散歩をしようね。閉じこもってばかりもつらいでしょう?」
「キャア!」
「いい返事」
私はアイオンを連れて放牧場にやって来た。
透き通った氷のような角が、オレンジ色の太陽の光に染まっていて綺麗だった。
ヘリアス様やラインさんは、夜が明けるとすぐに城に戻っていった。
今は鍛錬を終えて、溜まった仕事を片付けているかもしれない。
アイオンの報告も兼ねて、ヘリアス様にお礼を言いに行かないと。
その時、近くの森の中から、トンッと何かを打つような音が聞こえてきた。
アイオンがパタパタと翼を羽ばたかせて走り出そうとしたので、私は竜笛を吹いて抑えた。
「オスカー様?」
森の中に入ると、オスカー様が弓を引いているのが見えた。
彼の視線の先……太い木の幹には、ほぼ同じ場所に何本もの矢が突き刺さっている。
(すごい腕前だわ)
邪魔をしては申し訳ないと思って、静かに眺めていると、オスカー様がはっとしてこちらに気づいた。
「あれ、アイオン? フィルナ様も!」
「キャア!」
アイオンは怒ったように鳴いて、オスカー様に駆け寄り、ぐりぐりと頭を擦りつけた。
「あはは、ごめんよ。置いていったわけじゃないんだ。お前がよく眠っていたから」
オスカー様はアイオンの頭をなで回して、嬉しそうに笑っていた。
アイオンもほっとしたように目を細めて、「キュルキュル」と甘えたように喉を鳴らしている。
(きっと、子竜の時からそばにいたのね。アイオンはオスカー様を、自分の親か兄弟のように思っている)
この状態で安全装置を解除するだなんて、その方法があったとしても難しそうだ。
「やはり、フィルナ様はすごいですね。アイオンは人見知りが激しくて、扱いが難しいと言われているのに」
「人見知りなんですね。竜装をつけている間もお利口さんで、そんな風には感じませんでしたが……」
「フィルナ様が竜に優しい人だとわかっているのでしょうね。帝国の竜医師は、神竜を相手にすると思うと緊張するのか、アイオンも緊張しちゃって」
「神竜とはたしか、帝国の氷竜の中でも、強い竜に与えられる称号ですよね」
「その通りです。神竜を診察できるのは選ばれた竜医師のみで、とても名誉なことだと言われています。父上も、実績あるフィルナ様なら任せられるだろうと」
「そうだったのですか! 身に余るお言葉で、恐縮です」
まさか、クリスタロス侯爵にそのように評価されていたとは思っていなかったから、嬉しいと同時に何だか意外に感じてしまった。
ルクスリア帝国では女性の竜医師は少ないから、てっきりマクシミリアン様と同じ考えの方も多いのかと、勝手に思いこんでしまっていた。
それを察したのか、オスカー様がその理由を語ってくれた。
「じつは、亡くなった私の母も帝国では珍しい女性の竜医師で、神竜を診察することができました。そのため、父上も性別で能力を判断するような人ではありません」
「そうだったのですね。失礼いたしました」
「いえ、お気になさらず。礼を欠いたのは、我々の方ですから」
そう言って、オスカー様は再び謝罪を口にした。
(彼が女性の竜医師に対して、マクシミリアン様のように反発しなかったのは、そういう理由があったからなのね)
私自身も偏った考え方をしていたとわかって、深く反省した。
その後、私はオスカー様と一緒に、アイオンを連れて放牧場の中を散歩していた。
私は彼が背負っている弓矢を見て、先ほど言いそびれてしまったことを伝えようと思った。
「オスカー様、見事な弓の腕前ですね」
「ありがとうございます。ですが、私なんて全然大したことありませんよ。どんな竜騎士でもできますし、私なんか……」
と、オスカー様は照れ隠しのように、アイオンの背中をなで始めた。
アイオンは何度もまばたきして、不思議そうにオスカー様を見下ろしている。
「それに帝国では、『弓を使うのは卑怯者のすることで、女々しいやつだ』とよく言われますし」
「そんな風に言われるのですか?」
銃を使うインヴィディア王国の竜騎士を見たら、顔を真っ赤にして怒り出しそう……。
そうやって非難されてきたからか、オスカー様は竜騎士の中でも珍しく、自分を卑下するような物言いをする人だった。
オスカー様は、アイオンをなでる手を止めないまま、言葉をつづけた。
「でも、この弓があれば、私でも戦えるのです。アイオンに向けられる攻撃を、これで防ぐことができる。だから私は、剣よりも弓を使うことにしています」
「オスカー様は、アイオンを守りたいのですね」
「はは……アイオンの方がずっと強いのに、馬鹿なことを考えますよね」
オスカー様は恥ずかしそうに笑った。
「帝国の竜騎士ならば、まずはひとりでも多くの敵を討ち取ることを考えなければならないのに……」
「私は、素晴らしい考えだと思います。綺麗事と言われようとも、命を奪うことよりも誰かを守ることを考える方が気分がいいです。きっと、アイオンにもあなたの心が伝わっていますよ」
思いがけない言葉を聞いたとばかりに、オスカー様は目を見張った。
「あ、ありがとうございます! あはは……そんなことを言われたのは初めてです。嬉しいなぁ」
オスカー様は顔を真っ赤にして、再びアイオンをなで始めた。
構ってもらえて嬉しいのか、アイオンは寝転がってお腹を見せている。
オスカー様は自分を過小評価しているけれど、とても心優しく優秀な竜騎士だと思った。
優しすぎて、自分よりもアイオンの命を優先したいと願っている。
胸の奥が切なく痛む。
(そう思い詰めてしまうほどの出来事があったのかしら……)
アイオンの氷結化の原因が、現在のルクスリア帝国の状況に関係している気がしてならない。
けれど、他国の事情を気軽に訊ねることもできない……。
ならば、間接的に聞き出すしかない。
「オスカー様。竜と竜騎士を多く迎えたとおっしゃっておりましたが、他に何か変わったことはありませんか? 他の竜が風邪気味だったとか、アイオンの生活環境が変わったとか、ちょっとしたことでも構いません」
オスカー様はなでる手を止めて、顔を上げた。少し考える素振りを見せる。
「アイオンとは直接関係ありませんが、今年に入って体調を崩す竜が多かった印象がありますね」
「感染症が流行っているとか?」
「いえ、感染症ではないようですが、急に属性攻撃を撃てなくなったり、疲れやすくなったり……。原因不明で、まだ調査中のようです」
「属性攻撃を撃てなくなる?」
氷属性攻撃を放つ際、氷の素となるものは必ず氷管を経由する。
アイオンの氷結化が発症した場所も氷管だ。
何だか、無関係とは思えない。
「ああ、そういえば! アストロモロス公爵家の氷竜も、最近氷結化を発症したのではないかという噂がありました」
「同じ期間に二頭も? 発症することが稀と言われている病気なのに……」
何かが引っかかる。私は何かを見落としている?
その時、アイオンの不満そうな低い鳴き声が響いた。
立ち止まってしまった私たちを急かしているようだ。
「ごめん、今行くよ」
オスカー様は困ったように小さく笑って、歩き出した。
(やっぱり、帝国で何かが起きているんだわ……)
ヘリアス様なら、何か知っているかもしれない。
アイオンの散歩を終えたあと、私は城に戻り、ヘリアス様の執務室に向かった。
すると、廊下の向こうから、見知らぬ男性が歩いてきた。
二十代後半くらいだろうか。ダークブロンドの髪をした、すらりとした体型の男性だ。眼鏡の奥の切れ長の目が、鋭く私を見据えている。
彼が静かに一礼したので、私も同じく一礼した。
目を上げた時に彼の腕章がちらりと見えて、思わず顔が強張った。
(王国安全調査団!?)
国と竜を守るために、様々なことを調査する国家機関だ。
公平性を保つため、たとえ王族であっても調査対象となり、時に抜き打ち調査などを行っているらしい。
(昔、キントバージェにも何度か来たことがあったわね)
お父様が応対したため、彼らと直接話すようなことはなかったけれど、かなり厳しく調査され、竜を取り上げられるなんてこともあるらしい。
「王国安全調査団のフロリアン・パーピュラです。フィルナ様にお会いできて光栄です」
握手を求められ、その手をにぎり返した。
「こちらこそ、お会いできて嬉しいです」
私は動揺を気取られないように、微笑みを浮かべた。
「ルクスリア帝国の氷竜を治療中だとか。完治させるのは難しいのでしょう?」
「はい。ですが、わざわざインヴィディアまで来てくださったのですから、私もその思いに応えたいと思っています」
「とはいえ、まだ治療できていないんですよね?」
「え?」
表情はにこやかなのに、言葉にはトゲがあった。突然のことに少し面食らった。
「ええ、これから穿刺……氷を取り除く治療を行いますが」
「原因はわかりましたか?」
「氷結化の原因はまだわかっていないんです」
「原因がわからないなんて、おかしいですよ。あなたは竜聖医ですよね。本当に治療を行っていますか?」
突然の攻撃的な質問に驚いて、私は一拍遅れて「もちろんです」と答えた。
フロリアンさんは、先ほどまで浮かべていたにこやかな表情を消して言った。
「困りますよ、フィルナ様。あなたが帝国の竜を死なせてしまったら、インヴィディア王国は信用を失います。あなたの失敗ひとつで戦争が起きてしまうかもしれないのですよ。どうするおつもりですか?」
「どうするも何も、私は竜を助ける竜医師です。そのあとのことよりも、まずはアイオンを助けることを優先します」
嘘偽りない気持ちを伝えても、フロリアンさんは猜疑に満ちた目で私を見つめていた。
まだ何も起きていないのに、すでに犯人扱いされている気分だ。
「もし竜を死なせるようなことがあれば、フィルナ・アルトリーゼの過失を問うとともに、アルトリーゼ家の竜の管理体制に問題がなかったか、強制的に調査を行います。我々から逃げられるなんて思わないことですね」




